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精霊の騎士  作者: ゆずはらしの
第四章 聖と魔と
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4.聖と魔と 2

「ここに魔物が隠れてたのか」


 恥ずかしさを押し隠して少年は言った。その声はしゃがれていて聞き取りにくいものだったが、精霊の騎士はごく普通の調子で「ええ」と答えた。彼が黙っていた間、時間が流れなかったかのように。


「また出ると困るので、(ふた)をしました。その護符(ごふ)で止めています。抜かないで下さいね」


 ダートはのろのろと顔を動かしてちっぽけな木切れにしか見えないそれを見、次に井戸を見つめた。


「まだ、ここに隠れてるのか……?」

「今はいません」

「なんで井戸なんかに……」

「水を好む魔物なのでしょう。実際に会っていないのではっきりしませんが」


 クリスの返事にダートは、何とも言えない表情を浮かべた。彼は実際に会った。だが相手がどんな魔物かなど、考える暇はなかった。次の瞬間には家族全員が殺され、自分は気絶していたのだから。


「村の人に、これを抜かないよう言っておいてもらえますか」

「そりゃ、いいけど……」


 ぼそぼそと答えた時、村長のモースが、汗をふきふき近づいてきた。村人たちが話をしている二人に気づき、村長に注進したらしい。何の話をしているのだと言いたげな彼に、ダートは「ここに立てた魔よけ、引っこ抜くなってさ」とぶっきらぼうに告げた。


「魔よけ? ですか?」

「ルカス師にも言いましたが。村に魔物が入らないよう、護符を置いています。井戸の周囲に四つ、置きました。手を触れないようお願いします。子どもたちにも、触らないよう言って下さい」


 クリスが言った。モースは地面に刺さった木切れを、うさん臭げに見つめた。


「それはかまいませんが、何だって井戸に」

「ここに魔物が隠れてたんだって」


 ダートの言葉にモースはぎょっとした顔になった。


「こ、ここに? ここに魔物が?」

「今はいません。ですが念のため、出てこれないようにしました」


 モースは青ざめて井戸を見た。今にも牙をむいた魔物が飛び出てくるのではと言いたげに。


「では……この井戸は、もう使えないのですか。埋めてしまった方が……?」

「水脈が枯れていないのなら、また使えるようになるとは思いますが。不安なら、新たに井戸を掘っても良いでしょうね。『水探し』の方も来られているし」

「とにかく、これで魔物はもう、村に入らないのですか」

「まだわかりません。ですができる限り、手を尽くします」


 何か言いたげな顔になったが、村長はそれをやめた。頭を下げる。


「わしらには、魔物の事はわかりません。よろしくお願いします。それで、魔物は退治できそうですか」

魔物(アスラ)を狩るのは、グレイが来てからです。それまでは不安でしょうが、耐えて下さい。それと、ルカス師からお聞き下さいましたか。水探し(シーカー)の女性についてですが」

「ああ、はあ、聞きました。村の外で(おそ)われたら、そりゃまあ気の毒ですな。何かあったらちゃんと村に入れてやりますから」


 モースは言った。クリスは軽く頭を下げた。


「彼女はわたしを助けてくれました。よろしくお願いします」




 村長と別れたクリスは、村外れに向かって歩き始めた。午後の光が、少年の銀の髪をきらめかせるのを見ながら、ダートはその後について行った。

 先ほどの村長との会話を思い出し、弱そうだけど、やっぱり精霊の騎士(フェイ・カヴァリエ)なんだな、とダートは思った。彼の物言いは自信にあふれて聞こえた。モースがあんな風に下手に出て話すのは珍しい。ただあの血が気になった。どうして血を吐いたりしたのだろう。


「なあ、あんた」


 呼びかけると精霊の騎士が立ち止まり、振り向いた。白くて綺麗な顔。相手の顔が少女のように美しい事を忘れていたダートは、狼狽(ろうばい)した。そうして結局、どうでも良いような事を尋ねた。


