第11話 灰の峡谷で交わした再契約
砂鉄混じりの風が吹き抜ける、〈灰の峡谷〉。
太陽は厚い雲に覆われ、空はまるで煤に染まった硝子のように、鈍く光を遮っていた。
侑子の操縦した列車は、谷にかかる巨大な吊り橋の手前で停車した。
「ここから先は、車輪じゃ行けない。徒歩だよ」
侑子が手綱のように真紅の旗を肩に掛け、全員に告げる。
列車を降りた匠真たちは、連結器から蒸留器のコアを荷台に積み替え、谷を渡る準備を整えた。
荷台の車軸は結那が風で軽減し、坂道の角度は聖人がロープで測って調整する。
「まるで……戦場みたいだね」
ゆりかが呟いたそのときだった。
突然、峡谷の奥から雷鳴にも似た音が響いた。
大地が震え、吊り橋の鎖が低く唸った。
「ッ、来るぞ……!」
春樹が地図を地面に広げ、震源の方向を割り出す。
「灰噛竜だ。ダンテがまた、禁呪を──!」
***
崖の向こう。荒れ果てた岩場に、巨大な灰色の獣影が姿を現した。
六つの脚、黒焦げた甲殻、赤黒い魔力の気流を纏った双角──
〈灰噛竜〉は、風を裂きながら吠えた。
そして、その足元には、禁呪を使い切って崩れ落ちたダンテの姿があった。
「動けない……けど、目が……生きてる」
プリシラが、震えながらその場に立ち尽くしていた。
匠真は結那に向き直る。
「僕たちは、前に“約束”をした」
「“邪魔しない”って?」
「うん。でも、もう一つ加えさせて。君の自由は守る。でも、僕の護りも拒まないでほしい」
その言葉に、結那は微かに目を見開き、そして頷いた。
「いいよ。じゃあ、わたしも言うね。束縛はしない。でも──」
結那は匠真の手を取る。
「絶対に、私より先に死なないって、誓って」
手のひらに、魔法の光が浮かぶ。
互いの掌に刻まれる、誓印。
それは束縛ではなく、「互いを信じる印」だった。
匠真は剣を構え、背後の仲間たちに声を上げる。
「ここで引いたら、後悔する! 僕たちはもう、“帰る道”を手にしてる。だからこそ──“帰る意味”を、この場所で証明するんだ!」
風が鳴る。
灰が舞う。
結那が呪文を唱え始めた。
「“疾風よ、光を纏いし槍となれ──灰を貫け、風刃穿!”」
灰噛竜が咆哮を上げる。
その叫びと同時に、戦いが始まった。
灰噛竜が唸り声と共に前脚を振り下ろす。
大地がえぐれ、粉塵が巻き上がる。
その直後──
「《風陣》、起動!」
結那の魔法が炸裂し、圧縮された風の盾が群れのように前方を覆った。
匠真はその隙に走る。
目指すは崖下、崩れかけた岩場に倒れるダンテの元。
「まだ……動けるか?」
ダンテは呻くように目を開けた。
「……俺は、もう……駄目だ……禁呪を、完全に制御できなかった……」
「なら、せめて“戻って来い”。今からでも、やり直せる」
「どうやって……?」
匠真はダンテの腕を掴んだ。
「“約束”を、今、もう一つ増やすんだ。守れなかった過去じゃなくて、守れる未来を信じて」
その瞬間、〈灰噛竜〉が咆哮した。
風が砕け、岩盤が崩れ落ちる。
春樹が声を張る。
「挟み撃ちをかける! 佑弥、聖人、左翼側へ回り込め!」
「了解!」
久美は冷却剤を調合し、爪の動きに合わせて地面へ投下する。
蒸気が舞い、地面が凍る。
「結那、次の一撃、いけるか!」
「うん、でも“当てて”くれないと意味ない!」
匠真は頷き、剣を両手で構えた。
「なら──引き寄せる! 僕が前に出る!」
走り出す。
剣に風の魔力を込め、地面を滑るように前進。
巨大な爪が迫る。
それを、ギリギリでかわし──
「今だ、結那!」
「《風槍連刃》──!」
結那の魔力が、空を切り裂く。
無数の風の矢が、灰噛竜の右肩に突き刺さり、動きが一瞬鈍った。
その隙に、侑子が叫ぶ。
「みんな、印を照らして! 今、繋がる!」
仲間たちの手のひらが光る。
それぞれが持つ、“契約の印”。
共に旅した証。
共に戦った証。
匠真と結那は、向かい合い、言葉を重ねる。
「今ここで、改めて約束する」
「私は自由を貫く。その旅に──」
「僕が、傍で学び、守り、決して止めない」
両手を重ねる。
魔力が共鳴し、彼らを中心に光が拡がった。
風が巻き上がり、灰を祓い、空を貫く柱となって昇っていく。
「“再契約完了”──風誓の双印、刻まれましたっ!」
ゆりかの声に、誰もが息を呑んだ。
その光が、〈灰噛竜〉の周囲の空気を変えた。
暴走していた魔力が、少しだけ静かになった。
そのとき──
プリシラが、崖の上に立った。
震える手を差し出し、叫んだ。
「ダンテ! お願い……もう一度、戻ってきて! 私、待ってるから!」
ダンテは一歩、匠真の肩を借りながら立ち上がる。
「プリシラ……。俺は……」
灰噛竜が、再び動き出した。
最後の咆哮。
だが──今度は、恐怖ではなかった。
結那の風が、全身を包む。
「これは、私たちの旅路。邪魔はさせない──!」
匠真が剣を振り下ろす。
「帰るための力は、ここにある!」
風と剣が交わる。
灰噛竜の動きが止まり、その身体はゆっくりと崩れ落ちていった。
静寂が訪れる。
風の中に、光が舞った。
灰の中から、ほんの一瞬だけ青空が覗いた。
***
谷を越えた先に、仲間たちが集まる。
それぞれが、疲れと誇りを滲ませながら笑っていた。
匠真は結那に言った。
「ありがとう。これからも、君となら歩ける気がする」
結那はふふっと笑った。
「約束したからね。ほら、破ったら許さないから」
互いの手のひらに、誓印がかすかに光っていた。
(第11話【灰の峡谷で交わした再契約】End)




