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異世界商人の優雅な日々

作者: 行き止まり

タグはちゃんと確認しましょう。


 その男がどこから来たのか知る者は居ない。

 ある時、ふらりと訪れた町の片隅で露店を開いたその男は、自らを旅の商人と名乗った。

 

 男の店で売られていたのは、

 

  雪の様に真っ白な砂糖。

  混じり気無しの砂よりも細かい小麦粉。

  お湯を注ぐだけで出来上がる、温かく美味なる料理。

  女性の肌を輝かせるように美しくする化粧品。

  世界を股に掛けた船乗りのじいさんでも呑んだことの無いような、洗練された酒の数々。

  町一番の料理人ですら味わった事の無い多種多様な調味料。

  貴族の令嬢でも纏った事の無いような、色鮮やかで華やかな衣装。


 そんな品々が、所狭しと並べられていた。

 

 そんな品々が、庶民の手にも届くような値段で売られていたものだから、町の人はこぞってそれらを買い求めた。

 不思議な事に、どれだけ品物が売れてその日は売り切れになっていたとしても、次の日には同じものが、時にはもっと珍しい物が、男の店には並び続けた。

 

 どこから仕入れて来たのか、何処に仕舞っていたのか、人々は不思議がったが、男は微笑むだけで何も答えず、商人としては、仕入れ先やら秘密にしておきたい事も有るだろうと、町の人もそれ以上詮索するような事は無かった。

 

 少しの時を経て、男の店は小さな露店から小さな店舗へと変化する。

 近隣の町にも評判が伝わり、それを聞きつけた人々がまた男の店に押し寄せ、男の店は人が入りきらない程に繁盛した。

 

 男が小さな商店から、大きな店舗へと居を移そうと考えていた頃、縁のあった領主の娘を妻に迎えた。

 男の売る品物は領主を通して王都へと広がり、貴族達の中でも知らぬ者は居ない程のものとなる。

 

 男の扱う商品は、その町の特産品と扱われ、男にも領主にも多大な利益をもたらし、男の商品を国に広めた功として、領主は爵位を一つ上げる事となる。

 

 その頃、男は領主の娘だけでなく、希少種である耳長族の姫、人を嫌っている事で有名な狐や犬の獣人の族長の娘、多種多様な種族から妻を迎えていた。

 

 男は町に巨大な商店を与えられ、国中から品物を求めて集まる人々に夢のような商品を提供し続けた。

 これまた不思議な事に、どれだけ大きな取引が行われ、倉庫の在庫が少なくなっていようと、次の日にはやはり在庫で溢れかえっており、どんな商談であっても品物を違える事の無い男の商店。いや、最早商会とも言うべきそれは、信頼の面でも他に類を見ないものとなっていた。

 

 それから少しした頃、隣国が男の住む国へと侵略を始める。

 尤もらしい大義名分を掲げてはいたが、要はいくら甘言を呈しても勧誘に応じない男にしびれを切らし、国ごと奪ってしまえば良いというなんとも我欲に塗れた理由からであった。

 ただし、隣国にはそれを叶えるだけの武力があったのだが。

 

 困り果てた王侯貴族は連日の様に会議を開き対策を寝る事になるが、踊るばかりでなかなか進まない。

 そんな中、男からもたらされた武器を手にした領主の兵達が戦局を覆す。

 

 男のもたらした武器は、使い方を覚えるだけで一人の新兵を歴戦の猛将へと変えた。

 その武器を向けられた敵兵は、離れていようが鉄の鎧を着こんでいようが、体中に小さな穴を残して絶命する。

 魔法を使えずともそれを投げつければ、敵の只中で爆発を起こし、十数人の敵兵が命を落とし、生き残った者も手足を失うような傷を負った。

 

 侵略してきた隣国の兵を悉く打ち取った後、領主は逆侵攻を俎上に上げる。

 声高に、男のもたらす大量の武器を背に。

 

 陣頭を任された領主は、男を伴い隣国へと攻め入る。

 隣国の王都を目指す道すがら、町に火の雨を降らせ、村を守る者達は成す術も無くその命を散らせていった。

 

 王都を守る頑丈な城門は容易く打ち破られ、雪崩れ込む領主の兵達は、最後の抵抗を試みる敵兵を、無人の野を征くが如く踏みつぶして進む。

 王城の最奥、そこに隣国の王の姿を認めた領主は、その首を切り落とし勝鬨を上げる。

 

