03 後編:就職
「いかがでしたでしょうか」
窓の外は日が暮れかかっている。
タンク養成所とやらの見学を終えて現在、青年は、再びあの相談所の個室で女性と対座している。帰路も道中に何をしていたかであるとか、過ぎ行く外の風景であるとかをよく思い出せず、日常からかけ離れた出来事のことで疲れているのかもしれない。
「そうですね、興味深い経験でした。全く知らない分野のことですし、何より、仕事を変えるということを、考えたことがなかったもので。
実際にその道の方にお会いして、茶を飲みながらお話して、そういう暮らし方もあるのだなと、実感が湧いてきたといいますか」
生まれた時分より座る椅子が決まっていて、その椅子に座れなくなった彼は、どこにも行き場がなくなった。元より自由などない。
生家から放逐され、平民として領地の片隅で仕事を世話されている彼の現在の立ち位置は飼い殺しだ。庭に繋ぐには視界に入って目障りだが、野に放っては不味いので、紐を付けて適当な穴を塞ぐのに活用しておく。そんなところだ。
「ただ……」
「ただ?」
「実際にいざ転職、となると、そうするわけにはいかないと言いますか。
ただ、そう、俺にそれが許されるのかと、そういう思いがあって、それで気が引けるというか、躊躇われるというか……んん、これだ、気が咎めるんです。
それに、俺は生家の紐付きです。いよいよ今の仕事を辞して土地を移ろうとなった時に、それが実現可能かどうか。処分される危惧もあります」
危惧とは言ったが、間違いなくそうなるだろう。道を踏み外さないでいるから生きながらえているのだ。肩を落とし、頭を垂れ、許されることのない落伍者として。
昼間はガイウスと話していて幾分か楽になっていた呼吸が、また胸の奥が塞がれたようになる。
女性は薄らと笑んで、事も無げに告げる。
「お家や周囲に対する偽そ、ンンっ、フォローはお任せ下さい。わたしどもにも伝手がございますので。
何よりも肝要なのは、あなた様の、ご意思です」
「俺の、意思」
「ええ。あなた様がもしご生家の紐付きでなかったとしたら、どのようになさりたいのでしょうか?」
繋がれた獣でなかったとしたら。どこへでも行けるとしたら?
喉がカラカラに乾く。
「……それは、でも、俺は」
このままではいたくない。それは確かだ。そう思っていたからこそ得体の知れない紙を拾ってここへ足が向いてしまったのだし、流されるままに見学へ行ったのだ。
しかし、冷静になってみると、
「俺は、許されない」
「廃嫡され、放逐されたのにもかかわらず?」
「だが、しかし、俺は貴族として、あの家の生まれで、責任が」
「平民となってまで? ご家門から切り離されても?」
ぐらぐらと揺れている物体は、少し押されることで傾き、ついには倒れる場合がある。
「いや、しかし、俺は彼女に取り返しのつかないことをして……」
そうだ。苦しみ続けなければならない。
「ええ、取り返しのつくことなど何一つありはしません。おっしゃる通りです。言い放った言葉を口の中に取り戻すことなど誰にも。
しかしながら、わたしどもがお話しするのはこれからのことです。
口に出す前の言葉は? 書きかけの手紙は? 迎えていない明日を、出会うかもしれない友人を、あなた様は思い描かないでいられるのですか?」
天に奉ずる歌のように、朗々と響く声。
「これから……だが……」
目を瞑る。思い出す。見知らぬ土地。新しい生活。
女性はゆっくりとやわらかく言葉を紡ぐ。
「あなた様がお心を砕いていらっしゃる、過去の行状についてですが、破局という結末を迎えることで、かつての婚約者だった方の物語からは退場なさいましたね。
同じように、廃嫡というけじめでもって、ご家門からも切り離されました。
体面の問題、つまり人の行いや立場といった外面での失態の清算は、先に述べた手続きで済んでいると言ってよいでしょう。
あなた様が今なおご生家から監視されているのは、ご生家の都合に過ぎません」
実際のところ、婚約の破談に際して青年は慰謝料を支払っている。
「そうであるならば、あなた様のおみ足を引き掴んで離さないのは、内面の問題といってよいでしょう。
ああ、無論、許す許さないといった、心の内のことは当事者だけのものです。
あなた様の苦しみはあなた様のもの。それは誰にも触れられない。辛苦を存分に味わい尽くすことも、枕元に置いて朝に夕に声を掛けることも、あなた様のお心のまま。
しかし、」
目が合った。奥深くまで。
「あなた様の苦しみは、場所を変えただけで消え失せるようなものなのでしょうか?
