第30話 休息のために
僕とヴィリムくん、そして協力者であるエクルットさんの三人は今、山を越えて渓谷の辺りまで遠出をしていた。
理由は単純で、いつもなら山の中にゴブリンの群れの一つや二つ簡単に見つかるはずが、今日はそれが叶わなかったためにここまで来ることになった。
もう少し時間を掛けて探すことも普段ならするが、今日は少しでも時間がほしい。
それに村から離れたここの方が僕たちにとっては都合が良かった。
「はぁ、はぁ」
渓谷にいたゴブリンとの戦闘を複数回熟した頃には、陽は中天にまで昇っていた。
剣を腰に差したヴィリムくんの息は荒い。
さして強いとは言えないゴブリンとの戦闘だ。
いくら僕より積極的に前に出ているからと言って、普段のヴィリムくんからは考えられない消耗速度だった。
「ヴィリムくん、まタ強くなっタ?」
彼の動きはさらに良くなっているような気がした。
その成長スピードは今のポランくんよりも上かもしれない。
このまま維持できれば、の話だが。
僕から見ても明らかに無理をしているのが分かる。
それはエクルットさんも同意見だった。
「まだ、これじゃ足りない。ポランよりも強くならないと。それに……お前にだって」
そう言ってヴィリムくんは、はっとしたような顔をして僕を睨んだ。
口を滑らしたからと言って八つ当たりはやめて欲しい。
それに昨日のことは本当にまぐれだと思うから気にする必要はない。
同じことをやれと言われてもできる気がしないから。
「ヴィリム。練習熱心だな」
「エクルットさん……」
少し離れた位置で僕たちを見ていたエクルットさんが、戦闘を終えた僕たちに近づいてくる。
エクルットさんに対してすっかり敬語になったヴィリムくんは素直でかわいい。
彼の言う事を聞いてくれれば手荒な真似をしなくて済むのだが。
「陽も高くなったし、ここらで一旦休憩にしよう」
そう言ってエクルットさんは地面に座り込むと、自分の前にバスケットを置いて布を捲った。
ぐぅうう。
失敬。僕のお腹です。
渓谷の中だとよく響きますね。
ちょっと恥ずかしい。
……
「いただきます」
ヴィリムくんは僕の出物腫物に触れる事無くエクルットさんの近くに腰を下ろした。
女の子相手なら彼のスルースキルは評価に繋がるのだろうが、男同士なら触れて欲しい。茶化してもいいから。
僕は少し恥ずかしくなりながら、すごすごと二人から気持ち間を取った所に腰を落ち着かせる。
エクルットさんが僕を見てにやにやとしていた。
そのリアクションが一番恥ずかしいからやめて欲しい。
「見ろこの食事。少し前では考えられない贅沢だろ。今日は少し奮発して俺のへそくりを引っ張り出してきた」
そう言ってエクルットさんは僕たちにバスケットの中身を自慢する。
食べ物でその言い方はどうなのだろうか。
ほこりが被ってそうで印象が悪い気がする。
僕は食べられればそれでいいけど。
僕はその中身を見て思わず涎を拭った。
あぶないあぶない。
危うく僕の涎が食べ物全部をマーキングするところだった。
「はは、リオンは分かりやすいな」
「行儀が悪いぞ」
「すみません」
二人に謝る。
ヴィリムくんは意外とマナーにうるさいようだ。
いや、あの親を思えばそれも当然かもしれない。
バスケットの中にあるのは黒パンと野菜の酢漬けに多めの干し肉、そして立派な腸詰だった。
「う……」
「すごいだろ、二人とも。王国の兵と仲良くなってな。それで燻製腸詰を分けて貰ったんだ。他の奴には内緒だぞ?──ん?どうしたリオン。立派だろ?」
「すごく……大きいです」
こいつはなにを言わせるんだろうか。
あのゴブリン一物事件から僕の家の食卓には毎日のように例のアレが並ぶようになった。
栄養面ではかなり優れているらしいが、子どもの情操教育的にいけないような気がする食事を、僕は毎日のように食わされている。
海外では陰茎食はわりかしあると聞くが、現代日本人の食生活に魂を焼かれている僕の口は未だに慣れてくれずにいる。
そんな僕にとって、ちゃんとした腸詰とはいえ、あれよりも大きなその形状に、一種のトラウマのようなものを刺激されてしまい食指がうまく伸ばせない。
「どうしたんだリオン、大丈夫か?ほら食え、俺の腸詰」
“俺の”は余計だ。
「食わないなら俺が貰うぞ」
「まって!」
ヴィリムくんがエクルットさんの腸詰に手を伸ばす。
