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月隠の魔女

聖女でもないのに聖水を作ってみたら、違法薬物扱いを受けました

作者: 河辺 螢

 魔法師サビーノの元に、一人の若い魔法使いが訪ねて来た。

 持っていた紹介状は兄弟子ティーノのもの。ティーノは兄弟弟子の中でも一番の実力者で、その兄弟子が認める者なら期待できるだろう。

 そう思いながら紹介状を開くと、


 フレデリカを貴殿の弟子に推薦する。

  出身地   不明

  年齢    十二歳

  魔法属性  不明ながら充分な魔力あり

  得意魔法  不明ながら苦手なし


 通常魔法使いの紹介状には魔法属性と得意魔法くらいは書いてあるものだ。それを不明ながらうんぬんとは。大したことないのをごまかしているようにも見える。

 しかし、若い頃世話になったティーノからの紹介を無碍にすることもできない。

「まあ、三ヶ月間様子を見て、役に立つなら弟子にとってやってもいいが」

 サビーノの申し出に、フレデリカは初々しく

「よろしくお願いします」

と頭を下げた。


 サビーノは十人の弟子を抱えていた。習うより慣れろな教育方針で、弟子共々親切丁寧に何かを教えることはなかったが、魔法に関する文献は自由に読むことができた。異国の魔導書、古代魔法の指南書、魔法陣の図解書など、滅多に見られない本が多く、中身も見かけない文字のものが多かった。国が変われば呪文も異なり、図解されている魔法陣にも方言以上の違いがあり、読み解くのは困難だ。「読み放題」を謳っているが、その実、読めないからこそ惜しげもなくそこに置いてあるのだ。


 フレデリカは時間があれば文献を手に取り、ひたすら読みあさっていた。わからないことを聞いたところで

「自分で答えを見つけ出せ」

と言われ、はっきりとした答えも得られない。

「読めないくせに無理して」

と笑われようが

「頭でっかちの魔女もどき」

と揶揄されようが気にすることもない。ここにいる誰もがわかっていないのだから。



 時折サビーノは弟子達に課題を出し、魔法を使わせた。サビーノが興味を持てばアドバイスすることもあったが、大抵チラリと視線を送る程度で、弟子達は毎日各自で練習しながら実践に備えていた。


 サビーノのフレデリカの評価はさほど高くはなかった。

 さほど魔力が多いようには見えないが、どんな依頼にも応じてはいる。攻撃しかり、防御しかり、治癒しかり、浄化しかり。器用にこなすが飛び抜けて得意なものはなく、パターン化した標準的な魔法をちまちまと使う、優等生タイプの凡人。


 魔法使いとして身を立てるには目玉が必要だ。何か二つ、三つの特性を組み合わせて大技を繰り広げられれば引く手数多となるだろうが、フレデリカにそれを望むべくもなく、このまま二流の魔法使いとして些末な事案に使われて終わることになるだろうと予想していた。



 依頼を受ければサビーノは弟子を連れて出かけた。依頼は時に戦場への派遣であり、討伐であり、災害の復旧や大規模な工事のこともあった。攻撃を求められることがあれば、救援を要請されることもあり、必要とされる魔法は様々だ。

 魔法使いの技には得手不得手があり、サビーノは弟子達から要請に応じられそうな者を選び、時には弟子だけを送り出すこともあった。


 ある日、東部の都市フォーレイの南聖堂から二週間ほど人を派遣してほしいと依頼があった。何でも人手不足で困っていて、急ぎとのことだった。

 他から討伐参加の依頼も来ていた。聖堂からは特にどの魔法に強い者とも指定されていなかったので、人数あわせでいいと判断したサビーノはフレデリカを一人で行かせることにした。


 フレデリカは言われたままフォーレイの南聖堂に向かった。駅馬車に乗って三時間、辻馬車に乗り換えて聖堂に着いた時は昼もかなり過ぎていた。

 着くと聖堂の裏手にある居住棟に案内されたが、居住棟は妙に静かだった。

 案内してくれた人の話では、フォーレイには三つ聖堂があり、東聖堂にいた二人の聖女のうち一人がどこぞの貴族に気に入られ、結婚することになったのだが、嫁入り先に向かう時にフォーレイの聖女見習い達を引き抜いていったのだそうだ。かなり金が動いたようで、三つの聖堂で八人の聖女見習いがいなくなってしまった。しかも碌に引き継ぎもせず、突然翌日から来なくなるような辞め方だった。


