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ヴェルサリオン戦記〜三つ子の魂百まで〜  作者: 四季 訪
平穏

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第32話 心は大

 ヴィリムくんが隣で寝る横で、エクルットさんが僕にだけ本音を話してくれた。

 それはこの村では少数派で生き辛い、そんな性格の人の打ち明けだった。

 僕はそんな彼の言葉に、強く共鳴した。

 エクルットさんは僕と全く同じ考えの人だったから。


 父は以前に僕のような戦いに向いていない気質を持った人間は世代に1人はいると言っていた。

 エクルットさんの世代では彼こそがそれだったのだろう。

 果敢にホブゴブリンを相手に戦っていた姿からは、そんなことは想像もできなかった。


「物心つくころにはな、疑問だらけだった。なんなんだこの村はってのじゃない。なんで俺はこんなこともできないんだってな」


 彼は語る。

 この村の習慣に疑問を持った訳じゃない。

 それは当然だ。

 外との交流がなければ、他の価値観を知らなければ自分こそがおかしいと思うのは自然なことだから。

 疑問に思ったのは、周りとは違う自分にだ。

 周りの子たちは自然に敵と判断した相手を殺す。

 倒せと命令された敵を殺していく。

 そこに憐みや同情、罪悪感などは殆ど介さない。

 皆が生まれながらにして戦士であり、兵士であるのだ。

 そんな村に生まれた、殺生を厭う優しい子ども。

 周りとの違いに大きな摩擦を感じただろう。

 強制される戦いに酷く恐怖し、殺すことに葛藤しただろう。

 いや、それは今も、なのかもしれない。

 それがエクルットさんという人間だった。


「俺は出来損ないとして育った。それでも食うため、生きるためにこの村のしきたりに従って耐えてきた。感覚が麻痺してくれればいいのにな……それも、できなかった」


 その人生はどれだけの苦難に満ちていたのだろう。

 生まれ落ちた村が異常だったから、他では普通の感性を、むしろ誉められるべき優しい感性をした彼はどれだけの疎外感と、異常なこの村の日常にその心を焼かれ続けてきたのだろうか。

