02 中編:見学
「左手にぃ見えますのが~、タンク養成所でございまぁす」
心なしか高めの節回しで告げる相談所の女性に対して、話の展開に追いつけていないながらも、青年は昨日までよりはだいぶ血の巡りの良くなってきた頭で思案する。
件の相談所が仕事先の紹介を事業の主体としていることは、拾ってしまったあの怪しい紙に書いてあったので把握してはいた。おそらくその紹介料で儲けを得ているのだろうから、相談だけでは済まずに、紹介がついてくることは想像に難くないことだ。
それにしても、馬車に乗せられてそのまま見学とは。
こんな己にも出来ることがあるのかと、信じたいような信じ切れないような、そういう怖いもの見たさもあって断り切れず腹も据わらぬままに来てしまった。移動中にうたた寝でもしていたのか、時間の感覚が随分と曖昧だ。
寡聞にして知らなかったが、近隣にカイガイという土地はあっただろうか。聞き違えたかもしれない。あるいは、新しく拓かれた地域であるとか。
連れられて訪れたこの施設は働き先ではなく、その前段階の職業訓練所というものらしい。成人後でも入れる学び舎のようなもので、専門的な仕事に関して、下積みや弟子、見習いに当たる行程で身につける技能や知識の基礎の部分を教えるのだとか。親戚の勤め先であるとか、知り合いの紹介に頼れない者にうってつけだ。
馬車留めから敷地を横切り建物に向かって歩いていると、威勢の良い掛け声が耳に届いた。
「ズルいズルい、お姉さまズルいー! そのブローチちょうだぁぁぁい!」
「お前なぞ、婚約破棄だ! 人倫にもとる悪鬼の所業、断じて許さァぬ!」
「謝って下さい! あなたを許します!」
「まったく可愛げのない! これだから賢しらな女はァ!」
「お前を愛することはなァい!」
「ハ~ヒフ~ヘホ~!」
気になって見やれば複数の人影があり、みな張り切って一斉に声出ししているようで、何と言っているかはよく聞き取れない。
「あちらがタンク志望の訓練生ですね」
「……。タンクとは一体いかなる職業なのでしょうか」
「ヘイトを集めます」
「ヘイトを集める」
ここで建物の正面のほうから体の大きな壮年の男性がこちらへやって来て合流した。上下軽装で、白い衣服が眩しいその人はこちらを見てニッカリと快活そうに笑んだ。
「やあ、よく来たね。わたしはガイウス。この訓練所の教官をしている。引退した元タンクだ」
どうやらその道の人の話を聞けるらしい。父親に近い年代に見え、体から熱気が漲っているような、これまで青年の周囲にいなかった風体の人物だ。
何の準備もなく知らない土地に来てしまって内心で狼狽したが、案内役だからか、言葉が通じるようだ。これといった訛りもなく流暢である。
「はじめまして。レイノ……ではなくレイです。お会いできて光栄です」
ガイウスの着ている、襟も袖もない衣服はタンクトップといって下着ではないらしい。もちろん、失礼に当たるからそれは下着ですかとは訊ねなかったが、レイのような他所からの見学者にも慣れていて、話の種なのだそうだ。腰から下も膝までしか丈が無く、筋肉の凹凸があらわである。確かめるまでもなく、レイの体にはこのような盛り上がりや厚みは一切無い。
外で立ち話もなんだということで三人連れ立って見学がてら屋内の食堂に向かい、見よう見まねで茶を受け取って席に着く。壁には力強い文字で何かが書かれた紙がいくつも貼られている。
説明によると、タンクとは盾役ともいい、レイの国でいうところの騎士のような戦闘職だという。ただし、人でもただの獣でもない、凶暴な生物を相手にする。
カイガイには、魔物と呼ばれる、人にとって脅威となる生物が生息していて、それらから町や人を守ったり、それらを討伐して成果物を得ることを生業とする職業があるそうだ。
