10.魔物 1
あくる朝。ダートとルカスはサラの所で二人の精霊の騎士と会った。
なぜか二人とも疲れた顔をしている。
「おはようございます……グレイさま、クリスさま。サラ」
ルカスが声をかけると二人は顔を上げた。サラは犬と共に座っている。
「神官か。何の用だ」
じろりと睨んでグレイが言う。クリスはそんなグレイを見やってから、ルカスたちの方にやって来た。
「おはようございます。機嫌が悪いだけですから、気にしないで下さい」
そっと言われ、ルカスとダートは顔を見合わせた。
「何かありましたか」
「意見の相違が。それだけです。今日はこれから、しばらく村を離れます。村の方々にはそのように言って下さいますか」
「どちらへ?」
「魔物の痕跡を辿って、巣を探します。村の中に巣はありませんので。見つければそのまま掃討に入ります。わたしたちが戻らなかった場合は、その旨を『院』に連絡……」
「戻れねえわけないだろ、俺が。お前だろう、問題は」
いらいらした風にグレイが言った。クリスが振り向く。
「あなたでは、相手を威嚇します」
「お前じゃヤバすぎるんだってば!」
「夜明けからずっとこの調子なんだよ」
サラがげんなりした風に言った。
「魔物をおびき寄せる為に、クリスが囮になるんだってさ。それをそっちの騎士が反対しててね……それしか手がない事ぐらい、わかりそうなもんだろうに。いくら何でも、村人を囮にはできないだろ」
「囮……?」
ルカスとダートが驚いた顔になる。
「精霊の騎士としての気配を消す方法があるのです。そうすれば、普通の村人と区別がつかなくなりますから」
クリスが言うと、グレイがうなり声を上げた。
「それをやったら、騎士としての感覚も死ぬ。襲われてもお前じゃ、反撃できん」
「あなたでは囮になれない」
クリスが振り向いて言った。グレイが苦虫を噛み潰したような顔になる。
「だからあの結界を解いて、村に出してやれば良いんだろうが! 村人は一時的に避難させれば」
「あれ以上瘴気が溜まれば、農作物が壊滅すると言ったのは誰です。魔物が倒されても村が滅びるのでは、村人は生きてゆけません」
クリスが譲れないといった風に言う。
「指示を出すのは俺だぞ」
「最善は、わたしを使う事でしょう」
「クリスさま、囮って、危ないんじゃ」
睨み合う二人の間に、ダートが割って入った。クリスが何か言う前に、グレイが「危なくない囮があるかよ」と吐き捨てるように言う。
「駄目だよ。あんた、しょっちゅう怪我してるじゃないか」
慌ててダートが言うと、クリスは少し首をかしげた。
「これがわたしの仕事ですから。そう危なくもないのですよ。わたしたちは怪我をしてもすぐ治りますから……」
「いくら精霊の騎士でも、首を落とされたら終わりだ。お前が死にたがるのは勝手だが、俺は御免だぞ、お前の死体を担いで帰るのは。結局、上の思惑通りって事じゃねえか。胸糞悪ぃ」
いらだたしげにグレイが言った。
「死にません」
「あのな……」
「死ぬ気もない」
あっさりと言い切ってからクリスは静かに続けた。
「グレイ。わたしも精霊の騎士です。務めを果たさせて下さい。せめてこれぐらいは」
声音にはどこか、思い詰めたような響きがあった。グレイがむっとした顔になって黙る。やがてうっそりと立ち上がると彼は、「腹の立つ小僧だな」とつぶやいた。
「『小僧』、ですか……」
「『小僧』で充分だ。気概だけは一人前のつもりでいやがる。わかったよ。だが覚えとけ。もしお前が俺の前で死にやがったら……」
グレイは真剣な顔で言った。
「お前の事を一生、『銀色のお花ちゃん』と呼び続けてやる」
何だそれは。という顔を、グレイを除く全員がした。
「言う方が恥ずかしいと思うのですが」
躊躇いがちにクリスが指摘すると、グレイは「そうか?」と首をかしげた。
「俺は恥ずかしくないぞ」
「そうですか……」
「むしろ言われる方が恥ずかしいだろう、こういうのは。言われたくなかったら死ぬ気で生き延びろ」