(ねずみ)()いの女なんか、なんで構うんだ?」

「『水探し(シーカー)』、ですよ。なぜ構ってはいけないのですか」


 ダートの言葉にクリスは、逆に問うた。ダートは眉をしかめた。


「だって、あいつら(ねずみ)()いだぞ」

「人間ですよ」


 クリスは静かに答えた。


「彼女はわたしに親切にしてくれた。道を歩いていたわたしに、馬車に乗って行けと申し出てくれたのです。同じように親切にしたいと思うのは、おかしな事ですか」

「でも……(ねずみ)()いだぞ? あいつ」

「『水探し(シーカー)』。それが彼らの、自分たちを呼ぶ呼び名です。……魔物(アスラ)には、村の人間も水探し(シーカー)も変わりがない。同じように殺す。区別する事はありません」


 ダートは顔を強張らせた。横を向く。家族が殺された惨状(さんじょう)を見た時の衝撃と恐怖がよみがえった。(こぶし)を握る。何も言わずに立ち尽くすダートを、クリスも黙って見つめた。しばらく沈黙が流れる。


「何で……っ」


 やがてダートが、絞り出すような声で言った。


「何で魔物は、人間を襲うんだ」

「さあ」


 クリスは答えた。


「わかりません。精霊(デヴァイアーナ)がなぜ、人を選ぶのか。それと同じような事かもしれませんね」

「わかんねえよ。でもあんた、騎士だもんな。魔物を殺せるんだろ?」


 ダートの言葉に、クリスは「ええ」と答えた。


「だったら……父ちゃんと母ちゃんの仇、取ってくれ。ロッティのも。あいつ、まだ四つだった。俺や母ちゃんのあと、ついてまわるぐらいしかできなかった。おれ……俺にできるんならあの魔物、殺してやるのに」


 クリスの方を向いて、ダートは言った。


「なんか頼りないけどな、あんた。病持ちみたいだし。さっき、血を吐いてたろ」


 クリスはまばたいた。少し沈黙してから答える。


「病ではありませんよ。魔物(アスラ)の『気』は、精霊の騎士には毒なのです」

「え?」

魔物(アスラ)は気配を残します。吐く息、放つ熱、落とす体液。人間には普通、さしたる影響はありません。長い間それに触れたりしない限りは。ですがわたしたちには、その全てが毒になる。さっきのあれは井戸の周囲に残された、魔物(アスラ)の『気』をまともに吸い込んでしまった為です。おかげで少しばかり、苦しい目に会った」

「え……毒って。だってそれじゃ、魔物と戦えないじゃないか」

「あちらにも、わたしたちは毒になるのですよ。だから相手を倒せます。お互いさまという所でしょうね」


 淡々と告げる少年に、ダートは眉根を寄せた。聖なる力を振るう精霊の騎士(フェイ・カヴァリエ)。物語では何よりも強く、正義を行う者たちだった。だがこうして目の当たりにしてみると、思っていたのと随分違う。精霊の騎士は魔物への毒になる。でも、魔物はいるだけで精霊の騎士への毒になる。それは倒そうとして向かいあうだけで、苦しい目に合うって事じゃないのか……?


「けどそれじゃ……倒せるのか? 魔物」

「それがわたしの仕事です」


 静かにクリスは言った。『明日は晴れですね』と言うのと同じような調子で、淡々と。それからまた歩き出す。ダートは相手の反応に拍子抜けした。変なやつ、という思いが胸に()いたが、すぐに後を追った。変なやつだがこう言うのなら、魔物はきっと倒せるのだろう。彼は精霊の騎士(フェイ・カヴァリエ)なのだから。

 正義を行う、聖なる存在なのだから……。




 殺された一家の家の前で、クリスは立ち止まった。荒れ果てた印象だった。壁のあちこちが崩れ、屋根が傾いている。扉のあったらしい場所には、いくらかの破片を残し、ぽっかりと穴が開いていた。事件があったのは三巡月近く前の事。それ以来、放っておかれたらしい。