 男の住む国は隣国を併呑し、大陸最大の国家となった。

 領主はその功によりまた爵位をあげ、男の扱う品々を背景に、多大な勢力を誇る貴族となる。

 そして男は、ついに王女すら妻に迎える事となった。


 

 

 §

 

 

 

 とある男の話をしよう。

 

 彼は、両親から受け継いだ畑で甘蔗を育て、砂糖を作っていた。

 畑を耕し、育てた甘蔗を砕き、絞り、煮詰めて砂糖を作る。

 出来上がる砂糖の量はたかが知れているが、甘味は貴族の嗜好品でもあり、生きるに不足の無い程度の利益を彼にもたらしてくれた。

 出来上がった砂糖は少し薄い土の色をしていたが、汗水流して出来上がったそれは、彼の誇りでもあった。

 

 ある年の事。

 昨年と同じく出来上がった砂糖を抱えて、顔なじみの商会へと砂糖を卸に向かう。

 いつもなら笑顔で迎えてくれるはずの商会の番頭は、彼の顔を見るなり表情を曇らせ首を横に振る。

 話を聞けば、とある貴族の領地に開かれた商会と、その商会から流れてくる砂糖の話を聞かせてくれた。

 それは、彼の作る砂糖などよりはるかに白く、甘く、そして安価だと言う。

 

 砂糖だけではない、この町にも開かれた支店で扱われる品々は、他のどの商会の扱う品よりも上質で安価で、たちまち人々はその品々に夢中になった。

 彼の懇意にしていた商会も例に漏れず客を奪われ苦しい状況ではあったが、なんとか彼の砂糖を買い取ってくれる事になった。

 尤も、それは去年までの価格とは比べ物にならないほど安く、切り詰めなければ来年の納品まで生活していけるかどうかと言った程度の金額であったが。

 

 男は家に帰ってから考える。

 

 今のままでは、来年にはもっと安い金額でしか買い取ってもらえないに違いない。

 

 雪の様に白く、そして甘い砂糖。

 どうしたらそのようなものが作れるのか。

 

 乏しい知識を使い、彼は考え、そして収穫の時を迎える。

 

 絞る時に使う布を、もっと目の細かいものに変えればよいのか。

 煮詰める前に、濾してみるのはどうだろうか。

 もっと煮詰める事が出来れば、その分甘くなるのではないか。

 

 収穫した甘蔗を前に、考えていた事を試す。

 

 元々そう多くない収穫から試行を繰り返せば、売りに出せる砂糖の量は目減りしていく。

 それでも出来る限り生活を切り詰めて目の細かい布を買い求めた。

 その布を売っていたのが件の商会であった事が口惜しくもあったが、ともあれ絞っては濾しを繰り返し、誤って焦がしてしまう事も有ったが、なんとか今年の砂糖を作り上げる。

 量こそ去年より目減りしてしまったが、それでも去年前の砂糖よりは白く、そして甘い砂糖が出来上がった。

 

 これならと勇んで顔なじみの商会に持ち込んでみたが、去年と同じく番頭は首を横に振る。

 彼の努力の成果は、件の商会の砂糖の前には無に等しかった。

 

 顔なじみの商会も随分と苦しいようで、いよいよ件の商会の傘下に入って商品を融通してもらうか、さもなければ従業員一同首を吊るしかないかもしれない。

 来年はもう、砂糖を買い取る事は出来ないだろうと、番頭はそう力なく笑った。

 

 去年よりもさらに少なくなった売上金を握り、彼は家へと帰る。

 元々知識に乏しく、試行錯誤など出来るほど余裕のなかった彼に、これ以上砂糖作りを続ける事は不可能だった。

 

 番頭に聞いた話では、砂糖だけではなく、どのような作物にも件の商会は介入し、独占していく。

 であれば、売る為の物など作っている余裕は無い。

 

 彼は、両親から受け継いだ甘蔗の畑に種を蒔く。

 ただ生きる為に、自らが口にする為だけの作物を育てる。

 何時の間にか人の減った村で、残った村人と作物を交換し合い、糊口を凌ぐ。

 ただ生きるという、その一事の為に。

 

 彼の畑に、甘蔗の葉がそよぐ事は、二度と無い。

 

 

 

 §

 

 

 

『俺の国には、【衣食足りて礼節を知る】って言葉が有るんだ』


 周りに侍る彼の妻たちは首を傾げる。

 

『生活に余裕があればこそ、礼儀や節度に気を回す事が出来るって意味さ。要は、生活に余裕があって初めて心にも豊かさが出来るって事だよ。ウチの商品をこの世界中の人に届ける事が出来れば、世界中の人の心が豊かになると俺は思ってるんだ』


