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第八話 中学校

 私を待っていたはずの温かな教室。優しい生徒たち。


 それらは全て消え去っていた。

 代わりに待っていたのは、呼んでもいない謎の不審者。


 何が起こっているのか分からなかった。

 男の輪郭が、暗い教室の中で奇妙に浮き立って見えた。

 まるで輪郭(そこ)だけ空間が歪んでいくような、空気が澱んでいくような。


「かんがえもの……!?」

 私は後ずさった。

 考え物。言葉の意味は分かるのに、理解が出来ない。ただただ、薄寒い恐怖が私を包んでいく。それまでの高揚した気分が、針で刺した風船のように萎んでしまった。


 男の背中越しに、教室の窓が見えた。窓ガラスの向こうは、いつの間にか綺麗な橙色に染まっていた。時々カラスの鳴き声も聞こえる。


 さっきまで確かに、昼間だったはずなのに。


 私は驚いて目を見開いた。

 この男が現れた途端、『VR』の時間帯が夕方に切り替わってしまった。


 あり得ない。

 時間の操作だとか、天候の調整は全て『VR』の使用者に委ねられているはずだった。


 ましてや教室からクラスメイトがいなくなるなんて、たとえどんな欠陥でも起きるはずのない事態だった。


「何……? 『考え物』って……?」

 戸惑っていると、マスク男はゆっくりと一歩、また一歩と私に近づいてきた。

「貴方……何なの!? 何これ、一体どういう状況!?」

 声が上ずっていた。

「難しく考えないでください。私はただ、貴方にこれを渡しに来ただけですから」

「何?」


 そう言うと、男は何処からともなく一枚の小さな紙を取り出した。長方形の、白い紙だった。どうやら名刺のようだ。名刺には、つらつらとこんな文が書かれていた。


 後ろにあるのに前にもあったものって、な〜んだ?


「何、これ……?」

「ですから、『考え物』です」

 サメの牙のような模様をしたマスクが、ぐにゃりと歪む。男はますます笑みを大きくした。


「だからその、『考え物』ってのが何なのかってコッチは聞いてんのよ!」

 だんだんイライラしてきて、気がつくと私は声を荒げていた。大声を上げていないと、不安で押し潰されそうになっていたからかもしれない。

「大体、どうやってココに入って来たの!?」


 二人きりのがらんとした教室に、私の怒鳴り声が反響する。男は臆する素振りも見せず、ゆったりとした口調で尋ねた。


「分かりましたか?」

「え?」

「その『考え物』の答えです」

「や……意味分かんないよ。急にこんな、()()()()なんて渡されても……ちょッ、それ以上近づかないで!」

「……そうですか」


 黒マスクの男は残念そうに項垂れた。その様子に、私は呆れた。


 どうやら本気で、私に()()()()を出し、それを解いてくれるのを期待していたようだ。およそまともな変態ではない。


「しかし、温かな思い出と言うのも、中々どうして()()()ですなぁ」

「何? なんて?」


 男が口を開こうとした瞬間、私の背後で、ガラッと大きな音がして教室の扉が開かれた。


 一瞬、騒ぎを聞きつけた南くんが、私を助けに来てくれたのかと思った。だけどそうじゃなかった。振り返った私の目に飛び込んで来たのは、会ったこともない、見知らぬ少女だった。


「やっほ〜!」


 たちまち明るい声が教室に響き渡る。

 現れた少女は、開口一番、戦隊モノのヒーローみたいに片手を斜めに伸ばし、ニカッと白い歯を見せて笑った。私は面食らった。今日は一体何がどうなっているんだろう。これで謎の人物が二人目だ。


「もう、何なのよォ!? 今度は誰なの!?」

 私は現れたもう一人の不審者を、マジマジと眺めた。


 一見、別に何の変哲もない可愛らしい少女だった。

 歳は中学生くらいだろうか。だけど、ウチの学校の制服じゃない。ウチはセーラー服だが、現れた小柄な少女は、爽やかなベージュのブレザーを着ていた。少女の首元に結ばれた緑のリボンが、風に乗ってゆらゆらと揺れる。


「元気してた〜? 『考え物』ちゃ〜ん!」


 ただし、口元を男と同じ柄の、黒いマスクで覆っている。それに、お揃いの革のブーツも。

 二人は知り合いか何かだろうか。

 少女が伸ばした手を大きく横に振り、これ以上ないくらい元気な声を張り上げた。太陽のような明るさを持った、快活な少女だった。少女は腰まであるような長いツインテールに、背中には何故か大きなウサギのぬいぐるみを背負っている。


「『()()()』さん」


 すると、『考え物』が表情一つ変えず、その少女に声をかけた。私は目を白黒させた。何? 今この女の子のことをなんて呼んだ?

