書類とメイドと内緒話
「リュート。案内してもらいたいところがあるんだ。一緒に来てくれ」
屋敷のホールにやって来たシタールさまがそう言いました。
「シタール様。その、コンサティーナ様は」
「ああ、コンサティーナは昨日のあれで疲れてしまって、今日は寝ているそうだ。そっとしておいてやってくれ」
尋ねたスピネットさんには簡潔に答えます。
慌てて上着を持ってきた若旦那さまと屋敷を出発され、祝福しようと妖精たちが追いかけます。コンサティーナさまは身支度に関すること以外あまり使用人に声をかけないので、私たちは普段どおりの仕事に戻ったのでした。
日が高くなってきた頃、玄関の置物を磨いていた私にチェレスタさんが声をかけました。
「ああルシニア。お二人がお弁当を忘れてしまって。届けてもらいたいの。村に行ったはずなのよ」
「喜んで」
「あなたの分も入れておくわ」
チェレスタさんに渡された布包みにはパンと壺が入っていました。壺の中身はきっと塩味の豆ジャムです。
「ウィリ、エル」
坂をくだって、お屋敷が見えなくなってから、ウィリの風に乗って浮かび、エルが弾く水を蹴って走りだします。村に着くのはすぐでした。
ほどなく若旦那さまとシタールさまを見つけます。畑と村のお家の境にある柵を見分しているところでした。
「ここの柵は修繕の必要はないな」
「でもだいぶ老朽化してしまっていて」
「柵の向こうの家屋のが古いだろう。あそこは娘が一人で上の息子が独立しているから、娘が嫁に行った後は仕事を畳むよ。そうなってから建物ごと壊すといい」
「それは、そうなるのかもしれないけど」
古くなった柵を妖精たちは遠巻きにしています。けれど、柵の奥にあるお家には何匹かが飛び交い、壁に立てかけられた道具を祝福していました。
「ああルシニア」
「お弁当をお届けに来ました」
「そうだった。ありがとう」
お弁当をお渡しします。中を確かめた若旦那さまは頷きました。私の分のお昼ごはんも入っています。
「休憩にしましょう。ルシニアも」
「はい」
お家の井戸から水を汲ませてもらいます。お家の人は快く三人分のカップも貸してくれました。
畑の方を向いて、ジャムを塗ったパンを頬張ります。畑からやって来た妖精たちがわっとパンにぴったりなジャムの出来を祝福していきました。
「貯蔵に回すのかい。食べるなら芋のが腹に溜まるというけれど」
「そこは追々。今年は予備の扱いで、上手くしのいだら春に飼料として使うつもりで」
「やるなら冬なんだがな」
若旦那さまとシタールさまは村から遠い畑の様子を眺めています。村に近い畑には従来からの麦が植わっているので、村から遠い畑に植わっているのはヒヨコ麦です。村のために若旦那さまが広めた麦でした。
「王都じゃまあ流行遅れってところだ。去年の秋にどっと流行って。パンにケーキに飲料にってね」
「栄養に変わりはないから。流行りのままだったら、こうやって育てたりできなかったよ」
元から植えていた麦の畑も、ヒヨコ麦の畑も、どちらも一面色づいて、豊作を予見させます。
「そうだ。リュート。忘れ物をしてしまった。悪いけど屋敷から取ってきてもらえるか」
「シタールさま。それでしたら私が行って参ります」
「いや、いや。書斎にある見られたくない文書なんだ。ここでリュートが戻るのを待っておいで」
シタールさまが突然言いました。私の申し出を断って、若旦那さまを立たせます。
若旦那さまは心配そうにこちらを見ましたけれど、早足でお屋敷に向かいました。
シタールさまと二人、麦畑を眺めます。
「ひょっとして、見えている?」
妖精たちに囲まれて、私の目にはシタールさまの姿が見えません。
「祖父の縁だと聞いたけど、なるほど特別だね。屋敷に来てくれて嬉しいよ」
若旦那さまは妖精に人気で、いつもたくさんの妖精たちが若旦那さまの周りを飛んでいます。けれど、そのせいで姿が見えなくなることはありません。
「あいつはいい領主だろう。妖精にも好かれてる」
「シタールさまは。お見えに?」
「いや。なんとなくわかるだけ」
シタールさまを囲む妖精たちは、シタールさまを祝福するでもなく、ただ周りをぐるぐると回っています。ずっと興味深そうに。
「私はここの領主でいたくないんだ」
妖精の飛ぶ速さが速まったように思えました。
「だから協力してくれると嬉しいな」
お屋敷から戻ってきた若旦那さまはシタールさまに書類をお渡ししましたけれど、シタールさまはちらりと見たきりその日その書類を捲ることはありませんでした。