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精霊の騎士  作者: ゆずはらしの
第十章 魔物
21/26

10.魔物 3

 放心していた時間は長かったのか、短かったのか。

 ダートが気づいた時、その騎士はすぐ側まで来ていた。


「クリステア」


 声をかけてきた騎士の気配に、ダートはびくりとした。振り返る。そこには輝く鎧をまとう青年が立っていた。

 騎士フェイ・カヴァリエ

 金の髪に奇妙な金色の瞳の青年。グレイではない。初めて見る騎士だ。


『精霊と契約した女性は殺される』


 サラの言葉が閃く。細いクリスの腕と首筋を思った。今までの彼の態度を。抱きしめてくれた時の、花に似た香りを。

 隠さなければ。そう思った。

 

「来ないでください」

 

 震える声で言うと、少年はできる限り体をしゃんと伸ばした。自分の体で背後のクリスを隠すようにする。


「来ないでください!」

「何を言って……」

 

 必死の形相で言う、村の子どもらしい少年に、ラルフは眉をひそめた。だが、倒れているクリスらしき少年からの気配に顔を険しくする。

 『気』の放出が急激に高まっていた。それらが熱となり、大気を振動させている。明らかにそれは、本人の制御を離れていた。暴走の兆候だ。このままではクリスの命はない。力の暴走は全てを巻き込み、滅ぼしてしまう。力を発揮している本人ですら。


退け」


 低く言うと、村の子どもは青ざめた。けれどその目に必死な光を宿し、両腕を広げる。


「いやです」

「何を言っている。死にたいのか。そこをどけ!」


 大気が脈動する。熱は高まり、クリスは小さな太陽のような気配を放ち始めていた。ダートは背後に熱を感じた。何か起きている。熱い。

 怖かった。目の前の騎士は、恐ろしい気配を放っていた。背後からの熱は、体を焦がそうとでも言わんばかりだった。

 けれど。

 退けない。


「いやです!」


 ダートはクリスの笑顔を覚えていた。支えてくれた腕を覚えていた。自分の怒りと悲しみを、引き受けようと言ってくれた事を。家族の分まで、自分らしく生きろと言ってくれた事を。

 人知れず血を流していた。精霊の騎士は強いのだと思っている村人の知らぬ所で、一人でひっそりと血を流し、それを人に知られぬようにしていた。村人を不安にさせない為に。

 そうして今、殺されかけた自分を助ける為に戦って。倒れた。

 だから。


「来るな! あっちへ行け!」


 熱くなる背中を意識しながら、ダートはラルフに向かって叫んだ。

 次の瞬間、天地が回った。どっ、という音と土埃。自分が投げ飛ばされたのだと気づいたのは、体に走る衝撃が、地面にぶつかった為だと気づいてからだった。慌てて体を起こした彼の前で、金色の髪の騎士がクリスの前に膝をつく姿が見えた。

