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精霊の騎士  作者: ゆずはらしの
第十章 魔物
20/26

10.魔物 2

 覚えている。

 冷たくて、寒い。

 何かが自分を怒鳴りつけている。わめきちらす叫び声が聞こえる。手を伸ばしてくる。その、恐怖。

 ずっと自分を守ってくれていた、誰かが。ごめんねとわびた小さな声。

 そして、寒くなった。

 寒くて、冷たくなった。

 嫌だった。もう一度、温かさが欲しかった。守ってくれていた誰かに、もう一度会いたかった。


「エイダ? 大丈夫かい」


 かけられた声に、少女はふと、まばたいた。


「うとうとしてたみたい……母さん」


 温かな日差し。指に触れる日の光。

 欲しかったのは、これだったか?


「姉さんたち、早く戻ると良いのに」


 欲しかったものは?


「お前にも、晴れ着を作らないとね。姉さんのお下がりばかりじゃ可哀想だし」

「ううん。良いの」

「おしゃれぐらい、したいだろう」

「どうなのかな。わからない。あたし、こうしてる時が一番好き」


 手を伸ばして日の光の中に指をくぐらせる少女を、アイラは微笑んで見つめた。


「おまえは本当に、良い子だね。わがままも言わないし」

「だってもう、欲しいものはみんな、あるんだもの」


 エイダは目を閉じた。


「欲しかったもの、みんな。もうあるんだもの……」


 本当に、今が一番幸せ。小さく少女はつぶやいた。



* * *



 木々が(つらぬ)かれ、枝が折れた。

 襲いかかる黒い槍の群れ。伸び縮みしながら執拗に追いかけてくるそれらを、クリスは必死でかわし続けた。逃げる彼を、槍はさらに追いかける。紙一重でかわし続けていたものの、ついにかわし切れず、クリスの足に一本が巻きついた。(すさ)まじい力で引きずられる。


「……!」


 咄嗟(とっさ)に剣を抜いて切りつけたが、魔物(アスラ)の皮膚は剣を弾いた。歯が立たない。

 ぐいと引っ張られ、逆さまになって宙に浮いた所で、うねうねと蠢く触手が次々とクリスに(から)みつく。ごきりという嫌な音がし、肩の関節が外れた。剣が手から落ちる。みしみしと骨が音を立てる。体中の骨がねじ曲げられ始めたのだ。腕に、足に、力がかかる。背骨が、首が、締め上げられる。このままでは、折れる……!


《……レルナ》


 意識が遠のきかけた時。脳裏(のうり)に響く声があった。


《コノ者ニ触レルナ、下郎(ゲロウ)!》


 怒りに満ちた声。次の瞬間、クリスの体は宙に投げ出された。どどん、という音と共に触手が切り裂かれるのが見える。

 地面に落ちる前に彼の体は何かに抱き止められ、そっと下ろされた。

 グレイの気配に似ていた。

 目を開けると、木の葉や枝が自分を取り巻いている。背には土の感触。遮断(しゃだん)されていた感覚を元に戻すと、枝や土にグレイの力が残っているのがわかった。精霊(デヴァイアーナ)の力を使って、受け止めてくれたのだ。外れた関節にもう一方の手を当て、一気に元に戻す。


 ごきっ。


 激痛が走ったが、関節は元に戻った。即座に治癒(ちゆ)の力が働き、痛みが引く。

 黒い触手は、宙を走る幾筋もの槍に切り刻まれている。大地から生まれる槍は、光を帯びて触手に向かい、次々とこれを()った。


「逃がすか!」


 叫ぶとグレイは跳躍(ちょうやく)した。その体は土の精霊の力によって、(はがね)のように硬くなっている。裂け目の奥に逃げ込もうとした触手の間に飛び込むと、彼は腕を一閃(いっせん)した。

