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ヴェルサリオン戦記〜三つ子の魂百まで〜  作者: 四季 訪
継いだ命

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第8話 価値観の違い

「うげぇ……こんナの毎日は死ヌデ……」


 今日も午後から父にしばかれ、夕日を見上げながら地面に寝っ転がっていた。

 家の中に入ってベッドで寝たいが体が上手く動かない。

 訓練と称したサンドバッグの後はいつもこう。

 せめてベッドまでは運べやクソ親父。

 近所から帰ってきた母が、慌てて僕の体を抱き上げて家の中へと運んでくれた。

 母が父を叱り始めた。

 いいぞ!もっと言ってやれ!

 しかし、父はそんな母の言葉もどこ吹く風。

 黙って食事の開始を待っている。

 そんな父に業を煮やしたのか、母がニコリと笑うと父のおかずを一品取り上げた。

 これには流石の父の表情にも焦りが浮かぶ。

 なにか小さな声で母に言うと、母は黙っておかずを元の位置に戻した。

 おいおいおいおい、母さんよ。それはちょっと対応が甘いんじゃないかい?

 やっと立ち上げれるまでに回復した僕は、不満たらたらにテーブルにつく。

 すると、そんな僕を見て母が自分のおかずを僕の方に寄せてくれた。

 父や僕より元々少ないおかずをくれたのだ。


 「リオンは頑張り屋さんだから、お母さんからのご褒美よ」


 「ありがトう!お母さん!」


 感情のままに言った感謝の言葉に母がにこりと笑ってくれる。

 父の時の笑顔とは正反対だ。

 勝ったな。

 そんなに僕のおかずを羨ましそうに見てもあげないからな。クソ親父。


 代り映えのしない素材の数々だが、最近ご近所付き合いで料理のお勉強でもしているのか、母の手料理のレパートリーが少しずつ増えてきている。

 僕としては母の作ってくれたものならなんでも美味しくて満足なのだが、やはり種類が増えると新鮮でそれはそれで楽しい。

 毎日の食事が楽しみだ。


 食事を終え、いつものように本を読んで眠りに就いた後、尿意を催して目が覚めた。

 もう自分一人で排泄を熟せるようになって久しい僕は、母にお尻を拭かれる羞恥を味わわなくていいため気分よくトイレに行くことができる。

 トイレの近くに立って扉を開けようとした時、ふと誰かの泣く声が聞こえた。

 母の声だった。

 数週間ぶりに帰ってきた父と超!エキサイティング!しているのかと思って警戒心を強めたが、そんな声には聞こえなかった。

 安心すると同時に不安が襲う。

 僕はそっと足音を立てずに母のいるキッチンに近づいた。


「……う、うっ。ヴェル、サリー……どうしてもっと……はやく……」


 母の涙は切実だった。


 この村の収入源は主に傭兵業とのことだ。

 それを聞いた時、この村のあまりに常識外れの子育ての仕方に少しだけ納得がいった覚えがある。

 それにしても非常識であることには違いないが。


 そんな父も所属するこの村の傭兵団に、南の方の国から大口の契約が結ばれたと言う話を井戸端会議のおば様方から聞いたのがつい最近。

 慢性的に食糧不足に苦しむこの村にとっては明るい話題であった。

 食糧援助も多少はしてくれると言い、見事契約を果たすことができれば、今後も定期的に援助をしてくれるという。

 この村にとっては願ってもない話だ。

 食料不足で制限していた毎年の子どもの数も、これで少しは緩和ができる。

 口減らしも必要なくなるのだ。

 明るい話だ。

 だからこそ

 それだからこそ母にはそれが耐えがたかった。

 想定外の三つ子を産み落とし、同時に見舞われた例年より苦しい食料難に自分の子どもを”二人も”見捨てなければならなかったから。

 赤子を育てるには母乳を出す必要がある。

 母乳を出すには母体に十分な栄養が必要になる。

 しかし、その食料は、

 それだけの食料は、不幸なことに当時にはなかった。

 強い子を育てることを念頭に置く、そんな蛮族みたいな村の風習だ。

