11.
バルト男爵やアルキル伯爵といった王都の重鎮たちが、次々とミコトの店を訪れ、晴れやかな顔で帰っていく。その噂は、ミコトを追放した聖レムリア神殿の耳にも届いていた。
「……ふざけるな。あの無能女が、伯爵に取り入っただと?」
大聖堂の奥、豪華な執務室で、セシルは苛立ちを隠さず机を叩く。彼の背後には、以前ミコトに指摘された「巨大な呪念」がまだ薄らと張り付いているが、彼はそれを「ただの疲れ」だと思い込み、強引な祈祷で誤魔化し続けていた。
「魔力も持たぬ平民が、伯爵の『消失事件』を解決したなど……どう考えても自作自演だ。自分で呪いを振りまき、自分で解いて見せる。典型的な詐欺師の手口ではないか」
セシルは口角を歪め、傍らに控える神官に命じる。
「街中に触れ回れ。あの女は闇の魔術を使い、貴族たちを洗脳していると。そして、あの『占いの館』は呪いの発信源だとな」
占いの館の周囲には、これまでとは違う、刺すような視線が漂い始めた。
「あの店、本当は呪いを売ってるらしいわよ」
「聖女様を騙った罪で追放された女だしね」
セシルが流した悪意ある噂は、瞬く間に王都の影に広がっていた。
カランカラン、と激しく鈴が鳴る。
入ってきたのは、顔を隠した数人の男たち。手には「偽聖女は去れ」と書かれた汚い紙を持っている。
「おい、ここか! 貴族をたぶらかして金を巻き上げている詐欺師の店は!」
ミコトはカウンターでルルと一緒にお茶を飲んでいたが、眉一つ動かさない。
「……あなたたち。誰に言われて来たか知らないけれど、他人の悪意を運んでくると、自分の運気まで腐りますよ。今すぐ帰って、お風呂に塩でも入れて入りなさいな」
「うるさい! この魔女め、証拠はあがっているんだ!」
男がミコトに掴みかかろうとした、その瞬間。
「……私の前で、誰を魔女と呼んだ?」
鑑定室の隅、影に沈んでいた場所から、凍てつくような声が響く。
ゆっくりと立ち上がったのは、書類仕事を中断し、静かな怒りを纏ったレオンだ。彼はわざと顔を伏せ、兜の隙間から鋭い眼光だけを覗かせている。
「な、なんだ、このデカい騎士は……!」
「私はこの店の守護を任されている。……この女性を侮辱し、営業を妨害することは、帝国の治安を乱す行為と見なすが。……異論はあるか?」
レオンが一歩踏み出すだけで、男たちの足がガタガタと震え出す。最強の騎士が放つ「本物の殺気」は、素人に耐えられるものではない。
「ひ、ひぃぃっ! お、覚えてろよ!」
男たちが脱兎のごとく逃げ出していくのを見送って、レオンは深い溜息をついた。彼の頭上のオーラは、ミコトへの心配からくる、少し濁ったピンク色に揺れている。
「……ミコト。やはり、神殿のセシルが動いたようだ。放置すれば、あなたの身に危険が及ぶ」
「わかっていますよ、レオンさん。……でも、セシル様も焦っているわね。嘘で塗り固めた噂は、真実の光(霊視)の前では一番脆いのよ」
ミコトはレオンが握りしめていた拳の上に、そっと自分の手を重ねた。
「怒らないで、レオンさん。あなたがそんなに怖い顔をしていたら、本当に私が魔女だって思われちゃうじゃない。……大丈夫。彼が撒いた毒は、そのまま彼に返るわ。それが『因果応報』っていうこの世の鉄則よ」
「……。……あなたがそう言うなら、今は剣を収めよう」
レオンは少しだけ耳を赤くして、大人しく椅子に座り直した。
だがその瞳には、ミコトを守るためなら、神殿さえも敵に回すという冷徹な決意が宿っている。
「……さて。セシル様、自爆するのを待つのもいいけど、少しだけ『お返し』を仕込んでおきましょうか」
