4:会長と副会長(快調と不快調)。
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目覚めほど最悪なものはないと思う朝だった。幸い、今朝は竃が部屋に侵入してくるという事がなかったのが唯一の救いだ。
今朝も起こされていたら、昨日よりもっと酷い起こされ方をするかもしれない。
「憂鬱だ……」
毎日吐いているような溜息を吐き、僕は着替えて学校に向かった。
昨日より足取りが重く、教室にたどり着いたのはホームルームが始まる五分前だった。昨日が嫌な一日だったので、今日くらいは良い一日にしたいものだ。
今日ほど竃円と別クラスだったのを喜ぶことはないだろう。この先にあると信じたくないし、今日が一番だと思考してくれ、僕。
最悪な気分ながらも授業を受け、時は過ぎて行った。時計は十三時を指す。昼休みだ。
終礼が鳴り、教師が退出すると同時に竃円が僕の教室に入ってくる。目的は隣席の成績学年二位の木々崎 喜太郎君ではなく、残念なことに僕だ。
このことを僕自身が一番理解していることが辛い。
「おはよう、ツキ。さて、早速だが生徒会の仕事だ。行くぞ」
僕の席の前まで竃がやってくる。誰も特に気に留めないのも僕としては少し心が痛い。
「ちょっと待て、昼休みは活動外じゃないのか?」確か他の委員会も基本的には活動する必要はなかったはずだ。
「何甘いことを言うんだ。そんなことでは上級生に追いつけんぞ。この貴重な休み時間を生徒会に使わず何に使うというんだ?」
「ほら、次の授業の予習とか」
僕はそんなことをしたことは一度もないが。
「ツキはそんなことをするキャラじゃないだろう」
あっさり見破られていた。
「大丈夫だ、ツキ。心配しなくてもら毎日アレはしてやるから」
「アレ?」
「何だ、忘れたのか? お礼のキーー」
「よーし分かった、行こう! ははは、生徒会って楽しいなぁ!」
竃が言い終わる前に無理矢理教室を出た。こいつと違って、僕は奇異の目で見れそうられても正常でいる自信がない。
ましてや、協力の対価にキスを要求する男――なんて噂が広まったりしたら生きていけない。いや、生きているだろうけれどそんな環境でまで生きたくない。
僕がそういう行動を起こすのが珍しかったのか、教室や廊下にいた数人がこちらに目を向けたが、そこまで興味がある様な視線をよこすこともなくやり過ごした。
そして僕は昨日とは逆に生徒会室まで竃を連れてきていた。
「はぁ、はぁ……やっと着いたか……」
人一人を連れたまま、厳密にいうと引っ張ったままここまで来るのは体力をかなり消耗する。
位置的に、僕のクラス二年五組とはかけ離れた場所にあるので、ここまでこれから通うことになると思うと心が折れそうになる。
というか既に心は折れているのだけれども。
「ツキ、こんなにも生徒会に対してやる気を発揮してくれるだなんて……。私はお前を見直したぞ!」
「お前が……あんなこと、言おうと、する、から、だ……」
息が持たないので言葉が途切れ途切れになる。話しているのがこいつで良かった。
「キスの事か? 恥ずかしがる事もないだろう。私とツキの間柄なのだから」
どんな間柄だよ……。恋人同士でもあるまいし。
僕は深呼吸をして、息を整えた。
「まあ、確かにそうだがな。しかし、意外に生徒会室というのも存外小さなものだな」
目前に広がるのは他の特別教室と何ら変わり映えのない部屋。
生徒会室のプレートがドアの上方にかかっている以外に特別なところはない。
中の広さも、プレハブ小屋を少し広くした程度だ。そこまで広くはない。かといって、狭すぎるというわけでもない。
普通に普通の一室だ。事務机があり、椅子があり、本棚があり、窓がある。それだけだ。
漫画に出てくるような大きな部屋が与えられるわけではない。現実なんてものはこんなものである。それを許容するかしないかが問題だ。
と言っても竃が読んだ漫画での大きさも実際はこの程度だと思う。
無駄にスケールが大きく描かれているだけで、実際にジオラマで展開してみるとイメージと違ったりするのだろう。広告で見たものと現物とは偽物と本物のような差があるようなイメージだ。写真はイメージです。と言った所だろう。
鍵は竃が持ってきていたので、すんなりと中に入れたが、はっきり言うとやることがなかった。
先輩たちは昼休みまで行動していないみたいだし、鍵がかかっているのだから中に人がいる、という事もなかった。
つまりは、空き教室の中に二人の男女がいるという事実しか生まれなかったのだ。