『立派ですわ』


『流石は御主人様です』


 彼の周りに侍る女達は、口々に男を褒め称える。

 

 男は、自慢の商品を前に、照れたように頭を掻いた。

 

 

 

 §

 

 

 

 とある女の話をしよう。

 

 彼女は、朝起きると朝食の準備に取り掛かる。

 

 愛する夫と二人の娘。家族の為に、毎朝腕を振るう。

 彼女の食卓には、今日も笑顔が溢れている。

 

 朝食を終えて空を見上げる。

 

 晴れの日には家族総出で畑の世話をし。

 雨が降れば恵みの雨だと娘達と笑い合う。

 長雨が続けば畑の様子に気もそぞろとなり、夫と顔を見合わせて溜息を吐く。

 

 春には畑に麦を蒔き。

 夏には麦の健やかな成長を夫と祈り。

 秋には実りの収穫を家族で喜び。

 冬には裸になった畑の上を子供達が駆け回る。

 

 夜になれば、穏やかな一日に感謝しながら家族と共に眠りにつく。

 

 慎ましくも穏やかで、誰に恥じる事も無い平凡だけれど幸せな日々。

 

 それが彼女の日常だった。

 

 ある年の事。

 いつものように麦を買い取りに来た行商人は困ったような顔で言った。

 

 近頃とある領地から流れてくる麦の粉が、それはそれは上質な粉だと。

 それは、驚くほどに細かく挽かれ、粒もそろい、混じり気の無い素晴らしい粉だと。

 

 それで作られた料理はどれも素晴らしく、味が一段も二段も上がるのだという。

 初めは貴族を始めとした金持ち向けに売られていたそれは、何時の間にか庶民にも広まり、料理を生業とする者達は、こぞってその粉を買い求めているのだという。

 

 そんな粉が潤沢に市場に出回れば、質の落ちる既存の粉など見向きもされなくなる。

 今はまだ買い手があるが、このままでは既存の粉を買うものは居なくなる。

 売れない粉の素になる麦を仕入れる者も居なくなるだろう。と。

 

 実感のわかないまま、漠然とした不安と共に夫と顔を合わせる。

 とはいえ、彼女達に何が出来る訳でも無く、不安を抱えながらも同じ日々を過ごす。

 

 彼女の食卓から、笑顔が少し消え、その分溜息が少し増えた。

 

 季節は廻り、翌年の初冬。

 いつもの行商人が、暗い顔で告げた。

 

 件の粉が、いよいよ国中に流通しつつあると。

 伝手が有ってそれを仕入れられる商人は良いが、そうでない商人達は仕入れた粉が売れなくて頭を抱えていると。

 人の好い行商人がすまなそうに、今はこれが精一杯だと言って買い取った麦は、去年よりも少なく。

 そして値も下がっていた。

 

 深夜、子供達を寝かしつけた後、買い取られなかった麦と、去年より目減りしたお金を前に夫婦で溜息を吐く。

 いくら考えても解決策など見つからない。

 彼女達は、麦を作ることしか知らないのだから。

 

 買い取られなかった麦が食卓に並ぶ。

 子供達は自分の作った麦を食べる事に喜んでいたが、人は麦だけで生きるに非ず。

 僅かな蓄えは少しずつ、だが着実に目減りしていった。

 

 そんな事が数年続き、買い取られる麦の量は減り続け、貯えも底をついて久しい。

 食卓には麦粥だけがあがる日々が続き、夫だけでなく子供達からも笑顔が減る。

 事情の解り始めた上の娘はともかく、まだ幼い下の娘などは不満一杯で。

 それでも、彼女には『ごめんなさい』と、謝る事しか出来なかった。

 

 ある年の初冬、全く売れなくなった麦を前に立ち尽くす両親に、悲しそうな顔で、それでも何かを決めた顔で上の娘が告げる。

 

 自分を身売りしてくれと。

 

 両親は驚き反対する。

 誰が愛する自分の家族を売るような事を喜ぶのかと。

 

 だが昔よりやせ細った娘の言う事が事実なのもまた、彼女達は理解していた。

 

 このままでは家族四人、この冬を越す事が出来ないかもしれないと。

 

 彼女達は苦渋の決断を下す。

 件の行商人の伝手で、身売り先が決まった。

 

 最後の夜、いつもよりほんの少し豪華な食事に下の娘は喜び。

 両親と上の娘は、笑顔の下で涙を拭った。

 

