6.夜 1
闇が降りてくる。
家々は寝静まり、家畜たちも眠る。クリスは静寂を壊さぬよう、村の中を密やかに歩いた。村の外にある幌馬車を見やる。サラももう、眠りについているようだ。
歩くたび、微かに硬質な音がする。夜が来てすぐ、クリスは衣服の上から防具をつけた。胴鎧と籠手、膝から下を覆う臑当て。頭には鉢金のみを巻いている。
いずれも柔らかい革でできており、『精霊の練銀』の小片を縫いとめる事で強度を上げている。鈍い白に輝くそれは大地の要素を炎の精霊が鍛えたもので、鉄や鋼よりも硬く、それでいて軽い。
大地からの腐臭は夜になると一層強まり、クリスを落ちつかなくさせた。できるものなら村を離れ、魔に汚染されていない大気を吸いたい。けれどそれは、できない相談だった。刻印を施した地に精霊憑き(騎士)が入ってきた事は、当の魔物にすぐに知れたはず。しかもクリスは井戸を封じ、出入口を塞いだ。向こうにしてみれば、喧嘩を売られたようなものだ。
今は反撃の機会をうかがっているだろう。数日はこの村にいて、相手の出方の様子を見なければならない。さもなければクリスがここを離れた途端、村人が襲われる。
ろくな能力も使えないクリスが今すべき事……そしてできる事は、グレイが来るまで村人を守り、現状を維持する事だけだった。
村の中央へ向かい、井戸の封じが崩れていない事を確認すると、クリスは周囲を見回した。融合している精霊が視覚を調整してくれたので、闇の中でもはっきりと見える。そこここに赤黒く沈む魔物の痕跡があるのも。
それは村中を動き回り、這いずり回っていた。漂ってくる気配は怪魔のもの。さしたる能力も頭もなく、ただ飢えを満たす為だけに存在する低位の魔物。
改めてクリスは妙だと思った。なぜ怪魔が土地を支配下に置くような真似をする?
何かを見落としている気がした。だがそれが何なのかわからない。『刻印』が感覚を鈍らせる。腐臭が集中力を削ぐ。
低位の魔物が『依』にした生き物に引きずられる事もある、という言葉が唐突に脳裏に浮かんだ。融合した折、それが強烈に考えていた事、望んでいた事に左右されるのだ。力の弱い魔物が人間を依にする事を避けるのは、そのせいもある。魔物の方が『人間憑き』の状態になりかねないからだ……そこまで考えてクリスは、どうして自分はこんな知識を持っているのだろうと不思議に思った。次の瞬間、理解が訪れた。これは自分と融合した精霊が持っている知識だ。
「ここにいる魔物が、依に影響を受けたという事か?」
そう言ってみるが、返事はなかった。クリスの精霊は相変わらず、姿を現す気はないらしい。
「何を依にしたんだ、この怪魔は」
一体だけとは限らない。そんな言葉が脳裏に浮かび、クリスは眉をひそめた。複数いるという事か?
本体はどこにいるのだろう。井戸の方を見てクリスは思った。水に関連した魔である事は確かだから、水のある場所にいるはずだ。今までは地下水を利用して移動していたのだろう。井戸を封じたから、別の場所にいるだろうが……。
腐臭が強くなり、クリスは目を閉じた。鼻をつまみたい衝動にかられる。魔物が土地に『匂い付け』をしてくれたお蔭で、ずっとこの匂いに悩まされる。グレイの精霊も動きを阻害されるのだろうか……そう思った時、皮膚が泡立つような感じに襲われた。
ぴし。
地面に刺した護符が、微かな音を立てる。はっとなって井戸の方を見やると、赤黒い瘴気が井戸から這い上がろうとしていた。井戸の周囲に張られた結界を、内から突き上げて壊そうとしている。
ぴき。ぱし。
ぱき。……じじっ。
護符が輝いて、瘴気を弾く。だがわだかまる澱みはなおも結界を突き崩そうとする。固まり、勢い良く己を打ちつける。
激しい衝撃に護符の印がちらちらと瞬き、火花を散らした。それに連動し、村中に残された魔物の残滓が活性化する。
赤黒い力の跡が、ゆるゆると動き始める。井戸の中にいる本体に向かって。クリスは結界に手を伸ばし、術を強化する言葉を紡いだ。
「風を司るもの、陽の出る方より来たれ。
炎を司るもの、南より来たれ。
水を司るもの、陽の沈む方より来たれ。