「生き延びても言われそうな気がして、気力が減退するのですが……」
サラは声を殺して笑っていたが、そこでクリスを呼んだ。
「あたしにくれた護符があったろう。あれ、持ってお行き」
「ですが」
「しばらく村の中に入れてもらうよ。良いだろう、神官さま?」
言われたルカスは慌ててうなずいた。
「そういう事だから、行っといで。あたしからも頼むよ。死なないで戻ってきておくれ」
「はい」
クリスは微笑んだ。サラが目を細める。
「笑えるようになったのかい」
「少し」
「この先もきっと良い事が色々ある。必ず戻ってくるんだよ」
「必ず」
クリスはうなずいた。そんな彼を、ダートは不安な目で見つめていた。
* * *
地下の水脈から村に入り込もうとしていた魔物は、痕跡を隠そうともしていなかった。グレイは村から気配を辿り、村から半日ほど離れた所にある、険しい岩山の前で立ち止まった。
反対側に大回りをすれば道があるのだが、こちらからは切り立った崖しか見えない。
「ここだな。ばりばり匂う」
「気配は一つですか?」
「今んとこは一つだ。俺も今は抑えてるから、詳しく視えん。もう一つはまた、別の場所に隠れているのかもしれんな。だがここのを倒せば、何か動きを見せるだろう」
夜の間に話し合った内容を、グレイは確認するように言った。クリスの見聞きした事を聞いた上で、彼は魔物はおそらく二体、そうして別々の場所にいると判断したのだ。
『片方の気配がしないのは、匂い付けで力のほとんどを使い果たしたからだろう』
グレイは言った。『目立ってる方を倒して、刺激してみる他ないだろう』とも。
「大丈夫か」
かけられた言葉に、クリスはうなずいた。もう既に感覚を遮断して、精霊の騎士としての『気』を抑えている。今のクリスには普通の人間程度の視力や聴力しかない。
「大丈夫です。忘れていました。普通の人間は、こんな風に世界を感じているのですね」
「首を落とされないようにしろよ。変異体の可能性も忘れるな」
「はい。では」
そう言ってから、クリスは岩山に向かった。崖に手足をかけると、危なげない動きで登り始める。
感覚を遮断したとは言え、能力が全てなくなったわけではない。身軽さや力の強さはそのままだ。体が成熟しきっていないクリスは力もそう強いものではないのだが、こうした崖をよじ登るには充分だった。鎧に止めた精霊の錬銀が微かな音を立てる。
グレイは不安なものを覚えつつ、彼の後ろ姿を見送った。どうしてこんなに不安なのだろうと思う。そう思っていると、クリスが振り向いた。
「グレイ」
「何だ」
「この仕事が終わったら、名前で呼んでいただけますか」
「百年早い。……生き残ってたらな」
クリスは微笑んだ。その笑みにグレイは切なくなった。弟妹を思い出す。もういない、気の合った友人たちを思い出す。
五年で死んでしまったランディ……。
『グレイさん! 俺が囮になります』
『お前が?』
『俺は騎士になってから日が浅い。体に精霊の『気』が馴染んでません。ごまかせるはずです。だから』
(言い出す事まで似てやがって)
引き止めたい。そんな思いが沸いた。明るい笑顔を持っていた青年は、自分の目の前で魔物に引き裂かれて死んだ。
普通の魔物ではなかった。変異体と呼ばれる種類のものだった。誰もそれに気づかなかった。そうして囮になる為、騎士としての感覚を遮断していた彼は命を落とした。
自分の目の前で。
『……ランディッ!』
精霊の叫びが響いていた。己が騎士を失った悲しみが轟いて周囲を圧していた。抱き上げた彼はぴくりともしなかった。彼の血で、手が濡れた。二度と光を映さぬうつろな目が、宙を見上げていた。
……俺が、死なせた。
「早く行け」
そんな思いを押し殺して言うと、クリスはグレイを見つめた。
「生き残りますから」
そう言うと、前を向く。生意気な小僧が何を言っている、とグレイは思った。俺を気遣うような真似しやがって。普通、立場が逆だろう?