 身売りされた若い娘の行き先などたかが知れているが、せめて幸せに暮らして欲しいと。

 届かぬと知りながら祈り、娘を乗せた馬車が遠ざかるのを、その姿が見えなくなっても、立ち尽くし見送った。

 

 彼女の食卓から、笑顔が一つ、永遠に消えた。

 

 

 

 §

 

 

 

『商売の基本は、『より良い物を、より安く』だからね』


 男は周りに侍る妻達に語る。

 

「良い物が安く手に入れば皆の生活水準も上がる。ウチの商会は、皆を豊かにする為に商売をしているんだ」


『立派ですわ』


『流石は御主人様です』


 彼の周りに侍る女達は、口々に男を褒め称える。

 

 男は、澄ました顔で高級な紅茶を口に含んだ。

 

 

 

 §

 

 

 

 とある男の子の話をしよう。

 

 彼の家族は、優しい母と少し年の離れた活発な姉。

 三人の眠る寝室と台所、たったそれだけの小さな家。

 幼くして父を無くしてはいたが、母と姉に愛されて育った彼は、幸せだった。

 

 母親の焼くパンの匂いで目を覚まし、姉と共に母親の元へ。

 質素な朝食を済ますと、母親と姉に手を引かれて町の大通りへと向かう。

 

 大通りの一角で茣蓙を広げ、朝早くから町の外に向かう冒険者に声をかける。


 母親が朝から焼いていた固いパン。

 それは、冒険者達の食料であり、それを売って母親は生計を立てて居た。

 男の子の目に映る冒険者たちは皆体も大きく強そうで、大きくなったら自分も冒険者になって母と姉を守るのだと、些かの憧れと共に、幼心に決めていた。

 

 パンが売れたら店を畳む。

 来た時と同じように母と姉に手を引かれながら、今度は市場へと向かう。

 明日のパンの材料と、少しの食材を母親が購入するのを、姉と共に待つ。

 

 極稀に母親が買ってくれる甘いお菓子を、姉と分け合って食べるのが、男の子にとって最高の贅沢だった。

 

 ある日の事、昨日までよりパンの売れ行きが悪いと母親が首を傾げる。

 ただ、そんな日もあるだろうとその日は店を畳む。

 夕食に売れ残った固いパンを食べながら、男の子は同じ日常が繰り返される事に何の疑いも持たなかった。

 

 次の日もパンは売れ残った。昨日よりも沢山。

 次の日も、次の日も、パンは売れ残り続ける。

 母親が、同じようにパンを売っている人達と話しているのを漏れ聞くと、どうやらパンだけでなく、冒険者向けに他の『けいたいしょく』を売っている者達も同じような状況であるらしかった。

 男の子には難しくて良く解らなかったが、母親と姉が困ったような顔をしているのが悲しかった。

 

 それから少ししたある朝の事。

 

 その日はパンを焼く匂いがしていなかった。

 男の子が母親にそれを訊ねると、母親は悲しそうな顔で、ただ黙って男の子を抱きしめた。

 

 夕方になると、母親はどこかへ出掛けて行った。

 

 悲しそうな姉に抱きしめられながら床に就く。

 何故だか、自分まで悲しくなった。

 

 朝になり、今までに見た事も無い疲れ果てた顔で母親が帰宅する。

 

 姉と少しだけ言葉を交わした母が、そのまま床に就く。

 姉に手を引かれて家を出る直前、母親の嗚咽を聞いた気がした。

 

 次の日も次の日も、パンの焼ける匂いが男の子の家に満ちる事は無かった。

 その代わり、母親が夕方に出掛け、朝になると帰って来て眠り、その間姉に連れられて外に出掛けるのが男の子の新しい日常となった。

 母親が何処に行っているのか訊ねたら、新しい仕事が見つかったのだと姉は言っていたが、その顔が悲しげに見えて、それ以上は聞く事が出来なかった。

 

 ある日の事、姉に連れられて出掛けた町の一角で、以前母親のパンを買った冒険者を見かける。

 思わず駆け寄り冒険者に訊ねる。

 

 母親のパンを買わなくなったのは何故なのかと。

 

 男の子の問いに、冒険者の男は応える。

 母親のパンより安くて美味い、かっぷらーめんなる物が出回っているのだと。

 それを食べたら、固いパンなぞとても食べられた物では無い。と。

 冒険者の男は悪気無く語る。

 

 機会が有ったらお前も食べてみろ、目ん玉飛び出るくらい美味いぞ。と。

 

 それを聞いてから振り返り見た姉の顔は、怒りと悲しみに満ちていた。

 