 補助役の聖女見習いがいなくなり、各聖堂の聖女達は雑用も自分達でしなければいけなくなった。その負担は大きく、聖魔法を使った治療に訪れる人々に対応できなくなっていた。他の街の聖堂から何人か派遣してもらえることになってはいるが、聖魔法を使える人間を集めるのはそう簡単ではなく、到着にはまだ時間がかかる。その間の手伝いをしてほしいというのが今回の依頼だ。聖魔法が使えなくても聖女の手助けができればいいようだ。


 荷物を置いて聖堂に向かうと、司祭は

「よくきてくれたね」

とねぎらったが、早足で現れた聖女は

「すぐに治療に当たって」

と言うや否や、フレデリカを待つこともなくどこかに去って行った。

 小走りで聖女を追いかけてきた女性に、

「こ、こちらにどうぞ」

と案内され、着いた所は治療のための部屋だった。

 着いていきなり治癒の仕事だ。まあ遊びに来たのではないから、言われるまますぐに仕事に取りかかった。


 南聖堂は今いる聖女ドナテッラを残し四人の聖女見習い全員がいなくなっていて、人手不足は深刻だった。

 フレデリカの他にも二人、聖魔法はないが治癒魔法が使える者が手伝いに来ていた。

 手伝いの一人はアルノーと言う男性で、傷を塞ぐ力を持っていた。怪我専門だ。

 もう一人はフレデリカをこの部屋に案内してくれた女性で名前はレーナ、こちらは患者自身の治癒力を補助する力に加えて、浄化の力も少しあった。軽い怪我や病気を担当していたが、魔力があまり長く続かず、もっぱら治療よりも薬作りを手伝っていた。本業は薬師見習いらしい。


 待っている患者はそれほど多くはなかったが、重症になれば聖女が対応することになる。呼ばれて治療の部屋に来て、治療を終えるとまた出ていく。実に落ち着かない。

 大した怪我でもないのに聖女を指名する金持ちそうな中年の男に、カツカツと靴音を響かせてやってきたかと思うと、

「その程度の怪我など、ほっときゃ治るわ!」

と言って瓶に入った水をぶっかけていた。

 男は聖女の暴言など気にも止めずありがたや、と手を合わせていたが、ドナテッラは早々にいなくなった。

 どうやらかけたのはただの水ではなく、聖水だったようだ。

「あの方、聖女様のファンで、直々に聖水をかけてもらうために10万ゴールドもお出しになるんです」

 司祭は貴重な収入源にありがたいとほくほく顔だが、どう見ても聖女は怒っている。忙しい時くらいは気を利かせて控えてもらいたいものだ、あの男も、司祭も。



 聖女には朝晩の祈り、聖水の精製、薬草の管理、薬の処方など、することが山ほどある。その合間を縫って手伝いに来た人のことも気にかけていて、フレデリカが患者の治療をしているとドナテッラが声をかけてきた。

「あなた、あまり治癒魔法は得意ではないのね。魔力の量も程々だし…」

 久々の治癒魔法に、少したどたどしくなっていたのを見かねたようだ。

「明日は別の仕事を頼むわ。魔力がなくならないよう、きちんと管理なさい」

「はい」


 翌日は治療の部屋に行くことなく、聖堂内の仕事に回された。

 司祭からあてがわれたのは聖堂に届く供物の目録確認と仕分けの仕事だった。供物を整理する暇もなかったようで、小さな部屋に山積みになっていた。

 食べ物は供えられた後厨房に運ばれ、薬草は調薬室へ。それ以外のものがここに集まっているようだが、腐らない品は奥に仮置きされたままらしく、ほこりを被っているものもある。


 供物を受け付けた台帳と現物を照合し、同じ物をまとめるのが仕事だが、自己申告で受け付けた物は名前通りでないものもあった。名前が違う物はチェックして、わかる物は書き直す。見逃していた生の果物や鉱石なども出てきた。わかりやすい物から片付けると、初日は部屋の三分の一が片づいた。


「これ、台帳と違うようです。こっちは丘トカゲの背びれって書かれてますけど、丘トカゲに背ひれはないし、こっちはファイヤーバードの胸の羽根ってあるんですが、火魔法の要素が全くなく…」

