流れる風にうさぎが跳ねる
初めましての方も、お久しぶりの方も。
「ましゅ」と申します。
自分の好きなジャンルに挑戦してみました。拙い文章ですが、よろしくお願い致します。
あの日、逃げるように無心でたどり着いた階段の踊り場。
誰にも見つからなければいいと独り願った、暗く静かなあの場所に。
────ふわり。
私の思いなどお構いなしに、美しい天使の羽根が舞い降りた。優雅に、と表現するにはあまりに無遠慮に。神秘的、と表現するにはあまりに無邪気に。あなたがやってきた。
ぴょん、とあなたが一歩踏み出す度に。
ぴょこん、と二つ結びが揺れる。
うさぎ、みたいだな。
そう感じたその直後、あなたは言った。
「ここ、人がいたんですね」
ちりん、と鈴が転がるような声にハッとしてあなたを見つめると、深い輝きを湛えた瞳に迷子のような困った顔が映っていた。何の根拠もないけれど、ようやく見つけてもらえたと、そう思った。
だから私は何度でも言うよ。
ありがとう。あなたのことが大好きです。
*****
昼休み、誰にも見つからないように百合咲学園高校の屋上に続く扉の前でパンを食べていた私の前に、突然彼女は舞い降りた。それはひらひらと揺れる天使の羽根のようで、同時に好奇心のままにぴょこぴょこ揺れるウサギの耳のようでもあった。
お互いの視線がぶつかり、気まずい沈黙が流れる。私は何も言えずに黙々とパンを食べるしかなかった。こういう時って、どうすればいいんだろう。
やがて、宝石みたいな輝きを宿す瞳で私を見つめて、彼女はパックのミルクティーをちゅーっと吸って口を開く。
「ここ、人がいたんですね。穴場だと思ってたのに……」
あぁ、先に口を開かせてしまった。そんな考えが頭をよぎる。何かを言わなければ、そう思って焦ってパンを飲み込んだのが間違いだった。
「……っ!?!?」
「え、ちょ……大丈夫ですか!?」
パンを喉に詰まらせた私は盛大に咳き込む。とても大きな恥ずかしさとほんの少しの苦しさに涙がじわり。そんな私の口に、彼女は咄嗟に持っていたパックのストローを差し込んだ。
「これ!飲んでください!」
「……けほっけほ、あ、ありがと」
渡されたミルクティーを勢いよく流し込んで、大きく深呼吸をしてようやくお礼を言う。そしてふと気がついた。これって、関節キ──
「ごめん、助かった……えっと」
頭に浮かんだそんな考えを払うようにそう口にして、言い淀む。そういえば、目の前に立つ彼女の名前を知らない。そんな私の戸惑いを察したのか、彼女は柔らかく微笑んで名乗った。
「一年の宇佐見美羽です」
先に口を開いてもらったどころか、自己紹介まで先にさせてしまった。自分のあまりの口下手さに嫌気が差して、私の自己紹介はどこかぶっきらぼうなものになった。
「……鳳風音、二年」
愛想が欠片もなかったにもかかわらず、目の前の後輩はどこか納得したように頷いて言った。
「あぁ、『百合ヶ咲の王子』!」
その言葉に、胸がちくりと痛む。
『百合ヶ咲の王子』。誰が言い出したのか知らないけれど、いつの間にかついていた、私に貼られたレッテル。他の人より少しだけ中性的な顔立ちと、他の人より少しだけ高い身長。異性との交流がないこの高校において、僅かばかりの潤いを求めた結果なのだろう。初めは楽しかった、というか面白半分で付き合っていた。でも……
「それ、やめ」
やめて、と最後まで言い切る前に、宇佐見さんは言葉を紡いだ。
「何ていうか、普通の女子高生なんですね」
「……へ?」
「たしかにかっこいいですけど、それ以上に女の子っぽいというか……初心?」
この後輩は何を言っているのか。という視線を感じとったのだろう、宇佐見さんは「だって」と言葉を続ける。
「私との関節キスで顔赤くなってましたし」
「うぐ」
バレていたのか。というか、仕方ないだろう。初めてなんだから。
「うっさい、ウサミミ」
「ちょ、何で私のあだ名知ってるんですか!?」
「いや、勘?」
照れ隠しのつもりで適当に発した言葉に、宇佐見さんは分かりやすくうろたえた。そりゃあ、彼女のフルネームを考えたら『ウサミミ』って呼び方になるよなぁ。
どうやらこの意趣返しは彼女の地雷だったらしく、私をジト目で睨みながらこう言った。その頬は真っ赤に染まっている。
「……それ以上その呼び方するなら、私だって『王子』って呼びますから!」
「な……っ」
どこまでも口の減らない生意気な後輩、宇佐見美羽。最初に抱いた感想はそんなものだった。私を王子としてではなく一人の女子として接してくれる初めての出会い。忘れられないファーストコンタクト。
*****
「隣、いいですか?」
「え?」
何で。と思ったけれど、今は昼休み。目的なんてお昼ご飯に決まっている。目の前で立ち尽くす彼女の手にはコンビニの袋が握られている。
「あぁ、うん。いいよ」
そう言って座っていた位置を横にずらし、ふと思う。私の隣じゃなくてもよくない?
そんな疑問をよそに、宇佐見さんは「わーい」と喜びが感じられない歓声を上げて無遠慮に隣に座ってきた。彼女が使っているシャンプーだろうか、フローラルな香りがふわっと漂う。まぁ、別に気にするほどのことでもないか。
「屋上って入れないんですね」
隣でメロンパンを食べながら、宇佐見がぽつりと呟いた。たたの独り言なのか私へ話しかけているのかわからず固まっていると、彼女はちらっと私の方へ目を向けた。そこでようやく話しかけられていたと理解すると同時に、宇佐見との距離感が上手く掴めず困惑する自分がいることに気がついた。
「……ん。そういうのって小説の世界だけじゃない?」
「ですかねぇ。でも、もしかしたら開いたりしませんかね、あの扉」
そう言って今度は視線を後ろ──屋上へ続く扉へ向けた宇佐見。つられて私も後ろを向くと、そこには灰銀色の扉と錆び付いた南京錠。さすがに開かないよなぁ、なんて考えていると、宇佐見が急に立ち上がって扉の方へ進む。その横顔は、まるで新しいイタズラを思いついた子供のそれだった。
「ちょ、やめなって」
「試すだけなのでだいじょーぶです」
どこまでも無邪気に、宇佐見は南京錠に手を伸ばす。
「わ、すっごい錆」
そうして格闘すること十数秒。
バキッ。
「あ……」
「わっ」
あまりにも呆気なく、錆び付いた南京錠は小さな音を立てて解錠……もとい破壊された。
「開いた……?」
「開きましたね……」
私たちは顔を見合わせ、唾を飲み込んで扉を見つめ直した。