蜃気楼
朝日が昇る少し前、霧に包まれたリオドル島の海岸にホムンとドリー、そして鋼鉄の巨人クリケットを乗せた船が上陸した。
この島は人口 百数十人程度を抱える小さな離島であり、漁業を中心に生計を立てているが
本土からのやってくる商人たちの船の存在が彼らの生活には不可欠となっている。
魔王の軍勢との大戦の結果、船などの交通網が発展し 数多くの離島の住民ががこの島と同じく
船を介した物資のやり取りで彼らの生活に必要なものを手に入れている。
島の海岸に立つホムンとドリーを前に、船乗りがあくびをしながら呼びかけた。
「お約束はした通りにやらせてもらいますよ。送るだけ。帰りは島民に頼んでください。」
ホムンが大声で答えた。
「それでいい。ありがとう。日が完全に登りきらないうちに引き返してくれ。」
船乗りは海岸の2人に軽く手を振り、船の中へ戻っていった。
そして船はゆっくりと2人から離れていき、霧の中に消えていった。
「やっぱり物資が来てないことが痛手になってるわね。早くなんとかしないと。」
ドリーはホムンに語り掛けた。
ホムンは、この島の領主の封蝋印がついた手紙を取り出した。
「まず、この手紙の差出人に会わないとな。」
彼らは城に到着すると島を収める領主より彼らはこの島を取り巻く問題を改めて説明された。
事の発端は、数か月前 この島より少し離れた岩で覆われた無人島にドラゴンのような生物が住み着いてるという噂話から始まった。
無人島の近くで魚を採っていた漁師と深夜に大きな鳥の影を見たという数人の村人の話が出所のようだ。
だが、今までドラゴンを見たという報告はこの地域では存在しなかった。
魔王との戦いが起きていた時期でさえ、ここにはドラゴンやオークが攻めてきたことはなかった。
そのため、最初のうちは領主もただの噂話だと思っていたらしい。
しかし、それから間もなく奇妙なことが起き始めた。
この島が霧に包まれ始めた。それだけではない。
ドラゴンが住み着いたと噂された無人島が夜が明けた時、深い霧に包まれた山と森に囲まれた島へと変貌したのだ。
領主たちが彼の兵士と船乗りたちに調べさせたところ、その島はこのリオドル島と同じ形をしていた。
そしてなんと、家や領主たちの城も確認できたとの報告も受けた。
また、奇妙なことにその島は朝日が昇ると現れ、夕日と共に消え、岩に覆われた無人島が残った。
ここまでであれば奇妙な出来事として片付けられた。しかし、事態は悪い方向に進み始めた。
この島に来る船が皆、その島へと吸い寄せられていったのだ。そして夜が来ると、バラバラになった船と積み荷が現れた。
船乗りたちは夜に紛れて、まるで怪物に襲われたような船の中から生き残った人々を救い出した。
そしてこの島の医者は島民たちと協力し、彼らに手当を施した。
だがこの霧に包まれた奇妙な島の犠牲者は日を追うごとに増えていき、
リオドル島のような小さな島で抱えきれない数に達しようとしていた。
そして、この噂が広まるとともにリオドル島への交通網は完全に途絶えてしまっていた。
リオドル島から出ることは可能だ。だが一度出たものは二度とこの島へは帰ってこれない。
領主たちは島民を集め、彼らの一族が島民たちとずっと守ってきた、この島の放棄を検討している旨を伝えるまで追い詰められていた。
この話を聞きながら、ホムンは可能性を考えていた。ドリーも心当たりのあるような顔をしていた。
ホムンとドリーは島の漁師と共に船に乗り、問題の無人島へと近づいた。
「これ以上は日が沈まないと近づけません。」漁師はそう言った。
霧の中に、暗闇の中に見たリオドル島と同じ形の島が見えていた。
「ドリー、この地域で出たドラゴンの特性を覚えているか。」
「やっぱりそうよね。」