地を司るもの、北より来たれ。
世界を支える四つの力。現れ出でよ。来たれ。
この場に出でて手をつなぎ、この場を支えよ。その手を離すことなかれ。その力、揺るぎなし。しかしてこの輪は閉じ、いかなるものも出る事あたわじ」
腕が重い。これは術にかかる重み。井戸の内側から出てこようとしているモノの、攻撃を支えようとしている力の。
(分が、悪い……)
大地を己が領分として力を張り巡らせている相手に、護符と自分自身の力のみで対するのは、どう考えても無茶な試みだった。無謀と言っても良い。けれどクリスは、これを成功させるつもりだった。と言うより成功させなければおそらく、自分自身の命が危うい。
ばちっ。
火花が散った。護符が揺れ、地面からはじき出されようとしている。村中を走る魔物の影が、明確な力を具現しつつこちらに向かってくる。クリスは言葉を続けた。
「その力、揺るぎなし……」
ばちばちばちっ。
クリスは息を飲んだ。瘴気が一際激しく結界に襲いかかったのだ。衝撃が腕を伝わり、痛みが体を走った。
重い。肩の骨が外れそうだ。
大地から立ちのぼる腐臭がそれに、追い打ちをかけた。赤黒い魔物の影が、ゆるやかにクリスを取り巻く。それは大地から立ち上がり、クリスの手足に巻きつき始めた。
「ゆるぎなし。ゆるぎ……なし……」
魔物の影はきりきりとクリスを締め上げ、意思を挫けさせようとした。腕輪が輝いてそれらを追い払おうとするが、わずかに躊躇わせる程度で、クリスから離れようとはしない。喉に巻きついた影に生気を吸い取られ、咳き込んで言葉が途切れそうになる。クリスはしかし、くり返した。
「世界を支える四つの力……現れ出でよ。この場に、出でて手をつなぎ……この場を支え……その手を離すことなか、れ。その力、揺る、ぎ、なし……ゆる、ぎ、なし」
がうんっっ!
火花が飛び、殴られたような痛みが走る。それでもクリスは言い終わった。
「ゆるぎ、なし!」
言い終わると、静寂が落ちた。
次の瞬間、地が震えたと思うほどの衝撃が走った。そして唐突に消える。大地から立ち上がっていた魔物の影も霧散した。クリスは膝を崩し、その場に座り込んだ。
咳き込んでいると、光が走った。顔を上げると淡くおぼろな人影があった。精霊だ。
『小さな騎士よ、平安であれ。挨拶を送る』
輪郭も定かでないそれは、男性の形をしていた。聞き取りにくい声だったが、確かにそう言った。
「あ……りがとうございます。あなたにも、平安がありますよう」
まだ呼吸が苦しかったが、クリスは答えた。誰の精霊かはわからないが、ここまで影を……分身を飛ばしてきたらしい。
『参っているようだが。大丈夫か』
「平気です……結界を強めただけですから」
そう言ってクリスは立ち上がった。精霊の影はすい、と近づくと、クリスの喉に手をやった。クリスは息を飲んだが、相手がすぐ手を離したので戸惑った顔になった。
『無茶をする』
「やらねばならない事を、しただけです」
『それを無茶と言う。こんな場所で術を使うとは』
そう言って精霊の影は、周囲を見回した。
『この刻印は何だ? 聞いた話では怪魔という事だったが』
「わたしもそう聞いていました。ここに来て、土地全体に刻印がされている事に驚きました。相手は……一体とは限らないのでは」
『その可能性は高いな。すまないが、わが騎士は離れた場所にいる。わたしの本体も。ここを詳しく視る事は難しい。
だが似てはいるが、異なる気配が重なるのはわかる。三体……いや、二体か。これは私見だが、護符は封じにではなく、己が身を護る為に使うべきだったな、小さな騎士』
「ここに使った他は、別の人に渡しました。そちらの方が早急に必要だと思えましたので。わたしにはまだ、これがあります」
腕輪を示すと、精霊は鼻を鳴らした。
『それは大地の守護だろう。この場所ではほとんど役に立たぬ。黒鎖の騎士どのも良い仕事をしてはいるが、魔物の領域から力を引き出す事はまず無理だ』
「エイモスが作ったと、わかるのですか」
驚いて尋ねると、精霊の影は答えた。
