口裂け女が彼女なら
注:登場人物は変わり者です、謎が多いです。ある意味、アレです。
俺の彼女は口裂け女だ。
――そう噂されている。
彼女と付き合い始めたのは去年の夏。
あと一、二ヶ月で一年になるから、もうそこそこ長い。少なくとも、今まで付き合ってきた中では一番だ。
ちなみに最短記録は二週間たらずである、それもぎりぎり『たらず』だ。
あと6分50秒ほどで二週間だったって言うのは、ビンタされて別れてから気付いた事実だった。
その手形がかなり腫れたんで、翌日学校で友人達に大爆笑されたのは今でも覚えている。ただ肝心の彼女のほうがどんな娘だったかってのは、あまり覚えていない。
いや、こう言うと誤解されるので言っておく。
彼女の好きなアーティストや食べ物、よく好んだファッションや行きつけの店、愛用していた化粧品や香水は忘れていない。住所や電話番号や誕生日、血液型まで未だ何も見ずに口で言える程度には覚えている。
約二週間の付き合いでは会ったが、その以前からただの知人として顔は合わせていたのだし?
でも、一方、なぜかどんな娘だったのか、って言うのは希薄だ。
もっと単純に、どんな人だったのか、それを言い表すことが出来ない。
明るかった? ……まあ、たぶん。
おしゃべりだった? ……そりゃ、だいたいは。
積極的だった? ……あー、かなり、ね。
好き嫌いは激しかった? ……それはそうでしょ?
好き嫌いが激しくない、そんな女の子は見たことがないのだから、逆に問い返した。
それ以外はうやむやに、ばくぜんとした物言い。
でもこの二つの問いにも、はっきりと答えられた。
可愛かった? ……可愛いと思えないなら一緒にいないよ。
好きだった? ……うん、好きだった。
付き合っているということは、俺にとってそういうことなのだ。
可愛いと思えるし、好きだから、じゃ付き合おうと思える。
それじゃ駄目なの?
あのね、それ。何も知らないっていうのよ。
へえ、そうなんだ。
と、俺は初めてそこでそんな事実を知ったのだった。
俺は今まで付き合った女の子達のことをなにも知らなかったらしい。
友達からはそうは思われないのだけど。
ああ、今のが何かって?
今の彼女との、つまりは口裂け女と影で呼ばれる現彼女と俺の会話。
そんなすれすれトークを付き合っている娘としたのは初めての体験だった。
彼女曰く、俺は付き合ってきた相手のことを覚えているけど知らないのだそうだ。
プロフィールを記憶、いや頭に記録しているだけ。思い出や姿もそれに写メを貼り付けれいるかのごとく、記録として保持しているだけ。
なるほど、それはおもしろい見方だと思う。
たとえば、彼女達とどこかで会ったとして、きちんと顔を見れば本人だと思い出せるだろう、ただし時間をかけて。
あえて言葉を借りるなら、俺の頭の中にあるそのプロフィールと今目の前にある顔を順に見直して、だ。
だから、すれ違うだけなら無理だ。
向こうからすれば無視しているように見えるらしいけど、無視しているんじゃない。思い出せていないのだ。もう、意識にすら上らない。
この人どこかでみたことあるな、すら、ない。
突然、挨拶されて驚いたこともある。
してきた相手はみな、どこか話しづらそうに挨拶を交わしてくるのだけど、俺は思い出す間、なんとなくそれに合わせるだけの会話をするのだ。
……話しづらいのなら、話しかけなきゃいいのに、と思いつつ。
正直にそれを言うと、現彼女にかなり怒られた。
いや、ね。だって、そっちが先に俺の前の彼女の話を聞きたがったのにさ。
そこで怒られても、困る。
そう、なぜこんな話をしているのかと言えば、今の彼女がそれを望んだからだ。
まったく奇妙なことだ、とそう思う。
こんな話、されるのも嫌だろう? フツーは。
『口裂け女が彼女なら』
会話の始まりは、んー、そうだな。
適当に、その辺でいいと言うから本当に適当にファミレスに入って。
言われた一言が、これ。
「なんで、わたしとあなたが付き合っているのか未だに理解に苦しむわ」
何気にひどい科白だと思う。
うん、それも『かなり』ひどい科白だと思う。
「それは、つまり? 俺になにか不満があるってこと?」
「不満? って言うか……」
「まあ、それなら善処するから言ってよ。今すぐには無理だろうけど」
俺がそう言うと、彼女はなにか言いづらそうに目を逸らす。
俺はそこで言いづらいなら、はじめから言わなきゃいいのに、とは言わなかった。
本人には言ってはいけないだろう、とはわかっていたので。
彼女が言い出すまでの間、俺は彼女をじっと観察する。
なによりまっさきに目に付くのは、やはりマスクだ。
年がら年中、彼女はマスクをはずさない。
うん、どこでもだ。海でも山でも川でも。
水着着てるのにマスクには笑った、いや、本人怒ってたけどね?
