第3話 貴女様の御名
ねぇ、思い出して。
貴女と交わした永遠の約束を…。
「真綾様。いえ、社長。お呼びでしょうか?」
昼下がりの社長室。
普段は下の名前で呼んでいる瑠璃だが、改まって呼び出されたことを自覚して言い直した。
ベリーショートの髪にスーツ姿の若く美しい女社長を前すると、見目麗しい御局様も思わず見とれてしまう。
(真綾様、今日も本当に美しい…)
色白のきめ細やかな肌。
鼻筋は通っており、形の良い唇は柔らかそうに見える。
黒目がちの瞳。長い睫毛にくっきりとした二重瞼。
(朝起きた時からこのお顔なんだよな……)
社長がノーメイクだと言うのは信じ難いが、それが事実なのは皆が知っている。
いつ見ても、真綾の美貌は反則級だ。
そんな瑠璃の視線には構わず、社長は話し始める。
「…ねぇ、瑠璃?私達はなぜ流転の國からこの世界に顕現してしまったのかしら」
いきなり難問を吹っかけられる。
「た、確かに、私達は流転の國におりました。しかし…気付いた時にはこの会社にいて、皆の顔も名前も覚えているのに、元の國に戻る方法は見当もつきません」
「名前…ね。本当に、貴女は流転の國にいた時から、金城瑠璃だった?」
真綾の指摘に揺らぐ瑠璃。
「本当に、私の名前は神崎真綾だったかしら」
「真綾様…!それでは、流転の國における貴女様の御名前は真綾様ではなかったということでしょうか…!?私はここに顕現した時、既に社長である貴女様をはじめ皆の名前を記憶しておりました」
初めて流転の國に顕現した時と同じ現象だ。
「そして、この会社でやるべき仕事も分かっておりました。…しかし、それと同時に流転の國にいたという記憶も残っております。そこにいた頃の私は雷を扱う魔術師にございました」
寧々も自分が黒魔術師であったことを記憶していた。それを踏まえて純に話しかけていた。
「貴女様は…覚えていらっしゃるのですか?」
瑠璃が訊ねる。
「流転の國にいた頃の私達を全て覚えていらっしゃるのですか…?」
「確証はないわ。でも、流転の國にいた時から私は貴女を愛している。これは事実よ」
「っ…!」
予期せぬ言葉に瑠璃の顔は真っ赤になる。
真綾はそのまま彼女に近付き、
「思い出して欲しい。瑠璃、貴女は私の恋人。永遠の愛を誓い合った運命のひと」
そう言って彼女にキスをする。
その瞬間。
「マヤリィ様……?」
彼女は流転の國の彼女の名を思い出す。
「そうよ、ルーリ」
マヤリィはルーリを抱きしめる。
「マヤリィ様…私は……この世界に顕現してからずっと貴女様に恋をしておりました。されど、本当はもっと前から貴女様と私は……」
顔を真っ赤にしながらルーリが言う。
そして困惑した表情になると、
「なぜ、私はこんなに大切なことを忘れてしまっていたのでしょう…?貴女様と愛を誓ったという真実を…」
目の前の愛する女性を見つめながら自分に問う。
マヤリィは目を逸らさずに優しく微笑む。
「それは、たぶん貴女がこの世界に顕現したばかりだからよ。私は…なぜか覚えていたけれど」
マヤリィも不思議に思っていたが、自分だけは逆顕現した時から記憶を持っていたのだ。
「…ルーリ。『流転の閃光』を発動出来る?」
「それは…雷の魔術でしょうか…?」
ルーリはまだマヤリィの名しか思い出していない。
「…いえ、今はまだいい。貴女が私のことを思い出してくれただけで嬉しいわ」
マヤリィはそう言って微笑む。
「マヤリィ様。私が宇宙で一番愛する御方」
ルーリはそう言って跪き、
「この先、たとえ流転の國に戻れずとも、貴女様を愛する気持ちに変わりはありません。ああ、マヤリィ様…!」
記憶を手繰り寄せるようにルーリはその名を呼ぶ。
「大好きよ、ルーリ…!」
(マヤリィ様…そう、この御方の御名はマヤリィ様。しかし、皆の名前は……純、秋里、寧々、舞、嵐樹、麗……)
黒魔術師。白魔術師。書物の魔術師。
そう易々と記憶は戻らない。
しかし、マヤリィとの関係を思い出したことは本当に嬉しいことだ。
(ってことは…秋里は誰と結ばれるんだ?)
この場合、秋里も幸せになってくれないことには彼女に殺される未来が見える。
(怖ぇな…しばらく秋里には気取られないように振る舞うとしよう)
社長に言われるまでもなく瑠璃はそう思った。
一方のマヤリィは、
(必ず流転の國に帰るわ…!)
絶対に流転の國に帰りたいと考えていた。
ここが本当に純ことジェイの元いた世界、元いた会社だとするならば、あまり良い場所ではないかもしれない。マヤリィは流転の國にいた頃の彼の話を思い出していた。
交錯する記憶。
進んでゆく時間。
それでも皆は当然のようにこの世界で仕事をしている。
時折『流転の國』の名を思い出しながら。