ことりの歌声、風の逡巡
お久しぶりです。覚えてくださっているでしょうか。
更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。本日より更新を再開していきますのでお付き合いいただけますと幸いです。
結局、教室に戻ったのは帰りのホームルーム直前だった。志乃ちゃんとの雑談に花が咲いてしまったから仕方がない。意図せずサボってしまった六限に関しては、先生が用意した代替課題プリントを提出することで出席扱いにしてくれるらしい。こういう時、自分がそこそこ真面目な生徒で良かったと思う。
席に着いた瞬間、ことりから「素行不良王子」と言われたけれど、華麗にスルー。ことりは何故か自分の発言がツボに入ったようで、しばらくの間一人で笑っていた。ことりが幸せそうで何よりだ。
「──はい、じゃあ連絡は終わりねぇ。部活行く人は頑張って、帰宅する人は気をつけてねぇ」
気がつけば志乃ちゃんがそんな言葉を残して教室を出ていった。いつの間にかホームルームは終わっていたらしい。
「よし風音、行こう」
すぐにことりが嬉々として振り返って言ってきた。眩しいくらいの笑顔に少し気圧されながら、わざとらしくとぼける。
「……どこに?」
「素行不良の次は契約不履行王子になるおつもりで?」
「そもそも素行不良になった覚えもないんですけど……駅前でいいんだよね?」
諦めてそう尋ねると、ことりは少し考えてから答えた。
「駅前というか、駅ビルのチェーン店でいいよ。あそこの期間限定のケーキが食べたいんだよね」
「ああ、抹茶のやつだっけ」
その問いに、ことりはスマホの画面を見せてくることで答えた。画面に表示されているのはこれから行こうとしているコーヒーチェーン店のホームページ。抹茶のレアチーズケーキが期間限定!と大々的に宣伝されていた。これはたしかに美味しそう。
「風音って甘いもの苦手だけど抹茶とかなら食べれるから、ここなら二人で楽しむのにちょうどいいかなって」
「いや、私のことは別に……」
変なところで気を使うなあ、と考えながらそう呟くと、ことりは途端に真面目な顔になって私にお説教してきた。
「いやいや、片方だけが楽しむデートはダメに決まってるじゃん。どっちも楽しむことが円満の秘訣なんだよ」
「ことり、年齢=彼氏いない歴って嘆いてなかったっけ……」
「今それ言うな!」
頬を膨らませて抗議することりが面白くて、思わず声を上げて笑ってしまった。それが気に障ったのか、ことりは無言で私の脛を何度も軽く蹴ってきた。弁慶の泣き所と言うだけあって、どれだけ軽くても痛い。これ以上蹴られると歩けなくなるかもしれないので焦ってことりを宥める。
「ごめんごめん。っていうか私もそうなんだから別に怒られることなくない?」
そう言うと、ことりは不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「それが謎なんだよね。風音くらい美人だったら彼氏作り放題では?」
彼氏という言葉が胸に刺さる。急に何を言い出すんだ本当に。
「この学校でどう彼氏を見つけろと」
「いや、中学ん時は共学だったんでしょ?私らはエスカレーター組だけど風音は外部受験組って言ってたじゃん」
「ああ……」
そういえば自分の過去を詳しく話していなかったことを思い出し、どう伝えるべきか迷って暫く口を閉ざしてしまった。そんな私を見て失言したと勘違いしたのか、ことりは焦ったように言葉を紡いだ。
「まぁ言いたくないならいいよ。人の過去を詮索するわけにはいかないし」
伝え方が難しいだけで、別に人に言えないような過去を抱えているわけではない。だというのに、ことりの慌てっぷりが面白くて思わず笑ってしまった。
「ちょ、一応こっちは心配してるんだけど!?」
「ごめんごめん。いや、そういうところがことりの美徳だなぁって」
そう返すと、ことりは途端に自慢げな顔になった。
「まあ私だしね」
こういうところがなければもっと素直に褒めることができるんだけど、私は口に出さずに心の中にとどめておいた。
早めに行かないと夕方の帰宅ラッシュと被ってしまうため、軽口を交わすのをほどほどに切り上げて教室を出る。ほとんど走るような速度で昇降口に向かう途中、志乃ちゃんに見つかって「廊下は走らない!」とお小言を頂戴してしまった。
お互いに自転車通学のため、駅まで談笑しながら自転車を漕ぐ。少し汗ばむ気候の中、風が涼しくて気持ちがいい。今ならどこまででも行けてしまいそうだなぁ、なんて考えながら自転車を漕いでいたらあっという間に駅に到着してしまった。じわりと疲労を伝える体に何となく物足りなさを感じながら、少し離れた駐輪場に自転車を停めて駅ビルの中にあるカフェに向かう。
