第十話 考え物
小学生の頃、あだ名が『役立たず』だった。
勉強ができない、運動ができない、目つき・顔つきが悪い、落ち着きがない、など……毎年担任の先生からもらう通信簿には、これみよがしに私の悪口がたっぷりと書かれていた。『八歳までに悪口を言われた選手権』があれば、私はきっと優勝していただろう。
とはいえ、そんなのは何も私だけじゃない。どんな学校にも、必ず落ちこぼれはいるものである。
落ちこぼれる理由は人それぞれだ。さっきも言ったけど、勉強ができない、とか。運動ができない、とか。あとは人の話を聞かない。口下手だ。乱暴者である。周りと仲良くできない。片付けができない……などなど。
そんな『厄介者』の生徒たちを収容……もとい、一箇所に集める『特別教室』が、私たちの地区には存在した。
小学校も三年生に上がる頃、『役立たず』が判明した私も、当然のようにその『特別教室』に通うことになった。
『特別教室』は町外れの小高い丘の上にあった。人々は誰も寄り付かない、陸の孤島のような場所だ。
教室自体はプレハブ小屋のような、錆びついた、狭い部屋だった。部屋に一つだけある窓から、残念ながら青空は見えない。代わりに巨大なタイヤや、そびえ立つ無人工場の群れが見えた。何を作っている工場かは、誰も知らなかった。『教室』の周りには、いつも白い煙がもうもうと立ち込めていた。
昼夜問わず、無人の工場から金属の叩く音や破裂音が聞こえてきて、何度も『教室』を揺らした。勉学に励むに最適な環境とはとても言い難い。教師がいて、授業が行われる訳でもない。ただ延々と、『偉大なるナントカさまは〜』と言った演説映像が流れ続けていた。
『教室』の周りには囲いがあり、囲いは軽く数十kmほどの広さがあった。
中には生徒が寝泊まりする寮や、無人病院、服屋、床屋、そうじ屋、それに機械式レストランなんかもあった。囲いの中には生徒以外、誰も人がいなかった。そのほとんどがロボットやドローンで運営されていた。施設の利用はほとんど自由だった。ただし、許可なく囲いの外に出ることだけは、固く禁じられていた。
かつて独裁者は、優生思想を抱き気に入らない人々を迫害、隔離したのだと言う。
今思うと、囲いはそれと同じようなものだった。
『厄介者』の私たちは囲いの中に閉じ込められ、そこで暮らすように強いられた。
その『特別教室』には『役立たず』な私の他にも
『親不孝』
『考え無し』
『呪い』
『地獄』
……なんて生徒たちもいた。
とはいえ全員が一堂に会するなんてことはなく、大半は勝手きままに囲いの中で暮らし、欠席していた。おかげで『特別教室』はいつ行ってもがらんどうだった。囲いの中にどれだけの生徒が住んでいるのか、私には分からなかった。
彼らの本名でさえ、今でも知らない。
『役立たず』や『親不孝』など、もらったあだ名がそのまま、そこでの私たちの名前だった。
そうやって生きていくしか許されなかったのが私たちだった。
いつからか、私たちの街は壊れてしまった。
ある朝、背広を着た見慣れない男たちが大量に街にやって来て、
街の人々を善人と悪人に、美人と醜人に、聖人と罪人とに分け隔てた。
そして人々は前者を盲目的に崇め奉り、
後者には容赦なく石を投げ付けるようになった。
そして偉大なるナントカさまの御心によって『美しい世界』ができた。『美しい世界』の中で、私たちは残念なことに後者の方だった。人々は後者に蓋をして、関わらないように閉じ込めることにしたのだ。
私の通っていた『特別教室』も、要はその隔離施設の一つだった。
その中で、私が親しくしていたのが一人いる。『考え無し』だ。
『考え無し』は、出会った時から不気味な男子生徒だった。小柄で、細身で、前髪を目の辺りまで伸ばし、実に薄気味悪い印象だった。私が彼の姿を見かけたときは、いつも教室の隅の方で、錆びついた壁のシミを黙って何時間も見つめていた。本当に何を考えているのか分からない奴だった。
私は、彼の無表情で、おしゃべりじゃないところが気に入った。今まで散々周りから笑われ、悪口を言われて来た私にとっては、彼の沈黙が妙に心地良かった。それで私たちは、いつの間にか仲良くなっていた。
「ねぇ知ってる?」
教室で会うたび、物静かな『考え無し』に、私はいつも話して聞かせた。
「外の世界には、何処かに『あだ名職人』がいるんだって」
「…………」
『考え無し』はいつも黙って私の話を聞くだけだった。
「そりゃ私たちは『厄介者』だけど。その『職人』に頼めば、『役立たず』だろうが『考え無し』だろうが、綺麗に剥がしてくれるんだって」
「…………」
「新しい名前を付けてもらえるの。そうしたら、私も二度と『役立たず』と呼ばれずに済む。キミだって、『考え無し』って名乗らなくて良くなるんだよ。親だって、迎えに来てくれるかもしれないし」
『特別教室』では、家に帰ることも、親に会うことすら許されなかった。私たちは一年中囲いの中で過ごした。中には親に捨てられ、物心つく前から『特別教室』で暮らしている生徒もいる。『考え無し』もその一人だ。
外の世界。
それは私の憧れで、希望だった。私が落ちこぼれる前、『役立たず』になる前に生きていた世界だ。幼い頃、私には外の世界がとても魅力的に思えた。
「何もここだけが世界の全てじゃないのよ」
私は力説した。自然と拳を握りしめていた。
「外には何だってあるの。本当よ。私はキミと違って、ちょっとだけ外にいたから知ってるんだ。世界はこの『教室』だけじゃない。もしかしたら未来が視える世界だってあるかもしれないし、夢の中に入れる世界だって、あるかもしれない」
「…………」
「ねぇ、もし剥がしてもらえたらさ。キミはどんな世界に行ってみたい? どんな『名前』にしたい?」
私は『考え無し』の顔を覗き込んだ。『答え』はとうとう聞けなかった。彼は黙ったまま、じっと窓の外を見つめ続けていた。外は真っ白な煙が立ち込め、私たちはまるで雲の中を漂っているかのようだった。
第一次世界大戦では、述べ千六百万人以上が亡くなったとされる。
第二次では七百万人以上だ。
『美しい世界』の囲いの中では、死者はいない。「私たちは死なない」と言う話ではない。ただ、人として数えられていないと言うだけの話だ。