それでも笑いながら水着を褒めた俺は、むしろ褒められるべきだろ?
いや、それはそれで怒られたけどね。まじめに話せって。
いやいやいや、むしろ君がまじめにしろよ、って突っ込みたくなる。
……でも、友人を連れてきたたらみんな引くんだろうな、とは思った。
ま、俺は気にしないけどね。
キスするときにもはずさない、マスク越しのキスしかしたことがないのは我ながらどうかと思うが、おかげでキスをするたびに笑いそうになる。
だってはずさないんだもん、仕方ないじゃん。
「人が考えてるのになに笑ってるの?」
ついつい肩を震わせていた俺を彼女が見咎める。
彼女の目はどこか力強さがある、まあ、友人達曰く、誰にも有無を言わせない迫力があるわけで。
でも、俺はそれに慣れすぎているし、元からそんなもんは通用しなかった。伊達に空気読めてないとは言われてない。
「いや、思い出し笑い。内容聞く?」
「……やめとく、ぜったいくだらないから。あのさ、もうちょっとまじめに出来ないの?」
「ああ、うん。そうだな、笑う場面じゃなかったな。ごめん」
「……わかればいいけど」
うわ、納得しない顔してる。まあ、俺も納得いかないけどそもそも、くだらない、って考えてたの君のことなのに?
自分でくだらない、って、いや内容を聞いたら聞いてたらで怒ったんだろうけど、聞いてなくても自分で自分の話くだらないって……いやー、絶妙に俺のツボをつくよね。
笑うなって、我慢してる俺を褒めて欲しいよ。
いや、そんなことを褒められたら怖いけどさ。
さて、気を取り直して俺は彼女の顔を見る。大半はマスクで隠されているけど、俺は可愛いと思う。
目なんか、どこか動物を思わせる感じでクリッとしてるし、顔の形はシルエットになっちゃうけど、丸型っぽくてよく見ると幼い感じがする。
本人かなり大人ぶってるけどね、子供扱いするとまあ怒るし。
髪型は長さはセミロングであまりつくり込まないカールがかかっている、短めの前髪のせいでより一層子供っぽいことに気付いて欲しい。
ただ全体的にフワッと裾広がりの感じがついさわりたくなるような気にさせるし、とても似合っていると思う。
まあ、本人には言わないけどね、あまり。
なんかの拍子に変えられたら嫌だから、出来ればずっとそのままがいい。
でも、それを強制したくない。うん、悩みどころです。
ずっと俺が見ているのが気になるんだろう、目が合う。
「あの、なに?」
「なにじゃなくてさ、ずっと待ってるんだけど俺」
「あ、うん。……ごめん」
「謝らないでよ、待ってるの楽しいから」
特に視線を意識され始めてからは、内心爆笑中です。
彼女がため息をつく。
「ずっと思ってたんだけど、なんでわたしなの?」
「なにが」
「こんな女、変でしょ?」
「うん、変だね。それもかなり」
俺は言う。
はっきりと、思ったように。
「……じゃあ、どうして?」
「なんで変わってると駄目なのさ? フツーって大事? いや、それを言うなら君わりとフツーだよ、一点除けば。あとはたいして……むしろ俺より常識あるんじゃない?」
「そ、それはあなたが……」
「あ、俺に常識がないだけだって? まあ、否定しないけどさ。誰にも迷惑かけてないならいいんじゃない、君にはかけてるけど」
「もっとたくさん他の人にもかけてるでしょう!」
ま、確かに? でも、まあそんなの。
「気にならない」
「……あのねえ」
