代官とメイドと川遊び
「今日は川遊びをしに行こう!ああヴァージナル、馬車はいいよ。歩いて橋まで行ってくる」
「まぁ、私にも歩けるかしら?」
「大丈夫だよコンサティーナ。屋敷のすぐ近くの山にある橋なんだ。そこまでの道も険しくないさ」
毎朝どこかへ遊びに行くシタールさまとコンサティーナさまのために、屋敷のホールに皆が揃ってお見送りをします。
「叔父さん。その」
「何だいリュート」
「…川の水は、もう大分冷たいから気をつけて」
相変わらず妖精たちに囲まれて、私の目にはシタールさまの姿が見えません。
*
「もう二週間になるねぇ」
「社交はよろしいんでしょうかね」
使用人の皆で調理台を兼ねている大きな机を囲んでいます。
チェレスタさんたちの訝しむとおり、シタールさまとコンサティーナさまは首都に戻られることなく、屋敷に滞在し続けています。もうすぐ社交シーズンは終わるでしょう。
「ごめん、いいかな」
「若旦那さま」
「僕もこっちでもらえないかと思って」
若旦那さまがそう言って台所に入られました。
「夜はコンサティーナさんがいるから、しばらくは」
「ええ、ええ。そうしましょう。今準備しますね」
「ありがとう」
これまでは使用人も若旦那さまも一緒に夕食を摂っていましたが、シタールさまとコンサティーナさまがいらっしゃってから、若旦那さまはお二人と食事されています。寂しく思っていたところでした。
チェレスタさんが若旦那さまのために用意していたお昼を温め、スピネットさんがヴァージナルさんの横の椅子を引きます。
私たち使用人より一品多い食事が置かれました。
「若旦那さま」
「うん」
「あの二人は、いつ頃帰られるので」
そう聞いたのはヴァージナルさんでした。
「ああ、うん」
若旦那さまは手に取ったパンを置いてしまいました。まん丸に焼けた、小麦の香りと焼き色が素晴らしいパンです。食事を祝福していた妖精が慌てて皿に戻されたパンをもう一度祝福します。
「それがね。もしかしたら、帰らないかもしれない」
「帰らない?」
「そう。シタール叔父さんは、コンサティーナ嬢と結婚して領地に住むつもりみたいなんだ」
「あら、賑やかになりますね」
「いいや、そうしたら僕はここを出ていくだろうから」
「ええっ!?」
スピネットさんの声に、妖精たちがぴょんと跳ねます。
「僕は、ここの代官だからね。領主が戻ったならお役御免だよ」
「だって、それならシタール様のされていた社交は?若旦那さまが王都に行くんですか」
「王都の社交は代官に務まるものでもないからね。別の仕事を探すことになると思う。二人は王都とここを往復するんじゃないかな」
「そんなまさか」
チェレスタさんとスピネットさんが口々に言いますが、ヴァージナルさんと私は何も言えません。
「若旦那さま。そんなことはあり得ませんよ」
「そうです。そんな、若旦那さまを追い出すようなこと」
「いや、叔父さんがそうしようとしているわけじゃないんだ。ただ、仕事のないのに置いてもらうのが、僕がいたたまれないだけで」
「領主が居ても代官を置く領地だってあるでしょう」
「そうだけど、ね」
妖精たちが食卓の騒がしさに落ち着きを無くします。水の妖精がヴァージナルさんのカップに飛び込んで、お茶を薄めてしまいました。
「大丈夫だよ。叔父さんは優秀な人だから」
やっとまた手に取ったパンを齧って、若旦那さまはおいしい、とおっしゃいました。
*
その日シタールさまたちが戻られたのは、昼を回って間もない頃でした。
「参ったよ。川の幅が随分狭くなっていて、見てもつまらないからすぐに引き返したんだ」
「それでもとっても疲れたわ。ねぇ、午後はずっとお屋敷に居ましょう」
「そうだねコンサティーナ。庭にパラソルを出してくれ」
「ただ今」
ヴァージナルさんが庭へ出て行きます。
「庭には何が咲いているかしら」
「君に似合う可憐な花だよ」
お二人は手を取り合って建物を回りました。
「あんな方がお好みだったのかしらねぇ。確かに可愛らしい方だけれど、あんな方がお好みだったのかしらねぇ」
チェレスタさんがかぶりを振ります。
コンサティーナさまは領地に来て一ヶ月が経った今でも、都会的な雰囲気を纏っておられます。繊細なお召し物に優雅な仕草はいつも崩れることがありません。
領地に住むようになってもそういった雰囲気は保たれるものでしょうか。都会の雰囲気の薄れたコンサティーナさまのことを私は想像できないのでした。