「『親孝行』だよっ!」

 『親孝行』と呼ばれた少女が、トタトタと男に駆け寄って行く。二人が並ぶと、少女は男の腰の高さくらいしかない。二人が仲良さげに話しているのを、私は突っ立ったまま眺めていた。その間、少女に背負われた、大きなウサギのぬいぐるみと目が合った。


 ウサギ……ウサギなのだろうか? その下半身には、まるで人魚姫のように尾鰭(おひれ)背鰭(せびれ)がついていた。ウサギと魚を足して二で割ったような、奇妙なぬいぐるみだった。よっぽど年季が入った物なのだろう。所々汚れが目立ち、片耳は取れかけ、耳の付け根からは白い綿が見え隠れしていた。


「ね? もうこの子『()()()』にしていい?」

「え?」


 少女が突然私を指差して、そう言った。私は一瞬耳を疑った。可憐な少女が、その見た目とは裏腹に、何かとんでもないことを口走ったような気がする。


「ダメですよ」

『考え物』が嗜めるように首を振った。ぽんぽん、と少女の頭を叩く。


「まだ私が、問題を出したばかりなんですから」

「えー? だってぇ」

 気持ちよさそうに喉を鳴らしていた少女が、くるっと私の方を振り返って笑いかけた。


「別に良くない? こんなところに閉じこもって、自分だけ一人楽しもうだなんてぇ」

 少女がぐいっと私に顔を近づけてきた。耳元で囁くように語りかける。

「貴方、よっぽどの『不孝者』に違いないよねぇぇええ?」


 私は思わず怯んだ。ケタケタと、少女の狂気を孕んだ嗤い声に、嫌悪感が一気に全身を駆け抜ける。


「何よ……? 不幸? 私が?」

「こらこら、『親孝行』さん」

 すると、『考え物』が少女を抑えるように肩に手を置いた。

 途端に少女は嗤うのを止めた。


「すみません、宏美さん」

 『考え物』が申し訳なさそうに私に頭を下げた。


「あまり邪険にしないであげてください。この子は『親孝行』さんです」

「『親孝行』……? 何それ?」

「毎回じゃないんですよ。今日はその、運が悪かったとでも言うか。こりゃ厄介な人に見つかっちゃいましたねえ」

「ちょっと! 厄介って何よ。変な言い方しないで。私だって、ちゃんと仕事で来てるんですけど!」


 少女が頬を膨らまして抗議する。そのあざとい仕草に、私はますます嫌悪感を抱いた。


「『親孝行』さんはちょっと、道徳心が強すぎると言うか、他人に求める清廉さの度合いが、大きすぎると言うか」

「はい?」

「つまり、えー、若干性格に難ありなんです。彼女は。『親孝行』さんは、私のその」

 『考え物』が、私の手に握らせた名刺をちらりと流し見た。

「出した問題に答えられないと、貴方を『不孝者』と認定して……」

「待って。その『フコウモノ』って一体何なの?」


 私は尋ねた。

 そもそも『考え物』が何者なのかも分かっていない。『考え物』の処理が終わってないうちに、今度は『親孝行』なんて名乗る少女が出てきたりして、挙句に『フコウモノ』と来た。急にそんなこと言われても、漢字すら良く分からない。『考え物』が笑った。


「『不孝者』。つまりは何も大切にできない者、という意味ですね」

「はぁ……?」

()(かく)!」


 『考え物』の下で、小柄な少女が声を張り上げた。


「貴方は『考え物』ちゃんの出した問題に答えればいいの!」

 明るい少女が、明るいまま啖呵を切る。


「それで、もし答えられなかったら」

「……答えられなかったら?」

「そしたら『不孝者』として、『ウササメちゃん』が、貴方の脳みそを食べちゃいます!」

「は……?」


 少女が今日一番嬉しそうにそう宣言した。その瞬間、ゲギャギャギャギャギャ! と、けたたましい叫び声がして、ウサギのぬいぐるみが突然嗤い出した。


 私は吃驚(びっくり)して飛び上がった。教室がたちまち騒音で満たされる。顔が半分に割れるくらいにぱっくりと開いたウサギの口の中には、まるでサメのように刺々しい牙が生え揃っていた。


「ね〜え? ウササメちゃん、お腹空いたよねえ〜?」

 少女がぬいぐるみに……いや、ぬいぐるみに擬態した未知の生命体に笑いかけた。こうなるともはやメルヘンを超えて、ホラーの領域だった。気がつくと、私はその場にへたり込んでいた。


「はい……??」

「すみませんねえ。私は何もそこまでする必要はないと、いっつも言っているんですけど」

「あのね。『考え物』ちゃんは()()()()()さん。私の仕事は、()()()()さんなんだから。そこはちゃんと棲み分けてよねっ!」


 少女がもう一度ぷくぅっと頬を膨らまし、『考え物』はやれやれと言った具合に苦笑いを浮かべた。


 私は呆然と二人を見上げた。

 一通り説明を聞いても、やっぱり、何が起きているのか全く理解できない。

 ただ手元には、()()()()の書かれた白い名刺があった。


 後ろにあるのに前にもあったものって、な〜んだ?


 突然現れた謎の二人組。

 私は『考え物』の男と、『親孝行』の少女の顔を何度も見比べた。二人とも至って真剣で、冗談を言ってるような素振りは一切なかった。

 ゲギャッ

と、ウサギとサメのぬいぐるみがもうひと嗤いして、そこで私はとうとう意識を失った。

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