8.密やかな悪意 2
「で、持ってきたのかい」
驢馬の世話をしていたサラは、差し出された草を見つめて言った。クリスはいなかった。村の周囲を見回りに行ったらしい。
「あんたに当たり散らしたのは、悪かったと思ってる。これ、傷薬にもなるから」
仏頂面をしながらダートは言った。サラは苦笑めいたものを浮かべ、受け取った。
「本当はクリスに渡したかったんじゃないのかい。こういう草じゃなくて花とかさ」
ダートは真っ赤になった。
「馬鹿言え。騎士さまは男だぞ。花なんか……好きなのかな」
彼の体から甘い香りがした事を思い出して自信なげに言うと、サラが鼻を鳴らした。
「残念だったね、ここにいるのがあたしでさ」
「そうじゃなくて……なんか女みたいだし、あの騎士さま。細っこいし、腕もふにゃっとして。それに、匂いがした。甘い……」
「触ったのかい」
「わざとじゃない! おれが転びそうになったのを助けてくれたんだ」
慌てて言うと、サラは妙な目つきでダートを見やった。
「良いけどね。クリスに向かって女みたいとか、男らしくないとか、言うんじゃないよ」
「言わないよ! でも……男らしくないってのは確かだよ」
「世の中、村の常識が全てじゃない。所が変わればクリスの仕種や言葉づかいは、『洗練された上品さ』で済むのさ。あの子は元々、貴族だしね」
「そうなのか」
とまどったようにダートは言った。あの精霊の騎士はこの女性を信頼して、色々話しているのだろうかと思う。嫉妬がちりっと胸を焼いた。
「何で知ってるんだ?」
「あんたより長く生きて、物が良く見えてるからさ。銀の髪に、赤く染まる菫の瞳と言えば、氷炎樹の子に決まっている」
「詳しいんだな」
そう言うと、サラは「まあね」と言った。
「古い血筋だ。美男美女が良く出る家だよ。あの子の家族も、綺麗な人たちぞろいだったろうさ」
ダートは「ふうん」と言った。『氷炎樹』という名には聞き覚えがなかったが、貴族の名前だという事はわかった。
「そっか。貴族か。でもさ。俺以外にも、なよなよしてるとか女っぽいとか思ってるヤツいると思うぞ」
「思っていても、言うんじゃないよ。本人も気にしてるんだから」
「そうなの?」
「見てりゃわかるじゃないか、それぐらい。それに精霊の騎士が女じゃないか何て言われるのは……、命に関わる」
「何だよ、それ」
サラが言い出した事に面食らい、ダートは妙な顔になった。
「女は精霊と契約してはならない事になってるのさ。少なくとも今の『剣の院』は認めていない。精霊の騎士は、男でなければならない。それが絶対の条件なんだよ」
「何で」
「女の方が男より賢いから、力を与えたくないんだろ」
そう言うとサラは、驢馬の世話を再開した。
「選ぶのは精霊だ。人間じゃない。女が選ばれる事だってある。でもそれは認められない。そうしたら、どうなると思う?」
「さあ」
「殺されるんだよ。密かにね」
サラは唇を引き結んだ。驢馬が居心地悪げに足踏みをする。
「殺されるって……でも。それじゃ花の乙女は?」
ダートは言われた言葉に衝撃を受けていた。サラはダートの方を見た。
「花の乙女は精霊と契約したわけじゃない。契約ってのは、精霊と命を重ねる事だから。言わば結婚のようなものさ。彼女たちの場合は……友だちになってもらって、力を借りている感じかね。それでも大した事なんだが」
サラはふう、と息をついた。
「昔は、花の乙女の中から契約者が現れた事もあった。男たちは都合良く忘れているが。今じゃ精霊と契約を結ぶ女は、それだけで未来がない」
「何で、……そんな事知ってるんだ?」
言われた内容に半ば呆然としながらダートが言うと、サラは皮肉な笑みを浮かべた。
「言ったろ。あたしはあんたより長生きしている分、物が良く見えてる。とにかくクリスに向かって女っぽいだの何だの、言うんじゃないよ。あの子の立場を悪くしかねないんだから」
ダートはうなずいた。うなずく他なかった。そんな彼を見やり、サラは小さく笑った。
「そんな顔をするんじゃないよ。見かけで判断するなっていう、それだけの話じゃないか。あの子は優しいけれど、強くもあるよ。毎晩、魔物を抑えているんだからね」
「それは、知ってる」
彼が優しい事は知っている。自分を責めなかった。気遣ってもくれた。表情が乏しいのでわかりにくいのだが、それでも優しいのだという事はわかる。
「あの子は、あんたに優しくしてくれたのかい」
「うん。俺、いっぱい失礼な事言ったし、したのに。あの人、なんで怒らないのかな」
「本人にお聞き。と言いたい所だけれど、あの子は多分言わないね。不器用だからね、その辺」
サラはふ、と息をついた。
「あたしも詳しくは知らないんだよ。あの子はああだし、あんまり話したがらないし。でもあんたに親切にしてやってるのは多分、……」
視線がこちらを向く。ダートはその目を見返した。何だ?
