第6話 錬金街サリエルの夜明け
空が、煤けた青から金に染まり始める。
匠真たちが辿り着いたのは、錬金術師たちが集う街──サリエル。
風車都市フルールから西へ二日の馬車旅。湿った森と石灰岩の渓谷を越えた先に、煉瓦と煙突が立ち並ぶ街があった。屋根から立ち上る白煙はすべて、実験炉や精製釜の証。通りには道具商、薬草屋、金属加工屋、そして各種素材を積んだカートが絶えず行き交っていた。
「なんか……匂いが混ざりすぎてて、むしろ嗅ぎ慣れると落ち着くって感じだね」
結那が鼻をひくつかせる。
「煙と硫黄と薬草と……あと、なんだこれ、乾いた牛骨?」
「うん、たぶん石灰煮たやつ。魔導触媒になるって……本で読んだ」
匠真がノートを広げながら言うと、結那は半分呆れたように笑った。
「ほんと、なんでもメモるよね。学ぶことに対して臆病なくらい真っすぐ」
「……臆病、か。そうかもしれない」
匠真の言葉に、結那はなぜか黙り込んだ。
だがそれ以上何も言わず、彼女はただ街を見上げた。
***
その日のうちに、匠真たちはサリエル中心部の《研精会》に通された。ここは錬金術士の自治組織であり、街全体の精製炉の管理と共同研究を行っている。
その一角にある修復室に、久美がいた。
白衣の裾を無造作に巻き上げ、焼けた金属板の前で防護眼鏡をかけていた。頬に煤をつけ、目を血走らせながら溶接棒を操作している。
「……やっぱり徹夜だ」
匠真が呟いた。
前夜、久美は蒸留器のコアに続いて、今度は全体構造の“力伝導管”の破損を発見していた。
「原因は素材疲労。けど、再現試験が一回きりで済むほど甘くない。やり直す」
そう言い残してから十時間。水も飲まずに作業を続けていた。
「久美、少し休んだ方が──」
「休まない。いま止めたら、繋がらなくなる」
きっぱりと言う。
「誰にも指摘されたくないし、止められたくないし、でも完成させたい。だから話しかけないで。……けど、そばにいていい」
匠真は目を見開いた。そして、そっとノートを開いた。
──他人の干渉を拒みながら、“誰かがいること”を望む矛盾。その真ん中に、久美は立っている。
彼はただ静かに、久美の動きを観察し、書き留めた。溶接角度、再接着の順番、素材の比重。すべて“今後の学び”として。
「見てるだけで疲れそうだな」
そう言って、結那が後ろから顔を出した。
「でも、匠真は“それ”も全部受け止めるんだね。なんか、優しいとかじゃなくて──誠実?」
「違うよ。僕は……忘れたくないだけ」
「うん、それも、優しさだと思うよ」
***
そして深夜。
「終わった!」
久美が叫んだ。
作業机の上には、魔力伝導管が再構築された蒸留器の一部が置かれていた。美しく、緻密に組まれた配線は、まるで“精密な意思”が宿っているようだった。
久美は額を押さえ、ふらりと後ろに倒れかけ──その肩を、匠真が支えた。
「ご苦労さま。君の技術がなかったら、ここまで来られなかった」
「……努力って、報われるんだね」
その小さな呟きに、匠真は頷いた。
「報われるように、“見る人”がいる。それが、学ぶってことだと僕は思ってる」
夜明けが近づく頃、サリエルの空は鉛色に濁っていた。
工房の窓をわずかに開けると、冷えた風とともに街の鐘が遠くで鳴っている。錬金師たちの朝は早く、通りではすでに作業台に火が入り始めていた。
匠真は書きかけのノートを閉じ、湯を沸かす鍋に手を伸ばす。
その背後で、久美がぼそりと呟いた。
「……ありがとう」
「え?」
「水と薬。あと、肩貸してくれたこと」
「いや……当然のことをしただけだよ」
「当然なんて、誰にとっても同じとは限らないでしょ」
久美の声はいつになく素直だった。
窓辺に寄りかかり、灰色の朝焼けを見ながら、彼女はぽつぽつと語り始めた。
「昔、誰かに言われたんだ。“女の子にしては器用だね”って。“しては”って、つくの。あれが悔しくてさ、必死に作って、直して、試して……でも、失敗するとやっぱり“指摘”される」
「そうだったんだ」
「だから、反発した。無意識だった。でもさ……あんたの見方って、ちょっと違う」
「違う?」
「指摘じゃなくて、記録するんだよ。“ここが悪い”っていうんじゃなくて、“ここまでやった”って。それがさ、意地張らなくて済む理由になった。……なんか、ずるいよね」
匠真は、わずかに笑った。
「ずるくても、それが君を助けるなら、使っていいと思う。僕はただ、学びたい。君のやり方も、思いも」
「……いいよ。特別に、教えてあげる。正しいやり方、ってやつを」
そう言って、久美は目を細めた。
***
朝。
再構築された蒸留器の試運転が行われた。
魔力を導入すると、器内部の文様が緩やかに点灯し始め、各部の接続管が蒸気を送るたびに小さく振動する。
「成功だ……!」
研精会の監督官が目を丸くした。
「まさか、これほど精度を保ったまま旧式の蒸留器を再起動させるとは……」
久美は照れたように帽子を深く被り、後ろに回る。
その一方で、匠真は手元のノートに理論を整理し始めていた。
──異世界錬金術と現代科学の“相似性”。
魔導素と電子軌道、感応式回路と流体制御。
彼の筆は止まらなかった。
「なるほど……“蒸留”とは、物質よりも論理を濾す技術。つまりこの世界の魔術体系は、概念的には情報工学に近い……!」
ゆりかがのぞき込んで、眉を上げた。
「また始まった。ねえ、これ面白いの? 理論とかって」
「うん。楽しいよ。知らなかったことが、“わかる”瞬間って、どんな祭よりも鮮やかなんだ」
匠真はそう言って、満面の笑みを浮かべた。
***
その日の夕方、仲間たちは工房の前で集まっていた。
「そろそろ移動しよう。“次”が待ってる気がする」
結那の言葉に、ゆりかが頷いた。
「うん。そろそろ風向きが変わる。あたしも一緒に行くよ。溶け込む先を探しながら、ね」
久美も工具をバッグに詰めながら言った。
「転移門の修復に必要な素材……北壁図書館にありそうなんでしょ? だったら、あたしも行く。“比較されない正しさ”を、ちゃんと作りたいから」
佑弥も腕を組んだまま付け加える。
「ついてくだけだ。行き先に価値があるか、確かめるためにな」
それぞれの動機は違えど、目的地は同じ。
匠真は全員の姿をノートに書き留め、最後にひとこと書き添えた。
──次の街も、彼らと共に在りたい。
サリエルの朝焼けが、金色に変わる頃。
一行は再び旅路へと歩き出した。
(第6話【錬金街サリエルの夜明け】End)