「でも、君が代わり気にしてくれるから助かる」
なにかを諦めるように沈黙する彼女。
右手で顔を覆った、いや、その頭が痛いみたいなそぶりやめてよ。
「って言うか今更じゃん、その辺はもう諦めてくれたのかと思った」
「……あなたが先に諦めると思ってたの」
「どのことに関して? まあ、たとえどのことだったとしても、無理だよ。俺は諦めない。ナポレオンの辞書は『不可能』が落丁されてる不良品らしいけど、俺の辞書には『諦め』の欄に『なお、一般にさせるものであって、するものではない』と追記されてるからね」
フツーの辞書の先を行ってます。
「……そんな辞書があったらわたしなら焼き捨てるわね」
「俺は愛用するね。ただ、諦めはしないけど止めるなら出来るよ」
「どうやって?」
「殺せば?」
「……話にならないわ」
「そうそう、諦めたほうがいいって。俺が隣にいることに関しては……ああ、今は正面にいるんだけど」
そんなことをいつものように話していたら、頼んでいた食事が来て……そこまではいつもの通りだったわけだ。
彼女は食事のときでもマスクははずさないが、ずらしはする。
マスクが汚れそうなものだけど、あまり汚したところを見たことがない。
だけど、まあ代えも持ってきているらしい。バックに化粧品の横にマスク入れ用の袋がある女の子ってそう多くはないと思うんだけど。マスクの代えは常に三枚あるらしい。
そして、マスクをずらした際にはどんなに気をつけても、その下が見えるわけだ。彼女がそうどれだけ、どんなに隠すようにして食べたとしても、俺がそれをなるべく直視しないようにしても。
どんなかって?
……あえて言いはしない、想像に任せておく。
ただ、俺が誰かに教えることも、見せようとすることも今後ないだろう。
それが単純に俺の嫉妬心や独占欲によるものかどうか、ってことも想像に任せておく。
だから、人前で彼女が食事をすることもない。喜ぶべきことに俺は例外だ。この席も、お店の人に希望して決めた場所だ。
希望通りの席が取れないときは、店を変えることにしている。
「もしかして、と思ってたんだけど」
「なに?」
「あなたってゲテモノ好きなの?」
「は?」
「いるじゃない、ほら。デブ専とかブス専……とか。それと同じでちょっとおかしい娘専門で手を出してるってことでしょ?」
「いやいやいや、『でしょ?』ってなに。確定なの? うん、まずデブ専とブス専は本人の趣向ではデブでもブスでもない場合があると思うな」
中にはデブやブスだから好き勝手できる、なんて言うろくでなしもいるわけだけど。
俺にはあまり理解できない理屈だ、自分が好きじゃないのに一緒にいることも、女の子をそんなひどい扱いにすることも理解できない。いやあ、そんな奴が周囲にいたら地獄に落としてやるのに。
……女の子が目の前で笑ったり怒ったりしてくれるだけで嬉しいと思うんだけど。あ、泣いてもいいけど悲しませるのは駄目、これ、重要ね。
「……そこが聞きたいんじゃなくて」
「うん、そうだね。まず自分をゲテモノ扱いするのはやめよう、俺を変人扱いするのはいいけど、さすがにそれは怒る。俺に対しての最大級の侮辱だ」
俺は可愛くて、好きだと思わない相手と一緒にいない。
そして、一緒にいる相手を侮辱することは、俺の生き方や価値観、考え方、存在そのものを侮辱すること以上のものだ。
うん、本気で怒るよ?