 それから暫く経った頃、母親は床に伏せることが多くなる。

 美しかった顔や、優しく男の子の頭を撫でてくれた手には赤い斑点が浮かび、うつすと良くないからと、狭い家の中でも別の布団で寝るようになった。


 それからほどなく、母親が姿を消す。

 母親が姿を消す前の晩、男の子は夢現に、母親が泣きながら謝っているのを聞いた気がした。

 それが、男の子が聞いた母親の最後の声。

 

 そして、今度は姉が母親と同じように、夜になると出掛けて行くようになった。

 朝になると、僅かな金銭と食料を抱えて家に戻り、そのまま疲れ果てたように眠る。

 母親の時と同じように、眠る姉を置いて家を出る男の子が耳にしたのは、声を押し殺して泣く、姉の嗚咽であった。

 

 ある夜、姉が小さく上げた驚きの声に振り返る。

 目を見開いた姉の視線の先には、母親と同じ、赤い斑点が有った。

 

 その日からも姉は夜になると出掛けてはいったが、手ぶらで帰ってくることが多くなった。

 姉の顔からは生気が失われ、ただ出掛けて返って来るだけの日々。

 元より貯えなどとうに底を尽いている。水だけを飲んで過ごす日もあった。

 

 男の子は、汚れたままの服を着て、姉が寝ている昼間に外に出かける。

 路地裏でごみを漁り、食べられそうなものを探す。

 時々それを見かけた奇特な大人が、可哀想な物を見る目で食べ物を恵んでくれる。

 男の子はそれに気付かず、ただ姉と一緒に食べられるという喜びからお礼を言う。

 

 それが、男の子の日常になっていた。

 

 なってしまっていた。

 

 ある日町を歩いている時、空腹でよろけてしまい、人とぶつかってしまう。

 運の悪い事に、それは身なりの良い男で、周りには女を侍らせていた。

 無礼者! といきり立つ周囲を手を上げて制すると、男は男の子の前にしゃがんで目を合わせる。

 

『可哀想に、お腹が空いていたんだね』


 そう言った男は、何かを思い付いた様に懐に手を入れると、白い器を取り出した。

 

 それは『かっぷらーめん』と言う食べ物で、お湯を注いで少し待てばとても美味しい食べ物が出来上がるのだと男は言う。

 男の子は、どこかで聞いた気がするそれを抱えて家に走って帰る。

 

 その後ろでは、男が女達に持て囃されていたが、それは男の子の知る所では無い。

 

 家に帰ると、男の子は覚束ない手つきで火をおこし、雨水を貯めておいた水でお湯を沸かす。

 蓋を剥がしてお湯を入れると、嗅いだ事の無い良い匂いがして、男の子のお腹は大きな音を立てた。

 

 その匂いに姉が目を覚ます。

 男の子が差し出すそれを見た姉は、一瞬だけ顔を強張らせるが、すぐに優しい姉の顔に戻った。

 男の子の勧めで一口だけかっぷらーめんを口にした姉は、食欲が無いから。と、残りを全て男の子に与える。

 今まで食べた事の無い美味しさに笑顔になる男の子を見詰める姉の顔には、優しい姉としての表情が浮かんでいたが、一筋、涙が零れていた。

 

 その日の深夜、男の子は物音に目を覚ます。

 

 体を起こすのも辛そうだった姉が、かつて母親がパンを焼いていた台所で、かっぷらーめんの器を握り潰しながら、

 

 『ちくしょう、ちくしょう』

 

 と、繰り返し嗚咽を漏らしているのを見てしまった男の子は、なんだかとても悲しくなり、穴の開いた布団を頭から被って朝になるのを待っていた。


 暫くして寝室に戻ってきた姉は、男の子の髪を撫でようとして、赤い斑点の浮かぶ自分の腕を見て手を止める。

 泣きながら『ごめんね』と繰り返す姉の言葉を聞きながら、男の子は眠りについた。

 

 次の日、かき集めた僅かな金銭を残し、母親と同じように姉は消えた。

 

 

 

『そういや、この辺でパンを売ってた親子を最近見かけないな』


『そういやそうだな。まぁ、パンが売れなくなったから別の商売でもしてるんじゃないか?』


『それもそうか』


 そんな声が外から聞こえてくる。

 

 男の子が、早く大きくなって守りたいと願っていたものは、何一つ残っていない。

 

 ある家族の残骸。

 

 文字通りその残骸である男の子は、最早目を開く事も無く、かつて母親と姉と三人で包まっていた布団に、一人で包まっていた。

 

