記憶にない彼は、確かにそこにいた
卒業式の日。
クラス全員で撮った記念写真を、久しぶりに見返していた。
懐かしい顔が並ぶ。 笑っている人、泣いている人、ピースしている人。
その中に、ひとりだけ──見覚えのない顔があった。
*
写真の中央、私のすぐ隣。
黒髪で、無表情の男子。 制服はちゃんと着ている。
でも、誰だろう。
名前が思い出せない。 顔にも、まったく記憶がない。
私は、スマホで写真を拡大した。
──確かに、そこに“いる”。
*
翌日、グループLINEで聞いてみた。
「この人、誰だっけ? 私の隣に写ってる人」
数分後、返信が来た。
「え、そんな人いた?」 「誰? 初めて見た」 「加工じゃないの?」
みんな、口を揃えて「知らない」と言った。
でも、私は確かに──話した記憶がある。
*
その男子と、卒業式の前日に話した。
教室の隅で、窓の外を見ながら。
「卒業って、実感ないよね」 「うん、でも終わるんだよ。全部」
その声が、今でも耳に残っている。
でも、名前が思い出せない。
出席番号も、机の位置も、何も。
まるで、記憶の中に“その場面だけ”が切り取られているようだった。
*
私は、卒業アルバムを開いた。
クラスページをめくる。
──いない。
その男子の写真は、どこにも載っていなかった。
名簿にも、名前はない。
*
不安になって、担任の先生に連絡した。
「卒業式の日、私の隣にいた男子のことなんですけど……」
先生は、少し黙ってから言った。
「君の隣は、空いてたはずだよ」
「え?」
「人数が奇数だったから、君だけ一人だった。 誰も隣にいなかったと思うけど」
私は、スマホの写真を見せた。
「この人です。写ってますよね?」
先生は、目を細めて写真を見た。
そして、顔色が変わった。
「……この子、見たことある」
「え?」
「でも、君の代じゃない。 たしか、数年前に転校してきて……すぐに、いなくなった子だ」
「いなくなった?」
「転校してきた翌週に、退学したって聞いた。 家庭の事情だったらしいけど……」
「名前は?」
「……思い出せない。記録にも残ってないはず」
*
私は、学校の図書室に向かった。
過去の卒業アルバムを調べる。
3年前、2年前──どこにも、その男子は載っていなかった。
でも、1冊だけ、ページの隅に小さく写っている写真があった。
集合写真の端。
制服姿で、無表情の男子。
──同じ顔だった。
*
その夜。
私は、卒業写真をもう一度見た。
そして、気づいた。
その男子の足元だけ、影がなかった。
他の生徒には、ちゃんと影があるのに。
彼だけ、地面に“存在していない”。
*
翌日。
学校の旧記録を調べていた事務員さんから連絡が来た。
「君が探してた子、記録には残ってなかったけど…… 1枚だけ、古い出席簿に名前が書かれてた」
「でも、消されてた。 修正テープで、ぐちゃぐちゃに」
「名前は、“神谷悠真”」
私は、その名前を聞いた瞬間、 胸がざわついた。
──確かに、そう呼んだ記憶がある。
*
その夜。
卒業写真を見ていたら、スマホが震えた。
通知が1件。
LINEの新規メッセージ。
送り主は「神谷悠真」。
本文は、ひとことだけ。
「卒業、おめでとう」
「卒業、おめでとう」
そのLINEを見た瞬間、私は息を呑んだ。
送り主は──神谷悠真。
でも、彼は“存在しないはずの転校生”だった。
*
私は、神谷悠真の名前を検索した。
SNS、卒業名簿、過去の出席簿。
どこにも、彼の痕跡はなかった。
でも、私の記憶には、確かに彼がいた。
卒業式の前日。 教室の隅で、窓の外を見ながら話した。
「卒業って、実感ないよね」 「うん、でも終わるんだよ。全部」
その声が、今でも耳に残っている。
*
私は、彼のLINEに返信した。
「神谷くん……今どこにいるの?」
既読はつかない。
でも、次の日の夜。
またLINEが届いた。
「まだ、ここにいるよ」
*
“ここ”とは、どこなのか。
私は、卒業写真をもう一度見た。
彼の足元には、影がなかった。
他の生徒には、ちゃんと影があるのに。
彼だけ、地面に“存在していない”。
*
私は、学校に向かった。
旧校舎の資料室。 誰も使わなくなった部屋の奥に、古い出席簿が保管されている。
埃をかぶったファイルをめくる。
──あった。
「神谷悠真」
でも、その名前は修正テープで消されていた。
上から何度も塗りつぶされ、読めないようにされていた。
*
その時、資料室の奥から物音がした。
誰もいないはずの空間。