まだ、自分を変人扱いするのはいいけどゲテモノはない。奇異の目で彼女が見られることは仕方ないし、だいたい俺自身も変だとは思ってるけどさ。
「俺は別に妥協して君といるわけじゃない、君を妥協させて君といるんだ」
「……面と向かってよくそんなことが言えるわね?」
「相手に伝わっていない気持ちなんか、ないものと同じなのが持論だからね。」
だから伝えるのにも、相手の気持ちを見ることも全力。
それは相手だけじゃなく、自分に対しての礼儀。
相手の気持ちをなかったことになんかしたくないから。
「あなたって本当に理解できない。……ねえ、その、ないと思うんだけど今まで付き合った相手も、わたしみたいな感じだった?」
「……マスクはなかったかな」
「そうじゃなくて、変な相手だったの?」
「あー、どうかな。少なくとも周りからどうこう言われる相手はそんないなかったかな?」
「どうこうって……だから、それわたしの目の前で言う?」
「あからさまに気を遣うのって気色悪くない? 君が言われてるのわかってるんだから、隠せば君が俺に気を遣うだけだろ、疲れるってそんなの」
「それはそうだろうけど」
「じゃあ、今後は隠そう」
「……やめてよ」
じゃあ、どうしろと?
……相変わらず難しいことを言うよなあ。気持ちとして割り切れないのはわかるけど、なら割りきんなきゃいいじゃん、って思うのは俺だけ?
まあ、周囲の評価は仕方がないのだ。
それはまた侮辱とは違うものだから。
むしろ、言われないのが不自然なのだから。
「もっとサバサバ行こうよ、気にしたって仕方ないって」
「付き合ってきた相手にはいつもそんな感じ?」
「まあ、相手による」
そんなに気になるかな。
「聞いたっておもしろくないよ? 付き合った相手の話なんか」
「おもしろいとかじゃなくて……」
「わかってるよ、もし自分が『そういう感じ』だから選ばれたんだったら嫌だ、って言うんでしょ?」
「……言いたくないなら別に」
あ、気まずくなってやめようとしてる。
まあ、気持ちはわかるかな。俺が適当に遊べそうな相手だと思われて、もしそれで付き合われたんだったら……いや、それはそれでいいか。
うん、どんな理由でも付き合ってくれるならいい。俺が好きなら。
「いや、話すよ。詳しくは言わないけどさ」
本人が特定できないように、それもなるべく細かいエピソードを話さないように。
女の子達がもし、話されたことを知っても傷つかないくらいに。
気をつけて、気をつけて。
*
「いや、十分傷つくから」
断言された。
マスクではなしづらいだろうに、堂々とはっきりかつぜつよく断言された。
ちなみに、かつぜつ(滑舌)は放送用語で一般の言葉じゃないので辞書にあまり載ってませんし、ワープロでの変換もされません。
なんで知ってるかって? いや、今の彼女に前言われたんで。
「傷つく、かなあ?」
「たいして相手のこと知らないで付き合うなんて、本当、最っ低!」
マスクのまま周囲に迷惑にならないよう怒鳴る、彼女。
うん、さすがに器用だな。このまま今日はカラオケに連れて行きたい。
「……でもそう言うけど、少なくともそれで相手に不満はなかったけどね」
そう、少なくとも当時は。
「その上、すぐに相手のことを忘れるし」
「覚えてるよ?」
「顔見てすぐ出てこないなんて、忘れてるでしょ!」
「あー、10秒以上かかると不味いんだ」
勉強になります。
いや、でも忘れたまま会話するけど、相手の女の子気付かないよ?
なら、いいじゃん。とは、ならないんだ?
「それはそれとして、プロフィールで一緒にいる分には十分だと思うよ? みんな喜んでたし」
「じゃあ、なんでビンタされたの?」
「ああ。アレは一緒に買い物に行ったとき、店員さんが近くでビン割っちゃってさ。彼女めちゃくちゃ怒ってたんだけど、怪我もないしかといってずぶ濡れたわけでもないし。ま、ちょっと跳ねたくらい?
