一
ある日私の家に縄が届いた。それが自分が頼んだものなのか、間違いだったのか定かではなかったが、そんなことは私には些事にも等しいことだった。慣れた手つきで棟梁に縄を括り付けたが、そうこうしている間に遺書の執筆を失念していたことに気が付いた。我ながら、なんとも段取りの悪い腑抜けた跡取りだと自嘲しながら縄を燃やした。そうして823回目の背信行為は無事未遂に終わったのだ。人の性というものは、どうやら一生涯我が人格を縛らないと気が済まないらしい。そうしてると母親の操る鉄の棺桶が鈍重なシリンダーの音を響かせながら車庫に入るのを感じた。それに気付いた私は自身の人格に交代を命じ、非番の表情筋をたたき起こして笑顔で母親を迎えるのである。かわりとして体中の臓腑を鉛に置換したような感覚に襲われるのだが、上面につきっきりの私は構ってる暇などないので無視するほかない。こうして敵の目を欺くことができた私は大衆的な生活の濁流に還元されてゆくのだった。
親からいったい何を受け継いだのか、遺伝学とは霊感商法と同等な眉唾ではないかと自身でも思うほど、私は親とあべこべの性格をしていた。私の母親は努力を努力で無限に増幅させることのできる秀才だった。幼いころから楽器を弾き、藝術大学に首席で合格するほどの秀才であった。一方私は大罪の一角である怠惰をその身に寄生させていた。期限を守る、準備をするということが全く出来ず、母親から大目玉を食らった回数は食事の回数よりも多かったような気がする。私が小学生だった時分、受験をするというのにあろうことか試験当日まで勉学に全く励んでいなかったのである。結果としては合格だったが、私の醜態を見た母親が大きく落胆していてなんだか自分が責められているように感じ、己の行いをひどく恥じたことを昔ながらよく覚えている。今となっては大目玉は食らわなくなったが、己の戦局が好転してないことは誰から見ても火を見るよりも明らかである。なぜ恥じているのにやらないのかと聞く人があるかもしれぬが、特段深い理由があるわけでもない。単に無性に己のやるべきことから目を背けたかっただけである。正直なとこを述べると、今でもなぜ怠惰なのかという理由は見つかっていない。見つかる日が来るようにと切に願う。
意外かもしれないが、私はこれでも母親に対する敬意と誇りを忘れたことは過去の一度もない。それが私の数少ない美点であるからだ。それは今でもかわらない。それが私を押しつぶす漬物石に変貌していることは言うまでもないだろう。親を越えなければならないという思いは少年から青年へと生まれ変わってゆく過程で段々と私を蝕んでいった。それが形をもって私に牙をむくのは中学校の頃になる。とはいえこの頃はまだ無視できるほどの小さな綻びだったので特に気にすることもなく小学校生活前半を謳歌していた。