第10話 砂漠鉄道と侑子の真紅の旗
砂が風に舞い、視界を削る。
北壁図書館の崩落から三日。匠真たちは、図書館の地下転移門修復に必要な資材を求め、〈鉄塵砂漠〉と呼ばれる荒野にたどり着いていた。
空は乾いた鈍色。水平線の代わりに、地平線から天へと伸びる鉄道のレールが、まるで異世界の筆跡のように真っ直ぐ走っていた。
ゴゴゴゴゴ……という重低音が、地面から伝わってくる。
「来た!」
結那の声とともに、砂の向こうから姿を現したのは、武骨な装甲をまとった列車だった。
煤けた車体。回転する巨大な車輪。そして先頭に立つのは──
「ちょっと下がっててーっ! この子、停まるの下手だから!」
真紅の車掌旗を振る少女、侑子だった。
明るい赤髪を風に巻かれながら、彼女は両足でブレーキレバーを踏み、車両を砂に滑り込ませた。
「おおおっとっと、はい、停車! 乗りたい人ーっ、荷物ある人ーっ、しゃがんでー!」
鉄粉を巻き上げて列車が止まると、匠真たちは急いで乗車口へと駆け寄った。
「……この子、運転任されていいレベルなのか?」
佑弥が不安げに問う。
「いや、任されてないよ?」
「……え?」
「勝手に任されたことにして走ってるの!」
笑顔でそう言った侑子に、全員が顔を見合わせた。
「でも、だってさあ。楽しく運ぶのが、わたしの仕事だと思ってるから!」
***
車両の中は、整備部品と魔導資材がぎっしり詰まっていた。
蒸留器の予備コア、魔力整流板、転移門の発動素子など──どれも図書館復旧に欠かせない。
「これ、全部運ぶの?」
「うん、全部! でもね、一人じゃ無理だから。車掌と乗客、役割分担でしょ?」
侑子は真紅の旗をひらひら振りながら、先頭車両の見張り台に立った。
「風が読める子、屋根上に! 記録係、車輪点検! 魔法使える人は後尾で補助!」
結那は迷いなく屋根へ上り、匠真は工具箱を手に下車輪軸の状態を確認し始めた。
「この整備マニュアル、すごい……。数式がちゃんと構造図に対応してる。読める!」
侑子が笑う。
「でしょ? 整備ってね、ちゃんと“読める”仕事なの。読むとね、“できる”に変わるんだよ!」
その言葉に、匠真の目が輝いた。
「じゃあ、僕、全部読んで、全部動かしてみたい!」
「いいね! その意気!」
車両がまた揺れ出す。
旗が翻り、砂塵が舞う。
侑子の声が風に乗って響く。
「進路、異常なし! 次の停車は、〈灰の峡谷〉だよーっ!」
鉄粉を巻き上げて進む列車の振動は、砂漠に暮らす生物すらも遠ざける威圧感を持っていた。
それでも、匠真の視線は前を見ていた。
列車の屋根上では、結那が風の流れを読むように両手を広げていた。横風、突風、砂嵐。それらを察知し、仲間たちへ合図を送る。
一方で、匠真は後部車輪の軸受けにしゃがみ込み、工具を手に整備マニュアルを広げていた。
「この部分、オイルの流れが悪い……でも、代替管を使えば──よし!」
部品を調整し終えた瞬間、車両がわずかに軽くなった。
「ナイス! 振動、減ったよ!」
屋根上から、結那の声が風に乗って届く。
前方の見張り台から、侑子が旗を振った。
真紅の旗が左へ一閃──これは「速度調整」の合図。
匠真は叫んだ。
「左側の踏破抵抗が上がってる! 次、右レール側を冷却処理!」
久美が無言で頷き、冷却用の魔導試薬を注入する。
周囲の連携が、奇跡的な精度で噛み合い始めていた。
だが、彼らを待っていたのは、予想外の“嵐”だった。
遠くの地平線に、灰色の柱が立ち上っている。
「砂嵐だ──!」
ゆりかが声を上げる。
「最悪、視界ゼロになるわよ!」
その時だった。
侑子が、再び旗を振った。今度は高く、大きく、そして正確に──
「《全員、持ち場確認! 次の合図で車内退避》の意味よ!」
ゆりかが即座に解読し、皆へ伝える。
「え、旗でそんな複雑なことが伝わるのか……?」
「当たり前でしょ! わたしの旗語、超実用的なんだから!」
列車は速度を落としつつ、嵐のただ中へと突っ込んでいく。
視界が奪われ、音が濁る。砂が鉄を削る甲高い音が、全方位から響いた。
車内に戻った匠真たちは、各々の役割を黙々と果たしていた。
「魔導炉、熱上昇……だけど、もう少し持つ!」
「補助魔法陣、第二列起動! 負荷分散!」
「車輪の擦過係数、今ならギリで走破可能!」
混乱の中で、全員が“働いていた”。
いや、“楽しんでいた”。
それが、侑子の信念だった。
「楽しいってのはね──“自分のやってることが、誰かの役に立つ”って思える瞬間のことだよ!」
その言葉が、匠真の胸に刺さっていた。
***
嵐が過ぎた頃、列車は〈灰の峡谷〉の手前で停車した。
金属が冷え、熱が引いていく。
旗を下ろした侑子が、全員に向かって言った。
「みんな、お疲れ様! この便は大成功! わたしだけじゃ、きっと途中で止まってたよ」
結那が言う。
「楽しい、って……こういうこと、なんだね」
匠真は頷いた。
「知識が繋がって、誰かの動きに反応して、それがまた別の動きを生む……。まるで、この世界自体が一つの“協働システム”みたいだ」
侑子は小さく笑った。
「そうだよ、旅ってのはね。“誰と動くか”で面白さが変わるんだから」
赤い旗が、風にひらりと揺れた。
その色は、情熱の赤でも、警戒の赤でもない──
“喜びを指し示す赤”だった。
(第10話【砂漠鉄道と侑子の真紅の旗】End)