「あの子も家族を、目の前で殺されたんだとさ。生き残ったのはあの子だけだったらしいよ」
少年は息を飲んだ。声が出ない。
「最もあの子の家族を殺したのは、魔物じゃなくて人間だけどね。あんたの境遇に、自分のそれが重なったんだろう」
「でも……だって。精霊の騎士なら、人間より強い……」
「まだ騎士じゃなかった頃の話だよ。あんな細っこい体で、武器を持った男たちにかなうわけがない。なのに今も自分を責めてる」
そうせざるを得ないんだろうけどね、とサラはつぶやいた。
「何だか青春真っ盛りで若いなあと思うわけだよ、あたしとしては」
その感想は何か違うのではないかとダートは思った。そう思っていると顔に出たらしい。サラはふ、と笑った。
「歳を取ると、傷つき方が巧くなる。ひどい傷にならないよう、上手にかわす方法を覚えるものさ。まともに傷を受けて、しかもその傷口をこじ開け続けるなんてのは、若い人間にしかできやしない。そういう意味ではあの子は子どもだね。あんたもだけど」
「俺は子どもじゃ……!」
「自分でそう言っている間は十分に子どもだよ」
そう言うと、サラは真面目な顔になった。
「そうじゃないと言うのなら、あの子を支えてやっておくれ。別に大した事をしなくても良い。ただ、あの子に……『ありがとう』の一言を忘れずに、伝えてやって欲しい。それがあれば、あの子は自分の心を守れる」
ダートはどこか不安げな顔でサラを見つめた。
「そんな事で、……支えになるの」
「『そんな事』が重要だったりするんだよ、人間にはね」
サラは微笑んだ。そこで村の方に目を向ける。
「ああ、ほら。戻ってきたよ」
ダートが振り向くと、クリスがこちらにやって来る所だった。今聞いた話と相まって、少年は自分の顔が赤くなり、また緊張するのを感じた。
「ルカスどのが倒れた……?」
クリスは驚いたようだった。彼は香草の束を持っていた。見回りのついでに摘んで来たらしい。
「エイダが落ちついたの見たら、ぐらっとしたみたい。夜通し起きて祈ったりしてるし。無理してたんだろ」
ぼそぼそとダートが言うと、クリスはうなずいた。
「真面目な方ですしね。今は休んでおられるのですか」
「うん」
「では、これを枕元に置いて下さい」
ダートは受け取ろうと手を差し出しかけ、それからサラの助言を思い出した。
「ありがとう」
そう言うと、真っ赤になって受け取る。
「大した事ではありませんよ」
「あの、これだけじゃなくて。あの。ごめん。ええと……ありがとう。いろんな事、に」
へどもどしながら言うと、クリスの目元が和んだ。
「いいえ」
「うん。あの……俺さ。ホントに……騎士さまに。ありがとうって言いたくって」
ダートは草を握りしめた。甘さと涼しさと優しさの混じった香りがした。
「これ、薄荷と……ひっつき草?」
そう言うと、「この辺りではそう言うのですね」とクリスが言った。
「他に名前あるの?」
「色々ありますよ。アグリモニー。教会の塔や竜の牙とも」
そこでクリスは言葉を止めた。わずかに眉をひそめる。
「ダート。井戸の側に行きましたか」
「え? ああ。エイダの為にきれえ草、取りに行ったから……それがどうかしたの」
「いえ……何でも。気のせいでしょう」
そう言ってクリスは首を振ると、「見舞いに行っても良いでしょうか」と尋ねた。
「良いと思うよ……ルカス師は寝てるかもしれないけど。俺、先に行って見てくる」
そう言い置くと、ダートは駆け出した。クリスは彼の後ろ姿が村長の家に駆け込んで行くのを見送った。
(一瞬……彼から、魔物の匂いがした)
クリスは思った。微かなものだったし一瞬で消えたので、はっきりとはわからなかったが、あれは。魔物の気配だった。井戸に近づいたからかとも思ったが……。
井戸の方に意識を向ける。結界は破れていない。もし破れれば、自分にはわかる。あそこから入り込む事はあり得ない。
ではなぜ、ダートから魔物の気配がした?