 まだ、本当の戦いを知らない今の僕では想像できるはずもない。

 できる、と言えるわけがなかった。


「怖いよな。武器持って戦うってのは」


 ひとりごとのように彼は言葉を零す。

 それは、感情の吐露のようにも僕には聞こえた。

 弱音、なのかもしれない。


「最初にホーンラビットを殺した。あの目がくりくりとした可愛い見た目の兎だ。頭を叩いて割ったら、最後にか細く鳴いて死んだよ」


 遠い目をしたエクルットさんが、懐かしむような、しかしなにか懺悔をするような顔でどこかを見ていた。

 崖上の草木が一瞬、小さく揺れた。

 小さな尻尾が見えた気がした。


「その後はゴブリンだ。初めての人型の魔物だった。恐怖に呑まれて殺されそうになったところを仲間に助けられて、半狂乱でゴブリンの首を断った。そのあと一人で吐いた」


 僕も最初はそうだった。

 はじめて殺したのは白虎。

 大泣きした。

 そのあとゴブリンを殺して、エクルットさんと同じように吐いた。

 今でも吐き気のような気持ち悪さを覚えてしまう。


「そしてその後───人を殺した」


「ッ……」


 彼の言葉に肩が跳ね上がった。

 薄っすらと考えていながらも、頭の隅に追いやっていた僕の未来。

 その戦場での当然の所業。

 僕の未来の姿とも呼べる人の言葉は、ぼんやりとしていた僕の未来図を重ね塗りし、その陰影をはっきりと浮かばせる。

 出来上がった赤黒い一枚絵が脳裏に浮かび、僕の顔は対照的に青白く染まった。


 僕の顔を見たエクルットさんが神妙な顔を浮かべる。

 申し訳なさそうにしているが、謝る素振りは見せない。

 必要なこと、まるでそう言うかのように。


「エクルットさんは、どう……乗り越えタんですか?」


 僕は縋るように、彼にそう尋ねた。

 今の彼の姿は、僕の父のような立派な戦士の姿に映ったから。

 その克服したエピソードが知りたかった。


 だけど、帰ってきたのは残酷な台詞だった。


「乗り越えてなんかいないさ。俺はまだ、戦うのも───殺すのも殺されるのも怖い」


 その身も蓋もない彼の台詞に、心臓を強く握られたような重圧を感じた。

 この不幸からは、一生逃れられないのだと、知ってしまったから。

 よりにもよって、生き証人からの証言を元に。


「で、でもエクルットさんは戦ってるじゃないですかっ。何度も戦地に赴いて、何人も敵を殺してるんでしょう!?」


 思わず出てしまった大きな声に、僕は口を両手に覆って隣を見る。

 ヴィリムくんが起きた様子はなかった。

 良かった。

 尊敬する人のこんな話、聞きたくはないだろう。


「す、すみません」


「気にするな。本当のことだ」


 戦争とはいえ、殺人をここまで忌み嫌っている人間に、僕は面と向かって殺人鬼呼ばわりをしてしまったのだ。

 胸に後悔の念が渦巻く。


「お前も耳にタコができるほど聞かされてきただろう。“技は小、体は中、心は大”」


「……はい」


 戦いに必要な三つの要素。

 それぞれがどの時期に最も鍛えるのが最適か。

 それを示したのがこの言葉。

 技は小……つまり僕らの年代である少年期。

 体は中……これは体の成長が落ち着いた頃合い、成長期の終り頃。

 心は大……父や母からは大人になれば、とだけ聞かされているが、その詳しい時期を僕は聞いたことがなかった。


「この中で一番最後に鍛えるのが、“心”なんておかしいと思ったことはないか?」


 その言葉に僕はこくりと頷いた。

 彼の言う通り、遅すぎると僕は思っていた。

 今のこの厳しい訓練も、心を鍛えるには十分だと感じるが、それは違うのだとその格言は言っている。


「これはな、リオン。“大切なもの”が出来て、初めて鍛えられるものなんだとこの言葉は言ってるんだよ」


「大切なもの……」


 目からうろこだった。

 まさかこの脳筋染みたこの村に、そんな綺麗な精神論的なものがあるなんて考えたことがなかったから。


「俺はそれを最近になって知った」


 後悔と罪悪感。

 過去を振り返りながら話す彼の顔には、そんな暗い感情がさっきまで浮かんでいた。

 だけど今、彼はそれとは真逆の表情をしている。

 前向きなその顔には笑みが浮かび、真っすぐと未来を見据えていた。

 僕はその変わりように、目を奪われた。


 彼は何か愛おしいものを思い浮かべたかのように目を細め、何かを抱くようにした自分の腕をその目で見つめる。

 そして慈しみに溢れた声で彼は続けた。


「───子どもが、できたんだ」


 親の声だった。


「お、おめでとうございます」


「はは、ありがとな。とはいってもまだそれも少し早いな。今はまだ妻の腹の中だから」


 朗らかに笑うエクルットさんの顔は既に親バカのものに見えた。

 幸せそうだった。


「妻を娶った時も、辛いこと全て呑み込んでやるつもりだったが、子どもはそれ以上だった」


 子どもを持った経験は前世でもない。

 でも、彼の表情を見ればそれが素晴らしいことだというのは痛いほどに伝わってくる。


「最初は子どもが出来たって聞いても実感が湧かなかったんだがな。ある日腹に耳を当ててみろって妻に言われてな。実際にその膨らんだ腹に耳を押し当てると、聞こえたんだよ。どくん、どくんって。妻の心臓の音とは違う、少し早い鼓動が」


 新たな命の鼓動。

 その神秘的な命の営みが、ここまで人を変える。

 彼はそう語るようだった。


「それから俺は戦場に立っても、震えることはなくなった。怖いのは変わらない。敵を殺すのも味方が殺されるの酷く恐ろしい───でも、それ以上に妻と、新しい俺の、俺と妻の子が勇気を俺にくれるんだ」


 僕を真っすぐに見るエクルットさんの表情にはもう、さっきまで感じられた頼りなさ───親近感のようなものは露のように消え去っていた。

 そこにはいつもの力強いエクルットさんの姿があった。

 分不相応な親近感を失った代わりに、焼かれるような憧憬の目で、僕はエクルットさんを見つめた。


「ぼ、僕も。そしたら僕もエクルットさんみたいに─────」


「だからリオン。お前はこの村を出ろ」


「────え」


「お前は優しすぎる。俺が、子どもが出来て戦場にしっかりと立てるようになったのはここ数か月の話だ。それまでは恐怖を誤魔化しながら戦ってきた。文字通りに、身も心も削りながら。その長い時間をお前が耐えられるか、俺には正直わからない」


「エクルットさん……?」


「王国との橋渡しである特使が数年以内に交代する。年齢による引退だ。お前はその後釜につけ。この村から出て、戦いから退くんだ」


 その言葉はあまりに衝撃的だった。

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