混んでないといいね、なんて話しながらいざ店の前に着くと、そんな願いとは裏腹に思っていたよりも混雑していた。そこそこ長い列の最後尾に並び、みんな新作目当てなのかなぁ、などと考える。
「これくらいなら二十分くらいで中に入れるんじゃない?」
「だね。何して時間潰そうか」
二十分程度、ことりと一緒にいるならただ雑談するだけでも過ぎてしまいそうだけれど、せっかくなら何か実りのある時間にしたい。今できることを考えていると、あることが頭に浮かんだ。
「そういえばこの前の古文単語小テスト、ことり赤点じゃなかった?」
「うげ……まさか」
「よし、やろっか」
にっこり笑って宣言すると、ことりは途端に顔をしかめて抗議の意を示してきた。私はそれを無視し、嬉々として鞄から古文の単語帳を取り出す。どの単語を出題しようか見定めていると、ことりはこんなことを口にした。
「風音……今日奢るからそれやめない?」
そんな提案、もちろん却下。
「今はお金に余裕あるし大丈夫。じゃあ早速一問目いこうか」
「鬼!悪魔!」
そうしてことりの罵倒を聞き流しながら次々に問題を出していくこと十分と少し、待ち時間を待ち時間と感じないくらいで私たちは店内へ通された。
ここはよくあるチェーン喫茶と変わらず、先に注文するタイプのお店で、早速レジに並んだ私の耳にふと予想だにしない、だけど聞き覚えのある声が届いた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まり……え?」
接客の挨拶の中に困惑が混じったことに驚いて顔を上げると、そこにいたのは──。
「……美羽?」
目を大きく見開いて固まる後輩がそこにいた。
「えっと……注文いいかな?」
私たちの学校ってバイト可能だったっけ?
バイトの制服似合ってるなぁ。
他の人からしたらどうでもいい感情が瞬時に頭を掠めていったけど、私の口から飛び出したのはそんな言葉だった。もちろん笑顔で。
それでもぎこちなさは隠せなかったようで、ことりが小さな声で聞いてきた。
「風音の知り合い?」
「あー、うん。後輩だよ」
答え方に若干の迷いはあったけれど、無難な答え方をすることしかできなかった。それでもことりは納得したようで美羽に話しかけていた。
「後輩ちゃん!風音の親友の春日井ことりです。よろしくね」
「……一年の宇佐見美羽です」
美羽は見事に人見知りを発動していた。ことりの距離の詰め方が急すぎるとはいえ、私に話しかけた時と比べて同一人物とは思えない。助けを求める視線を送ってきたので応えておく。
「ことり、接客中なんだから絡まないの」
「おっと……ごめんごめん」
「うるさくてごめんね、美羽」
「いえいえ、こっちこそ固まっちゃって……。ご注文お伺いしますね」
後ろに人が並び始めていたので、私たちは手早く注文を済ませる。新作の抹茶チーズケーキを2つと、カフェラテを2つ。支払いまで終えて受け取り場所に向かう寸前、美羽から「また後で連絡します」と言われた。何かあったっけと考えながら了解と答え、私たちは先へ進んだ。
商品を受け取って空いていた席に座ると、ことりは興味津々といった様子で美羽について聞いてきた。
「後輩ちゃん可愛かったね」
「そうだね」
「風音って部活も委員会も入ってないのに後輩と絡むことあったんだ?」
「うん、まぁ……」
美羽と出会った経緯が経緯なので、言葉を選びつつ曖昧な返事しかできなかった。そんな私の態度を気にすることなく、ことりはどこか嬉しそうにこんなことを口にした。
「今度はちゃんと紹介してね」
「……何でそんなにやけてるの?」
「風音が私以外の人と仲良くしてるのが嬉しくて」
「ことりは私の何なのさ」
「そりゃあ親友ですよ」
さっき美羽に話しかけた時もそうだけど、躊躇うことなく親友という言葉を選べることりが少し羨ましい。私はきっと照れてしまう、というか現在進行形で照れているので。
ふと、胸が痛んだ。
別に話せない過去があるわけではない。それでも私のことを親友と呼んでくれる彼女に、私は隠し事をしているから。そしてそれは美羽に対しても同じこと。
大きな大きな隠し事、私という人間を形作っている隠し事。いつか打ち明けられる時は来るのだろうか。
そんなことを考えつつ私はケーキを口に運ぶ。抹茶のほろ苦い風味が、口の中と心の中を同時に満たしていった。