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青い扉と風誓の旅路  作者: 乾為天女


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第4話 〈葡萄祭〉地下迷宮の抜け道

 鼓動の音が、妙に大きく響いていた。

 それは地下に潜ったせいか、それとも──

「見つかったね」

 結那が囁く。彼女は匠真の隣、天井の低い通路に身を寄せ、祭装束に身を包んでいた。金の葡萄の意匠が施された布を纏い、普段の旅人姿とは違う優雅さを帯びている。

 いや、違う。今その姿で匠真の前に立っていたのは結那ではなかった。

「変装、完了」

 ゆりか。彼女は祭警備隊の衣装に身を包みながら、ひょいと仮面を外した。

「どう? 似合ってる?」

「っていうか……すごいな。全然気づかなかった」

「ふふん、でしょ?」

 変装名人、ゆりか。都市のどこにでも紛れ込めるスキルを持ち、彼女自身、それを“溶け込む美学”と呼んでいた。

 彼女が仲間に加わったのは、ほんの数時間前のことだ。

***

 葡萄祭の開幕直前。露店が賑わう広場で、匠真と結那は偶然ひとりの少女とぶつかった。

「きゃっ、ごめん──あっ、あれ? そっちも旅人?」

 声の主は、栗色の髪を編み込んだ、小柄な少女だった。旅人のような荷物を背負い、だがその振る舞いはどこかしなやかで、溶け込むことを目的としているかのような空気を纏っていた。