 栄養不足でもとにかく三人とも育て上げるなんてことを、この村のお偉いがたは許してくれないのだろう。

 おそらくそれは……父も同様だ。

 だからこそあの選別のようなやり方で、子どもたちを口減らしに殺したのだ。

 子ども一人に十分な栄養が行き渡るように。

 いや、ちがう。

 僕一人が、大きく育つことを願われて。


 母のすすり泣く声に、胸が苦しくなった。


 手が、冷たくなる。


 ◆


 五歳になった。

 あの日から、僕はなんとなくだが、遊び半分になりつつあった午前の訓練も身を入れて励むようになった。

 より受け身の難しそうな高いところを探して、大きくジャンプして転がり落ちていったり。

 木剣を持って勾配の厳しい悪路を全力で走ったりと。

 その後の父との稽古は相変わらず何も出来ずに打ちのめされるだけだが、以前よりも長く稽古を行えているように思う。

 それが良い事なのか悪い事なのか、痛む体を見れば判断が難しいが、少なくとも体力は上がったのだろうと思う。

 そう思わないと、流石にこの苦行には耐えられない。


 父の木剣の軌道が投げから打撃の要素が強くなってきた頃、同世代の子どもたちもまた、僕と同じように木剣を持って、友達どうして振り回して遊ぶようになっていた。


 太陽が中天に差し掛かり、ご飯に家へと帰ろうとした時、 僕よりすこし背の高い子どもに呼び止められた。


「おい!黒髪!俺と遊んでけよ!」


 遊びのお誘いにしては、相手を見下すような物言いだった。

 木剣を持ったガキ大将のようなガキだ。

 両手に木剣を持っており、その片方を僕に投げつけた。

 突然のことにびっくりしてそれを受け取った僕に向けて、ガキ大将が走り寄ってきた。


「お前知恵遅れって呼ばれてるらしいな!」


「ッ……」


 ガキ大将が接近直後に木剣を振るう。

 受け取ったばかりの木剣でそれに迎え撃つが、体重差のせいか押し負けてしまう。

 僕は全身を巡る魔力の流れを早くした。


「お?────おぉ!?」


 それだけで形勢が逆転する。

 そのままガキ大将の木剣を弾くと、がら空きになったその体に木剣を指しこむ。

 当たる直前、木剣をピタリと止めた。

 ギリギリだった。

 良く思い返せば、僕は打ち込む練習をまだしたことがなかった。

 当然魔力を使った攻撃の手加減というものの感覚も知らない。

 このまま打ち込めばこの子に大怪我をさせるかもしれない。

 相手はまだ子供だ。

 対して僕は前世から数えるといい大人の年齢だ。

 そんな大人がこんな小さな子供を相手に本気で殴りかかるなんて大人げないのではないか。

 そう考えたら、僕にこの子を攻撃することは出来なかった。


「らぁ!」


「ぶっ──────」


 その無駄な思考が良くなかった。

 ガキ大将の木剣が頬をぶった。

 父の攻撃に比べたら大したことはない。

 しかし、それは何度も何度も繰り返された。


 あぁ、これは顔が腫れてるな。

 だって視界がちょっと狭いもん。


 やり返すことなくただタコ殴りにされた。

 だってこの子普通に強いんだもん。

 勝てなくは無さそうだけど、こっちから攻撃を加えるのは怖い。

 だから僕は黙って殴られ続けるしかなかった。


「おいっ!なんでお前やり返してこないんだよ!」


「……」


「ちっ。つまんねーの」


 突然殴りかかってきた暴力的に過ぎるクソガキはそのままどこかへ行ってしまった。

 親はどんな教育してやがる。

 子ども同士の喧嘩にしてはやりすぎだろ。


「いちちっ」


 腫れた顔に触れてその痛みに思わず涙が滲んだ。

 クソガキからの一方的な突然の暴力だったが、僕はなんとか耐えることができた。

 殴り返さなかった自分を褒めてやりたい。


 家に帰ると玄関に父が立っていた。


「遅かったな……どうした?その顔は」


「突然、僕より大きな子に木剣デ殴られました」


「ほぅ。負けたか」


 父の少し嬉しそうな顔が癪に障った。

 そもそも僕は戦っていない。