竃は竃で、生徒会室を物色するだけで、何かこれと言った目的を持ってここに来た訳ではないらしい。立派なのは行動力だけだった。
僕は特にすることもないので、入り口近くの椅子に腰を掛け、本棚の活動記録にでも目を通すことにした。竃はというと、窓からグラウンドを眺めていやがる。
僕の方がやる気もないのによっぽど生徒会役員ぽかった。
暫く、探索という名の休憩に時間を費やした。が、特に収穫もない。活動記録にも過去の役員の名前と予算の収支や、収益が記帳されているだけだった。
竃は特に変わった様子もなく窓の外を眺めつづけている。こんなやつが会長になるなんて無理なんじゃないだろうか。
僕が活動記録を本棚に戻すと、竃は静かだった空間に音を取り戻した。
「ふむ。意外に生徒会というのは暇なんだな……、てっきり生徒会室にいれば生徒が助けを求めてくると思っていた」
「漫画じゃないんだからそれはないだろ。お前が思っているほど現実は甘くないんだ。いや、楽してるんだから甘いっているより辛いか。ともかく、特にやることもないんだし、放課後出直そうぜ」
僕はそういって椅子を机にしまった。竃も応じるように窓を閉める。
「そうだな。放課後にまたくるとしようか。ところで、ツキ、さっきの話だが」
窓を閉めると、竃が僕ににじり寄ってくる。
「なんだよ、さっきの話って」
「――お礼の事だ」
「――――!!」
僕は後ろに飛びのいた。恐怖心からではない。生存本能がそうさせたのだ。
「あれは冗談で言っただけだ。だから、もういらないって」
「いや、それでは私の気が済まないよ、ツキ。たとえ冗談でも要求は要求だ。それを叶えなければツキに失礼だろう」
「いや、そんなことはない。むしろ叶えてくれる方が失礼だ、僕に」
「嘘を――つかなくていいよ? ツキ」
甘えた声で。宥めるような声で。竃円は僕の首に腕を回す。
「嘘じゃ――しまっ」
さっき飛びのいたせいで壁際に僕はいる。
逃げられない。
逃がさない。
竃円ならこう言っただろう。僕はそんなことを考えながら覚悟を決めた。
唇と唇が、そっと静かに重なった。竃は目を閉じており、僕もそれに習い目を閉じる。
その刹那――生徒会室のドアが開いた。
「おや、生徒会への新入生が生徒会室にいると聞いてまさかまさかと生徒会室に来てみれば。これはとんだ侵入性ですねえ。どう思います、秋野さん」
「そうですねぇ……、私的には生徒会という健全なイメージを逆手に取り、不埒な蛮行に躍り出た勇者、もとい遊者がお二人ほど接吻をしているようにしか見えませんわ、増梶さん」
そこには、髪をオールバックにしているやけに背の高い眼鏡の男子生徒と、肩より下にまで伸びている茶髪を三つ編みに結っているこれまた眼鏡の女生徒がいた。ブレザーのネクタイ、リボンの色から見て上級生だ。
空気が――――重くなる。
物腰柔らかにこちらを睨む男が増梶という男で、眼鏡の奥の笑っていない眼からは侮蔑と差別に軽蔑の混ざった視線が突き刺さる。
威圧感、というのはこういう時に使うのが正しい言葉だと悟った。
女生徒の方、秋野という女子は笑顔の中から一欠片も愛嬌を感じない。明らかに、造った笑顔だ。その笑顔が逆に怖い。先ほどの言動よりも。
竃も一瞬遅れてか気づき、先輩たちに向き直る。僕は壁にもたれかかったままそれを見ていた。
「ほほう。生徒会というのは覗きの趣味があるのか。とてもとても興味深いな、うん。入って正解だったよ」
と、竃が先輩たちに啖呵を切った。
「いえねえ、年を取るとラブロマンスというものに縁がありませんもので、ついつい若い貴方たちの情事を盗み見たくなってしまったのですよ。というのは――冗談で」
「いきなりの侵入性がどんな手を使ったのか、気になったのですわ。意とも簡単に入会してしまうのですから、どんな事をしたかと思えば……、色仕掛けですか」
増梶、秋野が言った。
「これは――ツキにしかしていない。先生には私の意思を伝えた。それだけだ」
あなたたちが思っているようなことは先生にはしていない。と、竃は続けた。
「……」
無言で竃、そして僕に目をやると、増梶は、
「まあ、今日の所はいいでしょう。大目に見ましょうか。目の保養も出来たことですし。ただしーー」
「次はねえと思えよ」
と、凄み、部屋を後にした。
秋野は特に何も言わず、笑顔を絶やさないまま、増梶に続いた。
空気が、軽くなった気がした。
「大丈夫か、円?」
僕が聞くと、竃は、
「ああ、今のところは」
とだけ、答えた。
その時の竃円は、いつもと変わらないように見えたであろう、いつもと変わらない物言いだっただろう。だが、僕には少し竃円が、
震えているような気がした。