なのに、店員さんが可哀想でさ、慣れてなさそうなバイトの人で、泣きながらずっと平謝り。見てられなかったからフォローに回ったらさらに怒って喧嘩になった。まさか既に大激怒してるのにさらにその上があるとは思わなかったよ、超激怒と名づけたいね」
「……もしかして、相手の店員さんって言うのは」
「まあ、女の子だったよ」
ため息を再びつかれる。
かなり呆れてるなぁ、どっちにかはわかんないけど。
でもまあ、時々あるのだ。店員さんに優しくして怒られるのは。
むー、フォローの仕方が悪かったかなぁ、まさかあそこまで怒るとは、って言うか怒り方が半端じゃなかったし。
なんだっけ、あなたとデートするためにお金貯めて買った服なのに、初日で汚されるなんて、だっけ?
まあ、見た感じわざわざデート当日に待ち合わせぎりに遅刻しないように計算して美容院にも行ってたみたいだから、気合は入ってたんだろうな。気持ちはわからないでも……いや、やっぱわかんないや。俺はそこまでしたことないし。
下見とか情報収集くらいはするけど、いつも以上に着飾ったりはしない。
「いや、見た感じって見ただけでそれがわかるのもすごいと思うけど」
「んー、ちゃんと見ればわかるよ。あ、今日はプロの整え方だな、とか、毛先揃えたんだなとか、いや、そこまでじゃなくても、少し雰囲気違うじゃん。あ、あと臭いとか?」
知ってる娘なら、今日行ってきたなぐらいは普通分かるだろう普通。
「……わたしにはわからないけど」
「そう、気にしてないからじゃない?」
もしくは自分以外の他の女の子に興味がないんだろう。
ああ、でもなんかの時に、友達もわからないってほとんどみんな言ってたな、たぶん付き合っている相手に興味がないんだと思う。興味が持てないなら付きあわなきゃいいのに。
最低限、付き合っている相手のことはわかるだろう、好きなら。てか、興味あるなら。
「そういうからには、付き合ってる相手のことはわかるんでしょうね。色々と」
「……なんか怖いな、その言い方。なんでもじゃないけどさ、見てわかることはね。服見るときにどんな感じので止まるか、とか。アクセサリ探してるときに、今用のか、今着てないお気に入りの服用のか、さっき買った新しい服用のつもりなのかくらいは?」
「……これからはあんまりわたしの方見ないでくれる?」
「なぜっ!?」
突然、そのマスクの裏から拒絶を示す、彼女。
「なんか気持ち悪い」
「……それ、彼氏に言うせりふじゃないよ?」
「なんでもかんでも見通されてるのが嫌」
「なんでもじゃないって」
「とにかく嫌。気持ち悪い、気色悪い、そして怖い。もう、わたしの方を見るな。なに、そのストーカー並の観察眼。そんないやらしい目で常にわたしを見てるわけ?」
「ストーカー!? その上、いやらしいってなに! 仮にいやらしいんだとしても、その目を彼女以外に向けるのはおかしいでしょ!?」
「いいから見るな!」
「今もなの!?」
なんだろう、このすごい理不尽な扱いは。
俺、なんかしたわけ?
