11.緑の丘 1
埃っぽい街道を、人が歩いている。男二人と少年の三人連れだ。いずれも灰色のマントをまとった旅装。少年のマントにはつくろった跡があった。靴はサンダルである。
「一足先に帰るんじゃなかったんですか」
何となくびくびくした感じでグレイが言うと、ラルフが爽やかな笑顔で答えた。
「せっかくの休暇だからね」
「それなら、もっとのびのびできる所へ行った方が……」
「俺がいると邪魔なのかい」
邪魔じゃないけど、怖いんだ! とグレイは胸の内で叫んだ。しかもなぜなのか、理由がわからない。
「クリス、君は? 俺がいると邪魔かな」
声をかけられた少年は、まばたいてラルフを見つめた。表情は変わらないが何とはなし、困っているように見えた。
「ラルフさまには色々と尽力いただきましたし……ありがたく思っています」
オルの村での事件の後、結局クリスとグレイは残って、リタの葬儀まで付き合った。一足先に帰ったはずのラルフまで、戻ってきて付き合った(途中で放り出した荷物を取りに行っただけだったらしい)。
二人にはそこまで付き合う義理はなく、ラルフに至っては言わずもがななのだが、娘を亡くした村長夫妻の傷心を見るに見かねたのだ。それにあのまま放っておけば、アイラがまたダートに当たる可能性もあった。
クリスはそれで、グレイに頼んで葬儀に立ち会わせてもらった。精霊の騎士が三人も立ち会ってくれた事は、アイラの心を幾らかなりと慰めたらしい。村を出る時には、かなり落ちついていた。
その間に、魔物に憑かれたハナの事も少し村人から話が聞けた。リタの友人で仲は良かったが、彼女自身は楽な暮らしはしていなかった。二親に死なれた後鍛冶屋のロイの女房になったが、ほとんど強姦まがいの手で結婚させられたらしく、幸せではなかったらしい。
ロイは嫉妬深い上に乱暴な男で、ハナは始終、顔や体のあちこちに痣を作ってた。それでも村にただ一人の鍛冶屋の機嫌を損ねるわけにはゆかず、村の者はつとめて見て見ぬふりをした。
例外は、ダートの父親のロッドだった。彼は妻を殴るロイに眉をひそめ、何度かは力づくでこれを止めた。だがそうすると後になってから必ず、ロイの暴力が激しくなる。ハナは顔の骨を折られ、何度も死にかけた。ロッドは村長にかけあったが、村長のモースも煮え切らない態度で、夫婦の事は他人が口出しすべきでないと言うばかりだった。両親が生きていればまだ何とかなったのかもしれない。けれどハナにはもう身よりはなく、行く場所も逃げる場所もなかった。
やがてハナは、身ごもったまま死んだ。ある夜、酒を飲んで酔っ払ったロイは、日ごろの不満の解消に彼女を殴る事に決め、身ごもった妻に殴る蹴るの暴行を加えたのだ。悲鳴を上げたと言っては殴り、逃げようとしたと言っては蹴り、彼女がうずくまって動かなくなると、その態度が生意気だと言って殴った。
そうやって気分良く彼女を殴っていたのだが、反応のなくなったハナにつまらなくなり、疲れてきたこともあって寝てしまった。次の日ロイは遅くまで寝ていたので、ハナが死んでいる事に気づいたのは、かなりたってからだった。
彼女は体中が痣だらけで、あちこちの骨が折れており、手で腹部を抱えた姿のまま冷たくなっていた。ハナは子ども好きだった。たとえ嫌いな男の子どもでも、芽生えた命を見捨てる事はできなかった。そうして最期まで、赤ん坊を庇ったのだ。
ハナが死んでいる事に慌てたロイは家を逃げ出し、夜になるまでそのまま放置した。夜になってからようやっと戻ってきた彼は酒を飲んで酔っ払うと、その勢いでモースの所に行った。『妻が、病気で死んだようだ』と言って。
誰もが前夜、ハナを殴るロイの声と、やめてくれと懇願する彼女の悲鳴を聞いていた。ハナが病気で死んだなど、信じる者はいなかった。けれど誰も何も言わなかった。一人しかいない鍛冶屋は貴重なのだ。ハナは病気で死んだという事になり、埋葬は大急ぎで行われた。そうして全てが終わった。皆、そう思った。もう何も問題はない。元通り平穏な日々が戻ると。その後すぐに、ロイが死ぬまで。
ロイはある夜、恐怖に満ちた叫びを上げた。驚いた村人が駆けつけると、彼は苦悶に満ちた形相で死んでいたと言う。死んでほどなくして魔物に憑かれ、最初に夫に復讐したのだろうと、この話を聞いたクリスたちは思った。そうしてハナ自身は、何度か自分をかばってくれたロッドに憧れを抱いていたらしい。
自分の恋心と、幸せな暮らしをしたいという思い。