クリスの姿が小さくなり、やがて岩山の間に消えてゆく。
それを確認してからグレイもまた、動き出した。できうる限り気配を殺す。クリスの気配は完全に、普通の人間のものになっていた。怪魔はあの囮に食いつくだろう。あれは魔物にとって、極上の『餌』に見える。若く、世馴れていない少年。柔らかい肉と熱い血。柔軟でありながらまっすぐな心。
精霊たちが愛し、魔物たちが歪めたがる資質。ランディが持っていたのと同じ……。
グレイは崖をよじ登り始めた。
ダートはぜいぜい言いながら地面にへたり込んだ。クリスの事が心配で、後をつけてきたのだ。しかし精霊の騎士たちは思ったよりも足が早く、少年にはついてゆくのがやっとだった。
隠れている岩影からのぞくと、クリスが岩山を登ってゆくのが見えた。軽々としたその動きに目を見張る。すごい。そう思って見ていると、やがてクリスは岩山の上に消えた。すると、グレイもまた山を登り始めた。
(あの山に、魔物がいるのかな)
自分も近づいてみようと思ったが、グレイがいなくなるまで待った方が良いと思った。日差しがきつくて汗がだらだら出て来る。どこか影のある場所に移動しようかと思った時、近づいてくる人影に気がついた。
「リタ? ハナも」
村長の娘のリタとハナだった。二人とも麦わら帽子を被って歩いてくる。ハナは頭巾をつけた上から被っている。村の女が良くする格好だ。着ている服もいつもと変わらない。
一方、リタはめかしこんでいた。女神の祭りの時にしか着ないような刺繍入りの上着を着て、真新しいスカートをはいている。帽子の下につけているのもヴェールだ。それが自分に似合う事を良く知っているのだろう、胸を張って歩いている。ただ汚れたり、日差しで色が褪せてしまうのは嫌だったらしく、大き目のマントを羽織っていた。見覚えのあるそのマントに誰のものだろうとダートは首をかしげ(村人は普通布地をきりつめて使うので、肩を覆う程度の短い外套しか持っていない)、思い当たって愕然となった。何て事だ、ルカス師のマントだ。神官のマントを着てくるなんて。リタの事だから、許可を取ったとは思えない。黙ってこっそり持ち出したに違いない。
エイダの姿はない。
「見つけたわ、ダート」
やがてダートの前まで来ると、リタが言った。にっこりする。村一番の器量よしと呼ばれる娘の笑顔は村の若い男の憧れの的だったが、ダートは警戒の目を向けた。自分の意見を通そうとする時にはいつも、こんな笑顔を浮かべるのを知っていたからだ。
「何しに来たんだよ」
「ご挨拶ね。あんたが精霊の騎士さまの後をつけてるのを見たから、追いかけてきたんじゃない」
「そんなちゃらちゃらした格好して?」
「こんなの普段着よ」
リタはつんとして言った。
「そのマントも? お前のじゃないだろう、それ」
「うるさいわね。ちょっと借りただけよ。後で返せば問題ないでしょ。生意気よ、あんた。うちに、ただでおいてもらってるくせに」
リタはダートの指摘にちょっと顔を赤くしたが、そうまくしたてた。ダートはむっとして言った。
「俺を売る前に死なれたら困るからだろ。そうなったら別の誰かを売らなきゃならなくなるからな」
「何よ。だから何してもいいってわけ? ひがみ根性がしみついてるんだから。あんたみたいのは売られて当然よ。嫌な子!」
自分がひどい事を言っている自覚はあるのだろうが、生来意地っ張りなリタには、謝る事ができなかった。早口で言うとふんと鼻を鳴らし、ダートから顔を背ける。
「言いすぎよ、リタ」
穏やかにたしなめたのは、ハナだった。
「誰だって、故郷を離れたくはないわ。ダートはあたしたちの為にも自分を犠牲にしてくれたのよ。この子が申し出てくれなかったらあたしたち、村を捨てるほかなかったのよ」
「そんなのわからないわよ。魔物はすぐ、どこかにいっちゃったかもしれないし」
