白い花
「ほ~ら、ゆっくり飲むんダぞ~」
僕は今、白虎の赤ちゃんに哺乳瓶を使ってご飯を上げていた。
いつもの僕の癒しスポットであるハウルたちの厩舎でだ。
毛が生え揃うまでに成長した赤ちゃんを胡坐の上で大事に抱きかかえながら、一生懸命にミルクを吸う姿を僕は微笑ましく眺めていた。
子猫特有のキトンブルーの目がとても愛らしい。
シロとラブとソックスたちも見慣れないこの光景に興味津々に尻尾を振っている。
思わず僕が飛びついてしまいそうだ。
視界の隅にちらちらとする誘惑に耐えていると、白虎の赤ちゃんがミルクを飲み上げてしまったのを見て、僕は哺乳瓶を取り上げようとする。
それでも必死に口をつけて、小さな手で哺乳瓶を捕まえたままの姿に苦笑してしまう。
「日に日に飲む量が増えるな~おまえ」
今日は昨日よりも少し多めに作ったのに、それでも足りない。
次はさらに少し多くつくらないとな。
お前の食い意地には頭が下がるよ。
ミルクを飲んで眠くなったのか、白虎の赤ちゃんがすやすやと寝息を立て始めた。
自由なものだ。
僕はハウルたちにシー、と口の前で指を立てて静かにするように合図する。
それを理解したのか、首を縦に振る姿に僕は満足して体を揺り籠のようにゆったりと揺らす。
「リオン」
「シー」
後ろからユエが近づいてきているのは気配で分かっていた。
僕は腕の中の赤ちゃんをユエにも分かるように見せて状況を伝えると、ユエは自分の口を両手で抑えてこくりと頷いてくれた。
子どもらしい反応でこちらも可愛かった。
「……あっという間に大きくなったね」
「早いよね。ほら見テよこの手。将来大物ダ」
赤ちゃんを起こさないように僕とユエは小声で話しを始めた。
あれから一週間が経った。
大人たちが戦地から帰ってきて、本格的にあの巣穴の調査が開始された。
驚くことに、僕が殺した白虎は、僅かな爪と牙を遺してその場から跡形もなく消えていた。
僕はそれが信じられずに父についていって改めて現場を見たが、確かにあの巨体はその場になかった。
僕は必死になって信じてもらおうと言葉を並べた。
しかしそれも杞憂だったようで、巣穴の存在と残った遺品、そして現場の戦闘痕から最初から疑う余地はなかったらしい。
その性質と白虎の赤ちゃんから考えて、あの白虎は結局のところ魔物などではなかったのだと、父は教えてくれた。
父はその正体を精霊だと言っていた。
僕もその存在は本で読んで知っている。
精霊。
魔法文明より以前の文明であり、人々が精霊たちによって庇護、共生していた時代を作った上位生命体。
この時の長い共生、協力関係によって人類は魔力という新たなエネルギーを獲得し、人類主体の文明である魔法文明の発展へと繋がった。
精霊文明が滅びた理由は僕が読んだ書物では記されていなかったが、精霊はその時代より大きく数を減らしてしまったらしい。
今では自我を持った強力な精霊は滅多にお目に掛れない超激レア生物ということになっている。
しかし、精霊と元々いた生物との間にできた半精霊という新たな相の子は各地で良く見られるらしい。有名どころで言えばエルフなんかが代表的だろう。
この世界にもエルフという超美形人種がいるのだからおらわくわくすっぞ。
そしてこの白虎もその精霊を始祖として誕生した新たな種族のようで、精獣と呼ばれる存在らしい。
精獣は死後、その体の殆どを魔力に換え、一部を遺して空気に溶けるように自然へと還るのだという。
神秘的な生き物だ。
僕があの白虎に感じた神々しさにも納得がいく。
「お前の母ちゃんはすごいんダぞ~」
僕は眠りこけるその赤ちゃんに、そう言葉を掛けた。
僕が尊敬しているからだ。
この子にもあの偉大な姿と母のその優しい心を余すことなく伝えてやりたい。
感極まって少し大きな声が出てしまった。
そう、反省していると、ユエが僕をジーっと見ていることに気づいた。
どうしたのだろうか。
まさかあの一件で僕に惚れてしまったのだろうか。
これだからイケメンは辛いぜ。
僕は心の中でそう冗談めかしながら、ユエに流し目を送っていると、ユエが遂にその口を開いた。
「名前、決めないの?」
……。