絵面も少々酷ければ、字面はもっと酷い。
そんな光景に僕は待ったをかけて、エクルットさんの手から腸詰を強引に奪いとる。
「簡単な魔術で温めておいたぞ」
「……」
僕は自分の手に握られる熱いそれに白い視線を落として、気分も同時に落とした。
しかし、腸詰自体に罪はない。
勝手に変な連想をしている僕が完全に悪い。
そんな気なしの完全善意のエクルットさんの好意に、邪な警戒心をこれ以上向けるのも気が引ける。
僕は思い切ってそれを口に運んだ。
「ふも、あはい」
思ったより弾力があり、噛みきれずに咥えたままの絵面に恐怖心を覚えた僕は、勢いよくそれを噛み千切る。
「!?」
僕は思わず目を見開いた。
「美味い!!」
噛んだ瞬間、中から一気に溢れ出して広がる肉汁の旨味と香草の香り。
口の中で弾ける肉の脂が舌に蕩け、複数種類の香草が脂の香ばしい香りとともに鼻に抜けていく。
久しく味わったことのない、本物のウインナーの味だった。
いや、日本で食べていたものよりも滋味に溢れる味かも知れない。
これは温めて正解だ。
僕は一気にウインナーを頬張り咀嚼していく。
皮が厚めで噛み切り難いのが玉に瑕だが、咀嚼を促すためと考えればそれも悪くない。
多少の食べ難さなど気にならない程に、この味は僕の心を打った。
「気に入ったみたいだな!」
僕の食べっぷりが気に入ったのか、エクルットさんの豪快な笑い声が渓谷に響いた。
「お、俺もこれ好きです!」
「二人とも良い反応するな!しょうがない、俺の分も二人に分けてやる!」
そう言って自分のウインナーをパキリと割って僕とヴィリムくんに差し出すエクルットさんに僕は飛びついた。
「うわ!おまえ口から行くなよ!」
餌に釣られて海面から飛び出した魚みたいな僕に、ヴィリムくんが驚いて手をひっこめた。
「ちょ、俺の分まで食おうとするなよリオン!」
すぐ隣のウインナーをぎらついた目で見た僕の意図に気付いたヴィリムくんが、慌ててエクルットさんの手からウインナーを取って、守るように抱え込む。
ちっ、逃がしたか。
「二人とも喧嘩はするなよー」
その後もなんやかんやと騒ぎながら食事を終えた僕たちは、食後の小休憩の中くつろいでいた。
ヴィリムくんの方を見ると、首をかくかくと落としては上げ、落としては上げを繰り返し、船を漕ぎ始めている。
自然と僕とエクルットさんの会話も少なくなる。
静かになった渓谷の中、肌寒い風が吹き抜けるだけで、ここは静寂に包まれている。
ヴィリムくんが日頃の疲れをどっと出して寝落ちするのもそれはそれで健全だ。
僕とエクルットさんは彼の様子を暖かく見守った。
「────!?」
しかし、ヴィリムくんは起きてしまった。
焦ったような表情で立ち上がる。
「休憩はもう十分です。再開するか、戻るかしましょう。エクルットさん」
その顔には色濃く疲労が滲み出していた。
大人が無視できるような状態ではない。
僕とエクルットさんは顔を見合わせ、小さく溜息を吐いた。
そして僕はエクルットさんにこれからの事を任せることにした。
「ヴィリム。疲れたなら休んでおけ。体を休めるのも戦士の務めだ」
「でも」
「俺の目から見ても今のお前の追い込み具合は少々異常だ。まともに睡眠もとれていないだろう」
「大丈夫です。動けます。それに俺はこの短い期間で確かに強くなってる……はずです。無駄ではないなら、俺はもっと強くなりたい。強くならなきゃ……いけないんです」
彼の目に宿る意志は固い。
いや、強迫観念のようなものが僕には感じられた。
なにが彼をそこまで追い込むのか。
その正体は明白だ。
「まったく、強情だな。分かった。訓練は続けてやる」
「ありがとうございます!」
ヴィリムくんが表情を和らげた。
しかし、元気かと問われれば、それはNOだ。
エクルットさんが大きなため息を吐くと、バスケットを片して立ち上がる。
地面に置いていた剣と盾を手に取って。
「村に戻るのも手間だ。ここで稽古をつけてやる。ヴィリム、それでいいな」
「はい!」
こうなるか。
出来れば手荒な真似はしたくなかったが、ここまで強情では仕方ない。
そのためのエクルットさんだ。
僕は少し離れた位置に移動し、二人を見やる。
休憩を終えて、向かい合う二人。
これから二人の模擬戦闘が始まろうとしていた。