「ああ、正しい名前がわかったら書き直して、わからなければ処分でいいよ。何かわからない物があったところで使い道がないんだから…」

 司祭は宝石やコイン、食べ物や薬草と言ったすぐに役立つ物以外にはあまり興味はないようだ。

 何て大雑把な仕事をしているんだろう。しかしこれは面白いかも。

 素材の判別はフレデリカの得意とするところだ。


「今まではどうしてたんですか?」

「聖女様にお任せしてたら、仕分けてくれてたからね」

 これもまた聖女の仕事だったのか。四人も人手がなくなり、ここまで忙しくしていたら、こんな手のかかる仕分けなどする時間はないだろう。

 まずは目視で見分けがつく物をこの部屋から追い出すことにしたが、聖堂にある図鑑を使いたいと言うと書庫を利用する許可が出た。



 ドナテッラの治療は機械作業で、次から次へと黙々と仕事をこなしていた。

 人々が感謝の礼を言っても反応は薄く、文句を言う者には

「それだけ元気なら、もう来なくていいわよ!」

と容赦なかった。しかしその処置は的確で、完治と言えるほど丁寧に治されていた。

 食事さえ取る時間がないこともしばしばで、遅くまで働き、朝も早い。

 司祭と供物の話をしていたら聞き耳を立てていることもあり、もしかしたら聖女も供物の中に混じる謎の素材に興味があるのではないかと思われたが、そんなことを話す余裕もない。


 人の失敗に厳しい言葉を向け、聖堂の空気は重い。しかし人だけでなく、自分の失敗にも厳しく、忙しくなるほどに聖女までが落ち込んで、何とも気まずい状態が続いていた。

 早く新しい聖女見習いが来てくれれば。

 そこにいる誰もが待ち望んでいたが、なかなか人は来なかった。



 フレデリカは供物の中の謎の物をいくつか手に入れていた。必ず司祭に声をかけ、許可を得てからもらうようにしていたので後ろめたさはなかった。


 素材丸ままであれば確定は難しくないが、大きな素材を切った物はよほど特徴がないと断定することは難しい。推測で多分あれと思えるものはあれど、多分○○と書くわけにもいかず、不明品としてもらっているが、当たっていても返す義理はない。


 この街の人の聖堂への信仰の深さはなかなかで、実に高価な素材が遠慮なく供物になっている。恐らくこうした素材を使える人がいるからこそ集まってくるのだろう。

 多分黒龍の鱗の破片、推定火トカゲの尻尾の骨らしき破片、恐らく雪鳥の氷魔法が抜けた羽毛、どうやら北部の聖域にしかない精霊樹の葉っぱが混ざっていると思われる腐葉土。一体誰がどういう伝手で手に入れた物なのかわからないが、そんな物がこうして聖堂に集まってくることこそ「女神の導き」というものなのかもしれない。フレデリカは自分もこうしてこの仕事に導かれ、素敵な素材達に巡り会えたことににんまりと笑みを浮かべた。




 聖堂の裏には水が豊富に湧き出る井戸があり、皆井戸の水を炊事や洗濯に使っていた。

 フレデリカは朝の散歩をしていて、その先にある林の中にも古びた井戸があるのを見つけた。立て看板のようなものがあるが、ずいぶん古いものらしく文字は読み取れない。井戸を囲う石は苔むし、年季の入った木の板で蓋がされていた。つつけば簡単に砕けるほどに腐った蓋を外し、中を覗き込んだが、暗くて何も見えない。石を投げ入れれば数秒の間を置いてチャポン、と音がした。

 大して離れていない所に二つも井戸を掘るのは珍しい。かつては涸れた井戸が再び水が染み出ているのかもしれない。あるいは異物が混入して使えなくなった井戸か…。


 フレデリカは近くの草の蔓を取り、小瓶をくくりつけて井戸の中の水を採取した。ついでにいつも使っている井戸の水も別の瓶に入れ、部屋で両方の水を比較してみた。

 さすが聖堂に近いだけあって、どちらの水にも聖魔力がうっすらと感じられる。長年続く聖女の祈りが染みこんでいるのだろう。水質は悪くないが、口に含めば封鎖されている井戸の方にはわずかにピリリとした刺激があった。飲み水としてはいつもの井戸の方が飲みやすい。


 この井戸も使えるようにできるのでは?

 軽い気持ちで古井戸の水を今の井戸に近い水質にする魔法を組み立ててみた。紙の上に術式を書き、古井戸の水の入った瓶を置いたが、ゆるゆると効きの悪い魔法が巡っている。


 刺激になる成分を判定して除去するため、聖堂の書庫にある古い記録を探すと、207年前の日誌が反応した。光るページを開くと井戸のことを書き記した記録が見つかった。


 当時街に侵入してきた魔物が井戸に落ち、そのまま死んでしまった。引き上げることもできず、瘴気が湧き上がるのでそのまま封印し蓋をしたとある。ということは、あのピリリは魔物の魔力と瘴気が含まれているのかもしれない。毎日の祈りのおかげか、ほぼ浄化されて体に害のないレベルになっているが、今では井戸のことさえも忘れられているのだろう。