「あたしかあなたが売られていたかもしれないのよ、リタ」
ハナが言い、リタはきっとした顔になった。
「父さんがそんな事するわけないでしょ! 第一母さんが許さないわ。売られるのはみなしごか、いなくなっても困らない人に決まっているわ。あんたって馬鹿ね、ハナ」
「それでもあたしたち、この子に感謝しなくてはならないのよ。売られるのはこの子なんですもの。さあ、リタ。謝って」
「本当の事を言っただけで、どうして謝らなくちゃならないのよ!」
癇癪を起こしたように叫び、じだんだを踏むリタにため息をついて、ハナはダートの方に向き直った。
「ごめんなさい、ダート。リタを許してね。人を思いやる事ができないわけじゃないの。ただちょっと、何か言う前に考える事ができないだけで」
「何よそれ!」
きいっと叫んで怒り出したリタに、ダートは醒めた目線を注いだ。
「リタが賢くないのは知ってる。そんな大声出してたら、騎士さまがたに気づかれるぞ」
リタはぴたりと押し黙った。
「それにしても、ルカス師のマントを持ち出すなんて。絶対怒られるぞ、帰ったら」
「あんたたちが黙ってりゃ、ばれないわよ」
「ばれないわけないだろ。昼日中にそんな格好で村から出て行くあんたに、村の者が誰も気がつかないなんて。今ごろモースもアイラもかんかんだぞ」
ため息混じりに言うと、リタの顔が青くなった。
「それぐらいにしておいて、ダート。リタ、帰ったら、あたしも父さんたちに謝るわ。そんなにしょげないで。それよりダート、渡すものがあるのよ」
ハナが言った。彼女も美人だが、リタのような華やかさはない。けれどその落ち着いた美しさは、男たちのひそかな人気になっている。それに何より、高慢な姉よりも気遣いを知っている。ハナは背負っていた袋を下ろすと、中から日除けの帽子を取り出した。
「ほら、これ。いるんじゃないかと思って」
「ありがとう……」
口ごもってからダートは礼を言った。慌てて飛び出してきたので、帽子を取ってくる事など忘れていたのだ。続いてハナが取り出した水の袋とパンの塊に、ダートの目は釘付けになった。チーズまである。
「急いで用意したの。こんな遠くまで来るとは思わなかったから、これだけしかないけど」
「くれるの?」
「ええ。姉さんがね……」
ハナがちらりとリタを見た。リタは胸を張った。
「勇敢な騎士さまがたが戦っているんですもの。あたしたちは帰ってきたあの方を、一番にお出迎えするの」
ハナはくすりと笑った。
「こう言って。でも娘二人じゃ、危ないでしょ? そうしたら、あんたが騎士さまのあとをつけてるのが見えたの。それでそれなら少しは危なくないだろうって、あたしたちも。お弁当を持って行こうって言ったのも姉さん。どうせお腹すかせてるだろうから、あんたの分もって言ったのもね」
ダートがリタの方を見ると、リタは横を向いた。
「男の子の食欲がどんなもんだかは知ってるわ。いらなけりゃ、食べなくても良いのよ」
ぞんざいな調子で言う。くすりと笑ってハナは付け加えた。
「これだもの。もう少し素直になっても良いんじゃないかしら、リタ。エイダは残ったわ。あの子、体が弱いから。それと、父さんたちにあたしたちが家にいない、いいわけをしてくれているの」
ダートは呆れた。
「あの二人が帰ってくるまで待つつもり?」
リタは「その通りよ!」と叫んだが、ハナは首を振った。
「遅くならない内に村に帰るつもりよ。その時は、ついてきてちょうだい。こんな所で夜になったら怖いもの」
「何よ、意気地なし」
リタはぶすっとして言ったが、ハナは譲らなかった。
「ここじゃ真っ暗になるじゃない。松明の用意はしてないし、あたしは嫌よ。良いでしょ、ダート」
迷惑だと思ったが、この二人を放り出したりできないのもわかっていた。
