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第四話 如雨露

 明日佳ちゃんとケンカした。()()()()だ。一人取り残された私は、トボトボと通学路を歩いていた。


 青から橙へと移り行く空、家々の窓から溢れる灯り、所々凹んだガードレール。


 いつも通りの景色も、その日の私には何だかどんよりとして見えた。別に、未来が何か変わった訳でもない。予定通りなのだ。それなのに、今日は何かがいつもとは違う。


 私の頭からは、さっき明日佳ちゃんから言われた言葉がこびりついて離れなかった。


 自然と足取りも重くなる。まだら色の雲が、屋根から屋根を横切って視界の端に消えて行った。

 家々に挟まれた坂道に、うなだれた私の影が黒く、長く伸びて行く。考え事をしすぎて塞ぎ込んでいたせいだろうか。気がつくと私は曲がるべき角を逃し、そのまま坂道を登り続けていた。辿り着いたのは、ただっ広い廃工場だった。


 清澄町(きよすみちょう)の廃工場。


 観光名所とは決して呼べないが、地元の人にはそこそこ有名な場所だった。

 

 両側の住宅に挟まれた坂道の上に、今はもう使われていないその廃工場がある。

 廃工場は、学校のグラウンドの、およそ半分くらいの広さがあった。何の工場だったのか、知っている人は誰もいない。ここに不法投棄していく良からぬ人も少なくなかった。おかげで広い空き地のあちらこちらに、壊れた家電やら乗り捨てられた自転車やら、ゴミが大量に放り出されている。工場の奥には、なんと引越し業者のトラックがそのまま乗り捨てられていたりもする。


 私も子供の頃、一度だけ、そのトラックの中を覗いたことがある。横転したコンテナの中には……一体何年前のものなのだろうか……薄汚れた衣類や食器類などが、ひっくり返したおもちゃ箱さながらにぶち撒けられていた。一体どんな事情があったら、引越しの荷物ごと放り出すことになるのか。答えられる人は誰もいない。


 町の子供達は、ここでかくれんぼや鬼ごっこをしたがっていたが、大人たちは建前上、この廃工場を立ち入り禁止にしていた。ギョウセイクカクだかカンリセキニンだか何だか知らないが、とにかく色々複雑な事情が絡み合って、簡単には片付けられないらしい。どのみちゴミがとっ散らかって、危険な場所には違いない。


 一体誰が流した噂なのか、心霊スポットとして全国ネットで紹介されたこともある。


 一時期、この廃工場に人が住んでいる、なんて噂もあった。

 噂を真に受けた野次馬や、町役場の人が工場の中を何度か捜索(未来視)したけれど、不法滞在者が見つかった試しは一度たりともなかった。雨風をしのぐにはもってこいな場所のようだが、不思議なことにホームレスも寄り付かない。何故か不良の集会所にもなっていない。そうするときっとこの場所には、何か不吉なことがあるのだ……と、全国のオカルトマニアたちが人知れず歓喜していた。


 幽霊が出る、とか。

 土地神さまが居て祟りに遭う、とか。

 はたまた怪しいカルト宗教が縄張りにしているとか、

 マッドサイエンティスト集団が、夜な夜な人類に害をなす実験を繰り返しているとか。


 よくもまぁ考えつくもんだと呆れるような噂が、この廃工場の周りで、引っ切り無しに囁き続かれた。


 私はいつの間にか、その廃工場の入り口まで辿り付いていた。


 その頃には、夕陽はもう遠く山の向こうに沈んでいた。工場の黒いシルエットが、夜の空にそびえて私を見下ろしていた。私は小さく身震いした。昼間見るそれとは違い、夜の廃墟は闇と混ざり合って、何だかこの世ならざるものを見ているような薄気味悪さすら感じられる。


 引き返そう……そう思った矢先だった。


 ふと工場の片隅で、人影が蠢くのが私の視界の端に入った。


 誰か、いる……。


 そう思った瞬間、私の体に緊張が走った。

 そんな人影(モノ)は、私の視力では視えなかった未来だった。あるいは不安定過ぎて見過ごしていた未来のひとつか。心臓が早鐘を打つ。一人きりでいるのが急に心もとなくなり、手元の通学カバンを思わずぎゅっと握りしめる。不審者。そういえば今朝、姉の日和から注告されていた。


 逃げ出そうにも、恐怖からか足が凍りついたように動かなかった。気がつくと喉はからからに乾いていた。手のひらにじんわりと汗が滲んでいるのが分かる。私はその場に突っ立ったまま、ごくりと生唾を飲み込んだ。果たしてその不審な人影は、闇に溶けた建物の隙間から、ゆらりと私の前に姿を現した。


「ひ……!?」


 その人影は、一見して二十代ほどの、細身の男だった。

 顔に見覚えはない。

 表情を隠すように前髪を長く目元まで伸ばし、下半分は黒いマスクをしている。マスクには、サメの牙のような、白いギザギザ模様が入っていた。模様のおかげで笑ってるようにも、威嚇しているようにも見える。


 服装も奇妙な感じだ。

 頭にはシルクハットを被っているのに、着ているものは何故か和風の着物、袴姿である。そのくせ足元からは、革のブーツが覗いていた。私は面食らった。古いんだか新しいんだか良く分からない、ちぐはぐなファッションの男だった。シルクハット、袴、ブーツ、そしてギザギザの黒いマスク。何時代? 引き算の美学を忘れた哀れなファッション=モンスターが、私の目の前に立っていた。