 一日の仕事が終わり部屋に戻ると、フレデリカのかけた魔法の術式が効きすぎていた。あの古井戸の水は何の成分も持たない、これ以上ないただの水になっていた。

 魔法の地域差は、大気や水、土が違うことから生じ、使う素材もまた育つ中でその影響を受けているせいだと言われている。そうした影響を受けない水なら面白いことができるかもしれない。


 フレデリカは今手元にある素材を確認しながら、サビーノの家で読んだ遙か東の国の魔導書のレシピを思い出し、漏れ出る笑みを抑えられなかった。



 再び井戸に行って鍋に水を汲み、さっきの術式の上に置いておく。

 朝には鍋の水は期待通りただの水になっていた。レシピの素材を多少アレンジしながら調合して布袋に入れ、鍋の中に突っ込んでそのまま蓋をし、鍋を熟成を進める術式を書いた紙の上に置いた。


 部屋に戻ると、鍋の液体は淡い枯葉色に染まっていた。


 フレデリカは薬草を数種類混ぜて乳鉢ですりつぶし、その中にその液体を注ぐとぱあっと発光し、すぐに収まった。腕にナイフで軽く傷をつけ、できあがった液を塗ってみるとそこだけ時間が早く巡っているかのように傷がどんどん塞がり、やがて傷とも言えない若干の色の差が残る程度に回復していた。

 ペロリと舐めてみたが、薬に害はなさそうだ。


 鍋の液体を小瓶に詰め、指にかかった液を舐めると、その風味というか、フレデリカ自身が持つ魔力に対する反応に心当たりがあった。

 狙っていた以上の物ができている。

 フレデリカはご機嫌だった。



 供物の中の食品を厨房へ引き渡し、戻る途中、聖堂の奥の立ち入り禁止区画、呪われグッズ置き場に行ってみた。街の住人がお祓いを頼む物を入れておき、定期的に浄化しているのだそうだが、このところその作業は後回しにされていて、ドアの隙間からちょろちょろと瘴気が漏れていた。

 鍵がかかっているが開けられないこともない。以前鍵穴を潰して大目玉を食らったことがあり、慎重に解錠し、ドアを開けると、ドアを吹き飛ばしてでも出ようとしたがっている瘴気が塊になってフレデリカに襲いかかってきた。フレデリカはさほど驚きもせず瓶の液体をぶっかけた。するとどす黒い瘴気は一瞬にして消えた。それでもなお新たな瘴気が沸き立ち、その原因の一つ、瘴気をダダ漏れにしている呪われ宝石箱を見つけ、上からその液を振りかけると、ガタガタと音を立てて暴れた後、ひっくり返ってピクピクと数回動き、ピタリと動きを止めた。

「…これは確定ね」

 この多忙な時に、いいお手伝いができた。

 フレデリカはひっくり返ったままの箱を放置し、その中に入っている宝石にも触れることなくそのまま部屋を出て、再度施錠した。




 早速この液体を役に立ててもらおうと、手持ちの瓶に詰め、木箱に入れて薬を調合している部屋に持って行こうとしたが、その手前にある治療の部屋で一騒動起きていた。

「どうしてなくなる前に言わないの! 急になくなったなんて言われても、作るのに時間がかかるのよ」

 ドナテッラの叱る声に、しくしくと泣く声がしている。

「も、申し訳ありません。こんなになくなってるなんて思わなくて…」

 泣いているのはレーナだった。

「…確かに在庫確認していなかった私も悪いけど。…聖水がないと薬も作れないし、瘴気も払えないのよ。こんな状態で魔物でも現れたらどうするのよ」

「すみません」

「…いいわ。その人にはその最後の一本を使って」

 レーナが手にしているのは聖水の入った瓶だ。


 なんとタイムリーな!

 フレデリカは部屋に入ると、木箱から瓶を一本取り出した。

「これは使えないでしょうか」

 突然やってきて謎の瓶を出してきたフレデリカに、一斉に視線が集まった。

 ドナテッラ、レーナやアルノーだけでなく、患者も肩から瘴気を出しながらフレデリカを見ていた。自分が手持ち最後の一本を使ってしまうことに恐縮していたようだ。


「魔物にかじられましたか」

「小者だと思って油断した…。退治はしたが…」

 傷は小さいが瘴気は強い。毒のある魔物だったのだろう。

「それは何?」

 ドナテッラはフレデリカの持っていた瓶を手に取ると、すぐに蓋を開け、匂いを嗅いだ。

 何かピンときたのだろう。少し手に取って口に含むと、数回頷いて、ためらうことなく怪我をした男の肩に液を振りかけた。すると肩から出ていた瘴気は液に驚いたように引っ込み、傷の中でしばらくうごめいた後、完全に消え去った。


