第5話 蒸留器を狙う盗賊剣士・佑弥
その夜、葡萄祭は華やかに幕を開けた。
露店に明かりが灯り、酒樽が弾け、仮装行列が通りを練り歩く。音楽と踊りと、甘い果実酒の香りが街全体を包み込んでいた。
だが、匠真は浮かない顔で蒸留器の前に立っていた。
彼の目の前には、抜き取られた“装置のコア”がぽつんと置かれていた。
結那とゆりか、そして佑弥がその周囲を取り囲んでいる。
「──結局、抜かれてたのか」
匠真が呟く。
佑弥は剣を腰に戻し、頭をかいた。
「悪かった。……正直に言う。これは俺が抜いた」
「でも……共闘を申し出てくれたはずじゃ──」
「ああ、そうした。あの瞬間は。だがな、俺には……守るものがあった。どうしても“手柄”が要ったんだ」
佑弥は静かに語り始めた。
「俺は、ずっと“比べない”って言ってきた。でも、それは見栄だったんだ。ほんとは、比べられ続けてきた。“あいつの弟”ってな。どこに行っても、“兄貴と違って中途半端”って言われた」
彼の目は、どこか遠くを見ていた。
「だから、“奪う”ことでしか自分を示せなかった。あの蒸留器のコアを盗んで、自分の力で何かを起こせば──誰とも比べられずに済むと思ったんだ」
結那が静かに言った。
「でもそれって、逆だよ。力で奪ってる限り、ずっと誰かと比べられ続ける。奪うってのは、“誰かのもの”を前提にしてる行為だから」
「……だな」
佑弥がため息を吐き、手にしたコアを静かに置いた。
「だから、渡す。返す。俺はもう、盗賊じゃない。今は──仲間だ」
その言葉を受け取るように、匠真はコアに手を伸ばした。
「ありがとう。君の過去がどうであれ、今の選択は本物だと思う。……それを僕は、ちゃんとノートに書いて記録するよ」
「また記録かよ」
「僕にとっての“証”だから」
笑いあうふたりの間に、ゆりかが言葉を挟んだ。
「じゃあ、そのコア……どうやって直すの?」
「……あっ」
匠真が青ざめた。
コアの表面には、ひびが入っていた。おそらく、佑弥が抜く際に魔力遮断がうまくいかず、共鳴熱で割れたのだろう。
「このままじゃ、蒸留器は動かせない……!」
結那が拳を握る。
「やり直し、ってこと?」
「ううん。直す。どんなに難しくても、これは戻さなきゃならない。帰還理論が進まなくなる」
佑弥が不安げに言う。
「修理って……できるのか?」
そのとき、背後から小さな声が聞こえた。
「できるよ。……やれば、できる」
視線を向けると、工房風の作業着を着た少女が立っていた。髪を高く結い、袖には金属粉がこびりついている。眼鏡の奥の瞳は真っ直ぐだった。
「久美──久美って名前。……コア修復、できるかもしれない」
新たな出会いと、次なる試練。
祭の喧騒の裏側で、物語はまた一歩進もうとしていた。
久美は工具箱を片手に、無言でコアを観察していた。
蒸留器のコア──金属と魔導石の複合構造でできた球状の核。その中には理論を安定させる魔素回路が何重にも折り畳まれており、一部は蒸発、他の一部は微細なヒビから流出し始めている。
匠真がそっと尋ねた。
「……どう、いけそう?」
「無理。今すぐなら」
即答だった。
「けど、諦める理由にはならない」
久美はそのままコアを持ち上げ、工房の奥へ運んでいく。誰にも頼らず、ひとりで。
「放っておいて。わたし、邪魔されるの嫌いだから」
その言い方は、明らかに“壁”だった。
匠真は、静かに一歩だけ距離を置いた。
***
その夜。
工房の灯りは、朝まで消えなかった。
久美は一度、金属粉の配合を間違えて魔導石をひとつ溶かしてしまい、壁を殴った。
匠真はそれを陰から見ていたが、声はかけなかった。ただ、そっと手元のノートに“修復の進行”と“失敗例”を記していく。
深夜三時。
「……何、見てるの?」
ついに久美が声をかけてきた。唇には血が滲み、手には小さな火傷がある。
「君のやってることを、学んでる。君がどれだけ工夫してるか、どう組み立て直してるか、全部──」
「ノートに書いて、満足?」
「ううん。努力は、記録して、言葉にして、残さなきゃ。誰かが“確かにあった”って証明してくれるから」
久美は黙った。
しばらくして、ぽつりと漏らした。
「指摘されると、どうしても腹が立っちゃうんだ。わかってるのに……でも、それでも手を止めたくなくて」
「君はすごいよ。“怒っても、やめない”って、それはもう立派な才能だよ」
匠真は微笑んだ。そして、ほんの少しだけ近づいた。
「君の手の、薬液の跡。まだ、残ってる。努力は、ちゃんと残ってるよ」
久美は目を伏せ、そして──小さく笑った。
「……じゃあ。最後まで見てなよ。修復、完成させるから」
***
明け方。
工房に朝日が差し込む頃、久美は両手でコアを掲げていた。
その中心に埋め込まれた新しい魔導石が、淡く光っていた。
「蒸留器、再起動可能──っ!」
彼女が叫んだその瞬間、蒸留器の構造体が反応し、再び理論抽出の光を帯びて回転を始めた。
佑弥が思わず目を見開いた。
「……すげぇ」
「ほんとに、やったのか」
結那が息を呑む。
匠真はそっと、修復完了の工程と“久美という存在”を、ノートに記した。
──「久美。反発するが、努力をやめない。彼女の背中は、揺るがない証明だった」
久美は照れ隠しのように目を逸らした。
「べ、別に、感謝とか要らないし。勝手にやっただけだし。あんたたち、どうせまた問題起こすんでしょ?」
「うん、起こすよ。きっと次は、もっと面倒な」
「ったく……やれやれだよ」
だがその声は、どこか嬉しそうだった。
都市の片隅、火の消えた工房で、確かな光がまたひとつ生まれた。
(第5話【蒸留器を狙う盗賊剣士・佑弥】End)