 かつて一つの家族が寄り添い笑い合って過ごしていた小さな家の床の片隅に、あの日、男の子が姉と最後に食べたかっぷらーめんの器が、ひしゃげて埃を被りながら、あの日と変わらぬ姿で、隙間風に吹かれていた。

 

 

 

 §

 

 

 

『美味い物を食べて不機嫌になる人は居ないよね』


 男は周りに侍る妻達に語る。

 

『例え喧嘩をしてたって、一緒に美味い物を食べればすぐに仲直り出来る。美味い物ってのは、きっと世界共通の言語なんだよ』


『立派ですわ』


『流石は御主人様です』


 彼の周りに侍る女達は、口々に男を褒め称える。

 

 男は、着飾った女達と豪勢な料理に囲まれ、得意気な顔で語っていた。

 

 

 

 §

 

 

 

 とある女の子の話をしよう。

 

 女の子の父親は化粧品の職人で、貴族向けの高級な化粧品を作っていた。

 祖父から受け継いだとう技術を磨き、父親の作る化粧品は貴族たちの間でも評判であった。

 

 女の子も行く行くは父親の跡を継ぎたいと考えており、暇を見ては父親の仕事場に入り込んでいた。

 女の子に気付いた父親は顔を綻ばせて手招きすると、出来上がった白粉を女の子の顔に叩く。

 まるで貴族のお嬢様になったかのように振る舞う女の子を見て、母親は笑みを零す。

 

 何気ない日常の中にある、そんな幸せな風景。

 

 それは、何の前触れも無く崩れ去った。

 

 ある日お得意様の貴族に呼び出された父親が真っ青な顔をして帰って来た。

 

 なんでも、とある商会で売られている化粧品が素晴らしい品であったと。

 それは、肌を隠すような父親の作る白粉とは違い、肌や髪そのものを美しくする化粧品で、それを知った貴族の女性は既存の化粧品には見向きもしなくなったのだという。

 加えて、父親の作る白粉が実は毒であり、今後一切の取引を停止すると。

 貴族に毒を盛っておいて、死罪にならないだけ有難く思えとの有難いお言葉を添えて。

 

 父親と母親は頭を抱えた。

 

 父親も含めて、白粉を作ってい居た者達はそれが毒だなどと知る由も無い。

 代々その製法を受け継いで来た者も居る。

 昨日まで賞賛すらしていた物を、今日になって毒だと言われたところでどうすればよいのか。

 

 いや、それをどうにかしたところで既に貴族からは取引は停止されており、再び商売が出来るとは限らない。

 

 父親の決心は早かった。

 

 家にあった売れる物は全て売り払われ金銭に変えられた。

 父親の仕事道具も全てだ。

 

 そうして得た金銭全てを母親に預け、娘と共に実家に帰れと父親は告げる。

 当然母親はその申し出を渋るが、既に貴族に毒を盛ったと目をつけられ、それを聞いた街の住人からも後ろ指を指されている。

 今後はより生活し難くなる一方であろうし、なによりいつ気の変わった貴族に罰を与えられるかわかったものでは無い。

 その時、父親だけで済めば良いが、場合によっては家族にも類が及ぶ。

 

 父親にそう説得されて、母親は泣く泣く首を縦に振る。

 

 家を出る日、女の子と母親を抱きしめ

 

 『ごめんな、ごめんな』

 

 と繰り返しながら泣いていた父親が、女の子の記憶にある最後の父親の姿。

 

 母親と共に母方の実家を頼り、なんとか食堂給仕に働き口を見付ける。

 その店は、最近出来た料理店だったが、見た事も無い食材を使い、食べた事も無い美味なる料理を出すと評判の人気店であり、猫の手も借りたいほどの忙しさなのだという。

 父親の稼ぎの無くなった今、女の子が子供でいられる時間は終わっていた。

 

 だが、彼女はまだましな方だったのかもしれない。

 

 父親が言っていた通り、貴族によっては毒を盛られていたと逆上し、家族もろとも処刑されていた例も有ったのだから。

 

 それから暫くして、仕事先の噂話にとある化粧品の職人が首を吊ったというを聞いた。

 

 職を無くし、家族を無くし、人々から後ろ指を指されて絶望したその職人が、女の子の父親であったのか否か、確かめる術は、最早無い。

 

 

 

 §

 

 

 

『独裁君主制の良い所は、改革がトップダウンでドラスティックに進められる点に尽きるね』


 男は周りに侍る妻達に語る。

 