『見ればわかる。火刃の騎士どのの気配もしている。上位二名の『気』を込めただけあって、相当なものだ。通常ならかなりの力を発揮するだろう。だがここでは難しい』
アルティスの気配もすると言われ、クリスは瞬いた。それは知らなかった。
「それでも少しはましなはずです。この場は人の世。魔物の領域ではありますが、それでもわたしたちの世界ですから」
精霊は一瞬、笑いの気配を放った。
『ああ、お前は若い』
そう言ってから彼は付け加えた。
『すまない。お前を笑ったわけではない。ただ感慨を覚えた。長く生きる騎士は、人間の事を『わたしたち』とは言わないのでな』
クリスは相手を見つめた。この精霊は長く生きる騎士と契約を結んでいるのだろうか。そんなクリスには構わずに、彼は続けた。
『確かに人の世ではある。いかに魔物が己が領分としても、この世はわれらのものでもあれらのものでもない。お前たちが互角に戦えるのは、それゆえだ。ここが人の世であるゆえに、われらも魔物も力を十全には使えない。そこにお前たちの勝機がある……だが、無茶である事は確かだ』
やんわりとたしなめるような口調で言われ、クリスは顔を伏せた。
「わかっています……ですがこれが最善でした」
『この場で最善を考えるのは、戦える者。お前がなすべきは、己が命を守る事。灰色の騎士が来るまでな』
言われた言葉に唇を噛みかけたが、ふと疑問を覚える。『灰色の騎士』とはグレイの事だろう。自分の騎士の事を精霊は、こんな風には呼ばないはずだ。ではこの精霊は一体誰の……?
「あなたはどなたの……いえ。何の御用でここまで」
誰の精霊なのか尋ねようとしたが、礼儀に反するのではと思い、クリスは代わりにそう尋ねた。精霊の影はクリスを見つめた。
『わたしの騎士がお前を気にしている。それで影を飛ばして見に来た。だが小さな騎士よ。お前がそういう存在だとは知らなかった』
クリスはぎくりとし、表情を強張らせた。見抜かれた。そう思う一方、精霊ならばそれも当たり前、との意識があった。かれらは真実をのみ見る存在なのだから。だが。
「他の者に話しますか」
そう言うと、精霊の影は苦笑するような気配を放った。
『いや。わたしはわたしの騎士を愛するがゆえに人間に味方をしているが。『剣の院』とやらに忠誠を誓っているわけではない。この事が公になれば、どうなるかはわかる。吹聴してまわる気にはなれない。わたしの騎士がそうしたいと言えば、止めないが』
「言わないで下さい。あなたの騎士にも」
そう言った自分の言葉に、すがるような響きがあるのがいまいましかった。けれど目の前の精霊に頼むしかない事もわかっていた。
『それをわたしに言うのかね?』
「知れば、あなたの騎士は悩むでしょう。苦しむかもしれません。ですが知らなければ、それで済みます」
そうではない可能性もあったが、あえてクリスはそう言った。賭だった。精霊の影はすると、声を上げて笑った。
『お前はわれらの弱点を良くわかっている。確かにあれは悩む。いらぬ苦しみを抱くだろう。それはわたしにとって耐えがたきこと。
わかった。わたしからは言うまい。
ただあれがはっきりと尋ねた時には、答えないわけにはゆかぬ。それは承知しておいてくれ』
「十分です。ありがとうございます」
そう言って頭を下げると、精霊の影は静かに問うた。
『小さな騎士よ。その体で引き受けたわが同族は、荷が勝ちすぎるのではないのかね』
その瞬間、身の内にぞろりと起き上がるものを感じ、クリスは震えた。
『抑えなくて良いのか? お前の騎士が砕け散るぞ』
精霊の影がそう言うと、身の内で動いたものは静かになった。自分の精霊が相手の言葉に反応したのだと気づいたのは、少したってからだった。
「わたしの精霊を知っておいでなのですか」
精霊の影は肩をすくめた。
『知り合いではないが、気配はわかる。力あるものが子どもと契約をし、あまつさえ命を重ねるなど。道を踏み外した事を……』
「わたしは十五だった。子どもではありません」
クリスは言った。
「他に方法がなかったのです。わたしは無力で、今にも殺される所だった。契約せねば死んでいた。結果はどうあれ、わたしはわたしの精霊に感謝しています」