「お嬢さん」

「ひぃぃ……!?」


 ギザギザマスクの不審な男が、道端に立ち尽くす私に声をかけてきた。思わず悲鳴が出る。私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()、その前にさっさと答えた。


「じょ、()()()でしょう?」

「え?」

 私の第一声に、今度はマスク男の方が面食らった。


「その名刺に、()()()()が書いてある。その答え。如雨露」

「正解です」

 男は目を丸くした。

「この時代の人々は、未来が視えるというのは本当のようだ。いや、恐れ入りました」


 ギザギザマスクの男は、感心したように目を細めた。私は笑わなかった。


 怪しい奴。この男、一体何者なのか。


 マスク男は私の前で懐に手を入れ、一枚の白い名刺を取り出した。

 どうしよう。

 やっぱり走って逃げようか。だけど私は運動が苦手だ。叫んで助けを呼ぼうかしら。しかしその時私に視えていたのは、数分後、男の方が走って逃げて行く未来だった。どうやら私が何かしなくても、向こうの方から逃げてくれるようだ。私はその未来を視て、内心ホッとため息をついた。


 こうなると、下手に刺激して逆上された方が恐ろしい。私は渋々、男の差し出した名刺を受け取った。白い名刺には、右側に大きな文字で『考え物』と書かれ、その横に踊るようなフォントで



 いっつも真ん中に割り込んで、邪魔ばっかりする雨はな〜んだ?



 と書かれていた。


 邪魔ばっかりする……つまり”水差し”、そして真ん中に”雨”。

 答えは「如雨露」。何だかこじつけのようだが、なぞなぞとは多分そんなものだろう。私はその未来を視て、問題を出される前に答えた。袴姿のマスク男は、少し驚いた様子でじっと私を見下ろしていた。細身で背の高い、田んぼに生えた案山子(カカシ)のような男だった。


「貴方、案山子ですか?」

 私は思い切ってその男に尋ねた。男は首を振った。


「いいえ、違います。私は……『考え物』です」

「かんがえもの??」

「えぇ」

 男の目が愉しそうに細められる。


「貴方、今さっき悩んでいたでしょう? 考え事をしていたでしょう? だから私が来たんです」

「えぇ……?」


 マスクの下で、口元がニィィ……と吊り上がるのが分かった。

 私はますます混乱するばかりだった。


 考え物?

 って何?

 

 それって、名前なの? 

 それとも職業? 


 そもそも何で、私になぞなぞなんか出したの? 

 どうして名刺に、なぞなぞを書いているの?


「貴方の答え……如雨露……如雨露……」


 私が首をひねっている間、ファッション=モンスターはブツブツと口の中で「如雨露」と繰り返していた。その時点で、相当危ない奴だと言うことが分かる。私はいつでも右ストレートを打ち込めるように身構えた。


「如雨露……しかし未来が視えると言う、貴方も中々『考え物』ですな」

「あのぅ……?」

「水を差す、水差し、だから如雨露……か。なるほど」

「何言ってるんですか。貴方が問題を出したんでしょう?」

「そうでしたね」

 さっきから会話が要領を得ない。不意に男が、私の目をじっと覗き込んで来た。


「如雨露……それで、その【心】は?」

「【心】……?」


 男は頷いた。私はと言うと、恐怖が増すばかりだった。突然目の前に現れて、なぞなぞを出してほほ笑む男。そんな奴、通報案件でしかない。それともこの男の存在自体、新たな都市伝説か何かだろうか。


「貴方、都市伝説ですか?」

「違います。だから私は、『考え物』です」

「だからその、考え物ってなんなんですか?」

「それは……」


 男が答えようとした、その時だった。

 不意に遠くから踏切の音が聞こえて来た。その瞬間、男は急に弾かれたように背筋をピン! と伸ばした。


「不味い……」

「え?」

「もう行かねば……!」

「え? えぇ??」


 先ほどまで余裕の態度を見せていた男が、サイレンが聞こえて来た途端、怯えたようにそわそわし始めた。何だろう、この人は? もしかして、踏切のサイレンが怖いのだろうか? 


『考え物』と名乗るセンスといい、意味不明な()()()()といい、およそ真面(まとも)な人間とは思えない。きっとこの人物が、姉が言っていた不審者に違いない。私は確信した。


「貴方、不審者でしょう? 不審者ですね。通報して良いですか?」

「話の途中だが、私はこれにて失礼する。サヨウナラ、小和さん」


 男は早口でそう言うと、踵を返し、逃げるように廃工場の方へと向かった。

「では」

「あ……ちょっと!」

 サイレンの音が近づいて来て、深く青に染まった空に大きく鳴り響いた。次第に男の背は闇に混じり、あっという間に見えなくなってしまった。


「どう言うことなの……?」


 後に残された私は、手渡された白い名刺を握りしめ、考えもしなかった未来との遭遇に戸惑っていた。


 そういえば、どうしてあの男は私の名前を知っていたんだろう? 


 帰り道。ふと疑問がよぎったけれど、残念ながら『考え物』と名乗った巫山戯た格好の人物が、それから私の未来に現れることは、もう二度となかった。

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