『これが民主共和制なら、やれエビデンスだコンセンサスだと時間だけが無駄にかかってしまう。命の現場に、そんなマージンを取る余裕は無いってのにさ』


『立派ですわ』


『流石は御主人様です』


 彼の周りに侍る女達は、口々に男を褒め称える。

 

 男は、王城から帰る豪華な馬車の中でしたり顔で語っていた。

 

 

 

 §

 

 

 

 男の商会は日々勢いを増し、その勢いは空を飛ぶ竜でさえ落とせると揶揄された。

 一介の商人でありながら国王自ら爵位を与えられ、その影響力は国を動かす程になる。

 商会で働く者も将来になんら不安を抱く事無く、この商会で働けることを神に感謝すらしていた。

 

 しかし、神ならぬ人は不死ではいられない。

 

 やがて男も歳をとり、ある日突然、商会の倉庫で意識を失う。

 

 国中の名医と呼ばれる者達が集められ、男のもたらした薬を以て治療を試みるが、快方に向かう様子は無く。

 多くの妻と家族が見守る中、最後に意識を取り戻した男は、妻達を見渡し、微笑みながら一言、

 

『ありがとう』


 そう言って、満足そうに微笑みながら息絶えた。

 

 彼の訃報は国中を駆け巡り、彼を知る誰もがその死を悼む。

 国を挙げての盛大な葬式が執り行われ、神殿を埋め尽くした人々は、偉大なる商人に最期の別れの言葉を送った。

 

 

 

 物語であれば、此処で幕が下りる。

 

 ある日ふらりと現れ、一代で貴族にまでなり上がった偉大な商人。

 出会う者を皆笑顔に、幸せにした心優しき商人。

 既存の悪習を打ち壊し、安全と安心を広めた心清き商人。

 

 母親が子供の寝物語に語るような話であれば、『めでたし、めでたし』そう結んで終わる話だっただろう。

 

 

 

 それがもたらされたのは、まだ男の喪も明けきらぬ中、悲しみに暮れる妻達に、商会の番頭が心苦しそうに語る。

 

『商品の在庫が減り続けている』


 物が売れれば在庫が減るのは当たり前。

 故に仕入れが重要であるし、その仕入れが群を抜いていたからこそ商会はここまで成長できたのだが。

 

『仕入れ先は旦那様しか知らなかったのです』


 その言葉に妻達も思い出す。

 商品の仕入れは男が全て行っていた。

 どこから、いくらで仕入れているのか、そしていくらで売るのか。

 それらは全て男が行っていた。

 

 男の付けていた帳簿を確認しても、いくらで仕入れたかは書いてあってもその支払先は記載されていない。

 

 男に近しい者、親しかった者、信頼されていた者、誰に聞いても首を傾げるばかりで要領を得ない。

 そもそも、妻達以上に近しい者も、親しい者も、信頼されていた者も存在するはずは無く、その妻達ですら知らなかった事に、商会の幹部は頭を抱える。

 

 取り急ぎは流通を減らして在庫の減少を抑え、その間に仕入れ先を探すという事になったが、いくら探しても男が商品を仕入れていた先は見つからない。

 いくら流通を制限したとて、入って来る商品が無ければ在庫は減り続ける。

 

 いくら調べても見つからない仕入れ先に業を煮やした商会の幹部は、取り急ぎ多少品質は悪くとも商品を仕入れねばと、今まで関わりの無かった各地の商家、行商人、果ては生産者のところにまで人を出す。

 なにしろ仕入れで金を使っていないのだから、売れた分だけ金は残る。

 多少高くついても構わぬと、大量の金貨の入った袋を持たせた使いの者達は、その金を減らすことなく項垂れて帰って来る事になる。

 

 商家や行商人を訊ねれば、

『お前達のせいで売る物が無くなり店を畳んだ。無い物を売れるはずも無い』

 と、門前払いされ。

 

 ならばと生産者を訪ねてみれば一様に呆れか憎しみのこもった目で金貨を叩き返された。

 

 曰く

 

『生きていく為に作るのを止めた。今更作り直したところで物が出来るのは来年より先の話。それまで待てるのか? その間の自分の生活を保証してくれるのか』

 

『あの時この金があれば、上の子は身を売らずに済んだ。妻も下の子も流行り病で無くさずに済んだかもしれない。畑だって手放して久しい。今更金を持って来たところで何にもならない』


