20話 断罪と決着
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拝啓、ファーリス様
ごきげんよう
この度の騒動を受けて、私ミラ・カルバリェスはあなたとの婚約を破棄させていただきますこと親書にてお伝えさせていただきました。こちらの手紙で最後のご挨拶を申し上げます。
かねてより、貴方は妹君のことを大好きだとおっしゃっていましたね。
そんなに好いているのならお二人でどうぞお幸せに。
ミラ・カルバリェス
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この後、ファルケンハウゼン家は没落することとなった。というのも、デモンズ家から申し入れがあり爵位を返上することとなったらしい。公爵家に嫁入りする身でありながら実の兄との不貞を働いたというのは前代未聞であり、なおかつ法律を重んじているはずのファルケンハウゼンの信頼を失墜させる結果を招いた。現職の伯爵もその職務を即日にて外れることとなった。もちろん、それはファルケンハウゼン家に対する制裁で当人たちへのそれではない。
まず、デイジーの腹の中の子供について都市部の上流貴族たちとファルケンハウゼン家で話し合いが行われた。禁忌によって出来た子供であるが、この国では赤ん坊を殺すことはどのような場面でも許されることではないからだ。
「さて、そこで彼女にはこのような決定がなされたんだ」
アレックスはハルネが焼いた焼き菓子を頬張ってからゆっくりと説明をしてくれた。
デイジーは出産までをラベルゴ家の管轄である隔離病棟で健康な子供を出産できるように徹底管理をされる。しかし、出産を終えたあと、彼女は辺境の地にある修道女院への出家が決定している。修道女となり彼女は一生を孤島で暮らすことになったという。
「それでお腹の子供は?」
「かわいそうだが、孤児院で養子となってくれる親が現れるまで市民として暮らすことになるだろうね。ただ、禁忌によってできた子は命が長くないことも多い。こればっかりは生まれてみないと俺にも判断はできないんだよ」
両親に罪はあっても子に罪はない。
だが、両親の罪のせいでその子は……。
「ファーリスは昨晩、激戦区の最前線に出兵したよ」
「そう……ですか」
「あんなことを言われてまでまだ同情しているのかい?」
*** 10日前 ***
私が婚約破棄の手紙を出す前、ファーリスは私に謝りたいとこの家を訪ねてきた。私は彼が本当に反省しているのであれば、まだ婚約破棄を考えることも視野に入れていたから、この婚約破棄を伝えることを戸惑っていた。
デイジーとの間に禁忌があったことは事実だし変えられないことだけれど、私の知らないところでもしかしたら彼に同情する要素があったかもしれない……と。
「ファーリス様」
「ミラ、僕は本当に……なんてことを」
お兄様とハルネが冷たい視線をぶつけると、ファーリスは涙をこぼす。やつれ切った顔と、泥だらけの騎士服は道中で市民たちに石でも投げられたようだった。
「ファーリス様、僕はカルバリェス家の当主としてではなくミラの兄として言わせてもらうがね。君は禁忌を犯しただけでなく、我が妹の爵位が低いことをいいことに随分な扱いをしてくれたことにも怒っているんだ」
「お兄様」
私が咄嗟にお兄様に声をかける。まだ、ファーリス様はあくまでも伯爵。お兄様は男爵。禁忌を犯したとはいえまだファーリス様は私たちよりも目上の貴族なのだ。
「いいや、止めないでくれ。確かに君は伯爵家の人間でミラは下級貴族から嫁いでくる存在だったかもしれない。けれど、紳士として騎士としてレディにあんな扱いをするのは……恥ずべきことだ」
「はい……おっしゃる通りです」
「失礼した。座ってください。そこへ」
お兄様に言われてから応接室の椅子に腰掛けるとファーリスはだらりと項垂れた。
「ミラ、本当に申し訳なかった。どうかしていたんだ、僕は……僕は……」
「ファーリス様、あなたはデイジーを愛していたのですか?」
私の質問に、彼はバッと顔をあげると否定しようとして一瞬戸惑って、それから「違う、気の迷いだった」と言った。
その違和感に気がつきながらも私は質問を続ける。
「では、どうして?」
「それは……君もご存知の通りうちの家は法律を重んじる厳格な家訓が多く存在する。僕と君が年頃だというのに文通だったのはそういった理由もあったんだ。成婚前の男女が逢瀬を重ねるものではない。なんて。だから」
