16話 不可思議な晩餐
私は仕立てられた上品なイブニングドレスを身に纏っていた。ラベルゴ公爵邸の敷地まで馬車で送ってもらい、みたこともないような豪勢なロビーに感動していた。
公爵家という爵位がどれほど偉大なものなのかというのが一見してわかる。豪華絢爛な照明に異国から取り寄せたカーペットやインテリアはまるで王宮の展示室にでもありそうな品物ばかり。
「おや、よく似合っているじゃないか」
「アレックス様」
奥から出迎えにやってきた彼に挨拶をすると珍しく彼は苦笑いを浮かべる。
「あの……」
「流石に呆れたよ。ファーリスのやつ。今は妹君を迎えに出て行ってしまってね」
「もう心は動きませんわ」
少し前の私であればファーリスの行動に心を動かされ、傷つき泣いていたかもしれない。けれど、今はもう違う。私にはファーリスもデイジーも人の形をした別の何かにしか見えなくなっていたのだ。
兄妹で悍ましい……怪物のような何か。
「そうかい。さ、こちらへ。使用人の……」
「ディーナです」
ディーナはきゅっと背筋を伸ばすとアレックスに会釈をした。
「ディーナ。うちの使用人に案内をさせよう」
アレックスが目配せをすると数人の使用人たちがディーナを取り囲み、あれやこれや申し付け始めた。
「アレックス様、2人はいつ頃?」
「さぁ、あのデイジーはどうも機嫌を損ねているらしい。なんでも、『お兄様がお友達を私ではなくミラに紹介した』とご立腹だそうでね」
「あぁ……。アレックス様。もしファーリス様がいらっしゃらなければ私も……」
流石に、なんの用事もないのに婚約者がいる身で他の殿方と2人で食事をするのはあまり良い行動とはいえない。何より、アレックスもあまり良い顔をされないだろう。
「君は慎ましやかだね。大丈夫、今日はファーリスやデイジーにも内緒のスペシャルゲストがいるんだから。さぁ、レディ。こちらへ」
なんだか怪しい笑顔をアレックスにエスコートされて、広い部屋に向かうとそこには不敵な笑みを浮かべた大柄な男が座っていた。
「デモンズ公爵?」
「あぁ、カルロスでいいよ。ミラ嬢」
カルロス様は軽くこちらに手を振ると「とんでもない事態になった」と怒りを噛み殺すように言った。それもそのはず、彼にとってデイジーは婚約者でありデモンズ家の大事な花嫁になる予定の女性なのだ。それが、嫁入り前にあんなことになっているなんて……貴族の世界で愛人や妾なんかを連れているのは日常茶飯事だけれど、血のつながったもの同士のそれは法律でも禁じされるほどの禁忌とされている。
それは大昔に血筋や自らの家系を優先するあまり、近親での婚姻を繰り返し滅亡した王家の過ちを繰り返さないためのものだとお母様から聞いたことがある。
「ごきげんよう、カルロス様」
「あぁ、アレックスから君のことも聞いていたが、少し元気がでたようで何よりだ。お互い、ひどく辛い現実を知り心がすり減ったことだろう。心から……君の悲しみに寄り添おう」
グラスを持ってそう言った彼の腕は戦地から戻ったばかりで生傷だらけだった。デモンズ家は国内でも有数の家系でカルロスの母は王族出身、その上カルロスもその実力から次期幹部候補とされるお人だ。
その上、彼は貴族の御令嬢たちの間で彼を主役にした物語が出版されるほどの色男である。強さ、男らしさとその紳士さは我が国の王子の人気にだって負けないくらい。
私のような末端の貴族がお話できる機会なんてないような人だ。そんな彼との婚約を決めておきながらデイジーはどうしてあんな過ちを犯したのか。私には理解ができなかった。
「で、当事者はまだこないようだね」
アレックスは前菜のフルーツをつまみ食いして使用人を困らせつつ、勝手にワインを注いでグイッと飲み込む。
「あぁ、嘆かわしい。ミラ嬢、すまないね。ファーリスは俺たちの同級生だ。寄宿学校から長い付き合いであいつのことはなんでも知ってるつもりだったんだが。まさか、あんなやつだったとは」
「そんな……カルロス様の謝ることでは」
「ミラ、いいかい。俺やカルロス。もちろんファーリスもだが……。俺たち寄宿学校では紳士になるべく厳しい訓練を受けてきたんだ。国のため、家系のために。そして何よりも、レディのためにだ。君にそんな顔をさせるためじゃない」
銀色の食器に映った自分の顔がふと目に入って、目の下の黒い影や少し痩せて骨が目立つ頬。その上まだ瞼の腫れが残っていた。
「ひどい顔……」
「全く……、アレックス。もう始めてしまおう。もう約束の時間から半刻も過ぎてる」
カルロスがため息をつくと、アレックスは「そうだね」と返事をして使用人たちに合図をした。豪華な前菜が運ばれてきて、グラスにはワインが注がれる。
私たちが乾杯をしようとした時、アレックスの方へ駆け寄った使用人が彼に耳打ちをした。アレックスは今日一番のため息をつき、「入れてやれ」と冷たく言い放つ。
使用人が急いで部屋のドアを開けるとそこには見慣れた男が申し訳なさそうに背を丸めていた。
「ファルケンハウゼン家の伝令、ミルホックと申します。その、ファーリス様とデイジー様ですがデイジー様の体調不良のため本日の晩餐の参加ができないとの伝令を預かってまいりました」
ミルホックは私と目が合うと申し訳なそうに目を伏せる。一方で、私の横にいたカルロスからは沸々と怒りが煮えたぎるようなオーラが出ていたし、アレックスは呆れて「あ〜あ」とだらしなく座り込んだ。
「それから、ミラ様には『旧友に迷惑をかけずに楽しんでくれ』とのお言葉が」
ここにカルロスがいることを知らないファーリスから見れば、それは私とアレックスが2人で食事をすることを許可するも同じことだ。
仮にも婚約者が、婚約者のいない殿方とディナーを取ることをなんとも思わないのだろうか。それほどまでに私には興味がないのだと突きつけられて、胸が刺されたように痛んだ。
「ミルホック、下がっていい。デイジーにお見舞いの言葉を。ご苦労だったね」
アレックスの一言にミルホックは敬礼をして去った。もう、ファーリスのことなど気にしていないつもりだったのに、こうして現実が広がっていくたびに何度も何度も心が傷つく。もしかしたら、この問題が片付いてもこれから一生、ずっとこのことで私は苦しみ続けなければならないのかもしれない。
「さて、ファーリス殿からお許しが出たことだし。ミラ嬢、少しお付き合い願えるかな?」
「あぁ、そうだそうだ。今日は美味いものを食べて美味い酒を飲もう。ミラ嬢、ほらグラスを」
2人に促されて私はグラスを手に取った。
婚約者に不貞されたものとそれからその親友との不可思議な晩餐が始まった。