自分は何かを見落としている。クリスはそう思った。釦をかけ違えた感じが消えない。何かを見落としている。だが、何を。
埃っぽい風が吹く。村人はいつも通り、日常を送っている。貧しくはあるが、のどかで平和な昼下がり。目に入るのは、そんな風景。けれど。
漂う腐臭が、強くなった気がした。
* * *
村長の家に入ると、ルカスは寝台から起き上がろうとしていた。
「そのまま。無理はなさらないで下さい」
クリスが言うと、神官は恐縮した顔で頭を下げ、苦しげに息を吐いた。
「情けない姿を晒します……女神の御使いの前で、申し訳なく」
「精霊の騎士は単に、魔物と戦えるというだけの存在です。女神の慈悲と加護を願う点では、あなたがたと何ら変わりはない」
「われらには、あなたがたの存在こそが女神の慈悲」
ルカスは手を組んで敬意を示すしぐさをした。クリスは黄色の花と布包みを二つ、そんな彼に手渡した。
「王の蝋燭と……これは?」
「サラに分けてもらいました。干した山蓬とイラクサです」
「イラクサ? 燃える草ですか! 呪われた草です。村の者は見つけ次第焼いています」
ぎょっとした顔になったルカスに、クリスは首を振った。
「イラクサは体を強くします。わたしの育った地方では、春になると茹でて食べていました。長生きをすると言って。茹でるか乾かすかすると、安全に食べられるのです。これを女神の騎士の草と呼ぶ者もいるほどです」
その言葉にルカスは呆然となった。微かに笑みを浮かべ、クリスは続けた。
「不用意に触れると指が燃えるように痛みますからね。嫌われるのも無理はない。けれどイラクサは、貧しい者を守る草でもあります。根から取れる染料や、茎の繊維で織った布を特産品にしている地方もあります」
ルカスはまだ目を見開いていたが、やがて大きく息をついた。
「この辺りではあれを、鼠喰いの呪い草と呼んで嫌がるのです。山蓬もそうです。気狂いの草と。山蓬は……これもクリスさまの郷里では身近な薬草なのですか」
「母の薬草園にはありました。この草には精霊の力が宿ると母は言っていました。癒しのわざを学ぶ者を導くと。この草の香りは心を落ちつけ、頭痛を癒すと聞いています」
「われらは何とも迷信深く、ものの見えない輩ですな……」
嘆息するようにルカスは言った。
「しかし……それなら。クリスさまのもたらしたものだと説明して、使うように村人を説得してみましょう」
「荒野を行く水探したちは、薬草について知識が深い。サラに聞きましたが、水探しは山蓬に特別の敬意を払うそうです。だからこそ嫌われたのかもしれません」
暗に水探しが敬意を払う草だから、村人が嫌ったのではと言うと、ルカスは悄然となり、「そうですな」と言った。
クリスは何気なく手を伸ばすと、ルカスの額に触れた。
「花とイラクサは煎じて飲んで下さい。山蓬は頭痛がするようなら火にくべて。熱はないようですね……どうか横に」
「いや、もったいない。大丈夫ですから」
慌てるルカスから手を離すと、クリスは周囲を見回した。他の村人のものよりは大きいとは言え、村長の家はそれほど広いわけではない。藁の寝台が三つあって、その内の一つにエイダが横たわり、もう一つにルカスが座っている。
村長の家は確か五人家族だ。それにダートも加わって、六人になる。いつもは一つの寝台を、何人もの人間が共有して横たわるのだろう。
ルカスからも魔物の匂いが微かにした。
横たわるエイダを見ると、少女は眠っていた。ダートがしたのだろう、先ほど渡した香草の束が枕元に下げてある。ハナが側にいて、近寄ると妹を守るかのように立ち上がった。
「具合は?」
「はい……大丈夫です、神官さまが祈って下さったから」
静かに尋ねると、ハナは顔を伏せるようにして答えた。宴の席ではくすくす笑ってばかりいたが、こうして見ると物静かな印象が強い。
「これ、ありがとうございました。とっても良い香り」
「目についた香草を摘んだだけですよ。急に倒れたと聞きましたが……熱は?」
「ええ……この子、体が弱いんです。熱はありません」
どこかに触れれば詳しい事がわかるのだがと思いつつ、クリスはエイダに近寄ろうとしたが、ハナが邪魔をするかのように間に入っているので触れる事ができない。精霊の騎士とは言え、若い男を眠る妹に近づけまいとしているらしい。
「エイダ、氷みたいに冷たかったよ。今はもうちゃんと体温ある?」
そこでダートが声をかけてきた。ハナがそちらを向く。
「いやね、変な事言わないでちょうだい。ちゃんとあるわよ」
「もうちょっと煉瓦を焼いとこうかと思ったんだけど。いらない?」
ハナは少し考える風を見せた。
「そうね……あればあったで。神官さまにはいるのじゃない?」
どうにもエイダには近寄れそうにない。そう判断したクリスはルカスの方に向き直ろうとした。その拍子にハナと体がぶつかる。
「きゃっ……すみません」
一瞬、クリスの顔が強張った。だがすぐに元通りの表情に戻り、「いいえ」と言った。
「長居をしても邪魔ですね。わたしはこれで」
そう言うと軽く頭を下げ、村長の家を出る。ゆっくりと村の見回りに向かう、彼の顔は再び強張っていた。
ハナに触れた一瞬。腐臭がした。そう強いものではなかったが、あれは魔物の気配。力を使った痕跡だった。井戸は封じたはずなのに、とクリスは思った。魔物はどこからか力を及ぼしている。エイダやルカスが倒れたのもおそらく、その為だ。生気を吸われたのだ。魔物が、自分の力を蓄える為に……。
一体、どこから。
(早く何とかしないと、魔物は力を蓄えて強くなってしまう)
クリスは唇を噛みしめた。
(だがわたしでは、まともに魔と戦う事もできない。グレイ)
もう一人の騎士の名を心の中でつぶやく。半ば祈るように。
(早く来てくれ)