言葉に詰まる彼に、お兄様が
「妹に手を出したと?」
と怒りを押し殺しながら言った。
「それは……デイジーが……いえ、はい。そうです」
「君は今、紳士として言いかけたことをやめたということですか?」
お兄様の問いかけにファーリスはぐっと唇を噛んだ。多分、デイジーに誘われたといいかけたが過ちを女性のせいにするのは紳士としてあるまじきことだと踏みとどまったらしい。けれど、私は……
「私は、真実が知りたいです。ファーリス様」
「ミラ、同情なんてしてはダメよ」
「ハルネ、私はこうなってしまったことを後悔しているの。ファルケンハウゼン家が男女の関わりに厳しかったこと考えてみればファーリス様のお年頃の男性はみな御令嬢や公娼とお戯れになったりすると聞くわ。もしも、私がもっと早くに嫁入りを決めていたらこんなことにはならなかったんじゃないかって」
ファーリスはぐっと拳を握ってそれから唇を噛んで、しばらくしてから小さな声で
「初めは……妹が僕に手紙を寄越したことが始まりでした」
と言った。その手紙には兄妹愛とは違った愛が綴られていてそこからファーリスは妹の家族としてのスキンシップに男女のそれを思い浮かべるようになったそうだ。
その後は、アレックスがあの披露宴で告発した通りバカンス時に関係を持ち、デイジーが使用人を恐怖で支配して家でも……と悍ましい事実が語られた。
「それが真実……ファーリス様」
「どうかしていたんだ。本当に……どうかしていたんだ。僕たち2人とも。ミラ、申し訳なかった。今日は君に謝りにきたんだ」
「えぇ、お気持ちはわかりました」
「爵位をとりあげられて、罪を償うために全ての財産も没収されるだろう。その上、カルロスからは他に制裁が加えられるかもしれない」
「そう……でしょうね」
ファーリスの顔を見ているとさまざまな思い出が蘇る。幼い頃からずっと憧れだった人だ。都市部に住む王子様のような存在で優秀で優しくて。文通だけでも彼の優しさが溢れていて私は彼から手紙が届くことが楽しみだった。
本当にデイジーとのことが気の迷いだったとしたら? 私は彼の手を取るべきなんじゃないか?
「もしも、君が僕とデイジーを許してくれるのなら……婚約を破棄しないでほしい」
「ファーリス様、私は貴方の言葉を信じるとすればデイジー様を許すことはできませんわ。彼女が貴方を惑わし、その上あの舞踏会や食事会で私に数々の嫌がらせをしたことそれは紛れもない事実ですから」
「デイジーは……純粋な子なんだ。僕が君に取られてしまうことが怖くて君にそういうことをしてしまっただけなんだ。許してやってくれ」
——許してやってくれ
なんどかその言葉が頭の中で反響して、私の心にひたりと落ち込んだ。
「純粋……?」
「だから、もしも君は許してくれるのならば僕をカルバリェスの婿として、デイジーを養子として迎えてほしい。無理なお願いだというのはわかっている。けれど、あの子は一般市民として生きていけない不器用な子なんだ。悪いのは僕なんだ……だから」
「出ていってください」
「ミラ、お願いだ」
「ファーリス様は、こんな状況になっても私よりもデイジー様を優先なさるのですね。仮にも不貞をした相手と同じ屋根の下で暮らせと?」
「デイジーも反省しているんだ。それに、そうでないと彼女は修道院に出家させられて2度と会えなくなるんだ」
「貴様!」
お兄様がテーブルを叩くとハルネが必死で殴りかかろうとする彼を止め、使用人たちを呼んだ。私は彼の言葉に改めて彼の気持ちがまだデイジーにあることを確信した。
「ファーリス様……それはお受けできません。私は、一度関係を持った男女を同じ屋根の下で暮らすことを貴方の将来の妻として許すことなどできませんわ」
「誓って、もうあんなことにはならない。だからミラ」
「申し訳ありません」
「大事な妹なんだ……」
「先ほど、デイジー様からファーリス様を誘って関係を持ったと。それが真実だとおっしゃっていましたね」
「あぁ」
「ファーリス様は自分の罪だけでなくデイジー様にも償わせるように動かなければならないと思います。どんなに大事な家族でもです。けれど、貴方はこの場所にデイジー様を守るように頼みにきた。多くの恥や誇りを捨ててまで貴方が頭を下げるのは、家族としてではなく女性として彼女をまだ愛しているからではないのですか?」
瞳から溢れる涙も拭かずにぐっと彼を見据えた。目は泳ぎ、まだ何か言い訳を考えているようでそれがとても情けなかった。