手放し、楽になり、まるで失敗のなかった人生をまっさらに始めるように」
「いやっ、ちがう、そんなことはない」
思わず前のめりになりそうだったのを、抑える。
女性は泰然としている。
「それなら、温情だか施しだかを啜って唯々諾々と暮らし続けることが、一体何になるのでしょうか。
お心の内に苦しみを抱いたまま、あなた様はあなた様として生きられないのですか?」
ここままではいたくない、立派な人間になると彼女に約束したから。
苦しまなければならない、己が彼女を苦しめたから。
それは、いまの場所でなくてもいい。
むしろ、いまの場所でないほうがいい。
「…………」
青年は忘れ物の在処を思う。取りに戻ることは出来ないとしても。
しばし目を瞑ってやり過ごす。そうでないと、かつての日差しの残滓が目尻から溢れそうだったから。
ぱつ、と張りの無い音を立てて女性の両手のひらが合わさった。
「いかがいたしましょうか? この場でご契約いただくことも出来ますし、本日は一度お帰りいただいても。ただし転入特典は本日から三日間」
「……行きます、やらせて下さい」
「まあ、ありがとうございます。それでしたら、こちらが契約書でございます。
よくお読みになって下さい。
大事なこととしまして、あちらへ行ったら、二度とこちらに戻ることが出来ません」
「……望むところです。死ぬまであそこで繋がれているか、ここで逃れるかしかない。
それならいっそのこと、新しい暮らしに賭けてみたいと思います」
「承知いたしました。それでは住まいなどの手配を後日」
「はい、よろしくお願いします」
◇
夜明けの森。鳥も動物も慌てて去ったあと。
ず……ず……と地響きが足裏から伝わり、唾を何度も飲み下す。
息を吸う。息を吐く。冷たくなってきた手で、レイは盾の持ち手を握りしめる。
ずしん、ずしん、ずしん、ずしん、ずしん、
ばきっ、ばきっ、ばきっばきっ、
がさっ、 がさがさっ、
ばきっ、
巨大な足。携えるのは大樹のような棍棒。見上げる先の、
「来たぞ! C級名前付き、曙光トロールだ!」
この先には小さな農村がある。
たまたま近くにいて冒険者ギルドからの緊急要請を受けたレイ達のパーティーが相対することになった。
彼らの冒険者ランクはCだが、名前付きの討伐は別格で、1ランク上のB級パーティーでも圧勝とは言い難い。
その分、冒険者ギルドからの報酬も多く、功績に箔が付き、ランク昇級が早まる。
狙って出会えるものではなく、千載一遇のチャンスと言っていい。
トロールは二足歩行の巨人で、まずはこちらに気付かせ、足を止めさせなければならない。
仲間には後ろに下がってもらっている。
対象の標的がブレないようにだ。
「行くぞ、〈挑発〉! そんなつもりは無かったんだァァァァァァァ!」
レイが曙光トロールに向け、雄叫びを発する。
森を踏み分けて農村のあるほうへ進んでいた巨人の足が、
ずしん、ずしん、ず、
止まった。足を軸にぐるりと体の向きを変え、こちらへ、
ずしん、ずしん、
棍棒を高く振り上げ、
「〈防御〉!」
ドゴォッッッ
「っっっ」
レイ達は森から外れた開けた場所で構えている。
トロールの強靱な肉体には物理攻撃がさほど効かず、魔法で体力を大きく削るのが定番だ。
剣士、魔術師が急いでトロールの背後へ回り、回復師が射程ぎりぎりの横に立つ。
正面で攻撃を受け続けるのはレイだ。
巨人が横に棍棒を引き、
「〈防御〉!」
ドガァッッッ
「ぐぅっ」
なぎ払われ、ちぎれた草が飛び土埃が舞う。
防御で被ダメージを抑えているとはいえ、無敵ではない。
盾を持つ手がじんじんと痺れる。
剣士が背後からチクチクと地道に削りつつ、魔術師が詠唱を終えて技を放てるまでの時間をレイが稼ぐ。
回復師は棍棒が当たらず回復が届くぎりぎりの距離からレイを援護する。
空が白み、気温が上がってくる。
アーマーの下は汗でびしょびしょだろう。
息が上がる。魔術師の詠唱はまだ完成しない。
手先の感覚がなくなってきて、集中力が、
「……チッ、クソ! しゃらくせェ!」
「っ! 駄目だ! 下がれ!」
ドガガガガガガガガガァッッッ
「がァっ」「ぐあっ」
「〈ヒール〉!」
巨人の回転攻撃だった。足を軸に棍棒で円を描く動き。
直撃したレイと剣士がそれぞれ別方向に吹き飛ばされる。
回復師が瀕死であろう剣士のほうへ駆け寄っていって回復を飛ばす。
防御が間に合わなかったレイも起き上がれない。
痛い。痛い。痛い。痛い。
意識が焼き切れそうだ。
気を失ったほうが楽になれる。
――いま一番巨人の近くにいるのは、
ここで俺が死んだらみんなが、村が。
でももう動けない。
――詠唱中で動けない魔術師、
助けてくれ。
頼む、誰か助けてくれ。
――そちらを向き、巨人が、
ここで終わり。俺の人生。
さよなら、おれのだいじな