 その様子を見ていたドナテッラの目は鋭かった。

「…あなた、今供物の仕分けをしてるのよね」

「はい」

「これは、…供物にあったの?」

「…はい」

 使った材料は供物だ。まんざら嘘とも言えまい。

 若干不審そうな顔をしてはいたが、ドナテッラは

「そう。じゃ、それは調薬室に運んで。同じ物があったら全部調薬室に持ってきて。すぐによ」


 フレデリカの持っていた残りの瓶はレーナが受け取った。

「何だか色がついてますねぇ」

 レーナは色の違いは気になったようだが、さっきの効果を見る限りこれは聖水だ。液体を普段使っている聖水と同じように使い、薬を作った。処方の違いなのか、遠慮なくガバガバ入れている。そんなに入れたところで効果は変わらないのに。フレデリカはもったいないと思いながらも、黙って見ていた。


 レーナはできあがった薬を鑑定して、ほっと息をついた。

「物は大丈夫です。いい聖水ですね」

「ありがたいな。人手も足りないのに、聖水まで足りなくなるとどうしようもないよ」

 ドナテッラの目の下には隈ができていた。かなり疲れているのだろう。新しい聖水の準備にすぐに取りかかれるとは思えない。

 聖女見習いもまだだが、手伝いの魔法使いもフレデリカ以降来ていない。アルノーの契約期限も残り4日ほどだ。レーナは元々この街の人間で、もうしばらく手伝いできるようだが、普段から聖水の配分量が多めだが、焦ってくるとミスが多くなり、聖水を入れすぎたり、うっかりこぼしたりすることが増えていた。これでは聖水の在庫もなくなるわけだ。

 全ては人手不足のせい。早く新しい人が来てくれるのを願うばかりだ。


 その後もフレデリカは部屋で例の聖水っぽい液体を作り、調薬室に届けた。瘴気を消すのはもちろん、調薬するにも癖がなくて使いやすいらしい。ドナテッラも聖水を作る作業がなくなると少しながら仕事が減り、一服するくらいのゆとりはできていた。

 フレデリカが聖堂に来て初めてみんなそろって夕食を食べた。今日の患者が少なかったのもあるが、聖水もどきの導入、聖水もどきを使った調合がうまくいっていることが大きかった。


 聖女の仕事とは言え、聖堂の中にある泉に祈りを捧げ、自らの聖魔力を込めて聖水に仕立てるのはずいぶんと聖魔力と体力を消耗するものらしい。作れる聖水の量も減ってきて、疲れる体に追い打ちをかけていた。

 やはりこれを作って正解だった。フレデリカは実験の成果に満足した。



 仕事の合間に仕掛けるのが面倒になってきたフレデリカは、使ってない方の井戸に行くと、大きな石板に水を浄化する術式を書き込み、そのまま井戸の中に投げ込んだ。一日もすると、かつて魔物が沈み封じられた井戸は普段使っている井戸以上に清められた。ただの水が汲み放題だ。しかしそれに満足しなかったフレデリカは、聖水もどきを作り出す材料を大きな袋に入れ、重し代わりの石に熟成と品質安定の術式をバランス良く書き入れてそれも袋に入れると、ポイッと井戸の中にぶち込んだ。

 部屋で作っている分がなくなれば、これからはあの井戸に汲みに行けばいい。これで聖女ドナテッラも自分の仕事も減って万々歳! …と思っていたのだが。



「何ですか、これは」

 作業を見に来た司祭が、ほんのりと色のついた液体を薬に混ぜているのを見てレーナに質問し、レーナが

「聖水です」

と答えたところ、大騒ぎになった。

「我らが女神様の作られた聖水がこのような濁った色をしているわけがない!」

 そう言って聖女ドナテッラを呼び出し、事情を聞いたところでドナテッラが作った聖水ではない。

「供物としていただいたものです。聖水と同じ効果があるので使わせて…」

「同じなわけがありません!」

 穏やかそうに見えた司祭は、一旦怒りだすと激しかった。

「これは女神に対する冒涜です。このような濁った物を聖水と呼び、聖堂に救いを求める者に差し出すとは! これは異端行為です!」


 あまりにギャンギャンとうるさいので、フレデリカは自分が作ったことを白状した。

「それは私が作りました。聖水ではありませんが、聖水に似た効果がある『薬』です」

 それにはドナテッラもレーナも目を見張って驚いていた。聖水に似た薬を作るなど、常識ではあり得ない。聖魔法もなく、普通の魔法さえ大したことのない、まだ子供といえるフレデリカがこんなものを作るなんて。