 苦悶の叫びが上がる。地面がぐらぐらと揺れ、岩の奥から水流が(ほとばし)った。

 その中に、影があった。

 天に向かってどうどうと()き上がる流れと共に、黒い蛇が。



* * *



 川の近くで休んでいた三人は、突然響いたどおん、という音に驚いて立ち上がった。


「山の方よ。騎士さまに何か……」


 三人が岩山の方を見ると、頂上から白くきらめくものが()き上がっていた。


「あれは何?」


 リタが言う。ダートはその中に、黒い影があるのに気づいた。それが一瞬、こちらを見た気がした。


「魔物だ」

「じゃあ、騎士さまたちが」

「今、戦っているのよ」


 リタとハナが言う声が聞こえる。ダートは血を流していたクリスを思い出し、ぎゅっと拳を握った。


「クリスさまが戦ってるんだ。すぐ退治されるよ。そしたらもう、村は大丈夫だ」


 自分に言い聞かせるようにして言う。ダートはくり返した。


「きっと、大丈夫だ……」

「村が大丈夫?」


 そこへ、密やかに言う声がした。はっとなり、振り返る。女の影が、ゆるやかに揺れていた。


「そうかしら」



* * *



 一気に蛇の首を()り飛ばしたグレイは、(ちり)と化して崩れてゆく魔物に背を向け、座り込んでいるクリスに歩み寄った。


「無事か」

「すごいですね」


 クリスは微笑んだ。グレイがほっとしたような、いらだたしいような顔になる。立ち上がったクリスは、グレイに頭を下げた。


「ありがとうございました。骨が折れる所だった」

「支えたのは俺だが。最初に斬ったのは俺じゃないぞ」


 ぶっきらぼうに言う相手に、クリスが(いぶか)しげな顔になる。


「では、誰が……」


 そこまで言った時、すっとクリスの血の気が引いた。膝が崩れる。


「おい?」


 慌てるグレイの前で、クリスは崩れ落ちた。

 体を流れる血の音が、はっきりと聞こえる。心臓の鼓動(こどう)が、響き渡る。

 熱い。体が。内側から、焼ける……!


『……クリスさま!』


 悲鳴が聞こえた。ダートの声。


「クリス!」


 気がつくと、グレイに支えられていた。その腕を指が食い込むほど強く握っていた。震えが止まらない。力があふれだしそうだ。


『力を使ってはならない。使えばお前の体は崩れる』


 エイモス。アルティス。

 腕輪が輝いていた。彼らからの餞別(せんべつ)が、クリスを人の形に止めようとしている。そうか、とクリスは思った。これはその為のもの。彼らはこれを、案じていた……。


「これ、だけじゃない」


 内からの力を抑えようと、必死になりながらクリスは言った。先ほど聞いた悲鳴。あれは現実だ。今、起きている……。


「もう一体いる。ここから近い、川のそば!」


 グレイがはっとなった。気配を探る。すぐにクリスの言う通りだと気づく。


「ここにいろ、良いな!」


 そう言い置くと彼は、獣のような速さで山を()け降りて行った。けれどクリスにはわかっていた。彼では間に合わない。

 ダート。あの子を助けるのには。


「我が精霊(デヴァイアーナ)……っ。名も知らず、力も知らぬ庇護者(ひごしゃ)よ。頼む、力を」


《……ラヌ》


 同じ痛みを持った者。家族を目の前で奪われた。悲しみと、怒りと。それでも前に進もうとしている少年。

 助けたい。

 彼を助けたい。


「力を貸せ」


《ナラヌ》


 クリスは唇を噛みしめた。


「……命じる!」


 腕輪が(はじ)け飛んだ。(あらが)う気配がして、次にクリスの意思がそれを圧倒した。

 体が燃え上がる。

 光がクリスを包んだ。



* * *



 オルの村に向かっていたラルフは、前方で突如発生した力の渦に気づき、足を止めた。


「何だ? 魔物(アスラ)……いや、精霊(デヴァイアーナ)……」


 あまりにも強い力の波。圧倒され、鳥肌が立った。力が異質すぎてどちらとも判別がつかない。敵なら恐ろしい存在だし、味方でも大変な影響が出る。


「こんな存在が地上に現れたのなら、魔物と精霊の勢力図が大きく変わるぞ」


 つぶやくと、彼は荷物を下ろした。服を()ぎ、鎖帷子(くさりかたびら)を身につける。それは精霊の錬銀(ミスラディン)のみでできており、他の素材は一切使われていなかった。

 着終わると足で地面を()る。ぼこりと開いた穴に荷物を放り込むと、土がひとりでに動いてそれを隠し、元通り平らな地面になった。

 目印に適当な石を置くと、彼は走り始めた。速度は次第に上がり、やがて光の矢のようになる。(よろい)が熱を帯び、熱くなる。周囲で大気が燃えている。

 ラルフは走った。力の渦がある方向に向かって。



* * *



 グレイは山を()け降りた所で、背後からの異様な気配に足を止めた。何かが来る。何か恐ろしい、強大なものが。


精霊(デヴァイアーナ)? いや、魔物(アスラ)


 頭上(ずじょう)を力が走り、通りすぎる。グレイは咄嗟(とっさ)に地面に伏せた。飛び去るそれを見送る。何だ。これは、何だ。  炎。

 雷。

 いや、……光?