これを冒険者といい、タンクは主にこの冒険者として活動するとのこと。そして同じく冒険者である攻撃役や回復役の人とパーティという集まりを組んで活動するのがセオリーだという話だ。
「ヘイトを集めるとはどういうことでしょうか」
青年は先ほどから気になっていた疑問を口にした。それはだね、とガイウスは応じる。
「魔物との戦闘時にヘイト、つまり敵意を引きつけることだ。詳しく言うと、魔物に攻撃するなり『挑発』するなりしてヘイトを引き起こし、自らに集中させ、敵対対象の位置を固定し、なおかつそれをできる限り維持するんだ。
そうすることで敵の矛先が味方に行かずに攻撃役や回復役が各々の仕事に専念できるようになるし、標的があちらこちらに動き回らないことで、攻撃力が高く命中率が低い大技や、発動に時間が掛かるタイプの大技が当てやすくもなる。
ただ、敵からの攻撃は当然ながらタンクに集中する。受けて耐える、受けないように避ける、受けた分を回復するなどの対処が必要だ。回避特化型もいるにはいるが、早死にしたくなければ回復役のいないパーティには入らないことだ」
ちょうど先ほど外で見掛けた訓練生らが練習中だったのが、「挑発」という、ヘイトを誘引する技だったらしい。
決まった文句はなく、各々に合わせて誂えた武具のように、思い思いの口上で技を発動させるのだという。なんでも、「挑発」しようとすると、当人が最も力を発揮できる言葉が口を衝いて出るのだとか。
レイが興味深く耳を傾けている様子を見て、ガイウスは話を続けた。
「加えて、少し先の話になるが、もしレイ君がこれから高みを目指していくのであれば、ぜひ知っておいてほしいことがある」
「ええと、正直なところ先のことはまだ何も分からないのですが、伺うだけ伺ってもよろしいでしょうか」
レイには全く未知の世界だ。まるで物語の中のような。今ひとつ現実味がないが、しかしここで話を聞いておいて悪いことはないだろう。
ガイウスは一つ大きく頷いて口を開いた。
「これはタンクに限ったことではないが、魔物が出ました、はい倒します、だけではやっていかれない。
生息地域、飛びかかってくるのか、噛みついてくるのか、予備動作はあるか、音や色や匂いに反応して行動パターンが変わる可能性がないか。そういった知識も相応に求められる。商隊やらお偉いさんやらの護衛なんかをやる場合は特にね」
商人はまだしも……という台詞の余韻に、かつて「お偉いさん」の数の内だったレイは、なんとも据わりの悪い心地がする。
商人は損を嫌う分損に詳しく、嫌いな相手になるべく顔を合わせないで済むよう、打てる手を打っておくものだし、荷を運ぶ道中で何が起こるのかを彼らは身をもって知っている。
「いわゆる肉の盾ではないのですね」
盾役と聞くと、体を張ってひたすら敵からの攻撃に耐えて味方を守るさまを想像するが、そういう一面はあるにしても、そが全てではないようだ。
「そうだね、その通りだ。敵の動きをコントロールし、味方の働きを助けるといえばいいのかな。仲間との連携も必須で、信頼が不可欠。回復役とは別の意味で、パーティメンバーの命を預かるに等しいからね」
信頼。今のレイにとっては苦い響きだ。かつて、それを自ら台無しにしたがために今ここにいるのだから。
ガイウスはまあ、と何の気なしに続けた。
「言うまでもないが、どんな人格者だって人間、『はじめまして』で即座に信頼し合えるわけもない。上位の冒険者であれば実績や名声である程度は担保できるが、それにしたって信頼というのは、こつこつと積み上げていくものだ。
その点、粘り強さみたいなものはあるといいかもしれないね」
粘り強さ。持ち合わせていただろうか。それにしても、面白半分で連れて来られたとは思わないが、一体全体何がどうして彼はタンクを勧められることになったのだろう。
女性がゆったりとカップを口に運んでいるのを横目に、彼は切り出した。
「やるべきことが多く、その分、やり甲斐がありそうではありますね。