夫への復讐心。
赤ん坊に対する親心。
友人であったリタに対する妬みと、表立って自分をかばってくれなかった村人への恨み。
ハナを突き動かしていたのは、その執念だったようだ。それが魔物をも引きずり、結果として今回の事件となった。
「人間は……凄いですね」
経緯を思い起こしてクリスが言うと、「そうだね」と言ってラルフが微笑んだ。
「ところで、クリス? そんな他人行儀な言葉遣いはしないでくれ。俺の事は呼び捨てで良いよ」
「けじめですから」
「グレイの事は呼び捨ててるじゃないか」
「グレイは……先輩ですけど……でもラルフさまは、上位十三位の」
「エイモスにも『さま』をつけてるの?」
「エイモスは子どもの頃からの知り合いなので……」
「だったら俺も、呼び捨てで良いよね」
「そういうわけには」
クリスがちら、とグレイを見た。何とかしてくれと言いたげだ。グレイは咳払いをして会話に割り込んだ。
「ラルフさま。こいつは新人ですので。今が一番、礼儀に気をつけなきゃならない時期なんです。ですから」
「君たち、仲が良いよね……グレイがこんなに面倒見が良いとは知らなかったよ」
ラルフの視線が尖っている。まるで嫉妬されているようで、その理不尽さにグレイは叫び出したくなった。何でだ!
「それにしても、クリスはあの子の事、随分と気にしていたね。仲良くなったの?」
ラルフが言う。クリスは答えた。
「ダートですか? 仲良くと言うか……自分と重なる所があったので。放っておけませんでした。わたしも家族を目の前で失いましたから」
ラルフが真顔になった。グレイも。
「そう」
「だから自己満足です。彼が売られるのを止める事はできないし……結局、何もしてやれなかった」
目を伏せた少年が消沈している風に見え、グレイは居心地が悪くなった。どうもこういう小さい(ように見える)子どもが沈んでいると、何か言ってやらねばという気になる。
「俺たちが村を出る時、仲買人が引き取りに来てたな。あの神官、随分信用されてるみたいじゃないか。魔物が退治されるのを見届けさせてやって欲しいって、頼み込んだらしいぜ。普通はそんなの、頼んでも聞いてもらえねえのによ。
あれなら多分、ひどい扱いは受けないだろうよ」
なぐさめる風に、グレイが言う。
「こう言ったら何だが、村を出た方が良かったかもしれねえぜ。残っても村長の娘の事でちくちく言われただろうし。下手すると、魔物と取引をしたって言われて、火あぶりになっちまう。ああいう村は閉鎖的だから……」
「あの水探しのご婦人も、危なかったしね」
ラルフが言った。サラは新しい井戸を見つける仕事に取りかかろうとしたが、村長たちが結局、御破算にした。元の井戸が使えると聞いたので、修理して使う事にしたのだ。そこで村人たちはサラを追い払ったのだが、その際なぜか、彼女は魔物を呼び寄せた元凶にされた。
ルカスは彼女をかばおうとしたのだが、感情的になった村人に押し切られた。押さえ込んでいた怒りが村人の間で沸いてきたのだ。善良な自分たちを魔物が襲った事への腹立ち、村の子どもを人買いに売らなければならない罪悪感、若い娘を死なせた悲しみ。そうしたものを、彼らは何かにぶつけずにはいられなくなった。
そうして手頃な相手が、サラだったのだ。
こんなもんさ、と彼女は言って笑った。結局彼女は殺気立った村人に石を投げられながら、村を去った。もし神官と精霊の騎士たちがいなければ、村人は幌馬車に火をかけ、彼女を殺していたかもしれない。
「そう言えば、ラルフさま。村を出る時、あの神官と何話してたんですか?」
ふと思い出してグレイが尋ねた。
「ああ、彼の祖父と会った事があってね。俺は忘れていたんだけれど」
「そう言えば、そんな事を言っていた……喜んだでしょう、ルカス神官」
クリスの言葉にラルフは微笑んだ。
「彼が喜んでいたのはそれだけではなかったんだけど……クリス。実は君に贈り物を用意したんだが」
「贈り物?」
「俺の独断で。君の実家に届けてもらうように頼んだ。少し時間はかかってしまうが……君が喜んでくれるとうれしい」
グレイは居心地悪げな顔になった。気のせいだろうか。ラルフの言い方はまるで、……いや、気のせいだ。
「ラルフさま。あんまり構うとこいつの為になりませんから。ほどほどに……」
恐る恐る言うと、ラルフがじろりと睨んできた。だから、何でだ! とグレイは思った。どうして俺が、恋敵を見るような目で見られないといけないんだ!