ミコトは不敵に微笑むと、レオンが持ってきた「白銀の岩塩」をボウル一杯に用意した。
鑑定室の隅で、レオンとカイエンが書類の手を止めてその様子を注視する。
「ミコト、何をするつもりだ? 必要なら、私が神殿へ直接抗議に行ってもいいが」
レオンがまた立ち上がろうとするのを、ミコトは手で制止した。
「いいえ、レオンさん。権力で黙らせたら、私が本当に『裏で騎士団を操る魔女』だと思われてしまうわ。……スピリチュアルには『出したエネルギーは自分に返る』という法則があるの。私はただ、その流れを少しだけ速めてあげるだけよ」
ミコトはボウルの塩の中に、セシルがかつてミコトを追放する際に突きつけた「解雇通告書(の写し)」を置いた。そこにはセシルの傲慢な魔力が微かに残っている。
「いい? あなたたち、よく見ていてね。これが本当の『お清め』よ」
ミコトは数珠を手に取り、静かに目を閉じた。
彼女の周囲の空気が一変し、凛とした清浄な気配が店内に満ちる。
「――四方に散らばる悪意、持ち主に帰りなさい。鏡は曇りを取り払い、真実の姿を映し出しなさい。……急急如律令!」
ミコトが塩をバサァッ! と通告書に振りかけると、次の瞬間、通告書から真っ黒な煙が上がり、空中で霧散した。
◇◇◇
その頃、神殿の大聖堂。
セシルは信者たちの前で、壇上に立ち誇らしげに演説をしていた。
「……皆よ、惑わされてはならない! あの路地裏の女は、闇の力を使い、高貴なる方々を操って――」
その時、セシルの言葉が突如として詰まった。
彼の背後にいた「巨大な呪念」が、ミコトの放った浄化の波動に弾かれ、逃げ場を失ってセシル本人に真正面から激突したのだ。
「ぐっ……!? な、なんだ、この体中の痒みは……!?」
セシルの顔に、突如として真っ黒な湿疹が浮かび上がる。それは彼が今まで他人に吐いてきた「暴言」や「悪意」が形を成したような、醜いアザだった。
さらに、彼が手に持っていた聖典が、何の前触れもなくバラバラと崩れ落ち、中から彼が隠蔽していた「神殿の裏帳簿」の断片が、信者たちの目の前にヒラヒラと舞い落ちた。
「なっ、これは……! 違う、これは偽物だ! あの魔女の仕業だ!」
セシルは叫ぶが、その声はひどいダミ声に変わり、聴衆は一斉に引き始めた。
「……なんて醜い姿だ」
「神の加護が消えたのではないか?」
ミコトが放ったのは、攻撃ではない。ただの「真実を照らす光」だ。それによって、彼が隠していた内面の醜悪さが、物理的に表に引きずり出されたのである。
◇◇◇
「……はい、終わり。あとは自滅するのを待つだけね」
占いの館では、ミコトが満足げに手をパンパンと払っていた。
レオンとカイエンは、今の「術」の凄まじい密度に圧倒され、呆然と立ち尽くしている。
「……ミコト。あなたを敵に回すことだけは、一生あるまいと誓おう」
レオンが、少し引きつった笑みを浮かべて椅子に座り直した。彼の頭上のピンク色のオーラは、畏怖と、それ以上の深い心酔でさらに輝きを増している。
「あら、レオンさん。あなたは私を信じてくれているから大丈夫ですよ。……さて、カイエンさん。その空いたボウルに、果物を並べてちょうだい。お返しをしたら、お腹が空いちゃったわ」
「は、はい! 喜んで!」
副団長のカイエンまでが、かいがいしく働き始める。
セシルの嫌がらせによって、図らずもミコトの店は、騎士団のトップ二人が完全に胃袋と精神を掴まれる「難攻不落の要塞」へと進化してしまったのだった。




