余談 山奥
そしてその日がやって来た。
件の社長は、真昼間、高級車を三台くらい引き連れて、大名行列でやって来た。あの若い男も一緒だ。今日は流石にサングラスは嵌めていなかった。
六十は過ぎてそうなその社長は、高そうなストライプのスーツと山高帽を被った、厳格そうな紳士だった。
眼鏡の奥の眼光は、獲物を狙う鷹のように鋭い。沙織はその日学校だったが、熱があると嘘をついて休んだ。いくら締め切って貸切にするとはいえ、父一人では、とても不安だったのだ。
ぞろぞろと部下を従え、社長が『山奥』の暖簾をくぐった。沙織は寝間着のまま、店の二階にある、自分の部屋の窓からこっそりその様子を眺めていた。この社長の舌を唸らせれば、全国にウチのラーメン屋の看板が並ぶかもしれない。そう思うと、沙織もドキドキしてきた。父は今、厨房で、この日のためのとっておきのラーメンを用意している……はずだった。
しかし、
「大将は?」
「……あれ?」
貸し切った一階の店内が、段々騒々しくなっていく。沙織は首を傾げ、思い切って寝間着のまま一階に降りて行った。父は何をやっているのだろう?
店内に出た。若い男が慌ただしく何処かに電話をかけている。物陰からひょっこり顔を出した沙織は、社長と目が合った。社長は、少し戸惑ったように肩をすくめた。
「……いないじゃないか」
社長の一言に、店内がシン……と静まり返った。厨房から、換気扇の音がやけに耳に響く。
私は戸惑いを隠せなかった。どういうわけか、父は忽然と店から姿を消していた。




