第6話 同級生Yの妊娠
同級生のYが妊娠した時も、打ち明けられるのは、電話相談だけだった。
男の相談員も女の相談員も、この時ばかりは一様に
「堕ろしなさい」
という意見だった。
中には、Ⅹのことをよく覚えていてくれた相談員もいた。
「確か、あなたは後輩の女子と付き合っていたのじゃなかった? ほら、リストカットした。ほかの子とそんなことになっちゃって大丈夫なの」
☆
実は、後輩とはすでに終わっていた。
後輩は二人が仲良く歩いているところを見て敏感に察したのか、態度が一変した。早まったことをしないか心配だった。
「話があるから」
というので家に行った。
後輩は思いつめた様子だった。
(この子を助けるためなら、Yと別れてもいい)
と考えるようになっていた。
「前にね、援交(援助交際)していたオジサンがね、最近よく連絡してくるの」
その人は一年ほど海外転勤となり、二か月前に帰ったらしい。
「だって、スマホのお金はかかるし、少しくらいはオシャレもしたいでしょ」
後輩は心を決めているようだった。
「そういうことだったの。はあ」
女性相談員は呆れ果てていた。
相談員として熱心ではあるが、若者の現実には疎いようだった。女子高生や女子中生の会話を、あまり耳にすることがない環境なのだろう。
☆
ⅩはYに堕胎を勧めた。
Yは「産む」と言って聞かなかった。
「高校辞めて、この子を育てる」
Yの意思は固かった。
Ⅹは、Yと、生まれてくる子供に責任が取れなかった。
死ぬ決心をして、別れの手紙を投函し、ブルートレイン「サンライズ瀬戸」に乗った。
明け方、四国の坂出駅で乗り換え、各駅停車で坪尻駅まで行った。スイッチバック方式で知られる、山の中の無人駅である。
山に分け入り、大きな樹の下に腰を下ろした。
バッグからペットボトルと睡眠薬の瓶を出した。
ボトルのキャップを開け、掌に山盛りになった睡眠薬を見たとたん、激しい震えに襲われた。錠剤がバラバラと地面に散らばる。耐えきれず、喚きながら、瓶を眼下の繁みに放り投げていた。
ぼんやりと讃岐平野を眺めていた。
明るい日差しが降り注いでいた。阿讃山脈の南方は厚い雲に覆われている。この地が冥界との境界線に思われた。
やがて雨が降ってきた。
あの日も雨だった。
☆
Yに告白したが、冷たくあしらわれた。
諦めきれず、再度、高校の校舎の屋上に呼び出した。
Yは遅かった。絶望的な気分になっていく。
雨が降り出していた。濡れるに任せてたたずんでいると、Yが現れた。
険しい表情が緩んで駆け寄り、Ⅹを軒下に連れて行った。ハンカチを出し、濡れた髪と学生服を拭いてくれた。
初めてのデートで映画を観に行った。
あの映画にもスイッチバック方式の鉄道が出てきた。Ⅹには、撮影場所がどこかはすぐに分かった。
Yが鉄道に興味を示したので、次回はⅩの家に誘った。部屋いっぱいの鉄道模型に感心していた。
この日、Yと初めてのキスをした。
あれだけ遠かったYが、もう手の届くところにいた。一週間後、ⅩはYを抱いていた。
Ⅹには
(ボクたちはいけないことをしているんだ)
という意識が常にあった。
Yから距離を置こうとしたが、愛おしさは抑え切れなくなっていった。会うとYを激しく求めた。
☆
妊娠を聞かされた時は、雷にでも打たれたような衝撃だった。
しかし、Ⅹはある疑念を抱いた。Yはアマチュア画家の叔父さんのモデルをしていて体を求められた、と語ったことがあったからだ。
問い詰めた。
「叔父さんなんかいない。あの話は全部ウソ」
悪びれる風もなく、Yは言った。
(Yちゃんもまた、バーチャルな世界をもっていたんだ)
Ⅹは、はたと気づいた。
二人に残ったのは、妊娠という現実だけだった。
Ⅹは退路を断たれてしまった。
☆
四国から帰ると、母親が泣き崩れた。
母親に、Yの妊娠のことを話した。母親は言葉がなかった。高校を中退したいと告げると、手続きに行ってくれた。
ⅩもYも高校では孤立していた。
二人がいなくなっても、これまでどおり、SNSで意味のない会話をし、会うとふざけあっているに違いない。
彼ら彼女らは、健康そのものなのだ。自分をさらけ出して、ありのままに生きていける人間は幸せだ。
死に切れなかったことだけ伝えようか、とも考えた。しかし、どうしてもYに手紙が書けなかった。
Ⅹは今日も一日中、部屋に閉じこもっている。
列車の模型を走らせ、鉄道雑誌をめくる。無性に夜行列車の旅に出たくなる。
ブルートレインが好きだが、今ではサンライズしか運行していない。今度は岡山から山陰に向かう「サンライズ出雲」に乗ってみようと思う。一度は終焉の地と決めた四国だった。今更、どんな顔をして訪れることができよう。