――棍棒を振り上げ、
「〈挑発〉! 本当は君を愛しているんだァァァァァァァ!」
ぐるり。
ずしん、ずしん、ずしんずしん、
「〈ヒール〉!」
振り上げられた棍棒が、
「〈……足よ、〉」
震える足で盾を支えに立ち上がったレイを目掛けて、
「〈立ち上がれ、立ち上がれ、歩みは絶ゆることなく、〉」
満身創痍だ、次に食らったらもう、
「〈燃え上がれ、燃え上がれ、煙は消ゆることなく、〉」
「っ! 伏せろ!」
「〈帯びよ炎熱、走れ閃光、爆熱烈赫〉!」
ッドォォォォォォォォン………
魔術師の放った炎爆魔法が、巨人の頭を四散させた。
ぐらり、と巨躯が傾ぎ、コントロールを失って、どしぃん……と振り上げた棍棒のままに後ろへ倒れ伏す。
「嘘だろ……」
盾を構え身を屈めていたレイが目をしばしばさせながらよろよろと立ち上がると、離れた場所でむくりと身を起こした回復師が追加の回復を放ちながらひょこひょこと駆け寄ってきた。
「〈ヒール〉! あっぶなかったぁ~! いやぁレイさん死ぬとこでしたね! あっ、剣士さんはかろうじて生きてたんであっちに転がしてあります!」
「あ、ああ、ありがとう。剣士、あー……」
生きているなら良かった、ということにしておこう。心臓がどくどく鳴っていて、手足にまるで力が入らなくて、考え事が捗らない。
そこへ魔術師がいつものようにゆったりとローブを靡かせながら歩み寄ってきて、トロールの遺骸をしげしげと眺めている。
「曙光トロールの討伐証明部位って何でしたっけ? んー、棍棒を持っていくわけにも……。パンツ剥ぎ取りますか? 研究材料として一部いただけると有り難いのですが」
「切り替えが早いな……。すまないが、今ちょっと頭が回らない。一旦休憩にしても良いだろうか。その間に考える」
「さんせー!」
「了解です」
「とにかくみんな、よく頑張った。それぞれが力を尽くした成果だ。あそこで回復をもらったお陰で俺は死ななかった。詠唱を止めていたら全滅していただろう。剣士が地道に削ってくれた分も。
とにかく、みんな頑張った。俺も頑張った……」
へなへなと草が吹き飛ばされ土が露出した地面に座り込む。
魔術師はトロールの傍をうろうろしていて、回復師はどこかへ歩いて行く。
喉が渇いているのに気付いたが、革袋を取り出すのも億劫だ。
元気そうに見えても、魔術師も回復師も平常心を保つのがそれなりに大事なので、討伐直後に小さな用事を頼んだりはしない。
口を開けていたら空から降ってきてくれやしないか、などと思い。
やわらかい風が吹き抜ける。晴天だ。
「生きてる……」
随分遠くまで来てしまったが、それなりにやれている。
胸を張ることが出来る、ような気がする。
もう二度と会うことがないけれど。
◇
「ウメザワさん、また成約ですか~」
ウメザワと呼ばれた女性がゆったりと振り向く。
「ええ、今回も力のある良質な魂でした」
「いいなあ! よく見つけますよね~。どうやって勧誘するんです? 嘘は吐いたらいけないし、本人の意思なんですよね?」
「ええ。昨今、世界間転移に関しては、魂管理課の流出対策係が特にうるさいですから。合意の上ですよ」
「へえ~! ちなみに、どんなとこ狙ってるんです? 参考に! 教えて下さい!」
後輩が顔の前で手を合わせるのに薄らと笑んで、
「脇役です」
「脇役ぅ~? 脇役にそんな力あります? ウメザワさんを疑うわけじゃないですけど……」
「ざまぁされて放逐されました、で退場する役どころは狙い目なんですよ。大抵、夢も希望もない状態ですし、何より、十年後二十年後を誰にも観測されませんからね。
彼らは退場が前提ですから、思う存分にヘイト対象になります」
「え、ヘイトです? こう、聖女として民衆の信仰を集めて、みたいなことではなく? あ、それだと脇役にならないか……」
「ええ。強い感情を一手に集めるという点では、信仰もヘイトも同じですからね。彼らは嫌われに嫌われて、魂が強く輝いているのですよ」
「は、はあ~。それ、本人は知りたくないでしょうね……」
「ええ、まあ。そうですね、たとえば『なぜ自分が選ばれたのか』と問われたら、話さなければならないのですけれど。今回は、『自分で良いのか』という問いだったので、嘘にならない返答で済みました」
「あ~、『マニュアルあるある問答集』の、人を募集しているから、みたいなやつですよね。あれ、正直答えになってないと思うんですけど……」
「お互い、嫌な思いはしないほうがいいでしょう。こちらの界は良い魂が得られて、あちらは新しい生活を始められる。持ちつ持たれつですよ」
ウメザワと呼ばれた女性はグッと握りこぶしを持ち上げて見せ、やる気なく下ろした。
未来の展望:意地悪ムチ教師(ドアマットヒロインものより)、欲しがり妹(姉妹格差ものより)
一旦完結。