私は、そっと声をかけた。
「……神谷くん?」
返事はなかった。
でも、壁に貼られた古いクラス写真が目に入った。
そこには、神谷悠真が写っていた。
──ただし、顔がぼやけていた。
他の生徒は鮮明なのに、彼だけが“曖昧”だった。
*
私は、担任の先生に再び話を聞いた。
「神谷悠真って、本当にいたんですよね?」
先生は、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと話し始めた。
「……彼は、転校してきた翌週に、事故に遭ったんだ」
「え?」
「登校中に、交通事故で亡くなった。 でも、正式な入学手続きが完了していなかったから、 記録上は“存在しない”ことになった」
「そんな……」
「写真も、名簿も、すべてから彼の名前は消された。 でも、君が覚えてるなら──それは、彼が“いた証”なんだと思う」
*
その夜。
私は、神谷悠真にもう一度LINEを送った。
「あなたのこと、忘れないよ」
すると、すぐに返信が来た。
「ありがとう。 君が覚えていてくれるなら、 それだけで、ここにいられる気がする」
*
次の日。
卒業写真を見たら、彼の影が──うっすらと、地面に映っていた。
まるで、“存在”が戻ってきたかのように。
*
それ以来、神谷悠真からのLINEは届かなくなった。
でも、私は時々、彼の名前を思い出す。
誰にも知られずに消された存在。
でも、確かに“いた”人。
──記憶の中にだけ、残るクラスメイト。
「卒業、おめでとう」
神谷悠真からのLINEは、それを最後に届かなくなった。
でも、私は彼のことを忘れられなかった。
──記憶に残るのに、記録には残らない人。
*
春休み。
私は、偶然中学時代の友人・美月と再会した。
近くのカフェで話していると、ふと卒業の話になった。
「そういえばさ、卒業式の写真って見た?」
「うん。……ちょっと、変なことがあって」
「変なこと?」
私は、スマホを取り出して、神谷悠真が写っている写真を見せた。
「この人、誰か知ってる?」
美月は、写真を見て、目を見開いた。
「……この人、見たことある」
「え?」
「うちの中学に、1週間だけいた転校生。 名前は……たしか、“神谷”って言ってた」
私は、息を呑んだ。
「それって、神谷悠真?」
「そう。無口で、あんまり話さなかったけど…… 私、一度だけ話したことがある」
「どんな話?」
「“卒業って、実感ないよね”って言われた」
──同じ言葉だった。
私が、卒業式の前日に彼と交わした言葉。
*
美月の話によると、神谷悠真は中学にも“記録が残っていない”らしい。
出席簿にも、名簿にも、写真にも。
でも、彼を“覚えている人”は、少数ながら存在していた。
「なんかさ、彼って……“記憶にだけ残る人”なのかもね」
美月の言葉が、妙に胸に残った。
*
その夜。
私は、卒業写真を見返した。
神谷悠真の影は、前より濃くなっていた。
まるで、誰かが“彼の存在”を思い出すたびに、 この世界に少しずつ戻ってきているようだった。
*
数日後。
美月から、1通のメッセージが届いた。
「ねえ、ちょっと怖いこと言っていい?」
「昨日の夜、スマホにLINEが届いたの。 送り主は“神谷悠真”」
「内容は、“君も覚えてくれてたんだね”」
私は、震えながら返信した。
「私にも、同じようなLINEが来たことがある」
「……じゃあ、やっぱり“いる”んだね」
*
私たちは、神谷悠真の痕跡を探すことにした。
中学、高校、地域の記録。
でも、どこにも彼の名前はなかった。
ただ、1枚だけ──古い新聞記事に、彼の名前が載っていた。
「高校生、登校中に事故死。 名前は神谷悠真(17)」
日付は、3年前。
場所は、私たちの通っていた高校の近く。
*
その記事を見た瞬間、 私たちは言葉を失った。
彼は、確かに“いた”。
でも、記録からは消されていた。
*
その夜。
美月と通話しながら、卒業写真を見ていた。
すると、写真の中の神谷悠真が──微かに笑っていた。
「……前は無表情だったよね?」
「うん。……でも、今は、少しだけ笑ってる」
まるで、誰かに“思い出してもらえた”ことが、 彼を少しだけ、救っているようだった。
*
それ以来、神谷悠真からのLINEは届かなくなった。
でも、私たちは時々、彼の名前を口にする。
誰にも知られずに消された存在。
でも、確かに“いた”人。
──記憶の中にだけ、残るクラスメイト。
そして今も、誰かの記憶の中で、静かに生きている。