ドリーはホムンの方を見た。
ホムンやドリーは魔王の軍勢を倒すために作られ、育てられた。
彼らは戦場には出なかったが、彼らが戦うであろうドラゴンやオークの生態や出現地帯については常に最新の知識をその頭脳に書き込まれていた。
そのため、大戦時にどの種類のドラゴンがどの地帯で製造されていたか、どのような戦いで登用されていたかなどは魔王との戦いに参加したどの人間よりも詳しかった。
蜃気楼を出すドラゴン。それが霧の向こうのリオドル島の正体だ。
この無人島に現れた理由は推測が付いていた。
先の魔王軍との戦いの中、この近くでとある戦闘が行われた。
魔王軍の戦略的拠点へ運び込まれようとしていたあるドラゴンの卵を奪取すべく機鋼兵たちが襲撃をかけたのだ。戦闘の末、彼らは目的を果たし魔王軍の目論見を阻止し、卵も持ち帰った。
だが、1つ行方が分からないものがあった。
後の魔術師たちが機鋼兵が奪取した卵を調査した結果驚くべきことが分かった。
自軍の拠点の周りで蜃気楼を起こし、その近くで偽の拠点を投影し敵軍をドラゴンの方へ引き寄せて始末する。魔王の軍勢が拠点防衛のために生み出したドラゴンだったのだ。
卵から孵化し完全体になるまでには最低でも数年~十数年の年月を要するが
成長魔術を使えばもの半日あれば寿命は短いが完全体にすることが可能であった。
機鋼兵たちが奪取できなかった最後の卵、それが完全体となって霧の向こうに佇む
偽のリオドル島の先で獲物を待ち構えている。
城に戻った彼らは領主に対し、今回の騒動を引き起こした黒幕について話し始めた。
領主は黒幕の正体に驚きはしたが、話し終わると少し安堵したように見えた。
それもそのはずだ。今まで得体のしれない現象であったものの正体について、彼にも理解できる理由が付いたのだから。たとえそれが彼が対峙したことがないドラゴンという存在の仕業だとしても、悪魔の呪いや神の怒りといった人間ではどうしようもできない事柄ではないことは知っている。
そしてそれを看破した専門家が目の前にいる。彼らが来る前より状況は好転している。領主はそう感じていた。
ホムンとドリーは蜃気楼を起こすドラゴンを倒すために計画を練った。
どうやってあの島に近づきドラゴンと戦うか。その方法は容易に決められることではなかった。
考えられる事態はいろいろあった。
ドラゴンは自らの意思で蜃気楼を起こしている。もし、こちらの存在に気づいた場合悟られないように姿を隠す可能性がある。海中から無人島に侵入できればとも考えたが、クリケットでは水の中での移動と戦闘は厳しい。それだけではない。目撃談を考えればドラゴンには飛行能力がある。勝てない相手だと分かれば空を飛んで逃げられる。そうすれば別の場所で犠牲者が出る。ここで仕留めなければ繁殖される可能性も考えられる。そうなったら絶望的だ。
ドラゴンに悟られず移動し、尚且つ逃げられずに仕留める。それを達成するために彼らは一つの作戦を導き出した。
深夜、ホムンとドリーはクリケットと共に巨大ないかだで無人島に上陸した。
クリケットは岩の影に隠し、影に紛れて島を探索した。
島の住民たちの情報から、この無人島のおおよその地形は把握できていた。そしてドラゴンが身を潜めそうな場所の候補もいくつか見つけていた。
月明かりを頼りにホムンとドリーは別々に別れてドラゴンを探した。
日の出までに見つけれなければ日暮れまでひたすら息を殺して身を隠さなければならない。
今ドラゴンに敵の存在を悟られるのは危険なのだ。
岩陰を伝いドラゴンを探すホムンの元へトカゲがやってきた。
そのトカゲは彼の靴を登り、じっと彼を見つめた。
ホムンはそのトカゲを拾い上げ腕に乗せた。
トカゲの全身に魔法陣のような弱い光の痕跡が一瞬駆け巡った。