 白く輝く力の渦が川辺(かわべ)に向かったのを確認し、グレイはそちらに急いだ。



* * *



 ダートは呆然(ぼうぜん)として、彼女を見つめた。どうして? そんな思いがぐるぐると回る。彼女は微笑(ほほえ)むと、優しい声で言った。


「汚れてしまったわ」


 体についた血糊(ちのり)を見て、くすりと笑う。


「嫌な子ね、ダート。そんな目で見るものじゃないわよ。すぐに綺麗になるわ。ちゃんと洗えば」


 微笑むと彼女は、転がっている姉妹の首のない体を見た。


「駄目ね。あなたってばこんなに散らかして……ああ」


 手にした首を見て微笑む。


「そうだったわ。あたしが取り上げてしまったのよね……ごめんなさい。返すわね」


 どさりと首を落とすと、驚愕の表情を張りつけたままの娘の首が転がった。ダートは後ずさった。むっとする鉄錆(てつさび)の匂い。まき散らされた血。


 怖イ。

 アノ夢ト、同ジ。


 涙が滲んだ。ダートは彼女を見上げた。嫌いではなかった。優しくしてくれた時もあった。それなのに。


「……ハナ」


 ダートはハナだったものを見た。触手(しょくしゅ)を体中に生やして(うごめ)かせ、微笑んでいる魔物を。


「思い出した……村長の家には、娘は一人しかいない。リタ、だけだ」

「そうよ。次女も三女も、最初からいないわ。もう少し遊べると思ったんだけど」


 くすくす笑うとハナが言った。


「おまえが、魔物……エイダも」

「失礼ね。あの子は人間よ。ちょっと力を吹き込んだけれど、それだけ。でもその内に、魔物にしても良いわね」

「じゃあ、おれの……家族を殺したのは」

「あたしよ。あんたの父親、好みだったの」


 くすりと笑うと、ハナは口を開いた。(とが)った歯がずらりと並んでいる。


「だから、食べちゃった」


 舌が伸びる。(よだれ)が地面に落ちて、しゅうしゅうと湯気を立てた。ずるり、ずるりという音がする。ハナの下半身はいつの間にか、()れた蛇のそれに変わっていた。


「あんたもあの人の一部なのよね。親子だもの……」


 どこか陶然とした顔でハナが言った。


「あたしのものになってちょうだい」

「嫌だ」


 後ずさりながら、ダートは言った。


「あの人と同じ事を言うのね」

「嫌だ」


 手を差し伸べてくる魔物に、ダートは首を振った。


「どうして選んでくれないの?」


 魔物の目に、怒りがともる。ダートは首を振り続けた。


「嫌だ。嫌だ。あっちへ行け。すぐにクリスさまが来る」


 魔物の触手がうねうねと(うごめ)いた。怒りの形相になる。


「あんな人間。出来損(できそこ)ないの精霊もどき! どうしてあんなのが良いの? どうしてあたしを選んでくれないのぉっ!」


 叫ぶと魔物はダートに飛びかかった。ダートは悲鳴を上げた。

 その時、視界(しかい)が真っ白になった。激しい熱と力の風に打ち倒され、ダートは倒れた。叫び声が上がるのが聞こえた。

 目を開けると、白く燃える人影がこちらに背を向けて立っていた。輝く人影は女の魔物を足の下に踏みつけている。


『嫌よおっっっ!』


 女が叫んだ。


『あたしが死んだら、あの子が……嫌よおおおおおおっ!』


 人影は、軽く手を振った。それだけで、女の首が()ねて落ちた。凄まじい形相(ぎょうそう)を浮かべた首は、それでも(あらが)おうとした。人影に飛びかかり、その体を食いちぎろうとでも言うように牙を剥く。

 人影が鋭い光を放った。

 女の絶叫(ぜっきょう)が響いた。



* * *



 その瞬間、エイダは倒れた。()れ木のように(しな)び、縮んでゆく。見る間に少女だったものは消え失せた。

 日の光が差し込む。小さく音を立てて、少女の服がくたくたと床にわだかまる。

 アイラは悲鳴を上げた。



* * *



 叫び声がまださめやらぬ内に、魔物の輪郭(りんかく)が崩れた。全てが崩れ、解け、消えてゆく。

 やがてそこには、(しな)びた女の体が残された。同時に人影の光が薄れる。ゆっくりと光が引くと、見覚えのある華奢(きゃしゃ)な姿が見えてきた。銀色の髪。白い肌。


「クリスさま……?」


 声をかけると、人影がゆっくりと地面に膝をついた。そのまま倒れる。


「クリスさまっ?」


 慌ててダートは駆け寄った。熱の残る地面に膝をつく。痛みが走ったが構わなかった。クリスを助けなければと、少年はそれだけを念じていた。

 倒れた騎士にはもう光はなく、ただ熱だけが、先程の出来事が本当にあった事だと示している。クリスは衣服をつけておらず、鎧だけをかろうじて身につけていた。触れると、熱くなった鎧が指を焼いた。慌てて引っ込めると、肌の上に乗っていた鎧がばらばらになって落ちた。素肌が(さら)される。


「クリスさま……」


 肌は普通の体温だった。このままでは火傷(やけど)をすると思い、ダートは体に乗っている鎧のかけらを払いのけた。そうして少年を抱き起こそうとし……その目が見開かれる。

 意識のない彼の体。

 華奢(きゃしゃ)な少年の胸には、あるはずのない(ふく)らみがあった。


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