「おおお、何てことだ! 神の作りたもう聖水を人が真似ようなどと、恐れ多い! これは聖堂の真理に反する違法薬物です! 女神への冒涜、悪魔の導き、このようなものを作り出すなど、あり得ない!」

 そこから長々と説教を受けた。

 代用品として使えようが関係ない。聖女がくたびれて力尽きそうになっていても司祭の目には全く映っておらず、自分は平時と変わらぬ聖堂の運営だけを行っている。薬の効果を調べることもなく、忙しいみんなを足止めしてただ異端だ、違法だ、とわめき散らすだけ。

 こういうときに人の本性が出るものだ。

 最後はフレデリカが謝り、

「すみませんでした。材料もなくなりましたし、二度と作りません」

と宣言すると、気が済んだのか司祭は

「いいですね、残っている物も全て始末するように!」

と言い残して去って行った。

 もちろん、聖水もどきは始末することなく、最後まで使い切った。


 部屋で作っていた分はこれでなくなるし、材料ももうない。

 まだ手をつけていなかったが、井戸いっぱいの聖水もどきは無駄になってしまった。レアなアイテムを遠慮なくぶち込んでしまったのをもったいないことをしたと思ったが、仕方がない。元々使った素材はここの供物だ。


 人手が足りないせいか、追放はされなかった。どのみちフレデリカはいなくなる身だ。異端宣言されようと、痛くもかゆくもないし、残る日数分働いて後は帰るだけだ。



 司祭の姿が見えなくなってから、

「あれ、本当にあなたが作ったの?」

とドナテッラに聞き返された。

「ええ、まあ」

 ドナテッラには責める様子はなく、むしろ目をキラキラと輝かせていた。

「あれ聖水と同じ効果はあったけど、聖魔力は感じなかったのよね」

「私に聖魔力はありませんから…」

「何を入れたの?」

「ここに供物として寄進されていた物から、適当に…」

「もしかして、黒龍のうろこの切り取ったの、使った?」

 ドナテッラは手で小さな四角を作った。

「はい」

 ドナテッラは悔しそうに顔を歪めた。整形されてぱっと見では鱗かどうかわからない寄贈品。あれを黒龍の鱗だとドナテッラも鑑定できていたのだ。

「くううっ、いつか使ってやろうと思って、一番奥に隠しておいたのに」

 とっておきを見つけ、使ってしまったフレデリカを憎々しげに睨みつけた。


「まさか、雪鳥の羽根は」

「上物でしたね。再結晶化させるのがちょっと大変でしたが」

「ええーっ、あれも使っちゃったのぉ? 全部ぅ?」

 目の前にいるドナテッラには聖女らしい威厳もなく、ただの魔法使いにしか見えなかった。しかも、フレデリカと同類の匂いがする。年はそこそこ離れているのに。

「全部じゃありません。あと三つくらい残ってます」

「たったの! 遠慮ない子ね。あなたに供物の整理を任せるんじゃなかったわ」

「あの人は気付いてませんでしたけどね」

 フレデリカが司祭が去って行った方角を顎で指すと、

「あれはあれでいいのよ。全ては女神の御心のまま、そう思っているんだから。金目の物には目聡くても、本当に価値のある物はわからない。まさに聖堂のエリート。おかげでレア素材をもらい放題だったのに。やっぱりわかる人がいるのねー、あー、やだ」

 あんなにこき使われて、楽しみにしていた素材もなくなり、ドナテッラはずいぶん落胆していた。

「残ってる物もありますよ。ここの物はここで使い切るつもりでしたから、未使用の分は後でお渡ししますね。…黒龍の鱗は使い切っちゃいましたけど」

()()に使ったのよね?」

 ドナテッラはあの聖水もどきを確認した時に気付いていたのだろう。フレデリカがこくりと頷くと、

「…仕方がないわね。ちょっとの間だったけど楽させてもらったし。…はっ、『神の作りたもう聖水』ですって。作ってるのは私だっての。あの司祭は聖女は女神の奴隷とでも思ってるのかしら。聖魔力を使うだけで魔法使いと変わらないのに…」

