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ヴェルサリオン戦記〜三つ子の魂百まで〜  作者: 四季 訪
平穏

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第38話 進化

 この部屋が語るシナリオは、僕たちにとって最悪のシナリオのひとつだった。

 ゴブリンは通常、大きな群れを持たない。

 一定数その数を増やすと、自然分裂を起こすからだ。

 それにはダンバー数という法則が社会的動物に深く関わってくるという。

 これは安全な社会関係を維持できる上限を示したものであり、その動物の脳の大きさに左右される。

 例えば地球人類はこれを大雑把に150としている。

 そしてゴブリンの群れの上限は多くて百に届くかどうか。

 僕が聞いたきて話の中ではその程度がゴブリンが維持できる群れの上限数だった。

 

 しかし、僕たちの村は、いや地球人類もこの世界の人類もそんな数など既に大きく越えてひとつの群れを築いている。

 それは学校や企業のような組織だったり、国家そのものが分かりやすい。

 ならばなぜ、ダンバー数を大きく越えてもなお、分裂を起こさずに巨大な集団を維持できているのか。

 それは拘束力のあるルールや強制的なノルマの存在の有無にある。

 同じルール、同じ思想を共有することで、人は初対面の相手にも親しみを感じ、不安を和らげることができ、群れの維持にも繋がるのだ。


 そしてこれこそが、地球人類にとっての大きな武器であり、地球人類が「ヒト種」というたった一つの座に就くことができた要因でもある。

 そのより大きな集団を手に入れたホモサピエンスが、他のホモ属を絶滅に至らしめたように、数の力というのは計り知れない力を持っている。


 ホモサピエンスが他種族を圧倒するまでの団結力を手に入れたのは、ひとつの突然変異がはじまりだったという。

 それは言語野の変異。

 それにより、ホモサピエンスは高度な抽象的思考を手に入れた。

 そして、遂に画期的とも呼べる歴史的な発明が人類史を我々の手中へと収めるまでの力を齎した。


 ───偶像崇拝。


 目に見えない空想上の上位存在を御旗に掲げることで、一人の人格が統率できる人数を大きく越えた集団形勢を成すことに成功したのだ。

 その結果は言うまでもない。


「二人とも。早くみんなの所に戻ろう。今すぐに」


「なんだよ急に。もう少し休んだ方がいいんじゃないか?顔色だってお前……」


 ヴィリムくんの心配は嬉しいが、今の僕の顔色は疲れだけのせいではない。

 そんな僕の内心を察したのか、ポランくんが何も言わずにヴィリムくんの肩を掴んで、行動を促してくれた。


 僕たちは肉体強化を行い洞窟から飛び出した。


「おい、説明しろよリオン!」


「ごめん!今はそんな暇ない!」


 地球人類のような突然変異が起きたのか、どういう理由なのかわからないが、最悪なことにゴブリンたちは「宗教」を手に入れてしまった。

 十中八九あの石像はご神体であり、置かれていたものは供物だ。

 そして壁に刻まれていたミミズのようなあの線は───文字。

 ゴブリンたちは宗教だけでなく、「文字」まで開発してしまったのだ。

 それは僕ら人類と同じスタートラインに、彼らもついたことになる。


「……オンっ……くそっ」


 思考の間隙に聞こえて来たヴィリムくんの声が酷く疲れていることに僕は気付いて後ろを振り返ると、僕よりもびっしりと汗を掻いたヴィリムくんがその足を遅らせているのが見えて、僕は走る速度を落とした。


「……俺も少しキツイな」


 僕から二歩ほど離れた位置にいるポランくんの表情にも余裕の色は見えない。

 どうやら飛ばし過ぎたみたいだ。


「ごめん。少しスピードを落とす」


「……」


「わるいな」


 僕が一人で先に辿り着いても意味がない。

 二人に足並みを合わせ、僕たちは再び山の中を駆けだした。


 ヴィリムくんに合わせた速度なら、ポランくんにも余裕があるのか、彼が僕の隣に並んで疑問を口にした。


「前の山狩りの時からか」


「うん」


 彼がどこまで理解しているのかはわからない。

 しかし、彼の鋭い直感がその疑問を浮かび上がらせたのだろうことに疑いはない。


 前回の山狩りは不自然だった。

 数の少なさはもちろん、奥から出てきた援軍のタイミングもだ。

 それに一番は、あのホブゴブリンだろう。

 数を味方につけて出て来たなら、エクルットさんとの一対一だけは免れたはずだ。

 あのタイミングではあまりに数の利を活かせていない。

 その理由があるはずだった。

 そして僕の脳裏に巣穴最奥にあったあの岩戸が思い浮かび、強く歯噛みした。


「逃がされた」


「……あぁ。そういうことか」


 僕たちの情報を、ひとつの群れの全滅を“上に持っていかれた”。

 文字の分かる個体がその情報を持ちだし、裏の秘密の岩戸から逃げ延びたのだ。

 あのホブゴブリンがあの大岩を動かしてその個体を逃がしたのなら、一番最後に出てきたのも頷ける。

 その前のゴブリンたちはその時間を稼ぐための死兵だったというわけだ。


 僕はゴブリンとは思えないその綿密な作戦行動に舌を巻く思いだった。

 明らかに今まで僕たちが相手にしてきたゴブリンとは別物だ。


 そのことから分かるのは────ゴブリンが既に大きな群れを形成しているということ。

 それも50程度の群れをまさに分隊として扱えるほどに。


「あいつらが危険なのか?」


「タぶん。そう、考えタ方がいい」


 ポランくんが苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。


「あのホブゴブリンが偶々僕タちの目の前に現れタとは考えにくい」


 あの中に既にいたのなら、それも分からないわけではない。

 しかし僕たちがすべての部屋を回っても見つけられなかったことを考えれば、奴は僕たちの後に洞窟の中へと入ってきたことになる。

 そうなると、後を付けられていたと考えるのが妥当かも知れない。

 グラント族の子どもたちを狙った動きだとすると、他の子たちが危ない。


 僕は今すぐにも全力で駆けだしたい気持ちに駆られるが、この二人を置いていくわけにはいかない。

 ゴブリンたちとの集団戦を想定するなら体力も温存しておきたい。

 僕は後ろのヴィリムくんへと振り返り、様子を窺う。

 さっきほど苦しくはなさそうだが、万全とはいかないだろう。

 援軍が到着早々へばって動けませんともなれば目も当てられない。

 それに彼が万全なら僕なんかよりずっと活躍してくれるはずだ。

 そう考えて僕はさらにスピードを落とした。


 そうしてようやく見えてくる最初の地点。

 子どもたちの姿よりも先に、激しい戦闘音と、それを飲み込むほどのけたたましい大勢のゴブリンの声が僕たちの耳に届いた。


 我慢が効かず、地面を強く蹴った僕は一足先に木々を抜けて、そしてそれを見る。


「なに……これ」


 そこには壁際まで追い詰められた五人の子どもたちを囲う様に見たこともない数のゴブリンたちがひしめきあっていた。

 その数は僕たちの村の総人口すらも圧倒していた。


「……ッ、こんなにかよ」


「これは想像以上だぜ」


 遅れてやってきた二人がこの光景に戦慄して固まる。

 それでも、僕たちはこのまま静観するわけにもいかない。


「二人とも」


「……あぁ」


「行こうぜリオン!」


 僕たちはゴブリンの大群へと駆けだした。

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