『お前達が毒扱いした物を、今更金を出して買いたいとはどういう事か。人の家族を弄ぶのがそんなに楽しいか』


 恨み言でも聞けた方はまだましと言うべきであろう。

 自分達が周りからどのように思われていたのか自覚出来たであろうから。

 かつての話を頼りに訊ねてみれば、そこには空き家すら残っていない更地であったというのも珍しくは無い。

 

 此処に至り、男の妻達や商会の幹部は理解する。

 自分達が、自分達に属さない者達を駆逐して今が有るという事を。

 

 


 その後の事については、特に目新しい事も無い。

 当たり前の結果となっただけの事。

 

 

 

 商品を求める人、特に貴族達には在庫の多少などは関係ない。

 望んだ物が出て来ない事に不満を募らせた貴族に叱責され残り僅かな在庫を吐き出す日々。

 

 日々目減りする在庫に怯えながら、一旦売りに出した物を高額で買い戻し、さらに高額で販売する。

 機を見るに敏な者達などは、一旦購入した商品を死蔵しておき、高値になってから転売しようと考える者もちらほら。

 

 在庫の届かなくなった各地の支店は早々に店を畳むが、そこで雇われていた者達はある日突然職を失い路頭に迷う。

 また、男の商会の品に頼りきりだった飲食店を始めとする店が連鎖的に潰れる事となり、人々は何を買うにも困る状態となった。

 

 男の商会に属さず、細々と商売を続けている商人は何人かおり、人々はそこに群がったが、今まで付き合いのあった者達を優先されてしまえば、僅かに残ったものを高値で買うしかない。

 

 作物を育てている者達もそうだ。

 今まで苦しいながら買取を続けてくれた商人に義理立てして、どれだけ金を積まれようとも首を縦に振る物は極僅かであった。


 そして、高値で売れると知れば奪ってでも手に入れようとするものが現れるのは世の常。

 各地では盗賊や強盗が跋扈するようになる。

 

 混乱はそれだけに止まらない。

 

 男の商会の商品を輸出する事で周囲の国への優勢を保っていた王国は、それを独占しようとしていると周囲の国から非難を受ける。

 優位性を失った事を知られたくない王国は知らぬ存ぜぬで押し通すが、業を煮やしたとある国は、王国へと宣戦を布告する。

 

 男にもたらされた兵器を有する王国はその力で、一度(ひとたび)戦に勝利する。

 だが、男のもたらした兵器は消耗品である。一度使えば無くなる物であり、戦い続けるには補充が必要である。

 補充の当てがない以上、それが尽きた時、剣や槍での戦い方を忘れた王国の軍に、成す術は無かった。

 

 

 

 在庫の減少と共に男の商会からは人が消え、いつしか男の屋敷からも灯が消えた。

 

 男の妻や家族たちの行方を知る物は居ない。

 

 或いは実家を頼り身を隠したのだと言う者も居るが、そもその実家が絶えていると言う者も居る。

 戦争犯罪人として処刑されたと嘯く者も居れば、過激に過ぎて昨今流行りの物語の読み過ぎだと嘲笑う者も居る。

 

 後の歴史において、男の記録は驚くほどに少ない。

 ただ、後に国と経済に混乱を巻き起こした男がいたと、歴史書の片隅に記載されているだけである。




 男には知識が足りなかった。

 故に、寡占による利益がもたらす次の不利益に気付く事が出来なかった。

 

 男には知性が足らなかった。

 故に、自分の豊かさが引き起こす貧しさに気付く事が出来なかった。

 

 男には品性が足らなかった。

 故に、他者を押しのける事の傲慢さに気付く事が出来なかった。

 

 男には想像力が足らなかった。

 故に、自分が居なくなった後の事に気付く事が出来なかった。

 

 男にどれか一つでも足りていれば、或いはこうはならなかったのかもしれない。

『皆を幸せにする』と豪語していた男の行いは、結局のところ、男以外を幸せにする事は無かった。



 

 一部の神秘主義者の中には、男は文明の進んだ未来や別の世界からやって来たのだと主張する一派もあるが、所詮想像の産物の話である。

なんかUI色々変わってて困った。

あと、す〇家の麻婆茄子牛丼が復刻&レギュラー化しないかなと願う日々。

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 ふと、アニメにもなったネットスーパーを使う主人公の従魔たちは主人公の作る贅沢な食事に舌が慣れて普通の食事を受け付けずに餓え死にするのかな、と思考が飛んだ。 死んでからの騒動…
シーソーの反対側ですね。 向こうが上がればこちらが下がり、向こうが下がればこちらが上がる。 両側が同時に上がることは無い。 だが今更上がっても、もう失われたものは返ってこない。 本人一代限りのチート…
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