胸の内で波立っていたものが、静かになった。暖かなものが胸に広がる。自分の精霊が今感じている気持ちだろうか。
『あまり甘やかすものではないぞ。付け上がるからな』
その様子を見ていた精霊の影が言った。
『お前がそう思っているのならば良い。だがいずれにせよ、わが同族の命がお前の負担になっているのは確かだ。この様子では、力はほとんど使えまい』
「はい……」
クリスがうつむくと、精霊の影は『そうだろうな』と言った。
『われらの存在に馴染む間もなく、唐突に命を重ねられたとあれば。力を使おうとするたびに相当な苦痛が生じよう。と言うより、使ってはならぬ。そんな事をしようものなら、お前の体は崩れ、塵と化す』
「エイモスにもそれは警告されました。生きていたいのなら決して力を使ってはならぬと。ですが……既に契約はなりました。わたしはこの身に精霊の命を受けています」
『その通りだ。その上、お前の危険は大きい』
クリスが眉を上げると、精霊は言った。
『わが騎士が聞いた話では、院の議員の中に、お前に死んで欲しい者がいるそうだ。お前が戦えるようになるまで、後十年はかかる。だと言うのにお前はここに一人で差し向けられ……来てみればこの地は刻印を受けている』
言われた内容にクリスは衝撃を受けた。十年!
「まともに戦えるようになるまで、そんなにかかるのですか」
あえぐように言うと、『少なく見ても、それぐらいはかかる』と精霊の影は答えた。クリスは唇を噛みしめた。そこまで。そこまで自分は、精霊の騎士としての資質を欠いているのか。
不適格な存在なのか……。
『だから今は目立たぬ方が良い。どこかに行って隠れる事を勧める』
精霊の影はクリスの受けた衝撃に気づかぬ風にそう言った。その言葉にクリスは我に返った。隠れる? 逃げるのか? 村人を……あの子どもを見捨てて。
「そうしたいのは山々ですが……村人を守らねばなりません」
クリスが青ざめた顔を上げて言うと、精霊の影は不思議そうな気配を放った。
『お前とは何の関わりもない人間ではないか』
「その通りです。ですが見捨てる事はできません」
資質を欠いた存在。不適格。その言葉はまだぐるぐると頭の中を回っていたが、クリスは言った。
「わたしは精霊の騎士です」
精霊の影を見つめてクリスは言った。
「力を使えず、誰に認めてもらえなくとも。わたしは……精霊の騎士です。わたしがそう思っている限り、そうなのです。
彼らは助けを求め、剣の院は応えた。騎士を送ると。彼らの命を、暮らしを、魔物の脅威から守らねばなりません。それがなすべき事。わたしたちの仕事です。逃げる事はできません。見捨てる事は。わたしは、精霊の騎士なのですから」
息をついてから、黙ってこちらを見ている精霊の影を見やる。そうして付け加えた。
「逃げれば、わたしは……資格を捨てる事になる。騎士である事を、自ら放棄した事に。だから。わたしが騎士であり続ける為にも、逃げる事はできません」
言い終わってから気がついた。そうだ。逃げる事はできない。彼らを見捨てる事は。
自分は、精霊の騎士なのだから……。
精霊の影は笑いの気配を放った。
『お前は可愛いな、小さな騎士。初めて会った頃のわたしの騎士を思い出す。あれは複雑な男だが、それでも純粋で可愛らしい。今は擦り切れようとしているが……』
「擦り切れる?」
『疲弊は騎士の魂を殺すのだ。どの騎士もいずれそうなるものだが、あれがそうなるのはいささか早すぎる。あれがどの道を選ぶにせよ、最後まで付き合うつもりではあるが。
小さな騎士よ。お前と出会ってあれが、少しは振り回されれば良いとわたしは思っている。黒鎖の騎士どのも、粋な事をした』
意味がわからずクリスが相手を見つめると、相手の姿がゆらいだ。
『とにかく不用意に動くな。灰色の騎士が今、全力でこちらに向かっている。後三日ほどで着くはずだ。それまで目立つ動きは避けろ』
言い終わると、姿が消える。
残されたクリスはため息をついた。院の中に、自分の命を狙う者がいる。それは知っていた。エイモスやアルティスから警告を受けていたし、訓練所にいた時にも何度か不審な事故に巻き込まれた。