 「ゆりか。変装師やってるの。ちょうど祭の手伝いで衣装管理してたんだけど、あんたたち、地下に潜りたいでしょ?」

 最初から見抜かれていた。

 驚く匠真を尻目に、結那がニヤリと笑った。

「いいねぇ。話が早い子は好きだよ」

 そして今──彼女たちは、迷宮の入口に立っている。

***

「迷宮って言っても、そこまで深くはないよ。葡萄の保存用だったから、構造は単純。でも、途中で“見えない壁”がある」

 ゆりかは、手のひらに小さな水晶を乗せた。それが魔力の流れを読み取る、簡易魔晶だった。

「この先に“知識の蒸留器”があるって本当なのか?」

 匠真の問いに、ゆりかは肩をすくめる。

「確証はない。でも……なぜか、あの部屋だけ気配が違う。空気が“書斎みたい”っていうか、静かで重いの」

 壁に埋め込まれた葡萄石が、淡く紫色に灯っていた。匠真は深く息を吸い、そして歩き出した。

 ゆりかと結那がその背を追う。

「足元、気をつけて。ワイヤートラップとかあるから」

 結那がささやく。彼女はいつのまにか靴を脱ぎ、素足で音を立てぬように歩いていた。

「それ、どこで覚えたの?」

「山賊時代。……あ、言っちゃった」

「山賊!?」

「ま、若気の至りだよ」

 匠真は思わず頭を抱えた。

***

 迷宮の最奥、ひときわ大きな扉が現れた。

 そこには何の装飾もなく、ただ鉄と魔力で封じられた円形の鍵穴がひとつ。

「鍵は……これ」

 ゆりかが差し出したのは、葡萄酒樽の中に隠してあった小さな鍵だった。

「これで合うといいんだけど」

 カチ、と音がした。

 扉がゆっくりと、音もなく開いていく。

 そこにあったのは、石造りの広間。そして、中央に鎮座する装置。

 歯車と金属管が複雑に組み合わされ、魔法陣のような文様が浮かび上がっている。まるで天文台の中心に、思考を濾過する装置が置かれているようだった。

「これが──“知識の蒸留器”……」

 匠真が呟いた。

 そのとき。

 背後の通路から、乾いた足音が響いた。

 金属の靴音。鋭い気配。

「来たな」

 仮面をかぶった男、再登場。剣の鍔を鳴らしながら、堂々と現れる。

「この装置は、俺が使う。お前らのような“比較と競争”に縛られた連中には、任せられない」

「比較? 僕は誰かと競ってなんか──」

「なら、証明しろ。俺の剣を受け止めて、その上で“分かち合う意味”とやらを、見せてみろ」

 佑弥──そう名乗るその剣士は、踏み込んだ。

 刃と刃──いや、知と信念が、今交差する。




 剣が風を裂いた。

 匠真は横に跳び、辛うじてその一撃を避けた。乾いた石の床に火花が散り、佑弥の細身の剣がそのまま流れるように二の太刀へ移る。

「言葉だけじゃ、伝わらない」

 冷たい声。

 だが、そこには怒りも、憎しみもなかった。まるで自分の内側だけを見つめているような、静かな戦意。

「どうして──戦う必要があるんだ!」

 匠真は叫んだ。

 結那が風を巻こうとしたが、彼女をゆりかが止めた。

「違う……これは、“個人の戦い”なんだ。今、手を出すとダメ」

「は?」

「見て、匠真の目……ちゃんと、対話してるよ。剣じゃなくて、考えでぶつかってる」

 匠真の視線は、確かに迷っていなかった。

 彼は布袋から、あの一冊──“返却するはずだった本”を取り出した。

 魔術理論、戦術解析、記録。どれでもなかった。

 それは、哲学書だった。

『存在と比較』──副題に、「君は、君として在る理由」と記された一冊。

「僕は……自分を誰かと比べて、この世界に立ってるわけじゃない。君と違って、もともと優秀でも、強くもなかった。だから、“学ぶ”しかなかったんだ」

 佑弥の剣が、ふと止まった。

「なら、なぜ戦う?」

「約束を守るためだ。君がこの装置を独占しようとするなら、僕はそれを止める。“帰還”という約束のために、僕はここにいる。でもそれは、君を否定することとは違う!」

「……否定しない、だと?」

「君が“他人と比べない”って信じるのは、強さだよ。だけど、その強さを人に押し付けるなら、それはまた別の“縛り”だ」

 佑弥の瞳が、かすかに揺れた。

 次の瞬間、彼は剣を下ろした。

「……分かった。君の言う“共存”が本物ならば、分かち合おう。だが、試さなければ信じられなかった。それだけだ」

 匠真は、汗まみれの手で本を抱きしめた。

「ありがとう……君の信念も、ちゃんと記録するよ」

「記録、だと?」

「うん。僕が書いてるノートには、君の言葉も残しておきたい。“誰かに勝つためじゃなく、自分で在るために剣を振るった人”ってね」

 その言葉に、佑弥はわずかに口元をほころばせた。

「変わった奴だな……お前が“知識の蒸留器”を使うに値するか、見届けさせてもらう」

***

 蒸留器の前に、匠真が立つ。

 ゆっくりとスイッチを押すと、装置の内部が淡い光を帯びて動き始めた。

 古代文字の羅列が浮かび上がる。魔法理論の断片。抽出された純粋な数式。彼の脳は、猛烈な勢いでそれを読み解いていく。

 結那がぽつりと呟いた。

「この人……“本当に勉強する”んだね。知るために、動くために。──それだけで、誰かを動かせるなんて」

 ゆりかが静かに頷く。

「だから、溶け込みたいって思えるんだよ。あの人の世界に、私も」

 そして匠真は、ひとつの理論に辿り着く。

 “転移門の構成式”。それは断片に過ぎなかったが、確かに“元の世界”への手がかりだった。

「……繋がった」

 彼の目が、決意を帯びて輝いた。

「帰れるかもしれない。まだ遠いけど、道は見えた。ありがとう、みんな」

 その場にいた全員が、静かに頷いた。

 結那、ゆりか、佑弥。誰もが“自分の場所”を選びながら、匠真の隣に立っていた。

(第4話【〈葡萄祭〉地下迷宮の抜け道】End)


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