 首を左右に振ってポキポキっと音を鳴らし、うーんと背伸びすると、いつものドナテッラに戻っていた。

「…あー、聖水作ってくるわ」

 これからは聖女のお仕事モードだ。


 この人があの素材を使えば、どんな物ができるんだろう。フレデリカは聖女の裏の顔、魔女ドナテッラの真の姿を見てみたいと思った。




 明日にはアルノーもいなくなる。新しい聖女見習いは三日後に来ることが決まった。フレデリカがこの聖堂にいるのもあと数日だ。

 聖水もどきが禁止になってドナテッラの仕事量は元に戻ったものの、あとちょっとの我慢。みんなで聖女を支え、せっせと働いていた。



 その夜、街の一角から火の手があがった。その日街には水魔法の魔法使いが数人しかおらず、消火活動は難航し、瞬く間に燃え広がった。

 火の手は収まる所を知らず、火元に一番近い南聖堂には火傷を負った者や、逃げる際に怪我をした者、煙を吸い込んで具合が悪くなった者が次々と運び込まれた。


 その日の勤めを終えたばかりだったが、旅支度をしていたアルノーやフレデリカも呼び出され、ドナテッラを中心に怪我人の治療を進めていった。レーナは家に帰っていてすぐには来られず、三人で処置をしていたが、駆け込んでくる人をさばききれず、聖堂の外にも治療を待ち、倒れ込んでいる人がいた。

 疲れの取れないドナテッラは、ふらつきながらも重症の者を治療していたが、限界が来ているのは明らかだ。


 フレデリカは用を足しに行くと言って治療の手を止め、聖堂の裏に行くと、つけていた腕輪と足輪に呪文を吹きかけた。輪は大きくなって手足から外れ、地面を転がった。

 普段は使わない長くて複雑な呪文を唱えると、風が激しくなった。風は聖堂から真上へと吹き上げ、周囲の物を巻き上げながら渦巻き、やがて黒い雲が湧いてきた。

 黒雲は大きく広がり、フレデリカが火元を指さして呪文を唱えると、雨を落としながら燃える街を目指して移動していった。


 自然でない雲の湧き方に、誰かの魔法なのは一目瞭然だった。しかし聖堂から降らせていては水の魔法は火元まで持たないと誰もが思ったが、雨を浴びた者は思わず安堵の声を漏らした。

 聖堂前で苦しんでいた者達に雨があたると、ゆっくりと傷が癒え、呼吸が楽になり、咳が止まった。

 その効果に気付いた者が、中にいた患者を外に出し、まだ雨が残る間に天からの恵みの滴をその身に受けさせた。


 雨雲はさらに勢いよく広がり、火の上がった場所に届くとたたきつけるような大粒の雨に変わり、燃える街に降り注いだ。火はその水を恐れるように勢いをなくしていった。

 火災現場にいた負傷者も皆傷がなくなっていた。しかし雨が降る前に命を落としていた者は、残念ながら生き返ることはなかった。


 火災は街の区画二つ分を飲み込みながらも、数人の死者を出したにとどまった。

「女神の慈悲の雨だ…」

 誰が言い出したのかはわからないが、この火災の雨は後にそう呼ばれ、雨雲の発生源だった南聖堂は奇蹟の起源として人々の間で噂になった。


 雨を浴びた人にはうっすらと枯草色の染みがついていたが、火事で大気に舞っていたすすが降ってきたのだろうと誰かが言うと、皆その言葉を信じた。



 ドナテッラはあれが奇蹟ではないことに気付いていた。

 右手と左足につけられていた輪を外したフレデリカは、最初に見た時の千倍、いやそれ以上の魔力を持っていた。街に雨を降らせた水魔法だけでもとんでもなかったが、さらにその雨に聖水もどきを混ぜ込んでいたのだ。

 数日前に素材をつけ込んでいたあの古井戸の聖水もどきは全てなくなり、井戸は干からびていた。

 女神の慈悲の雨ではない。魔女のもたらした雨だ。


 聖堂の裏で座り込んでいたフレデリカの元に歩み寄ると、ドナテッラは落ちていた輪を拾い、フレデリカに手渡した。

 魔力を封じている理由はあえて聞かなかった。まだ幼いフレデリカには過剰な魔力だ。先輩の魔女か親にでも力を制限されているのだろう。


「お疲れ様」

 ドナテッラは回復薬をフレデリカに渡した。聖女特製の特級品だ。

「お疲れ様です」

 回復薬を一気飲みすると、フレデリカにはない聖魔力が優しく体をいたわってくれた。

 ああ、この人は本物の聖女だ。

 フレデリカはドナテッラに笑顔を見せた。

「ドナテッラ様。十日後くらいに、聖堂の林の中にある呪われた井戸に行ってみてください。きっと呪いは解け、新たな女神の慈悲が()()()()いるでしょう」

 フレデリカの言葉にドナテッラはこの奇蹟の仕組みを知ったのだろう。

「…あなたにも、女神の加護がありますように」

 そう言って、フレデリカに自分のつけていたイヤリングの片方を渡した。

「すっごーい…」

 それは三日の徹夜くらいは楽勝にするほどの回復力を授ける物だった。

 あんなにふらふらになりながらも、これを使って踏ん張っていたわけだが、逆に言えばこれがなければ早々にギブアップできていただろう。こんなもので無理していたら、本当に力尽き、そのうちパタリと死んでしまうかもしれない。