(情報が故意に隠された可能性もある……)
精霊の騎士を派遣する前には、事前調査がある程度なされる。『刻印』などという派手な事が行われているのなら、報告されないはずがないのだ。
けれどそんな話は聞かなかった。さっきの精霊も驚いていたようだから、グレイにも伝えられていないのだろう。
他にも情報が握り潰されていたりするのだろうか。それほど任務に失敗して欲しかったのだろうか。
オルの村の者は切実な思いで、精霊の騎士を待っていたのに……。
『役立たずのおまえでも、少しは働ける所を見せるが良い』
命令を持ってきた神官は、汚いものを見るような目でクリスを見た。『魔物憑き』の可能性をささやく者は多く、『精霊殺し』という不名誉な名まで、クリスには冠されていた。神官もその噂を聞いていたのだろう。不安と軽蔑の入り交じった表情で、高圧的にそう言った。
候補生が学ぶ訓練所にはいつも、人懐こい花の精霊が遊びに来ていた。少なくともクリスが行くまではそうだったらしい。
けれどクリスが入って以来、彼らはぴたりと姿を見せなくなった。なりたての騎士がクリスの側には近寄れないと言い出し、実演を見せに来た騎士もクリスを避けた。
その他にも様々な事件があり、クリスは二巡月で訓練所を追い出された。友となるはずだった少年たちに敵意を向けられ、多くの者に不信を抱かれて。
『お前の精霊は強すぎる。それでいてひどく子どもじみた独占欲を持っている』
エイモスはそう言った。
『精霊はいずれもそういうものだが。お前に憑いたものはその度合いが強い。意識を眠らせているから自覚はないのかもしれないが……お前に近づく同種の者全てに威嚇をしている。自分のものに近づくな、と。
高位の貴妖ならともかく、魅妖では逃げ出す他あるまい。位階の低い騎士の場合は、騎士本人も影響を受ける。彼らがお前を避けるのも無理はない』
エイモスとアルティスが口添えしてくれたものの、クリスに対する風当たりは弱まらなかった。同じ家の者が結束し、庇い合っていると見なされたのだ。
二人に対する風当たりまで強くなったのを見て、クリスは心を決めた。何とかして証明せねばならない。自分は精霊の騎士であり、魔を退ける側の者であると。
だからクリスは任務を受けた。だが。
(十年。それほど時間をかけねば使い物にならないのか。それほどわたしは半端な者なのか……)
自分の手を見る。小さな手。腕も足も細い。精霊と契約した事で体は丈夫になったが、元々の体力そのものが低い。普通の人間よりは強いだろうが、体が十分に成熟してから契約した他の騎士たちと比べると、どうしても見劣りがする。
それでも精霊の力が使えるのなら、それなりに認めてもらえただろう。
だが自分はそれすらできない。
(どうすれば良い?)
挫けそうになる心を抱いて、クリスは自分に問いかけた。
(わたしは、どうすれば良い……?)
「第一に、生き延びること」
少年はつぶやいた。
「第二に、わたしのできる事をする」
うつむいていた顔を上げる。
「わたしは生きている。わたしに今できる事は、いつでも動けるようにしておく事。感覚を鋭くしておく事。何があってもすぐに対処できるよう、心構えを。わたしの牙は……」
細身の剣に手を置く。
「ここにある。これがすぐに使えるようにしておく事。自分が思った通りの動きができるように……」
細い剣は武器としては心もとない。魔物と相対した時、こんな物がどれだけ頼りになると言うのだろう。それでもこれは、クリスにとって唯一の牙だった。
「今は……現状の維持」
じきにグレイが来る、とクリスは思った。あれは誰の精霊だったのだろうか。きっと力のある貴妖なのだろう。『刻印』を受けた土地に遠方から自分の影を送り込むなど、そうそうできる事ではない。それにクリスを前にして、怯む素振りを見せなかった。
「村人は見捨てない。たとえわたしが、資質に欠ける存在でも……」
つぶやいて周囲を見回す。刻印を受けた土地。赤黒い魔物の跡。
「わたしは、精霊の騎士なのだから」
それだけが、今の自分を支える誇り。