『魔物の出た場所に近づくことを、誰もが嫌がりました』


 そうルカスは言った。


『あの家に触っただけで呪われるんじゃないかと、みんなびくびくしています。ロッドとマーサと、ロッティの遺体は、何とか埋葬(まいそう)しましたけれどね。(とむら)わねば魂が迷ってしまいますから。最も遺体と言っても、体の一部しか残っていなくて。ロッティは首が残っていましたが……ロッドとマーサは、大人二人には到底足りない分しか残っていませんでした。家族のそんな有り様を、ダートは見つけてもらえるまで、ずっと一人で見ていたんです。可哀相に……』


 家の中から不快な臭気が漂ってくる。クリスは眉をしかめた。精霊と融合して以来発達した感覚は、古い血の匂いも()ぎ取ってしまう。だが彼が眉をしかめたのはその匂いだけでなく、魔物の匂いも感じ取ったからだった。この家の者を『食料にした』時のものだろう。漂う匂いに少し頭が痛くなる。

 ダートの方を見ると、少年は青ざめていた。体が震えるのを止めようとして拳を握りしめ、唇を噛みしめている。それはそうだろうとクリスは思った。家族の殺された場所だ。近づくたびに思い出すはずだ。殺された時の彼らの姿。それを見た時の恐怖。

 魔物への恐怖を……。  家に近づくと、「入るのか?」と声をかけられた。足を止めて振り返る。


「どんな魔物が出たのか、調べておきたいのです。ついてくる必要はありませんよ」


 そう言うと、ダートは顔をそむけた。


「俺の家だよ」

「今もここで暮らしているのですか」

「村長の家に……置いてもらってる」


 少年の拳は震えており、顔は青ざめて強張っていた。ここにいるだけでも辛いのだろう。それでも逃げようとはしていない。だがこれ以上は(こく)だとクリスは思った。


「誰かがいると集中できません。離れていて下さい」


 ここにいない方が良いと言っても、彼は聞き入れないだろう。そう思ってクリスは言った。ダートは何か言いかけたが、やがてうなだれ、うなずいた。とぼとぼと家から遠ざかる。彼の後ろ姿を見送った後、クリスは一人で崩れかけた家の中に入った。

 薄暗いその場所には、染みついた死臭と血臭、そして魔物の臭気が充満していた。そんな事をしても意味はないのはわかっていたが、思わず鼻を(おお)いそうになる。クリスは家の中を見渡した。暗くて良く見えないと思った途端、視界が切り替わった。融合(ゆうごう)している精霊が、視覚を調整してくれたらしい。土の床や石積みの暖炉がくっきりと見える。色までが違って見える。


(慣れないな)


 いきなりの事だったのでついてゆけず、身を強張(こわば)らせたクリスは片手で目を覆った。一度視界を(さえぎ)り、一息ついてから手を外す。今度は周囲の光景を受け入れる事ができた。普通の『目』で見ていたのとは全く違う世界がそこにあった。色彩がより鮮やかになり、物の輪郭(りんかく)がはっきりと見える。ここに住んでいた者が生きていた頃に残した跡も。彼らの思念が、生気が、暮らしている間に積もったものが、重なりあって残っていた。薄く光って家中に漂っている。その中に、赤黒くにじんだ染みのようなものがあった。


魔物(アスラ)が動いた跡)


 クリスはその染みから少し離れた。触手のようなものが幾つも扉から入り込み、家の中を横切っている。この形からすると、本体は扉付近に留まり、腕を伸ばしたという所か。


(何を『依』にしたのだろう)


 魔物(アスラ)は様々なものを『依』にするが、意思を持つ生き物を『依』にするのは少しばかり手間がかかる。その生き物の意思を潰さねばならないからだ。強い魔物(アスラ)は人間を選びたがるが、低位のものは手間を惜しみ、手っとり早く乗り移れる植物や動物を選ぶ事が多い。そうして魔物(アスラ)の形態は、選んだ『依』に準じる。植物と融合したものは植物的な特徴を持つようになり、動物と融合したものは、その動物の特徴を持つようになる。このように触手を伸ばすものは、植物を『依』にしたものが多かった。