「嫉妬深いね、グレイは。どうしてこう、話に割り込もうとするかな」
「嫉妬してません。全然してません」
「君はこれからクリスの指導役として、何年かは一緒にいるんだよ。ほとんど会えない俺の邪魔をしなくても良いだろう」
えっそうなの? とグレイは思った。それはクリスも同様だったらしい。
「指導役は普通、何人かが交代でするのではないのですか? 一人が何年も同じ新人につくとは聞いた事がありませんが」
「うん、でも俺がここで見た事を報告したら、多分そうなる」
クリスがさっと緊張した。グレイはそれを見て不思議に思った。何だ?
「俺が見た君の精霊の力は、どう見ても貴妖以上だった。輝妃の可能性もあるよ、あれ」
言われた内容にグレイが瞠目する。輝妃?
「ただ君の内側に沈んでしまって前に出てこない……だから力も不完全にしか出ない。理由は何となくわかるけれどね。君は訓練も受けずに契約し、大人になりきっていない状態で共生を果してしまった。下手に力を使うと体がもたない。力に呑まれて消滅する。
契約するほど気に入っている人間だったら、大抵の精霊はこう考える。『できるだけ、自分の影響を出さないようにして人間を守ろう』」
ラルフは続けた。
「しかも君に憑いた精霊は、人間に慣れていない。加減がわからず、徹底して自分を抑える手段に出ている。それでいて独占欲は健在だから、君に近づく同種のものを威嚇しまくっている……俺の精霊、結構高位なんだけどねえ。さっきから嫌がって出て来ない」
「俺の精霊も眠ったまんまですよ。こんなんで指導役なんて、できるわけないでしょう」
グレイが言うと、ラルフは肩をすくめた。
「それでも君は、『力を使う』点で及第した。二十位より後の騎士だと、精霊だけじゃなくて、騎士の方まで昏倒するんだよ。クリスに近づいただけで」
そんな迷惑な奴だったのかとグレイは思った。
「何でそれ、教えてくれなかったんですか」
「言ったら君、逃げただろう」
あっさりとラルフが言った。
「それに君なら大丈夫と思ったんだ。何とかなるって。そうだったろう?」
長年信頼し、憧れていた相手にそう言われ、思わずグレイはほだされた。認めてもらえた。それがただ、嬉しい。
しかしその嬉しさも、ラルフの次の言葉を聞くまでだった。
「そういうわけだから、クリス。グレイにいじめられたら、俺に言いなさい。いつでもしかってあげるから」
「何で俺が、このひよっ子をいじめるんです」
疲れたようにグレイが言うと、ラルフは笑顔をそちらに向けた。
「君は言動が少しばかり粗暴だからね。クリスみたいに繊細な子には、きついかもしれないじゃないか」
「あんた、この小僧の母親ですか。何なんです、その過保護っぷりは」
「過保護? どこが」
「自覚ないんですか……」
「ラルフさま」
「何だい、クリス?」
呼びかけられ、嬉々(きき)としてそちらを向くラルフにグレイは、がっくりと肩を落とした。彼のこんな姿を目撃する日が来ようとは、思ってもみなかった。穏やかな人格者のラルフさまが。カッコ良くて頼もしいラルフさまが。
「わたしは『なりたて』で、分を弁えねばならない立場です。学ばねばならない事も多い。グレイが厳しくするのなら、それはわたしがそうされねばならないからです。わたしは……まともな状態ではほとんど力が使えない。今回は命拾いをしましたが、次に使えばどうなるか」
「うん」
ラルフが真面目な顔になってうなずいた。
「だから体に負担をかけず力を使えるよう、色々と試してみたい」
「俺も手伝うけれど。何だったら」
そう言ったラルフに、クリスは首を振った。
「できれば、あまり近寄らないでいただきたいのですが」
ラルフは絶句し、棒立ちになった。
「俺は……迷惑?」
青ざめて尋ねる。クリスは答えた。
「ラルフさまに側にいられては目立ちすぎます。わたしは目立ちたくない」
「俺が嫌いってわけじゃないよね」
「嫌いではありませんが……」
「じゃあ好き?」
「良くわかりません」
「どうして」
「会ったばかりですし……わたしはラルフさまの事を良く知りません」
「なら、しばらく一緒にいたら俺の事が良くわかるのじゃないかな」
「いえ、それは……」
どういう会話だ、とグレイは思った。先輩騎士と新米騎士の会話と言うより、これはまるで……いや、考えるな。考えるんじゃない、グレイ。