「それは……」
「私は、信用できないのです。あのバカンスに行かれた日から貴方はずっと私よりもデイジー様を優先してきましたね。置き去りにしたり、食事会にも参加されなかった。ましてや結婚披露宴にすら招待してくれなかった。デイジー様のご要望を強行して叶えてきた貴方とデイジー様をこの家に招いたとして、私の居場所はどこにあるのですか? 貴方は……私を愛してくれるのですか?」
初めて、彼と目があった。
自分がどんな顔をしているかはわからないけれど、ファーリスはここへきて初めて本気で後悔したような自分の過ちに気がついたような表情をした。
「申し訳……なかった。けど……今は」
ファーリスは私のほしい言葉をくれることはなかった。いかにデイジーが可哀想な教育を施された純粋な少女だったとか、今は反省しているとか。私の美しさに嫉妬してしまったとか嘘か本当かわからないようなことばかりだ。
「出ていけ」
お兄様が低く唸るとファーリスは使用人たちもこの部屋の中にいる全員が彼を汚物を見るような目で見ていることに気がついて「わかりました」と言い残して屋敷を去っていった。
その後ろ姿を見て思った。
彼は最初から私ではなく妹君を愛していたのだと。妹から誘われたなんて嘘かもしれない。どうにかして2人が離れ離れにならないために言い訳をしただけだろう。
彼は、こんなことになっても最後まで……私を愛しているとは言わなかったのだから。
「ボルドーさん。妹さんには辛いことをさせてすまなかった」
応接室の奥からカルロスが姿を現すと怒りに震える兄に謝罪をした。
「デモンズ公爵。まだ冷静になれず……」
「あぁ、僕も旧友があそこまで腐っていたとは……妹さん、ミラ嬢には披露宴で復讐を強要するようなことをしてしまったからこうして謝罪の場を設けて彼女の意思を尊重しようと……けれど、さらに傷つけるような結果になってしまった。本当に申し訳なかった」
「いえ、カルロス様。私がお願いしたのですからそんな……」
アレックスが先ほどまでファーリスが座っていた椅子に腰を下ろして深いため息をついた。
「あいつが心を入れ替えて、ミラ嬢が慈悲深い判断をしたら……デイジーの方が悪質性が高かったことからファーリスへの制裁は爵位のとりあげのみになっただろうが……なぁカルロス」
「あぁ、そうだな」
「お兄様、私。ファーリス様とは婚約破棄を進めたいと思います」
「わかった。手続きを進めよう」
***
「さて、君の元婚約者一家の行く末もお伝えしたし、本題に入ろうか」
アレックスは口角をきゅっと上げると、私とハルネに微笑みかけた。
「さきほどのが本題では?」
「いいや、今日は君に良い話を持ってきてね。約束したろう? 君の次の婚約先は僕が便宜を図ると」
「アレックス様、でもまだ……」
「まぁ、君の心の傷が癒えるまで、ぼ……先方は待ってくれるようだから話だけは聞いてみないかい?」
ガタンと突然ハルネが立ち上がる。
「私、婦人会でのご挨拶があったんだったわ!」
「ハルネ? 婦人会は明日でしょう?」
「あ〜、忙しい、忙しい」
突然、訳のわからないことを言って出ていってしまうハルネに吃驚しつつ私はまだ決められないでいた。男爵家の令嬢として生まれた以上、どこかの誰かと婚約して成婚するのは避けては通れない。けれど、あんなことがあってすぐに他の殿方のことを見るのは難しい。
「あのアレックス様。御言葉ですが……」
「まぁまぁ、じゃあ友人として話を聞いてくれるだけでいいからさ。そうだ、よければ散歩でもしながら話そう。僕が思うにその男は君にぴったりだと思うんだがね」
「え、えぇ……随分お急ぎなのですね?」
「そりゃあ、先方はお急ぎになるだろうね? うん、きっとそうだ。さ、お嬢様。お手を」
私の前に跪いて、差し出した手の甲に彼はそっと口付ける。じっと青い目がこちらを見つめている。不貞問題で協力関係にあったものの彼は公爵様なのだ。それを改めて実感して少しだけ手が震えた。
「さて、じゃあ君と婚約を考えているという殿方について話そうか」
太陽の下に歩み出て、カルバリェス家の広大な農地を見つめる。美しい金色の大地がそよ風でゆらゆらと踊る。あまりの美しさに足を止めた。
「そうだ。せっかくこうして交流があるのだし俺も君をミラと呼んでいいかい?」
「えぇ、もちろんですわ」
「そりゃどうも」
ゆっくりと私たちは歩き出した。