ただ、頭を使うことはともかく、体力については自信がからっきしで。これから鍛えたとして、使い物になるものでしょうか」
一番の懸念である。これといって剣を振る機会もなく大人になって、もう馬にも乗らないし、立ったり座ったり、少しばかり歩く程度で過ごしている。ガイウスのごとき精悍なる肉体が一朝一夕で実らないのは百も承知だが、古い種は芽吹かないと聞く。
すると、女性がカップを置くや否や、
「それにつきましては界外転入特典がありまして、そこそこの頑強さに至れるよう、期待値を付与できますね。ンンっ、つまるところ、適切に鍛錬すればそこそこ良い肉体になります。
それに加えてなんと今なら期間限定3日間! 現地通貨半年分、初級・中級者用アーマーとシールド、ポーション20個、ドロップ率上昇の秘薬5個、選べるアクセサリーに合計20回開けられるお楽しみ箱もプレゼント!」
見事な早口で言い切ったあと、彼女はグッと握りこぶしを持ち上げて見せ、ぞんざいに下ろした。
困惑を誘うこれにガイウスは慣れているのか、苦笑しつつ「鍛錬のメニューなら任せてくれ」と胸元をどんと打つ。
レイは面食らいながらも、ここまでくると一周回って冷静な面持ちで頭の中を整理する。
何やら耳慣れない単語がいくらか通り過ぎたが、要するに、他所からこちらへ移って仕事をするのであれば、生活を立ちゆかせるための幾ばくかの金銭と、入門者のための武具や役立つ品々をもらえるとのこと。また、相部屋や間借りが主だが住居の手配もあるとか。悪い話ではない。
生活。金銭。住居。どこか遠かった、異国の本の挿し絵のような、自分の暮らしとかけ離れた日々が、徐々に輪郭を帯びてくる。
「何か気になることや、聞いておきたいことはあるかい? レイ君の出身地からすると全く身近でない話だろうし、得心が行かなくて当たり前なんだ。わたしに分かることであればなんでも答えたい」
「そうですね……」
一番の心配であった体力面はどうにかなりそうで、ありがたいことに金銭や住居の補助もある。覚えることは多くありそうだが、それは苦にならない。仕事にもやり甲斐がありそうだ。
ただ唯一腑に落ちないのは、
「あの、俺でいいんでしょうか?」
これである。
本心を言うと、どうして俺なんですかと尋ねたいところだが、そうするといかにも己が選ばれた者だという印象を与えかねないので、ひとまず差し障りのない表現を取っておく。
「ああ、それはね。タンクというのはなり手が少ないんだ。剣士や魔術師みたいに見栄えがしないし、パーティを支えたいという志を持つ者は回復役に流れがちだ。
タンクは外からだと盾を構えて立っているだけにしか見えないからね。
だから少しでも興味を持ってくれるなら、大歓迎なんだよ」
ガイウスが何でも無いことのように言うので、レイはほっと気を緩めた。ここで「あなたには適性があります」と言われても、体を鍛えているわけでもないし、騎士などの経験もないし、どうにも納得しがたい。
しかし、人が不足しているから広く募っている状況であって、興味を持った人でいいというなら、彼も当てはまると思って良さそうだ。
「分かりました。色々と教えて下さってありがとうございます」
レイは前向きになってきた気持ちで礼を言った。よく分からないまま見知らぬ土地へ来てしまったが、これも何かの縁かも知れない。現状、彼に他の何かを選べる余地は無い。あとは踏み出すか踏み出さないかをよく考えるだけだ。
「いや、こちらこそ。こうやって真剣に聞いてもらえるのは、こちらとしても嬉しいことだからね。
もしこちらに来るなら、タンクのこと以外でも、町の安くてうまい飯屋だとか、品揃えの良い道具屋だとか、おすすめのデートスポット、いや、これはもっと若い奴らのほうがいいな、まあとにかく気軽に声を掛けてほしい」
ガイウスは快活そうに笑った。