「あのう……ラルフさま。もうその辺で」
このままではラルフの評判に関わるのではとの危惧を抱き、グレイは二人の会話に割って入った。
「ラルフさまは良くも悪くも目立ちます。噂になって気の荒いのに目をつけられたら、可哀相でしょう、『なりたて』なのに」
「グレイは、クリスの事を良く考えているよね……」
笑顔でラルフは言ったが、グレイに向けられた目線は尖っていた。グレイはもう何度目になるかわからない、何でだ! という思いを抱いた。
「まあ確かに、俺があんまり構うとまずいってのはあるけどさ」
それでも、彼の言い分が正しいと判断できるだけの頭は残っていたらしい。ラルフは不承不承という風に言った。
「でも、クリス。何かあったらすぐ俺に言うんだよ? 遠慮はしなくて良いから」
「ありがとうございます……」
クリスは頭を下げたが、居心地が悪そうだった。
「グレイ。君もだよ。彼に何かあったら俺に連絡してくれ」
「やっぱり小僧の母親になってますよ、ラルフさま……」
ため息をつくと、クリスが「あ」と言った。何だという顔をして二人が振り向くと、クリスはグレイに向かって言った。
「グレイ。わたしの事は、名前で呼んでくれるのではなかったのですか?」
「ああ?」
「囮になる時、生きて戻ったら名前で呼んでやると言って下さったでしょう」
言われて思い出した。そう言えば、そんな事を言ったような。
「もう面倒だし、小僧で良いだろ」
「わたしが、名前で呼ぶほどの騎士ではないからですか」
どこか悲しげにそう言われ、ついでにラルフから非難めいた目線を向けられ、グレイは少し慌てた。
「いやそうじゃ……今回は頑張ってたしな。制限あるのに良くやったとは思うよ。ただな、俺としては……ああ、わかった。わかったよ。クリス。これで良いか?」
「ありがとうございます」
少年が、ふわりと微笑んだ。その微笑みに、やっぱり花が咲いたみたいだとグレイは思った。
「本当に、君たちは仲が良いよね……」
そこでひんやりとしたものを感じる。グレイを見つめるラルフの視線は、それはそれは尖っていた。長年、憧れていた存在から嫉妬の眼差しを向けられ(しかも誤解)、グレイは世をはかなみたい気分になった。
* * *
「失敗したか」
報告を受けた男たちは苦々(にがにが)しげにつぶやいた。
「グレイが助けに行くとは予想外だった。あの男なら、見捨てると踏んだのに」
「しかし……第三位の騎士が力を貸すとは」
室内にいるのは四人。いずれも『剣の院議会』に所属する神官で、院の方針を決定し、任務を精霊の騎士たちに割り振る立場にある者たちだ。彼らはその中でも特に、院を清浄に保つ事を至上の目的としている者たちだった。
今話しているのはその内の三人。残る一人は部屋の暗がりの中、黙って彼らの様子を見ている。
「第三位と言うと、閃光のラルフ」
「正式な名はラウル・ビセンテ。緑鷹家の出身だ。傍系だが。十二貴族の事情には今まで関わって来なかったので、見逃した」
「何の気まぐれか知らないが……余計な事を。放っておけば死んでくれたのに」
「だが失敗は失敗だ。候補生を使った方法も駄目だった。今回の任務も、できるだけ情報を隠したと言うのに……」
魔物が村全体に『刻印』を施している事は、先に調査した者たちにより報告されていた。彼らはその情報を握りつぶした上で、クリスを送り出していた。
「次の方法を考えねば。あの異分子には早く消えてもらいたいものだ」
苦々しげに一人が言い、皆がうなずいた。そこで、それまで黙っていた男が前に進み出る。三人は居住まいを正した。
「精霊が特定できず、仲間の騎士の精霊も封じてしまう。さらに十二貴族、氷炎樹最後の直系として、『外』からの口出しもされかねないあの異分子は、我らの管理から外れている。あってはならない者だ。速やかに消去し、『剣の院』を清浄な状態に保たねばならん」
重々しい声で男は言った。人を従えるのに慣れた態度であり、話し方だった。
「ここは聖なる場所。我らは女神に選ばれた者。正義は我らにある」
窓から光が差し込み、そう言った男の顔を暗がりから浮き彫りにした。半分白くなった鳶色の髪に、灰色の目。
アンドレ・グラン。
重厚で厳めしい表情の男は、女神教会の司祭長にして『剣の院議会』議長。現最高責任者である。若い時に教会に入り、『剣の院議会』に派遣された。以来数十年に渡り、『剣の院』を運営してきた、辣腕と評判の人物である。
