殺し屋
さんこめの、三題噺もどきー。
どこかの、殺し屋さんの物語。
お題:崩れる・マドレーヌ・坂道
―世界が崩れた。
いや、別に、僕らが今生きている地球という星そのものが物理的に崩れたのではなく。
“僕”という人間の、狭苦しい、真っ暗な世界が、崩れた。
―崩された。
僕は幼い頃親に売られた。
飼われた場所はマフィアなんていう嘘みたいなところ。
どこかの作り話でしか聞かないような、そんなところ。
そこで、殺し屋として育てられて。
僕は元々才能があったのか(あったって嬉しくはないが)すぐに仕事をさせられるようになった。
幼い頃から、死に触れていた僕は、何もかもが嫌いだった。
僕をこんな所に売った両親も、こんな仕事をさせるこの世界も、殺す相手でさえ憎かった。
何もかもが嫌いで、憎くて、耳を塞いで、心を閉じして。
そんな僕の世界はとても苦しくて、真っ暗だった。
だけど、僕の生きる術というものは、人を殺すということでしか得られなかった。
生きていく理由が、それしか与えられなかった。
だから、その日も人を殺しに行った。
僕が人を殺すようになって10数年がたっていた。
その日のターゲットは、とある館の主だった。
しかも、驚くことに僕と同い年ぐらいなのだという。
(そんな奴がいるんだな。)
―さぞ甘やかされて育ったんだろう。
しかしその男は、館に1人で済んでいるとのことだったので、比較的簡単に終わるだろうと踏んでいた。
(さっさと終らせて帰るか。)
なんせここ最近仕事続きで、ろくに休んでいない。
―ま、今に始まった事じゃないのだが。
こんな世界に居る人間なんて、たいして数はいないのだ。
だからこそ、少人数ですんで、最悪の場合の後始末というものも最小で済む。
と、そんなことを思いながら、
(でっか―)
館にたどり着く。
少し奥まった場所にあったそれはとてつもない存在感を放っていた。
どこから入ったものか―と考えながら館の周囲を回る。
すると、どうぞお入りくださいとでもいうように、館の裏口が空いていたのだ。
(ありがたいけど、不用心だな。)
おじゃまします―なんて言いながら静かに入る。
(部屋は1番奥だったか)
奥の部屋へと1歩進もうとする―
「誰だ?」
「!?」
後ろから声をかけられ、とっさに相手の手をつかみ、ナイフを突きつける。
「っ―!?」
「黙れ」
1人のはずじゃ―と思いつつ、相手の顔を見る。
「お前―ここの主だな?」
その顔は、写真で見せられたこの館の主の顔だった。
男の顔が上下に動く。
「そうか。それなら手間が省けた。死んでくれ。」
―大丈夫、一瞬でしなせてあげるから―と、ナイフを深く差しなおそうとした途端―
「待ってくれ!」
「待つわけねーだろ。」
静止の言葉を聞かず、力を籠める。
その瞬間―視界が回った。
「!?」
何が起こったのか、全く分からなかった。
「待てと言っただろう。」
頭のうえで声が聞こえる。
背中に腕を回す形で抑えられ、うつぶせに寝かされたうえに、男が座っている状態。
ジタバタと抵抗を試みるも、全く動けそうもない。
「下手に動くと、関節が外れるぞ。」
ピタリと静止する。
こういう職業をしているから、こいつの言葉が本気であることが分かってしまう。
(なんだ、こいつ。)
こんなに強いとか、聞いていない。
「まぁ、落ち着け。ちょうど私も暇を持て余していたんだ。お茶でも如何かな。」
「はっ、誰が、お前の言うことなんか―っ」
体を更に強く締めつけられる。
「どうかな?」
その声に恐怖を覚える。
これ以上の抵抗は許さないと―嫌になるほど感じた。
無意識に頭を上下に振った。
「よろしい。では、こちらへどうぞ。お兄さん。」
拘束を解かれ、逃げようとした―が、無理だった。
本能的にこいつに逆らってはいけないと、全身が警告を告げていた。
そうして、逆らうに逆らえないまま、男に従い、一つの部屋に招かれる。
(ここは……こいつの部屋か?)
「どうぞ。お兄さん。紅茶は飲めるかな?」
「……」
一応受け取りはしたものの、口には付けない。
「別に、毒などは入っていないよ。」
そんなことを言いながら、主は机の上にマドレーヌを置き、目の前に背を向けて座る。
(クソ、こんなに無防備なのに、何で動けないんだ)
「君は、俺を殺しに来たのだろう?それなら最後に話に付き合ってくれないか。」
「アンタ馬鹿か?仮にもアンタを殺そうとしてる奴に話を聞いてくれって?」
「かまいやしないだろ。」
勝手に私が話すだけだ―
そう言って、ホントに勝手に話し始めた。
男が語った物語は驚愕のものだった。
今までの俺の人生が、馬鹿馬鹿しく思えるほどに。
酷く、苦しく、聞いているこちらが死にたくなりそうな程。
(僕と同い年の人間がこんなにも悲惨な人生を歩いていたなんて……)
「まぁ、こんな人生もこれで終わりだからな。君が俺を殺してくれれば。」
主がこちらを振り返る。
殺されるというのに、なぜそんなに微笑んでいるのだ。
「おや。泣いてくれるのかい?」
「え……?」
言われたとたん、ボロボロと涙が零れた。
「何で、ぼく、あ、」
「ありがとう。俺のために泣いてくれたのは、君が初めてだ。」
そう言いながら、こちらへ近づいてきた。
「く、くるな、おねがいだから、」
その言葉は、無視され、代わりに強く抱きしめられた。
「??」
何が起こったのか、訳が分からず、混乱する。
「ありがとう。君は見たところ俺と同い年のようだ。まだまだ、人生はあるだろう?俺みたいなことにならないようにしっかり生きなくては。」
強く、強く抱きしめられ、今まで溜め込んできたものが溢れてきた。
「っ、ぁぁぁぁ、」
涙が滝のように溢れた。
「好きなだけ泣きなさい。その後にマドレーヌを食べよう。泣いた後は甘い物を食べて、幸せな気持ちを思い出さなくては。」
ボールが坂道を下るように、コロコロと、ボロボロと、涙が溢れる度に、僕の中の小さな世界は、崩れ、壊れ、新しくなっていく。
胸いっぱいにマドレーヌみたいに甘い、優しい、ふわふわとした気持ちが溢れていく。
結局僕は、朝まで泣き通してしまい、挙句には、疲れて眠ってしまっていた。
目が覚めるとそこには、館の主の姿は無かった。
変わりに、メモが一つ、マドレーヌと共に置かれていた。
『私は、ここを出ることにした。突然で、その上君の仕事を台無しにしてしまうことになり申し訳ない。代わりと言ってはなんだが、この館を君に譲ろう。ここは元から、使用人などは雇っていないから、自由にしてくれて構わない。君の人生はまだまだ長いのだ。どうか、後悔しないよう生きてくれ。
君に会えて嬉しかった。ありがとう。』
「ふん。勝手なことばっかいいやがって。」
クシャりと潰したそれをポケットに突っ込み、起き上がる。
―これから、どんな人生を送るかなんて、俺の自由だろ。
なんて思いながら、見えた新しい世界は、とても眩しかった。