 だがクリスの感覚は、生き物の気配を感じていた。


(生き物を乗っ取った感じがする。それも強い意思を持つ。血は……冷たい? もののようだが。気配はどう見ても怪魔(かいま)で、手間のかかる真似をするはずがないのに。『匂い付け』と言い、一体どういう魔物(アスラ)なんだ)


 そう思っていると、不意に『匂い』がきつくなった。ねっとりと体にまとわりつく。喉の奥がまた痛みだし、クリスは手巾(しゅきん)を取り出した。念の為、口許に当てようとする。そこでふと、先ほどのダートとのやり取りを思い出した。こんな使い方をするのもあの子には、『もったいない』風に見えるのだろうか。

 彼にはああ言ったが実の所、精霊の騎士(ラ・カヴァリエーロ)が包帯をする事はほとんどなかった。傷を負ってもすぐに()えるからだ。癒えないほど深い傷を負った場合は魔物(アスラ)に倒されて死ぬので、やはり使う必要がない。ただあの子どもの手前、そう言った方が良いと思ったのでそう言った。騎士になる前には、そうした使い方をした事もあったので。

 クリスは貴族の家で育っている。事情があって貧しい暮らしを余儀(よぎ)なくされたが、それなりの作法は仕込まれた。汚れを(ぬぐ)うのに手巾を使うのはだから、当たり前の感覚だった。だが辺境の村では、布地は貴重品だ。村の子どもの目からすれば、自分が大変な無駄遣いをしているように見えた事は見当がついた。

 そう、見当がついたのだ、とクリスは思った。気をつけていればそれぐらい、すぐに気づいたはずなのに。指摘されるまで気がつかなかったとは。こうした些細(ささい)な事で、人は相手の育ってきた環境を見る。自分たちとは違う所に気づく。

 クリスは手巾を背負っていた袋にしまった。何かあった時に手袋を汚したくなかったのだが、控えた方が良いと思ったのだ。今では精霊の騎士も平民出身の者が多い。彼らから見ればこれは、気取って見える行為かもしれない。


(あまり目立つなと、エイモスも言っていた……)


 同僚の騎士に違和感を抱かせる行動は、普段からしない方が良い。できうる限り自然に。他と変わりがないように振る舞わねば。

 気づかれてはならない。

 自分は根本的な所で、他の騎士と違っているのだから……。




 ダートは少し離れたところから、精霊の騎士が一人、かつて自分の家だった所に入るのを見ていた。その場所を見ているのは辛かった。体はみっともないほどに震え、足に力が入らない。


 ミンナ、殺サレタ。


 朝になって村人に見つけてもらうまで、ダートは血の海と化した家の中で一人、座り込んでいた。父親の腕や、母親の足、妹の首を見つめながら。


 ミンナ、殺サレタ。

 魔物ニ、ミンナ。


 あれからずっと、ダートはこの場所に近づこうとはしなかった。目を背け、見ないようにして何とか日々を過ごしてきた。見れば否応(いやおう)なく思い出してしまうからだ。血で染まった家の中で、夜明けが来るのをただ待っていたあの時を。

 誰かが来て、これは夢だと、父さんも母さんもロッティも、死んでなどいないと言ってくれないかと。それだけを願いながら、夜が明けるのを待っていた。その願いはかなえられず、ダートは今もあのぬるりとした感触を、生臭い鉄錆(てつさび)の匂いを夢に見て悲鳴を上げる。


 怖イ。


 ()みしめた唇が破れて血の味がした。体の震えが止まらない。

 魔物がいるのが怖い。魔物がまた来るのじゃないかと思って怖い。だから精霊の騎士を呼んでほしいと村長に言った。自分を売ってでもかまわない、その金で呼んでほしいと。

 怖い。ただ怖い。父さんや母さん、ロッティの為なんかじゃない。俺が精霊の騎士を待っていたのは、みんなの(かたき)を取って欲しかった為じゃない。

 自分が怖さから逃げたかったから。ただそれだけ。


 ……怖イ。


 俺は、卑怯者(ひきょうもの)だ。


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