 暴力に暴力で返す程に野蛮な性格などしていない。


「そもそも僕は戦っていません」


「……なに?」


 そう言うと父の目の色が変わった。


「突然、木剣を投げ渡されテ、そのあとタコ殴りにされタんです!僕はやり返しテないデす!」


 胸を張って応えた。

 いきなり暴力に訴えるなんて間違っていると知っているからだ。


「どこの子だ」


「え……えっと……たしかヴィリムくん、って名前だったと思います」


「そうか。ついてこい。今からその子の家に行く」


「え!?」


 予想外だった。

 まさかいじめて来た子の家に殴り込みに行くなんて、そんな親らしいことをするとは想像していなかったからだ。


 僕は不覚にも父を頼もしいと感じて、その背中についていった。



「すまなかった」


 父が────頭を下げていた。

 相手はヴィリムという子どもの親。

 その家の玄関先で、父が僕の頭を押さえつけて、一緒に頭を下げたのだ。

 意味が分からない。


「まったく。ジールさんのお子さんだというのに、一方的に殴られるだけで殴り返さないなんてどういう教育をされているのですか」


 それはこっちの台詞だ。

 思わず睨んでしまったが、父の手に押さえつけらえれて強制的に下を向かせられる。


「これでうちの子が──────」


 ヴィリムの父親の説教は滔々と続いた。

 やれ、弱いものいじめしかできなくなったらどうするだの、やれ、守り方がお粗末に育ったらどうするだの。

 僕には理解のできない内容だった。


 父と僕が怒られている間に、当の本人のヴィリムはこっちを少し見て、興味なさげに家の奥へと消えてしまった。


 家路の途中、黙って父についていく。

 行きの時の気持ちとは正反対だ。

 今はただ、意味の分からなさと、価値観の違いからくる気持ち悪さに、俯いて歩く事しかできなかった。


「なぜやり返さなかった」


「……暴力に暴力で返すのは間違っていると思ったからです」


 これは現代日本人としての当然の価値観で、とても尊いものだと思っている。

 だからその言葉に偽りはない。


「それは自分の命が危険に晒されたとしてもか」


「それは……」


 正当防衛なら問題ないはずだ。

 でもあれはただの子どもの喧嘩で、別に命の危険なんて大層な話じゃない。


「木剣は受け取ったそうじゃないか。打ち合いもして、打ち付ける直前までいったとも言ったな」


「はい……」


 それは事実だ。

 急な事で体が反応したのだ。

 だけど冷静になって、木剣を止めるのに間に合った。

 それだけの話だ。

 褒められこそすれ、責められる謂れはないはずだ。


「お前も大きくなれば戦場に立つ」


 父の言ったことは僕も想像していた。

 自分が将来父のように剣を振るって戦場を駆けることになるかもと。

 だってそれがこの村の生業で、そのためにこれだけ鍛えて、そのために僕が一人──────


 「そんな甘ったれた考えのままでは────戦場で犬死にするぞ」


 父の言葉が重たくのしかかった。

 いつもと変わらない平坦な声であるにも関わらず、その言葉には言いしれぬ重みがあった。


 「そうならないために、俺たちはお前たちに過酷な訓練を付けている。戦士として一人前に育て上げるためにこの村がある。木剣で殴ったからとなんだ。この村の子どもがそう簡単にくたばるものか。そんな温い環境ではないことくらいお前が一番良く知っているはずだ」


 父の言う通りだった。


「それだけ耐え抜くだけの体と精神力を磨けあげているというのに、敵を前に甘い考えで無抵抗を晒して死に晒すというのか、お前は」


「そんなつもりは……」


「咄嗟に剣を鈍らせる戦士に、なにかを守る資格はない。鍛え直しが必要のようだ。明日からは覚悟しておけ」


「……はい」


 僕は今日この日、この世界に来て初めて、自分がとんでもない世界に来たのだと実感した。

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