「わかったよ」
渋々そう言うと、ハナは「良かった」と言って微笑んだ。リタは機嫌悪そうにそっぽを向く。
「じゃあ、これ、三人で分けて食べましょ。日陰はない?」
「この岩の向こうなら、ちょっとはあるんじゃないか」
三人は岩を回って反対側に出た。岩山の方を見ると、グレイはもうとっくに登ってしまったらしく、姿が見えなかった。
「日陰なんて、ほとんどないじゃない。こんなとこにいるのは嫌よ」
リタが言った。ハナが困った顔になった。
「もう少し向こうに行ったら、川があるわ」
「じゃ、そっちに行きましょ」
「騎士さまを待つんじゃなかったのかよ」
ダートが呆れたように言うと、リタはつんとした。
「待つわよ。でもまだ当分は戻って来ないでしょ。川の近くで休憩して、またここに戻ってくれば良いじゃない」
勝手な、と思ったが、パンを見ていると唾が沸いた。ダートはしぶしぶうなずいた。
「川はどっちだって?」
「向こうよ」
ハナが言った。
* * *
クリスは用心しつつ、山を歩いていた。崖を登り切った先に、ちょっとした窪みがあり、木々が生えている。その先に突然落ち込んだ裂け目があって、その辺りの岩肌はしっとりと濡れていた。
「怪しいのはこの辺りなんだけど……」
つぶやいてクリスは周囲を見回した。その場は静まり返っている。
「何も出てこないな。警戒されたか……?」
その時突然、裂け目の奥から槍のようなものが飛び出した。ぐんと伸び、凄まじい勢いでクリスを目指し、襲いかかる。
(怪魔!)
クリスは何とかかわし、木々の間に逃げ込もうとした。伸びてきた黒い槍が、ぐにゃりと曲がる。
それは一気に裂けると何本もの鋭い穂先となり、クリスに襲いかかった。
*
エイダは窓を大きく開けた側で、日の光を浴びながら繕い物をしていた。まだ本調子ではないので、家の中で過ごす事にしたのだ。二人の姉は、精霊の騎士を追いかけて行った。母親にそれをごまかすのは彼女の役目だった……いくら何でも、はしたないと怒られてしまう。
「エイダ。大丈夫かい」
様子を見に来たアイラに、少女は微笑んだ。
「大丈夫よ、母さん。無理はしてないから」
「そうかい。おまえは良い子で安心だよ。姉さんたちはどうしてああ、浮ついているんだろうね」
母親には最初から、お見通しだったらしい。ぶつぶつ言うとアイラは、エイダの隣に来て座った。繕い物をのぞき込む。
「上手だよ。どこに嫁いでも安心だね」
「ありがとう、母さん」
微笑むとエイダは言った。太陽の光が気持ち良い。幸せだなと思う。みんなが自分を気遣ってくれる。体が弱くて何の役にも立たない自分を。村人も、何かと気にかけてくれる。
魔物の騒ぎこそあったけれど、エイダにとって日々は穏やかで幸せなものだった。魔物の事を怖がった時には、ハナが大丈夫だと言ってくれた。エイダみたいに可愛くて良い子を、魔物は襲ったりしないわよ、と。それを聞くと安心した。ハナはいつでも自分を安心させてくれる……。
「ハナ姉さん……」
ふと不安を覚え、エイダはつぶやいた。
「どうかしたのかい」
「何でもない……ちょっと寂しくなったの。どうしてかしら」
ハナに側にいてほしい。そう思った時、日の光が強くなった気がした。でもここを離れる気にはなれなかった。寒くて冷たいのは嫌だ。
(寒いのはいや。冷たいのも。痛くてつらい。あんなのは……いや)
日差しに手を差し伸べる。温かいのがうれしい。さっき、粥も食べた。何だか眠くなってきた。
「母さん、あたしね」
小さな声で言う。
「とっても……幸せだと思うの。今」
「何を言うんだね、この子は」
「本当なの」
そう言って、エイダはうっとりとした風に目を閉じた。ここは本当に、温かくて気持ちが良い。
(ハナ姉さん……早く帰ってきて)
側にいて、と思った。