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第三話 如雨露

「明日佳ちゃん」


 ある日の放課後。明日佳ちゃんは図書室で一人本を読んでいた。明日佳ちゃんはここ数日、クラスの誰とも馴染まないで、一人でいることが多かった。数週間後には、みんなと打ち解けている未来が視えていたので、誰も心配はしていなかったけれど。


 その日、明日佳ちゃんは人気のない図書室の、窓際の席に座っていた。今日は彼女と仲良くなる最初の一日だった。そう言う未来が視えていたので、ホームルームが終わると私はまっすぐに図書室に向かった。私が声をかけると、明日佳ちゃんは少しだけ顔を上げ、ちらりとこちらを流し見た。切れ長の、冷たい氷のような視線に見つめられ、私は少しドキッとした。


「……何?」

「な、何読んでるの?」


 私は自分がそう尋ねる未来が視えたので、明日佳ちゃんにそう尋ねた。彼女が読んでいるのは量子力学とか原子物理学とか、何とも難しそうな本だった。分厚い参考書の類が、机の上に山積みされている。読み物と言えばファッション雑誌か漫画本だった私には、到底縁のなさそうな本ばかりだった。


「べ、勉強熱心なんだね……」


 明日佳ちゃんは前髪を振り払い、再び本に視線を落とした。読書の邪魔をされたのが嫌だったのだろうか。しばらく私たちの間に、気まずい沈黙が流れた。


「……そう言う貴方は勉強しないの?」

「うん」

「どうして?」

「だって、私は大学には落ちるから」

「…………」


 それから再び会話が途切れた。明日佳ちゃんはしばらく黙って本を見つめていた。入り口の方で、男子生徒が談笑しながら出て行く声が聞こえた。開け放たれた窓の外からは、部活生の活気溢れる声がここまで届いて来る。私たちの間には、気まずい沈黙だ。世界は熱気に溢れているのに、何だかここだけ、ズシンと重い。


「……どうして?」

 明日佳ちゃんがようやく口を開いた。

「だって、もう決まったことだから。視えてる未来なんだもの」


 私は笑った。だけど、明日佳ちゃんはにこりともしなかった。


「あの、別に変なことじゃないんだよ?」

 私は精一杯白い歯を見せた。もちろん、そういう未来が視えていたから。

「みんなそうなの。視えてるんだもの。私は今年大学に落ちて、一浪するんだけどそれも失敗して、それで仕方なく実家でバイトしながら……」


 視えている未来。


 それが私のやる気が出ない一つの理由には違いなかった。勉強したって、どうせいい成績は取れない。友達を作ろうにも、どうせ誰とも仲良くなれない。結果が分かりきっているのに、どうやってやる気を出せと言うのだろう。やったって無駄だって分かっているのに、やる意味はあるのだろうか?


 大半の人間が、そうだった。いい点を取れると分かっているから、勉強する。活躍できると知っているから、部活に励む。付き合うと分かっているから、付き合う。私は友達ができないと知っていたから、特に気にすることもなく一人で過ごしていたし、姉はテレビを見ると知っているから、家で寝っ転がり、もう内容の分かっているテレビを見ている。


 その点、未来が視えない明日佳ちゃんの登場は、私にとっては異例中の異例だった。友達なんて一人もできずに卒業すると思っていた私は、彼女と仲良くなれる未来が垣間視えて、たちまち胸が暖かいものでいっぱいになった。つまらないと思っていた高校生活に、明るい兆しが視え始めていた。


 明日佳ちゃん。彼女が将来研究者になりたいことも、私は知っていた。そしてその結末も。未来が視えるというのは、決していいことばかりではない。


 明日佳ちゃん。そして私。今日はこの後、明日佳ちゃんと軽いケンカになって、私は家に帰って悶々とした気持ちを抱えたまま眠る。その未来が視えている。だから今日は、何も心配することはない。そのはずだった。


「だからね、明日佳ちゃん……」

「私は」


 明日佳ちゃんが、その氷のような瞳で私を貫いた。私は再び心臓を跳ねさせた。彼女の視線は、心臓に悪い。分かっていても、ドキッとせざるを得なかった。


「そういうの、ヤだな」

「……え?」

「『視えているから』って……分かった気になって、何もしないんでしょう」

「明日佳ちゃん……」

「そうやって悟ったふりをして、できる努力も放棄して……」

「…………」

「……やって見なくちゃ分からないわ」


 本がパタンと閉じられた。明日佳ちゃんはそのまま席を立ち、テキパキと本を片付け始めた。周りにいた生徒が数名、何事かとこちらに目を向けた。それも視えていた未来だった。彼女の顔から、声から仕草から、怒っているのがヒリヒリと伝わってきた。それも、視えていた未来だった。


「明日佳ちゃ……」

「あなたと仲良くなる気なんて、私にはないから」


 振り向きざま、明日佳ちゃんは私にそう言い残して図書室を出て行った。一人取り残された私は、彼女の背中を見送り、呆然と突っ立っていた。今日は彼女と仲良くなる最初の一日。彼女とケンカする日。


 分かっていたことである。視えていた未来である。廊下では生徒たちが談笑し、外では部活生が歓声を上げていた。世界は活気に満ち溢れている。それなのに、何だか私の胸だけ、ズシンと重い。

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