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夕立

作者: 赤土

 初投稿となります。なので、長編をあげる前の投稿テストもかねて少し前に書いた短編をあげることにしました。


「あっついなぁ……」

 そう呟きながら、ビルに囲まれた道を歩く男が一人。

 いまだに型が残ったままの動きにくいスーツに結び目が中央にきていないネクタイを身に着けた男は、胸ポケットに入っているハンカチを使わずに白いカッターシャツの袖口で額の汗を拭いていた。

 あと五分ほど歩いて駅に着く。それから二駅進んだところで降りて会社に戻り、係長に営業の結果を報告する。前を向いて歩きながら次の行動を復唱する男の頭の中にはもう、先ほどの失敗はなくなっていた。

「おにーさん。もうすぐ雨降るからこっちに来た方がいーよー」

 舌っ足らずな声がした方を振り向くと、衣料品店のビルの影から女子高生と思われる子がこっちを見て手招きしていた。その女子高生は男と比べれば低いものの女の子の平均よりは背が高く、髪の毛こそ黒いが制服は着崩しているようで、胸元のリボンはついていなかったりスカートがやけに短かったりしている。

 男には全然身に覚えのない女の子であったが、軽く飛び跳ねながら笑顔で手招きしてくるので仕方なく彼女のいる方へと向かった。

 ビル影に入ると、同じところとは思えないほど涼しかった。改めて女子高生を間近で見てみると、髪はきれいにまっすぐで、目は丸くて大きい。唇も血色がよくつやつやとしている。もしかすると少し化粧をしているのかもしれない。

「おにーさん、会社帰り? もうすぐ雨が降るんだよ。夕立ってやつ。だからここで少し雨宿りしていきなよ」

「夕立? でも昨日のニュースではそんなこといってなかったような……」

 男の計画には雨に気を付けるといったことは全然入っていなかった。右手に持つ鞄の中にも折り畳み傘は入っていない。

「おにーさん、社会人なら朝のにゅーすもちゃんとみないとだめだよ?」

 男の鼻辺りを指差す女の子の上目使いが妙にあっていて思わず目をそらす。外は、あれだけ強かった日差しが弱まって日陰との境界線があいまいになっていた。

「おにーさん、今日はもう仕事終わり?」

「いや、これからまた会社に戻って……、あぁそうだ、会社に戻らないと」

 男はすぐにここから出ようとしたが、女の子が男の袖をつかんで引き留めた。

「だからー、もうすぐ雨が降るんだってばー。すぐやむからここで待ってようよ、ねっ」


 確かにぬれるのは厄介だが、ビルの屋根のあるところを伝っていけばあまりぬれずに駅までいくことはできる。なのだが。

「ほらほら、ちょっと暗くなって来たよ」

 いまだに女の子が手を離さないので断りづらく、結局雨がやむまで一緒にいることにした。

 そのことを女の子に伝えると、女の子は能天気そうに微笑んだ。

「ねぇねぇ、おにーさんいくつ?」

「んーっと、二十四だけど。……君は?」

「十七だよー」

 女の子はにこにこしながら男の袖をつかんでぶんぶんと振っている。男は袖の長さが左右変わっていないか心配になってきた。と、話の内容を考えてみてふと気づく。

「あれ、学校は?」

「えーっとねぇ。んー、休んじゃったー」

 エへへと笑いながら女の子はそう答えた。

「だめだよ、ちゃんと学校に行かないと」

「えー、おにーさんはそう思う?」

「そうだよ、親御さんも困っているんじゃないか?」

「んー、最近ママにも会ってないからわかんないや」

「ええっ?」

 男が驚くようなことでも、この女の子にはなんでもないことらしかった。

「何驚いてるのおにーさん。最近じゃよくあることだよー」

 男は歳をとったのかなぁと言いつつも、夜のニュースの特集で家に帰らず街をうろつく女子高生がいるとかやっていたようなことを思い出していた。といっても実際にいるとは考えもしていなかったのだが。

 男は本気でこの女の子を心配し始めていたのだが、当の女の子はといえばおにーさんは古風なんだねぇ、などとなぜかしみじみとした調子でしゃべっていた。

 この子のためにも、ちょっと大人としてまっとうなことを伝えた方がいいのかもしれない。

「僕は学校に行った方がいいと思うけどな」

「急にどーしたの? おにーさん」

「学校は今考えてみると大事だと思うよ。そりゃあ昔は勉強は嫌だったけど役に立ったし、友達もできたから今ではいってよかったと思ってる……ん?」

 先ほどまで振られていた腕が止まった。女の子を見てみると、もうこっちを見てはいなかった。女の子の見ている方を見てみると、暗くなった空からぽつぽつと雨が降ってきていた。

「ねぇ……」

 先ほどの明るさがない。冷たく低い声。

「十何年間やってきた勉強が生かされたときってどれくらい? 勉強してきた年数にあったものだった?」

 雨音が激しくなってきた。彼女の声に集中すればするほど、雨音がよく聞こえる。

「集団生活に慣れるのは何のため? 人の命令を素直に聞けるようになるため? 学校で作った友達とは今何人と会ってる? ずっと友達の人は何人残ってる? ねぇ、教えてよ」

 彼女の声はかすかにしか聞こえない。それでも男は彼女が怖くなった。彼女がこっちを向いて一歩引いてしまった。

「ねぇ、答えてよ。お兄さんはどう思うの?」

「ご、ごめん……」

「なんで謝るの? どうして? 嘘ついたの?」

 彼女の声が大きくなる。その声が響いて何も言えない。

 男は答えられるはずだった。勉強が役に立った時も少なからずあるはずだし、男にだって地元で飲みに行く親友だっている。そう答えられるはずなのに、なぜか口にできなかった。

 男が目を離せずつまったままでいると、彼女は急に笑った。

「どーだった、おにーさん。私の演技は」

「えっ?」

 彼女は男の手を放して外へ出た。濡れるんじゃないかと思ったが、雨はすでに止んでいた。

「私はねー、おにーさん。女優になるのが夢なんだよー」

 男の心境など知らずに、女子高生はのんびりと笑っていた。

「で、どーだった?」

「え? あぁ、うん、すごかったよ」

「ふーん、そっかー」

 雨が降っていないか手を広げる女子高生に、先ほど男を圧倒した迫力はない。

「ねー、おにーさん。これから仕事に戻るの?」

「あ、あぁ。そうだった」

 男が左腕の光る腕時計を見ると、予定で乗るはずだった電車を逃してしまったようだった。

「じ、じゃあ俺もう行くよ」

 男はあまり目を合わさずに、女子高生に向けて手を上げた。

「あ、おにーさん」

 背中から女子高生が呼びかけてきて、男はびくっとして振り返った。

 太陽が差し込んできてまぶしい。

「今日おにーさんの家に泊まっていーい?」

「えっ」

「じょーだんだよ、おにーさん。ふふふ、じゃーねー」

 はじめに会った時のように女子高生は笑顔で軽く飛び跳ねながら手を振っていたが、男はその姿を見ようとはしなかった。



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