三人の神官は頭を下げた。
「尊師の言う通りにございます。女神の正義は我らにあり。必ずや、異分子は駆逐されるでしょう」
そうせねばならない、とアンドレは思った。彼の生家であるグラン家は、氷炎樹の分家、火白家と浅からぬつながりがあった。火白家は何代にも渡って氷炎樹本家の財産をかすめ取ってきた家で、当主の座を狙い続けてもいた。だがクリスが生きている限り、『氷炎樹侯爵』の名は手に入らない。
アンドレの元にやって来た実家からの使いは、邪魔者が無事に消えれば、多大な援助がもたらされると耳打ちしていった。
援助はいつでも必要だ。それで自分が議長の座に留まり続ける事ができるとすれば、特に。
「監視を続けよ。氷炎樹の騎士たちには、決して協力させるな。ラルフにもな。気まぐれだとは思うが、念の為だ」
「はい。グレイはどういたしますか」
「仲間に執着を持たぬ男ではなかったか」
「そのはずですが」
「なら良い。放っておけ。十七位の騎士など取るに足りぬ。我らに従うのならば良し、歯向かうのであれば処分せよ。たかが精霊の騎士。戦って死ぬだけの道具に遠慮はいらぬ」
「女神の庇護を受けるのは、我ら神官ゆえ」
一人がへつらうように言い、他の二人もそれに同調した。
「真に世界を救っているのは我ら。精霊の騎士など何程の事がありましょう」
「そうとも。いざとなれば反逆者として、討伐すれば良い」
「その通りだ」
そう言うとアンドレは三人に目をやった。
「各々の協力に、今後も期待する。今回の会合は、これまでとする」
三人は部屋を出ていった。一人になったアンドレはしばらく部屋にいたが、やがて彼も部屋から出た。
回廊に立ち、庭を眺める。光と影が美しい調和を描く庭は、『議長の庭』と呼ばれていた。何代か前の議長が作らせたもので、小さいながらも品のある造りとなっている。この庭を見るたびに、これはわたしのものだとアンドレは思っていた。そうしていると背後から、ささやくような声がした。
「あの方々にはあまり、期待なさらない方がよろしいかと」
「わかっている。追従は言うが、行動する事を知らぬ輩だ。だが議席では一票を持っている」
振り返らずに返事をすると、声は続けた。
「本家の小伜はいつ死ぬのかと、当主がじりじりしておいでです」
「我らとて早く何とかしたい。だが事故に見せかけねば、体裁が悪くなる」
背後の気配は、ひっそりと息をついた。
「こうなると、院に入られたのは痛手ですね。どこか外でお暮らしなら、数を使ってでも仕留めるのですが……若君さまには父君と同じ死に方は、おいやと見える」
「ここは聖なる場所だ。世俗の話題は持ち込まないでもらいたい!」
眉を潜めて言うと、小さく笑う気配がした。
「失礼。司祭さまには刺激の強い話題でしたか。しかし当方のあるじは忍耐が切れかけておりまして。直系が全員死んだと思いきや、一人生き残っている。精霊と契約したのなら資格を失うと喜んだのも束の間、身分はそのままにと王が異例の判断を示す。こうなれば院への襲撃も辞さないと言うのを、宥めている所です。爵位を本家から奪う事は、火白家の悲願ですから。
もし司祭さまがたの手に余るようでしたら、いつでも仰って下さい。わたくしどもが手をお貸しします」
アンドレは吐き捨てるように言った。
「付け上がるな。連絡役が必要ゆえ我慢しておるのだぞ。そうでなければ誰が、お前のよ
うな者と口をきくか。我らのなすのは女神の正義。薄汚い暗殺者は引っ込んでおれ」
「いともかしこき議長どの、正しき御身のご判断に出すぎた口をはさみました」
声は言った。慇懃な口調だったが馬鹿にしたような響きがあった。
「では、わたくしどもは連絡役に徹しましょう。しかし急いでいただきたい。あるじを宥めるのにも限度がございます。議長どのも、この聖なる場所を騒ぎに巻き込みたくはありまますまい」
この言い草にかっとなり、アンドレは振り向いた。しかしそこには誰もおらず、火白家子飼いの暗殺者は既に、立ち去っていた。
いらだちを抑え、アンドレは立ち尽くした。やがてもう一度、庭に目をやる。権威を示す、美しい庭。議長の証。
全てわたしのものだ。
アンドレは思った。この庭は。剣の院は。わたしのものだ……。
女神は正しき信仰を守る者として、わたしを選んだのだから。