「ほどほどに、ですよ?」

 フレデリカは自分の足の輪をドナテッラに渡した。

「やめたくなった時が引き時です」

 ドナテッラは小さく頷いて、その魔力を制限する輪を受け取った。




 司祭はこの奇蹟に乗っかり、女神の威光を聖堂の本部に伝えると、すぐさま聖女と聖女見習いがこの街に派遣されてきた。

 感謝を込めた多くの供物が聖堂に届き、金銭的にも、人手も満たされ、アルノーもレーナもフレデリカも、約束の二倍の報酬を得て聖堂を離れることになった。


 聖堂を去る前に、ドナテッラはフレデリカを聖堂の奥書庫に案内してくれた。普段は一般の人には入ることができない場所だった。聖遺物や経典などが多かったが、ドナテッラはまっすぐに端の一角に行くと、五冊ほどある聖魔導書を見せてくれた。どれも実用的であり、かつ貴重なものだ。

 フレデリカはすぐに本を手に取り、ページを開いた。

「あまり時間はないけど」

 フレデリカは本から目を離す事なく、

「大丈夫です」

と言った。キラキラと目を輝かせてページをめくって聖魔法の術式を確認すると、二の腕につけていた太めの腕輪を外して小さな声で術式を唱え、軽くコツンと本に当てた。そして別の術式を唱えると、もう一度コツン。

 五冊全てに同じようにすると、本棚を見渡し、遠く離れた所にあった二冊を取り出して同じように腕輪を当てた。

「これも聖魔導書のようです」

「これ、まだ見てないわ。…あ、こっちは探してたの! …ありがとう。その腕輪は?」

「師匠が魔導書コレクターで。この腕輪をコツンと当てると、中の文字を記録するんです。持ち帰れば師匠が本にするという訳で…」

「複製して、後でじっくり読むのね。便利ねぇ。上には上がいるものね」

「本は読む人のものですから」




 サビーノの元に戻ったフレデリカは最初に言われていた額の報酬を師匠に渡し、その一部を自身への報酬としてもらった。その後もサビーノの元で三週間ほど働いたが、大して役に立たないと弟子入りは断られ、元の師匠ティーノの元に戻るよう言われた。

 元々の想定通りの結末に、フレデリカは軽く礼をしてサビーノの元を離れた。

 フレデリカが魔導師ティーノの命で弟弟子サビーノの所蔵する本を複製に来ていることなど、サビーノは知るよしもないだろう。


 ティーノに記録の腕輪を渡すと、ティーノは喜んでサビーノの蔵書と聖堂の蔵書を写し、満足げだった。

 ティーノの教えてくれた術式では本の文字しか写せていない。魔法陣や配合の図は文字に化け、何の意味も成していないのだが、それに気付くのはいつになるか…。ただ本を持っているだけのコレクターなら気が付くこともないだろう。


 やがてフレデリカは魔女として独り立ちし、師匠の元を去った。

 フレデリカはこれまでの師匠達の蔵書や、旅先で見つけた魔導書の図解入り完全版の複製を自身の腕輪の中に持っていたが、師匠のティーノでさえそれを知ることはなかった。




 一方、南聖堂では、林の中から見つかった古い井戸から枯葉色の聖水が湧き出すと有名になり、多くの信者が巡礼するようになった。透明でなくても異端とはされず、聖女の手を経ない天然の聖水として瓶に詰められ、高値で売られた。


 聖女ドナテッラは、一年後聖魔力の弱まりを理由に引退し、遠くの街へと旅立った。

 南聖堂にはもう一人聖女がおり、天然聖水(?)のおかげで収益も上がっていたので、司祭や聖堂の本部が引き留めることもなく、円満に退任が認められた。

 聖堂にあった供物はきれいに整理され、何とも知れない謎の素材は片付けられていた。

 井戸の中の素材の効果も薄れてくるだろうが、それもまた女神様の御心のまま。


 ドナテッラがいなくなった後、南聖堂に謎の供物が寄進されることは激減したが、ある街に住む人気の魔女の元にはしばしば貴重な素材が届けられているのだとか。

 どこにいても嗅ぎつける、ファンとは恐ろしい存在である。










お読みいただき、ありがとうございました。


誤字ラ出現、ご容赦のほど。

誤字のご連絡いただきました。ありがとうございます。



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