 彼の背が、強張った。

 絶望に体が冷たくなる。その時、グレイの声がした。


「ラルフさま! 一体何事……小僧はどうしたんです!」

「暴走しかけている。このままでは死ぬ」


 顔だけを振り向かせ、ラルフと呼ばれた騎士が言った。


「同調して力を押さえ込む。君はここに残り、結界を」

「結界って……」

「この辺り一帯を焦土としたいのか! この子の精霊は尋常ではない!」


 怒鳴りつけるとラルフは、自分の体で隠すようにして、クリスを抱き上げた。グレイは真面目な顔になった。


「それなら俺が……と言いたい所ですが、もう同調していますね。わかりました。でも無事に戻ってきて下さいよ。騎士二人が暴走なんて事になったら、洒落しゃれにならない」

「俺を誰だと思ってる。任せろ。必ずこの子を助けて戻る」


 そう言うと金の瞳の青年は、とっ、と軽い音を立てて跳躍した。ダートが慌てて顔を上げた時には、二人の姿は小さくなって、川の向こう側の荒れ地にいた。

 跡を追おうとしたが、そこで襟首をつかまれた。


「待て、坊主。どこ行く気だ」


 ぐい、と引っ張られて放り出される。


「ここでも危ない。離れてろ。他に生きている者は?」

「お、……お、おれ、だけ……な、何が。何してるの、あいつ。クリスさまは」

「力の暴走だ。使い過ぎたんだよ。ラルフさまは、小僧を助けようとされている」


 それから小さく、「炎か? いやそれにしては」とつぶやく。その意味はわからなかったが、『使い過ぎ』という言葉に何か、ダートは不吉な予感を覚えた。クリスの方を見る。陽炎が立ちのぼり、風が沸き起こっていた。熱が、光が、クリスを中心として、出現しようとしている。

 ラルフと呼ばれたあの騎士は、クリスの体を隠そうとしていた。それに、助けるとも言っていた。

 大丈夫、なのか……?


「ぼうそうって……なに。使い過ぎって」


 グレイは苦い顔になった。


「精霊との共生ってのはな、坊主。おまえらが思うほど、楽しいモンでもないのさ。人間と精霊では、力が違い過ぎる。向こうの強さが桁違いなんだ。それを無理やり、人間の中に閉じ込めてる。暴れ回る川の流れを、小さな水瓶に閉じ込めているようなもんだ。元々、無理な事をやってるのさ」


 グレイは片頬に、皮肉な笑みを登らせた。


「騎士の力ってのも結局のところ、精霊の力を小出しにしてるに過ぎん。水瓶に小さい穴を開けて、一滴ずつ中身を流してる。それを、もっと流したいって理由で一気にでかい穴を開けたら、どうなる?」

「ど、どう……?」

「壊れるのさ。水瓶がな。そうして中身は全て飛び出す。暴れるままの川が、一気にな。

 力を使い過ぎた騎士ってのは、そういうもんだ。限度を超えて穴を開けちまって、ひびだらけになった。そうしてひびを止める事ができず、あふれるのが止まらなくなってるのさ。後は壊れるまで、力を出し続ける。そいつを暴走と言う」

「こわれる……」


 それはつまり、クリスが壊れると言う事だ。ダートは青くなった。


「壊れた騎士は、どうなるの」

「止まれば助かる。止まらなきゃ、それまで」

「そんな! 止める方法はないの」

「だから今、ラルフさまが行ってる。あの人にできなきゃ、誰にもできん」

 

 グレイは息をついた。


「運が良ければ助かるさ」


 ダートは引きつった顔になった。


「助からない事もあるってことだろ、それ!」

「当たり前だ。確実な事なんて、この世にはねえよ。おまけにあいつはひよっ子だ。その辺も問題だな」


 鬱陶うっとうしげに、グレイは言った。


「ひよっ子って……それが何だよ! 何が問題あるんだよっ!」


 食ってかかるとグレイは、事も無げに言った。


「経験ない奴だと、自分の死ぬべき時を見逃すからなあ」

「死ぬべき……時って」

「精霊憑きになった時点で俺たちは、その覚悟もするのさ。暴走ってのは、騎士が死んで終わりって訳じゃねえんだ。言っただろう。暴れる川を水瓶に押し込めてるようなもんだって。その水瓶が壊れて、一気に中身があふれたらどうなるよ。精霊の力が一気に飛び出したら、どうなると思う。村一つで済めば良い方だ。街の一つや二つは、あっと言う間に消えるぜ。

 そうなる前に、死なにゃーならんのよ。俺たちはな。自分でできないなら、誰かに頼んででも」


 ダートは愕然とした。昔話に聞いていた騎士の物語とはあまりにも違う、壮絶な内情を知らされて。

 どうして、そんな。


「……うして」

「ああ?」

「どうして、そこまでして、騎士は……戦うんだ」

「他にやる事、ねえからな」


 グレイは答えた。


「他にって!」

「そんなもんだ。騎士なんてのは。生きてく理由も失くしてる奴ばっかりだからな。ああ、……だが。あいつはまだ、違うか」


 つぶやくように彼は言った。


「あいつならまだ、……人を助ける為に自分の力を尽くすって。だから戦うんだって、言うんだろうな。坊主。おまえがそんなに、かばうぐらいなんだから」


 小さく笑うとグレイは顎をしゃくった。


「行け。村に戻ってろ。うまくすりゃ、生き延びる。駄目ならこの辺り一帯を燃やし尽くして、自分も死ぬ。ンな顔すんな。ラルフさまがいるんだ。賭けとしちゃあ、随分と分が良い」

