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第2話 雲渡り街道で交わされた約束

 空が、焼けるような金色に染まっていた。

 雲渡り街道は、ルーメリア西部でもっとも空に近いとされる街道だ。右手にそびえる断崖からは常に白い雲が溢れ、道の下へと流れ落ちていく。まるで空と地の境界が失われたような幻想的な風景──だが馬車はそんな道を、何食わぬ顔でがたがたと揺れながら進んでいた。

 匠真はその馬車の後部、木製の荷台に腰を下ろしていた。古びた布袋を抱えながら、何度もノートをめくってはページの端を撫でている。結那は彼の隣、片足をぶらぶらと揺らしながら、持っていたドライフルーツをかじっていた。

「しかし……すごい眺めだね」

「でしょ? わたし、この雲渡りが一番好きなんだよ。昼は雲が光って、夜は星を流してくれる」

「それ……詩的だね」

「そう? じゃあ匠真も一句詠んでみなよ」

「いや、僕はそういうのは……向いてない」

 照れたように目を伏せる匠真の横顔を、結那はしばらく眺めていた。そして急に、ぽつりと呟いた。

「さっきの“約束”の話だけどさ。ほんとに、そこまで大事?」

「……ああ。僕にとって“守るべきこと”って、存在理由そのものだから」

「ふーん」

 結那は肩をすくめて、馬車の天井を見上げた。

「じゃあ聞くけど。もし、わたしが“このまま自由に好きなとこ行きたい”って言っても、ついてくるの?」

「……それが君の願いなら」

「でも、君の“帰る”って目標とぶつかったら?」

 匠真は言葉を止めた。

 沈黙。風が馬車の幌を揺らし、車輪が石をはじく音だけが響く。

 やがて、彼は口を開いた。

「そのときは、“新しい約束”を結ぼう。君の自由と、僕の目的がぶつからないように。何度でも話して、何度でも更新する」

「律儀だなー。ほんとに変わってるよ、匠真ってさ」

「そうかな」

「でも……ちょっと、安心した」

 結那がぽつりとそう言ったとき、夕陽が彼女の銀髪を炎のように照らしていた。

 ふたりの間には、もうひとつの沈黙が流れた。

 だが今度は、それは心地よいものだった。

***

「おーい、おふたりさん、見ろよ! 風車が見えてきたぜ!」

 御者台からラードが声を張った。

 匠真が振り返ると、遥か彼方の山のふもとに、巨大な風車塔が浮かぶように聳えていた。

「──あれがフルールか」

「うん。“風の炉”を囲んで町が広がってる。夜になると火の花が見えるんだ」

「火の花……?」

「説明するより見たほうが早いよ。もうすぐだから」

 結那は匠真の袖を軽く引き、馬車の幌を潜って前方を指さした。

 風車都市フルール。その風炉は、すでに異常な赤熱を帯び始めていた。




 馬車が風車都市フルールの街門に差し掛かった頃、辺りには金属の焦げるような臭いが漂っていた。

 入り口で簡単な検問を受けた後、御者のラードが低く唸った。

「おかしいな……いつもならここまで煙らねぇ」

 遠目に見えた巨大風車の中央、かすかに赤い光がちらついていた。動力炉。都市の心臓部が熱を持ちすぎている。

「風炉、暴れてる?」

 結那が眉をしかめる。彼女の直感が嫌な風を感じていた。

「今すぐ見に行こう」

 匠真は、手にしていたノートを閉じて立ち上がった。ラードに一礼して馬車を降りると、結那もそれに続いた。

「急ごう。制御が効かないと、この街そのものが──」

***

 風炉のある中央塔にはすでに数名の技師たちが集まり、動揺の色を隠せずにいた。高温により炉心の周囲は立入禁止となり、熱気は階下の通路にまで及んでいる。

「安全弁、二つ目も限界……っ!」

「送風量を上げても排気が追いつかねえ!」

 焦りが現場を支配していた。

 その中で、塔の中段から悠然と見下ろしていた少年がひとり。青銀の長髪を結び、鋭い目で現場を俯瞰していた。

「面白いな。限界まで炉圧を上げると、こうなるのか」

 それが春樹だった。都市の動力炉を預かる、冷徹にして退屈嫌いの若き技術監督。

「何やってるの!?」と結那が叫んだ。「暴走一歩手前じゃないか!」

「退屈を壊すには、これくらいの“賭け”が必要だろ。どうせ君たちが助けに来ると踏んでた」

 その無責任な笑みが、匠真の堪忍袋の緒を引きちぎった。

「人の命がかかってるんだぞ!」

「だから面白い。命を懸けるからこそ、知識も知恵も輝く」

 言葉がすれ違う。

 だが、状況は待ってはくれなかった。

 炉心の外壁が軋み、ついに赤熱の火柱が一条、空へと突き抜けた。

 結那がすかさず手を前に出し、風の魔法陣を展開する。

「風壁──拡散!」

 だが魔力はうねり、噴出の勢いに押されて歪んだ。これでは時間稼ぎが限界だ。

 匠真はノートを開き、即座に目を走らせた。

 ――物理学、蒸気圧、流体制御。

 「逆圧力弁だ……!」

「なにそれ!」結那が叫ぶ。

「出口が広がりすぎてる! 一度、内部に圧を戻す仕組みを──君の魔法で“風の渦”を逆回転にできる?」

「できるけど、精度は期待しないで!」

「十分だ!」

 匠真は近くの技師に指示を飛ばした。「この管をここに! こっちは遮断して!」

「素人が何を──」

「やれ!!」

 その声に押され、技師たちは顔を見合わせながらも動き出した。

 結那が右手を掲げた。風が渦巻く。

 「逆転! 風圧斜流!」

 火柱が一瞬だけねじれ、吐き出す勢いが弱まった。その隙に匠真が配置した金属弁が作用し、蒸気圧が炉心へ戻っていく。

 炉の鼓動が一拍、静まり──爆音と共に、噴出口が崩れ落ちた。

 それでも爆発は──起きなかった。

 火は消え、蒸気が落ち着きを取り戻す。

 技師たちが、どっとその場に座り込んだ。

***

「……助かったのか」

「うん、なんとか」

 匠真は額の汗を拭いながら、結那の肩に寄りかかっていた。彼女も息を荒げ、ふらふらと笑った。

「よくやったね。ほんと、勉強好きは頼りになるや」

 春樹が階段を下りてきて、目を細める。

「確かに面白かった。退屈が、一気に吹き飛んだよ」

「次やったら、君ごと吹き飛ばすけどね」

 結那の皮肉に、春樹は肩をすくめた。

「それもまた、刺激的だ」

 この街は救われた。匠真が学び、結那が動き、春樹が反省──は、していないが、少しだけ理解を示した。

 そして夜、塔の頂上からは、風に乗って小さな火の花がいくつも弾けていた。

 それは風車の熱圧が発する、特有の現象。

「火の花だ」と結那が呟く。

 匠真は黙って、その幻想的な光を見つめていた。

 この世界には、まだまだ知らないことが多い。

 それを学ぶたびに、自分は強くなれる。

 ──そう思えた夜だった。

(第2話【雲渡り街道で交わされた約束】End)


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