最初の頃はもう少し、こう遠慮しがちって言うか、気遣いって言うか、優しいって言うか。いや、ね。戻りたいわけじゃないし、気を遣わないでくれるのはありがたいんだけど、優しくはして欲しい。
今の彼女は好きなんだけどさ。
「はあ……もう、わかった。あなたは下手な化け物より十分化け物染みてる。って言うか、もう馬鹿者だと思う」
「化け物と馬鹿者の語呂をあわせたジョークはどうかと思う」
相変わらず、センスがないし笑えない。
って言うか、どこか言葉のセンスが古い。
「うるさい、とにかくあなたは十分異常よ」
「これくらい観察する人間なんて探したらいると思うけどな」
「そこまで観察できるからなんでしょうね。あなたにとって、人間がただのプロフィールの塊に過ぎなくなるのは。記憶が記録に変わってしまうのは、その膨大な量の情報を圧縮して収めてしないと覚えられないからなんでしょう?」
「いや、聞かれても」
そう、彼女はこうなのだ。
理屈屋で真面目、なんらかの自分を納得できる理論で持って、物事を納得させないと気がすまない。
今時、この年で珍しいタイプの女の子だ。
もっと感情でのびのびと生きていけばいいと思う、強制はしないけど。
「じゃあ、とっさに思い出せないのも理解できる。情報を解凍するまでのラグなんでしょうね。でも、それをしながら相手と会話を成立させられるところに嫌悪感を感じるわ」
「させなかったらそれはそれで相手がショック受けるじゃん」
「そして、人間がただのプロフィールの塊にしかならないんなら、どんな女の子でも同じように途中から見えてしまうんでしょうね。絶対にどこか共通点は出るから、同じ種類にわけられて整理される。
わたしが見る限り人付き合いの多い人間って、どこか同じように誰とでも関わってる。そこに差はないのよ、人情味溢れてるように見えて、いくつかのパターンに分かれた流れ作業で人と関わっているに過ぎないんだわ」
「誰とでも同じようにって言うか、差を作らないのは否定しないけどさ。特別はあるよ?」
「それは相手が分類しづらい個性の持ち主だからでしょ? ユニーク性があるから、物珍しいから特別に見えるだけなんだわ」
「自分もそうだって言いたいわけ?」
「ええ、そのうち、あなたはわたしに飽きるでしょう。ただの情報の塊に成り下がるわ」
「恋愛なんて相手が特別に見えるって言う錯覚だ、とは思うけどね。君に関してそうはならないよ」
「いいえ、時間の問題ね。絶対に」
ああ、また始まった。
「……もう早く諦めなよ、俺は本当に君が好きなんだってば」
「信じられない」
「毎回さ、理由をなんだかんだ付けて俺の存在を拒否するけど、俺は変わらないよ」
「別れたら、あなたはわたしを忘れるわ」
「なら、別れないよ。そうならないように頑張る」
「そもそも別れないように頑張らなきゃいけない関係は不毛でしょ」
「なんでさ、好きになるって積極的な気持ちでしょ。そこに努力が入るのは当然じゃん、相手を喜ばせたいとか知りたいとか、そう気持ちを失くして一緒にいるなんてそれこそおかしいと思う。
みんな頑張って一緒にいるんだよ、別れたくないから。なのに、そこに妥協して、なあなあになっちゃったらきっとおしまいなんだと思う。付き合えるけど、惰性になるってのかな? 俺はずっと好きでいたいし、そばにいて欲しい。君にもそう思えるようになって欲しいから頑張るんだよ」
「なら……そう。きっと、あなたはわたしが振り向かないから意地になってるだけなんだわ」
「振り向いてくれてないんだ、付き合ってるのに?」
「……っ、うるさい!」
「いやあ、正直君は面倒だよ? でも、意地になってるって、今まで俺を好きにならなかった人だってそりゃ大勢いるんだよ。むしろ、そっちのほうが圧倒的に多いくらいだ、当たり前だろ。俺はそこまで立派な人間じゃない」
「そんなの……」
「だからさ、君だけなんだって」
「言ってるのは今だけでしょ? 他の人にも言ってるだろうし」
「他には言わないって。来年だって同じことを言うよ、『ずっと一緒に過ごしたい』って。あ、しまった。これは一年たった時に言う気だったんだ。間違えた、言わなかったことにしよう」
「取り消せるか!」
「消せないね、だから今言うよ。来年だって言う、ずっと一緒に過ごしたい」
そのまま絶句して、硬直する彼女。
俺は放っておいて、食事を再開する。
んー、しゃべりすぎてお腹いっぱいです。
そのまま、「平然とした顔をするな」と彼女に怒鳴られるまでそのまま食事をしていた。
うん、その顔が見たかった。
結局、食事が遅くなった彼女の食事風景をじっと見守り。
何度か。
「人が食べているのをじっとみるなっ!」
と、怒られたが遅くなった君が悪い。そこまで言うなら、この時間他にすることを提供してくれと、言う方向でからかい続けたら諦めてくれた。
でも、マスクをずらして隠しながら食べているのを見られるのはつらいのか。
途中から「お願いだから、やめて」と言われたので、さすがにやめておく。
そういう理由で嫌なら仕方がない。
好きな人がごはんを食べてるのって、見るの好きなんだけどな。
一人で食べてるときには出来ないしね。
食事を終えると彼女は化粧室に行き、新しくマスクを変えてきた。
いや、お色直しを兼ねているだろうけど、これからデザートもあるんだよ? 今変えてどうするの?