「そんなに、すごい奴なの。あいつ」

「あいつ呼ばわりは許さん。敬意を払われるのに相応しい騎士だ。下っぱにも心を砕く、本物の騎士なんだよ、あの方は。

 さて。そういう訳だから坊主。とっとと逃げな。俺はこれから忙しい」

「なに、するんだ」

「場を閉じるのさ。巻き添えで燃えたくないだろう」

 

 グレイは乱暴な手つきでダートを押しやると、リタの遺体に目をやった。


「死んだ奴の事まで、面倒見きれん。おまえはおまえの命を守れ」

「行かない」

 

 ダートは首を振った。


「おい」

「行かない。俺、ここにいる!」

「おまえが売り物にならないと、村が困るんじゃないのか」


 グレイの言葉にダートは肩を震わせた。そうだ。売られるはずの自分が死んでしまったら、村の迷惑になる。精霊の騎士に支払う礼金が払えなくなってしまう。

 でも。


「ここにいる」


 村のみんなにごめん、と心の中で詫びて、ダートは足を踏ん張り、背を伸ばして立った。


「クリスさまが負けるはずない。だから俺は死なない」


 それに、いざとなれば。あの人を守らないと。少年はそう思った。何もできないかもしれない。でも……守らないと。

 グレイはちら、と少年を見てから、肩をすくめた。


「好きにしな」


 その後は、ダートから関心を失ったようだった。ラルフとクリスの方に手を向けて、大気に何かを刻むような仕種をする。目に見えない何かが重い音を立てて生まれ、広がってゆくのをダートは感じた。

 クリスはラルフに抱きかかえられている。二人の周囲では光が乱舞し、渦を巻いていた。ごっ、という音と共に、炎が柱となって立ち上がる。


「ち」


 舌打ちをして、グレイが腕を動かした。どんっという音と共に、炎が目に見えない壁に遮られた。

 大地が溶け始めている。

 力が暴れ回っている。


(女神さま! クリスさまをどうか、助けて!)


 ダートは祈った。膨れ上がる熱と、地上に現れた小さな太陽を見つめながら。



*  *  *



 気配を頼りに地を駆け、たどり着いた先でラルフは愕然となった。


(破空……、これを言っていたのか!)


 力の暴走の気配を感じ、急いで様子を見ようとした。なぜかクリスをかばうようにしていた子どもを放り投げ、『気』を放出する彼の前に膝をつき、

 目を見張った。


(この子は少年じゃない。少女だ……!)


 なぜエイモスが、アルティスが、あそこまでクリスを案じていたのか。

 知っていたからだ。彼らも。

 クリスの体が跳ね、内側からの『気』の流出が膨れ上がった。まずい。はっとなったラルフは自身の力を使い、彼の、いや、彼女の中から迸ろうとする力を押さえ込んだ。体に、精神に、圧力がかかる。額に汗が滲んだ。


(低位の貴妖の圧力じゃないぞ……、上位精霊だ!)


 精神の力を使って『気』の流出を押し込めようとする。はね返される感触。さらに力を使って無理やり押さえ込み、あふれる力を縛りつける。急がねば、彼女の体を構成する細胞が、根底から崩れ去る。


(駄目だ……、くそ。同調するぞ、破空!)


