領主とメイドと婚約者
畑の麦が黄色く色づき始めました。秋です。
「失礼します」
昼食を済ませた私は、庭の中央に植わった樹の前に出てきました。お屋敷の庭には花壇や植木といったものがなく、中央に植えられた大きな樹以外は、短く刈られた芝生になっています。
一声断って、棒と鋏で余分な葉と枝を落としていきます。私たちにわかるような返事をしませんが、私たちの気持ちは伝わっていると養親から教わっています。
くるくると舞う本当にたくさんの妖精たちが、葉や枝の落ちたところを楽しそうに飛び回ります。枝の奥に光が届くようになって、心なしか樹も喜んでいるようです。
初めて見たときは驚きました。私の育った森より妖精の多い土地があるなんて、思ってもみなかったからです。
「あら」
木を中心にして舞う妖精たちを突っ切って、他より少し大きな妖精が私の元に飛んできました。お屋敷の庭に住んでいる妖精ではありません。私の育った森から来た、伝令の妖精でした。養親からの便りです。
まずは先日送ったお土産のお礼と、元気にしているかという心配。お世話になっている方たちへの挨拶の伝言。それに近況です。近い内そちらに遊びに行きたいねと結ばれたそれに、楽しみにしていると返事します。伝令の妖精は満足そうに、私の返事を養親に伝えるべく飛び立ちます。後ろ姿は魔法で光る鳥のようです。きっとすぐに森まで届けてくれるでしょう。
「おーい!」
門の方から声がしました。見ると、帽子を被った少年がこちらに手を振っています。今度は紙の郵便です。
「手紙だよ。王都から」
「どうもありがとうございます」
エプロンのポケットに預かっているお金を払って手紙を受け取ります。縁に飾り模様がついた封筒は確かに王都からでした。棒と鋏を樹の下に置いたまま、若旦那さまの部屋に向かいます。差出人は若旦那さまの叔父さまです。
*
「来月に一度帰ってくるそうだ」
夕食の場で若旦那さまが言いました。昼食とおやつは使用人と若旦那さまで別ですが、仕事の打ち合わせを兼ねて、夕食は皆で食べることになっています。
領地で採れた野菜のたっぷり使われたミートローフと、私も焼くのを手伝ったパン。それから麦とチーズの塩スープが、今日の献立です。
「半年ぶりですな」
「鹿の肉を取り寄せておかないと」
王都で領主の仕事をされている若旦那さまの叔父さまが、領地に帰ってくるのだそうです。領地に帰るのは何ヶ月かに一度で、鹿の肉は叔父さまの好物です。新参者の私はまだ叔父さまにお会いしたことがありません。
若旦那さまの叔父さまなだけあって、穏やかで知的なお方だとか。お屋敷のあるこの土地は叔父さまの領地で、若旦那さまが代官を務めているのでした。
「でも何だか中途半端な時期ですねぇ」
「作物の収穫はまだだし、社交シーズンも残ってるね」
「さあ。相談したいことがあるとあったけど、内容は書いてなかったんだ」
スピネットさんとチェレスタさんが不思議そうにされます。社交シーズンが終わってから、収穫の後に帰るのが例年だとか。
貴族の方々にとって社交シーズンは重要で、遠方の領地であっても王都に集い、情報交換をするものです。春から初夏は華やかな王都が更に華やぐ季節と聞きます。
「王都の喧騒に、嫌気が差したのかも」
「まさか」
ヴァージナルさんが言い、若旦那さまが苦笑して否定します。若旦那さまが成人されてからずっと、ほとんど領地に戻らず社交に専念されている方です。考えにくいことでしょう。
「部屋の準備はいつもと同じで。去年仕込んだワインを開けよう。上手くできているはずなんだ」
若旦那さまがそう言って、この日はお開きになりました。
*
お手紙が届いて数日後、隣村から先触れがやって来ました。若旦那さまの叔父さまが隣村を立ったとの知らせです。午後にはお屋敷に着くということでした。
ヴァージナルさんとチェレスタさんが慌ただしく晩餐の準備を始めます。豪勢な料理には入念な準備が必要なのです。
スピネットさんは居室の確認に行かれました。さほどやることのない私は、門扉の周りを掃くことにします。到着してすぐ目に入るところが綺麗なら気分がいいでしょうし、馬車の来るだろう道を見張ることもできます。ですので、お屋敷の建つ丘を登る馬車に一番早く気づいたのは私でした。
お屋敷の細々とした物に入っているのと同じ紋章の入った、焦げ茶色の馬車です。
私だけでお迎えするものではないだろうと、若旦那さまを呼びに行きます。馬車がお屋敷の門に着いたときには、手が離せなかったチェレスタさんを除く全員がそこで待っていました。
「おかえりなさい。シタールおじさん」
「ああ、リュート。久しいな」
馬車から降りてきたのは若旦那さまとよく似た男性でした。茶色の髪に、眉に、榛色の瞳。表情は、優しげで少し自信のなさそうな若旦那さまと比べて、楽しそうで活発な印象です。
歳は随分とお若いように見えました。若旦那さまの親御さんと兄弟だとは思えないほどです。
「あら何かしら」
「さぁな。多いな」
紋章の入った馬車の後ろから、少し大きめの四角い馬車がやってきました。荷物を運ぶための馬車です。スピネットさんとヴァージナルさんが不思議そうにそれを見ます。
若旦那さまの叔父さまは、若旦那さまを抱擁すると、乗ってきた馬車に向き直りました。エスコートされて、中から美しい女性が現れます。
「ご機嫌よう、リュート様。お初にお目にかかります」
若旦那さまより少し歳上でしょうか。色づいた麦そっくりの色の髪に、夏の空の高い所のような深い青の瞳でした。
「コンサティーナだ!彼女と結婚したいと思ってる!」
お屋敷の皆がどよめいて、樹の周りを飛ぶ妖精たちが叔父さまの元に流れ星のように降り注ぎました。
祝福するでもなくいたずらするでもなく、妖精たちは叔父さまの周りをぐるぐる回ります。叔父さまの姿が見えなくなるほどの数です。
*
二台の馬車を操ってきた二人の御者は、紋章のない方の馬車からたくさんの荷物を降ろすと、その馬車に乗って去ってしまいました。王都で雇った御者だったそうです。
紋章の入った馬車とそれを牽いてきた馬の面倒を見るため、ヴァージナルさんは忙しそうに立ち去りました。馬の名前はアビーだそうです。
スピネットさんも、居室をもう一部屋用意するために早足でお屋敷に戻られました。
「自然豊かな場所ね。王都ではできない遊びがしてみたいわ」
「ああコンサティーナ。もちろん君の望む通りに」
コンサティーナさまをエスコートする若旦那さまの叔父さまは、相変わらず妖精に囲まれています。姿が見えません。
「その、シタールおじさん。急なことだったから、何の準備もしていないんだ」
「いいんだいいんだ!チェレスタの料理が食べられるだけでここに戻ってきた価値がある。彼女をもてなすのは私の役目だしね」
「うふふ」
申し訳なさそうに言った若旦那さまの言葉を、シタールさまがコンサティーナさまの肩に手を置いて笑い飛ばします。顔はやっぱり見えません。
「それで、その、それは本当に?」
風が吹いてコンサティーナさまの髪を乱します。
「きゃっ」
「ああ、妖精のいたずらだ。うちの領地には多いんだ」
「まぁ素敵」
「何だって?リュート」
「いや、その…何でもない」
シタールさまにわっとまたたくさんの妖精が飛びつきました。若旦那さまにそれは見えないはずですけれど、勢いに圧されたように、お話をやめてしまったのでした。