六歳児に色恋の駆け引きはまだ早かったようだ。
僕は少々おふざけが過ぎたことを自覚しながら、ユエの言葉に静かに腕の中の赤ちゃんに自然を落とした。
「僕が決めテもいいのかな……」
この子の母を殺したのは僕だ。
その張本人がその子どもに名前を付けるのはどうなのだろうか。
「あの精獣からこの子を託されたのはリオン。名前を付けてあげられるのはリオンだけだよ」
ユエの言葉はどこまでも真っすぐだった。
あの白虎の戦う姿を間近で見たユエにも、伝わったのだろう。
あの戦いは、最期を間近にした母が、自身の子の将来を託すに相応しいかを見定めるための選別だったのだと。
紛れもない、母の愛であったことを。
それを知っているユエの言葉だからこそ、僕はそれを無視することは出来なかった。
いつまでも情けない罪悪感に囚われて、現実から目を逸らすのは終わりにしなければならない。
なにより、この子のためだ。
僕がこの子の名前を付けることに決めた。
「なにがいいかな……ポチ太郎トかドうダろう」
「……やめた方がいい」
「そう?じゃあ、ミッキーとかはどう?著作権切れてるし」
「良く分かんないけど、やめた方が良いと思う」
うーん。確かに猫にネズミの名前は不適切か。
でもそれ以外は著作権に保護されてるし……
「少し考えてみるよ。急かされてるわけでもないし」
「それがいい…………私も少し考えてみる。心配だし」
「そう?じゃあ、ドっちが良いかその時は勝負ダね」
「……お願いだから頑張って」
なぜか心底心配そうなユエの姿が気になったが、急ぐ理由もない。
名前なんて一生ものだし、ゆっくりと考えよう。
◆
雪の降り積もる季節が刻々と近づいてきている。
この時期になると毎年のようにあの時のことを思い出す。
脳裏に焼き付いて離れない、兄姉との別れの瞬間を。
特にこの手には、あの時の兄と姉の手の冷たさが残っている。
だけど、ここに来るとそれも嘘だったかのように、僕の手に温もりが蘇る。
そんな気がした。
「もう、六歳になっタよ。君達の犠牲デこの世界に生まれ落チテもう六年ダ」
五歳を過ぎて、訓練以外で歩き回ることを許可されてからというもの、僕は時々こうして彼らのお墓の前にお話に来ていた。
そこはあの時、父に連れられてきた少し深い森の中。
その開けた場所に、僕の兄姉のお墓があった。
誰が作ったのかは、想像に難くない。
所々に不器用さを感じさせるが、それでも丁寧に作られた墓石を前に僕は手を合わせた。
「びゃぁぁああ」
蹲る僕の膝の上には、白虎の子どもが見慣れない僕の動きに首を傾げてへたくそに鳴いていた。
少し濁ったような鳴き声がやはり虎の子だと思わせる。
大きくなれば、あの白虎のように立派な声で吠えるのだろう。
少し怖いような、楽しみなような。
僕の頬を舐めてくるその子の頭を抑えるようにして撫でてやる。
少し、力が強かったかと思ったが、目を瞑って気持ちよさそうに受け入れてくれている。
「この子はね、精獣っていう凄い立派な白い虎の赤チゃんなんダ。そのお母さんから、預かることになっチゃっテ」
僕は少し長く、この子との出会いの話を二人に聞かせた。
少しだけ見栄を張って話を誇張したのは許して欲しい。
誰だって兄姉の前でくらいかっこつけたいだろう。
僕の僕による僕の見栄のための英雄譚を語り終え、少しだけ虚しくなった。
「命……託されチゃっタな」
撫でる手が止まったことに不思議に思ったのか、白虎の子どもが僕の顔を見上げる。
そんな彼に視線を落とす。
僕はその子の体をそっと片腕で包む。
とても、重たく感じた。
「いつの間にか向こうの世界で死んデテ、この世界で新たな命を継いダと思って喜んデタら、君達の命まデ、僕は継いデしまっタ。二度目の生を貰っタ僕が死ぬべきダッタのに」
新たにこの世界で生を謳歌するべきは、あの子達のはずだった。
僕こそが、あの子達に、この命を差出すべきだったんだ。
それなのに、僕はこうして今ものうのうと生きている。
「それドころか、この子まで託されチゃっタよ」
僕の手を舐める白虎の子どもを、僕は自分の頭よりも上に持ち上げた。
手足をばたばたとさせて……喜んでるのかな?怖がってるのかな?