でも、指摘はしない。なんか可愛いから。
店員さんに頼むとすぐに運ばれてくるデザート、俺はモンブランで、彼女がイチゴのレアチーズ。
俺は彼女とデザートを食べ始めようとする。
「あ」と突然言う彼女。
俺は手を止める。
バックからティッシュを取り出し、少し立ちあがるようにして身体を伸ばして、俺の頬をぬぐった。
「ソースぐらいぬぐいなさい、子供じゃないんだから」
いや、って言うか今店員さんの前なんですけど。
ぬぐうものぐらい店にあるんですけど、わかってますか?
わかってないよね。うん、わかってるよ、それくらい。
「本当に君、視界狭いよね」
「なあに?」
「……なんでもない」
俺がそういうと少し機嫌よさそうに座り込む彼女。
あれだね、なに考えてるかはわかるよ。上手く俺をやり込めたつもりなんだろう、俺がソースをつけたままっていう子供染みたミスを指摘して喜んでいるんだろう。
だから、俺が恥ずかしがってると思ってるな?
違うからね、違う意味だからね。
「ご注文はおそろいでしょうか?」
普通に伝票を渡しながら、聞いてくる店員さん。
ええ、そろってますよ。だから俺の顔を見ないで下さい。
俺は店員さんと顔を反対方向に向けながら、大丈夫です、と言った。
大丈夫じゃないのは、俺だけです。あと彼女の頭です。
……バックの中にティッシュと化粧品だけでなくマスク袋と、銀色に光る三日月状の何かがあったことには俺以外に気付いてない……といいなあ。
持ち歩くのは一歩譲っていいけど、その凶器をもっと隠せっ!
店員が去って、何事もなかったかのようにデザートを食べ始める俺と彼女。
上機嫌なのが羨ましいを通り越して、恨めしい。
いや、君はいいだろうね、そりゃ。久しぶりに動揺した俺を見られたんだから。
でも、その原因は勘違いだよ。勘違いだからね?
まあ、いいか。彼女が楽しそうなら。
でも、このままだと悔しいんで。
「そういや、あれだね」
「なに?」
「俺、まだ言われてないな」
「だから、なにが?」
「『わたしって綺麗?』って」
「……バカ」
「いや、待ってるんだけど。二回目」
「あなた、バカでしょ。本当にバカでしょ?」
「え、もう言わないの?」
「……知らないっ!」
「知らないって……ああ、あれか。言わなくてもわかるもんね」
あ、なにを? って顔してる。
そういう顔するから、俺が付け上がるんだよ?
「アレだよ、俺がなんて答えるかわかるでしょ? 『わたしって綺麗?』なんて聞かれたら」
あ、また脳に至るまでに時間がかかってる。
うん、一瞬意味がわかってないところがおもしろいよね。
「うるさい! 黙って食べろ!」
「……はいはい」
でも実際聞かれたら、今度はなんて答えるかな。いや、たぶん可愛いって言うと思うな。ああ、それはつまんないな、ありきたりすぎる。
万一、おそろいにしてやるって言われたら……。
「ねえ?」
「……今度はなに」
「今度は? ……ああ、うん、今度ね、一緒にデートするときは俺もマスクしようか」
「は?」
「おそろいで」
「…………」
とうとう無視された。
いや、俺のほう見ようよ。
いやいやいや、まるきり反対見てケーキ食べるのは無しだろ! 皿持ってかないでよ!
