序章
その日だって、何の変哲もない一日になると思っていた。
ジリリリリッ。
けたたましく鳴り響くアラーム音で目が覚めて、気怠げに体を起こした。ぼんやりとした頭には、窓から差し込む朝日はとても眩しく感じる。
「月曜日か……」
今日からまた新しい一週間が始まるのだ。ぐっと体を伸ばし、「よし」と小さくガッツポーズを取る。
私の名前は黒川くろえ。
田園広がる田舎で大学まで過ごし、憧れの都会で就職したはいいものの、都会のお洒落な人達とどこに行っても多い人混みに気圧されて、早二ヶ月が過ぎてしまった。けれどそんな新生活にもようやく慣れ始めたところだった。
そして今日も私一人だけの部屋をパタパタと駆け回って朝食の準備と身支度を整えるのだ。一人暮らしをして始めて実家暮らしのありがたさを実感するものだな、と近頃強く思う。
きっとこれがホームシックなのだろう。
準備も整い、鞄を持って玄関へ向かう。慣れないヒールを履くたび、まるで背伸びをしているようで、きゅっと体が強張る感じがする。
「行ってきます」
実家の時の習慣はなかなか抜けず、誰もいない部屋に声をかけた。
そう。
何も変わらない一日の始まりだったのだ。
扉を開けるまでは。
ドアノブに手をかけ、扉を開けると、そこには見慣れない風景が広がっていた。
ここは日本。
世界の中でも平和な島国だ。
そんな日本の首都である東京に私は住んでいる。アパートが立ち並ぶ住宅街で、いつもなら子供達の楽しそうな声が聞こえてくるはずだった。
けれど、目の前に広がるのはまるで中世ヨーロッパのような世界。
目を丸くしても、何度も瞬きしても、手で目を擦ってみても、目の前の景色は変わらない。私はそおっと、音を立てないよう、ゆっくりと扉を閉めた。
そしてまさかと思い後ろを振り返ると、そこには見慣れた自分の部屋があった。嫌な予感が外れて思わずほっと胸を撫で下ろした。
疲れているのだろうか。
いや、きっと昨日異世界転生のアニメを見たからその影響だろう。私にとっては都会もまだまだ異世界のようなものだしな。
私は大きく深呼吸をしてもう一度、ゆっくりと扉を開けた。
けれど哀しいかな。
そこには、先程見た景色と変わらない、煉瓦造りの中世西洋風の街並みが広がっていた。
「こんな事、ほんとにあるの?」
多くの人々が夢を追い求めて集まってくる都会には、たくさんのチャンスが転がっていると言う。きっと自分が想像出来ない事も何でも起こり得るのだろう。
良くも悪くものどかな場所で生まれ育った私は、都会に夢を見ていた。田舎にはない刺激があるのだと、信じていた。けれど心の底から信じているわけではなかった。
今目の前での光景を見るまでは。
「さすが都会」
目の前の事が現実なのだと感じると、手が小刻みに震えてきた。その震えを止めるためにぎゅっと強く拳を握る。
こんなところで立っていても何も変わらない。
とにかく外へ出てみなくては何も分からない。
私はゆっくりと一歩踏み出した。
玄関から外へ。
その一歩を踏み出した時。
足元に円形の魔法陣が浮かび上がった。そして魔法陣はほのかに青白い光を放ちながらくるくると足元で回り始める。
「なっ、何!?」
思わず足を引っ込めようとした瞬間、魔法陣が閃光を放った。
その光に包まれた私は、文字通りその場から姿を消したのだった。