動物の表情は良く分からない。
怖がらせてると悪いと思い、僕は自分の膝にその子を戻した。
「やっぱり重たいよ」
その子の体をゆっくりと撫でながら、そう僕は弱音を零してしまう。
すると、視界の隅に小さく積もった雪の横で、ゆったりと風に揺らぐ白い花を見つけた。
「あれって……」
子虎を両手で抱き上げて立ち上がり、その花の前に僕は座り込んだ。
「こっちにも、似た花ってあるんだな」
僕はその綺麗な花を周囲の土ごと掘り返し、ひとつ引き抜いた。
それを兄姉の墓の前に植え替えて、僕は満足して笑う。
そして、花のあった周囲を探し、もうひとつ見つけると、僕はそれを手折る。
僕の知識では季節外れのその花だが、見た目は僕の知っているそれとほとんど変わらない。
僕はそれを持ち帰ることにした。
◆
「お帰りなさい、リオン」
「タダいま、お母さん」
家事に忙しいはずの母が、手を止めて僕を迎えてくれた。
「またハウルたちの所で遊んでたの?」
「……うん」
嘘を吐いた。
僕に兄姉がいたことは両親から聞かされていない。
当然だ。
二人を差し置いてお前一人が生き延びたなんて事実を、人の親が我が子に言うはずがないからだ。
だから二人の墓にお参りに行ったことを母にいう訳にはいかなかった。
「そう。本当にハウルたちのことが好きなのね」
僕の服を払いながら、母はそう言ってくれた。
「……あら。綺麗なお花ね」
母が僕の手に握られた花の存在に気付いて、僕の手を取る。
「お母さんに上げようト思っテ」
母は僕のその言葉に素直に喜んでくれた。
嬉しそうに受け取ってくれた母が、僕の摘んできた花を窓際の花瓶に添える。
母が僕を褒めたり、自分の喜びを言葉にして僕に聞かせてくれる。
少し気恥ずかしいが、喜んでくれてなによりだ。
「そう言えば、その子の名前はもう決めたの?ユエちゃんが心配そうにしてたけど……」
どういうわけか、ユエが母に釘を刺しにきていたようだ。
そんなに僕が名前を付けるのが遅れることを心配したのだろうか。
心配せずとも僕は提出物の類で遅れたことはほどんどない。
「心配しなくテも、もう決めタよ」
「あら、お母さんにも教えてほしいな」
もちろんだ。
僕は日差しに照らされて、綺麗に輝く白い花に視線を移し、そして改めて母を見つめる。
「アザレア。この子の名前はアザレアだよ」
この子にピッタリの名前だ。
「ふふ。良い名前ね」
微笑む母に、僕も笑顔で返す。
母の強い献身と愛が、この子虎の命を繋いだ。
あの母虎の手から、僕が継いだ。
そこには僕では計り知れない母性による愛があったのだろう。
多分、それはこの子の母だけでなく、僕の母も。
この子には、いつか自分を産んでくれた母に、自分を命懸けで守ってくれた母のその大きな愛を知って、僕と同じように母を想ってほしいから。そう感じてほしいから。
僕がこの世界を頑張って生きようと、そう思うきっかけをくれたこの気持ちをこの子にも。
かけがいのない無垢な命を継いだ。
そしてまた、母虎から小さな命を託された。
どれも重い。
それでも、応えたいと思った。
その純真な愛に。
だから生きようと思った。
託された命を両手に抱えて。
守りたいと思った。
母の笑顔を。
母以外にもこの世界で大切な存在も少しだができた。
ユエにハウルたちもそうだ。
守りたい。
この血生臭い、死が隣り合わせのこの世界で、僕は失いたくないものが少なからずできた。
だから最低限、大切な人たちを泣かせないように僕は、この世界を一生懸命に生きていく。
そんな今の僕の青い感情をこの子にも抱いてほしいから。
「良い名前ダっテさ。な、アザレア」
白い花の名前を頂いた子虎を持ち上げて僕はその無垢な目を見つめた。
アザレア。
その白い花の持つ花言葉を思い浮かべる。
この想いだけはどうか、忘れないでやってほしい。
母の愛に応える僕らの想いを。
アザレアのその花言葉。
それは─────
─────『あなたに愛されて幸せ』
これにて第一章が完結の運びとなります
これからもリオンくんには厳しい運命が待ち受けているでしょうが、どうか温かく見守って頂けると幸いです
これからも引き続き転生したら戦闘民族だった をよろしくお願い申し上げます
ブックマーク、高評価も頂けましたら恐悦至極にございます
四季 訪