なんとか説得して落ち着かせる。
うざくて怒ってるのか照れてるのかどっちなんだよ、いったい。
まあ、どっちでもおもしろいんだけどさ。
ふと、なんとなく思い出す。
「あー、そういえば、友達が好きな歌で『たとえば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして』って歌があるんだけど」
なにを突然、って顔してるね。
それはそうだろうけどさ、若干警戒心むき出しにするのやめようよ。
すこし傷つく。これはあとで何かで返してもらおう、なにがいいかな。
「……ああ、知っているわ。『僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ』と続くのだったかしら?」
「ああ、それだよ。なんだ、知ってるんだ」
「それがなに?」
「いやさ、俺だったら、さっさとどこの誰でもいいから自分の知らない人間を犠牲にして、世界を救うなって思って。突き落とすなりなんなりためらいなく」
「……最低ね」
「うん、最低なんだ」
「話はそれで終わり?」
「あー、まあね。そう言ったら前、友達にひんしゅく買ったなって思って」
「それで終わるからでしょ」
続けなさいよ、と言外に語る彼女。
友達には言わなかった部分。
うん、最近見抜かれてるな。
彼女は見抜かれるのが嫌らしいけど、俺はけっこう嬉しいんだけどね。サプライズとかがばれてたらショックだけどさ。
「たいしたことじゃないんだ。俺は自分の好きな人と一緒にいたいし、好きな人たちが犠牲になるのも嫌だ。
でも、もしかしたら俺の好きな人達の中には、自分から真っ先に犠牲になる馬鹿がいるかもしれない。馬鹿だとは思う、でもその馬鹿は愛すべき大切な大好きな馬鹿なんだ。
俺はどうでもいい人間のために、世界ごときのためにその馬鹿が犠牲になって欲しくない。どうでもいい人間を犠牲にすることでみんなが無事なら、喜んでそれを選ぶね、だから、自分の好きな人が犠牲になることを選ぶ前に、俺はどこかの誰かをすぐに犠牲にする」
なんで思い出したかって言えば、こうしてデザート彼女と食う時間が幸せだからなんだろうけどさ。
それを言ったら、どんな表情をしてくれるだろうか。
そう思うけど、言わない。
今は黙ってこの時間を、幸せをかみ締めたい。
「あなたはきっとヒーローにはなれないわ」
「それでいいさ、それは他の誰かの仕事。誰かのヒーローのなれる人間でもない。なら、俺は俺のために悪役になる」
「自己満足ね」
「誰かの犠牲になる生き方も自己満足だろ? おんなじだよ、俺は俺が幸せでいいのさ」
「みんながあなたを非難するわ、きっとあなたの好きな人も」
「大丈夫、ばれないようにする」
俺の一番好きな人は君だけどね。
「最低ね」
「うん、最低なんだ」
でも、いいじゃないか。
どこかの主役の人生を盛り上げるために、誰かが死ぬんだとしても、俺の好きな人達が死ぬのは許せないだろう。
俺はいつだって、どこでだって、どこかの誰かを犠牲にするさ。
もし、怪物を殺すのがヒーローの仕事なら、俺はそのヒーローを殺す悪役になってみせる。
俺は彼女と付き合うと決めたときから、そう決めた。
俺は犠牲にならない、彼女に手を差し伸べるために、誰だって犠牲にしてみせよう。
だから、俺は彼女を見る。
マスクに隠されたその顔を、絶対に忘れないように。俺は俺に焼き付ける。
「さ、そろそろ出ようか」
「あ、うん」
そう言って、彼女が立ち上がる。
俺はポケットに手を差し込んで取り出した。
「はい、どうぞ」
「なに、それ?」
「いや、あげるよ」
「喧嘩売ってるなら買うわ」
俺が出したのはべっこう飴。
そう、彼女はそれが嫌いだった。
昔、それを食べ過ぎたせいで飽きたらしく。
先月、ふと思いついて差し出したらかなり嫌な顔をされたのだった。
「そう、残念」
笑って俺はそれを食べる。
さらに嫌そうな顔をした彼女を見て、爆笑しそうになるがやめておいた。
これ以上、からかうとマスク越しのキスすら許してもらえなくなるだろうから。
ご意見・感想とかあれば待ってます。
どうなんでしょうね、こういう人?