 身の内に存る精霊に呼びかけ、精神を少女の力に結びつける。手を握るとそこからつながりが強固にされ、彼女の人生とラルフの人生が重なった。少女の心の一部がラルフの中に流れ込み、火花を散らす。見た覚えのない風景。誰かの笑顔。呼びかける声。

 燃え落ちる館と、悲嘆の涙。


(……ああ)


 悲しみ。心にできた生々しい傷。ぱっくりと口を開けて、まだ血を流しているそれ。

 

(ああ)


 愛したものを失う、その苦痛。叫びを上げ続けている、その内なる声。


「ラルフさま! 一体何事……小僧はどうしたんです!」


 その時、グレイの声がした。


「暴走しかけている。このままでは死ぬ」


 気づかれてはならない。そう思い、顔だけを振り向かせて答える。できるだけ自分の体を盾にして、グレイの位置からはクリスの全身が見えない事を確かめる。


「同調して力を押さえ込む。君はここに残り、結界を」

「結界って……」


 とまどったようなグレイに、思考する隙を与えないよう、ラルフはあえて、声を荒らげて怒鳴った。


「この辺り一帯を焦土としたいのか! この子の精霊は尋常ではない!」


 クリスの体をすくい上げ、急いでここから離れようとラルフは立ち上がった。グレイは驚いたようだが、クリスから放たれる力の気配に納得したらしい。すぐに答えた。


「それなら俺が……と言いたい所ですが、もう同調していますね。わかりました。でも無事に戻ってきて下さいよ。騎士二人が暴走なんて事になったら、洒落しゃれにならない」

「俺を誰だと思ってる」


 自分を案じる彼の声音にいらついた。急がねばならないのに。だが、その思いを押し殺す。疑念を抱かせてはならない。


「任せろ。必ずこの子を助けて戻る」


 いつも通りに。余裕があると見えるように。そう念じて言う。それから、グレイの返事は聞かずに地面を蹴って跳躍した。

 川向こうの荒れ野へ。

 気づかれてはならない。少しでも、グレイから離れないと。



 少女を地面に降ろした時には、彼女はまるで、小さな太陽のようになっていた。熱が、光が、体のあちこちから放たれ、体を構成する組織を、肉を、骨を、全てを、内側から崩し、燃やし尽くそうとしている。


「もどれ、クリス」


 うめくように言うと、ラルフは精神の結びつきを強くした。同調は危険な技だ。特に相手が暴走しているとなれば。精神を引きずられて、自分自身も破滅しかねない。だが。


「もどってくれ……!」


 なぜ自分はこんなに必死になっているのだろう。そう思いつつ、ラルフは少女を抱きしめた。なぜだ。なぜ、俺は。


『ラルフ』


 女の騎士は狂う。災厄を振りまく魔女となる。

 それがわかっているのに、なぜ。


『愛しているわ、小さなラルフ』


 シエラ。

 これは彼女ではない。彼女ではないのに。なぜ。なぜ、俺は。

 この少女を助けたいと願うのだ……!

 押さえ込む、ラルフの精神をクリスが振り切ろうとする。つながりの幾つかが断ち切られ、暴走する力がラルフへの攻撃となって放出された。肩の骨が折れ、腹の肉が抉られる。それでもラルフは少女を抱きしめる事を止めなかった。

 精霊の騎士の能力は結局の所、騎士本人の意志の強さで全てが決まる。

 死なない。死にはしない。

 彼女も死なせない。死なせはしない。

 ラルフの目が炯々と輝き、彼の体から稲妻に似た光が走った。少女を中心として、光と熱が渦を巻くその中に、ラルフの黄金の火花と稲妻が走る。

 熱が大地を溶かした。

 風が狂気のように叫んだ。

 肉を、骨を、砕かれては修復し、少女自身の体をも修復させて、ラルフはつながりを強くしながら呼びかけた。


「クリス……もどれ」


 抱きしめる腕の力が抜ける。断ち切られた骨を、神経をつなぐ速度が間に合わない。


「もどれ」


 腹に穴があく。足がごっそり吹き飛ばされる。


「もどれ」


 なぜ。なぜ、俺は。こんなにも必死になって。


「もどってくれ……」


 涙があふれた。自分が泣いている事を、ラルフは自覚した。


「クリス」


 彼女の名は?


「クリステア……、」


 記憶の中の彼らは、何と呼びかけていた?


(……!)


 精神を深くつながらせて、ラルフは叫んだ。少女の記憶の中の人々の声音と同調して。


 

 『……マリア』




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