ドリーの使い魔だ。
「見つけたのか?」
ホムンの問いかけにトカゲは頷き、彼にウインクした。
ドラゴンは眠りながらじっと朝日を待っていた。その姿は暗闇だとまるで他の岩と同じようだった。
だが、その背中から伸びている弱く光り輝く煙突のように長く鋼のように冷たい突起物と微かに感じる魔力がドリーにそれがドラゴンであることを確信させた。
岩陰からクリケットがただひたすら覗いていた。その内部でホムンとドリーはとても長く、緊張感のある日の出までの果てしない時間を過ごしていた。
「日の出とともに、やつは目覚めて、蜃気楼を起こすはずだ。その隙を見て、まず蜃気楼の出所を、そして羽をクリケットで破壊する。決着が一瞬でつかないと逃げられる。」
ホムンはドリーに言った。それだけではない自分にも同じことを言い聞かせた。
「これじゃあ、緊張して仮眠も取れないわね。」
ドリーがぼやいた。だが そのボヤキでホムンの心に重く圧し掛かった緊張が少し緩んだ。
ホムンやドリーなどのエルフは戦う際に迷いや焦りといった心のノイズが出ないよう魔術師たちによって精神構造が設計されていた。そのため、常人では平静を保つことにできない条件でもある程度は冷静に状況を分析し、判断し行動できる能力はある。だが、エルフが人をもとにしている以上、完全に消し去ることができなかった。ホムンは皮肉にも自分は人間としての情緒を確かに持っていることを一瞬ごとに感じていた。もちろん彼自身はこんなところで感じたくはなかったが。
暗い海の水平線の下からわずかな光が漏れだしてくる。そしてこの小さな無人島の岩々に光がともりだしてくる。
岩のように眠るドラゴンにも朝を告げる光はやってきた。
そして徐々に強まる光を受け、ドラゴンの体に目覚めのための魔力を運ぶ光が駆け巡りだした。
クリケットは静かに動き始めた。そして腕に備えた魔力砲をドラゴンに向けた。
背中の突起物のような場所からまるで煙突のように煙が出始めた。霧がでは出始めている。
ホムンはすぐさまそこに狙いを定め、クリケットは魔力砲をドラゴンに向けて放った。
ドラゴンが叫んだ。そして羽を広げた。
すぐさま、クリケットは飛び出て腕から剣を取り出し、叫び声がやまないうちにドラゴンの羽を付け根から叩き切った。
自分の能力を一瞬のうちにすべて奪われたドラゴンはただの動揺する巨大な獣であった。
クリケットは剣に魔力を籠め、その獣に向かって斬撃を浴びせた。
蜃気楼を引き起こしたドラゴンは魔力を失い、岩に囲まれた無人島で朝日を浴びて輝く結晶となった。
この事件が解決して数日もたたないうちにリオドル島の交通網は完全に復活し、蜃気楼でできたリオドル島の被害者たちも無事、本土で治療を受けることが可能となった。
ホムンとドリーは島の海岸で迎えを待っていた。たとえ島への交通網が戻ってもクリケットを運ぶにはこの港は小さすぎた。
「クリケットをちゃんと乗せられる船だといいんだけど・・・。」
ドリーは少し心配そうにクリケットを見た。
「心配はいらないみたいだぞ。」
彼方から見覚えのある船が現れた。
「いや~悪魔の島のドラゴンを倒した英雄の騎士様をお迎えできるとは、光栄ですよ。」
そして聞き覚えがある声がした。
「へぇ~あの船乗りの人、帰りも迎えに来てくれたんだ。それなら安心ね。」
ドリーは大きく手を振ってその船乗りとの再会を喜んだ
島へ上陸したときの迷惑そうな顔と名誉ある仕事に携われるときの嬉しそうな誇らしげな顔、二つの船乗りの顔の落差を頭の中で見比べながら。ホムンは手を振った。
彼は、朝日が昇る前に感じた自分の中にある人間の情緒の部分に気づいた。
あきれていいのやら、なんのやら、あの船乗り、立派な髭に負けず面の皮が厚いじゃないか。