フローラの放浪紀行
「フローラ」
その声を聞いた時、フローラは嫌な予感がした。締め切り間際ながら満足のいく記事を提出することが出来てひと息ついていた。まさにその時だった。
「なんでしょうか所長」
「お前今やってるやつ片付いたんだろ? ロードライト領に行ってこい」
ワンマン所長は子供のつかいでも頼むような軽さで宣告した。しかしロードライト領は首都からは遠く、どちらかといえば国境寄りの郊外だ。
長期休みのバケーションとして行く人が多い。フローラは仕事だとはわかっていても、納得のいかない思いをそのまま顔にだす。
「ロードライト領……なんでまた急に。 お祭りの時期でもないですよね?」
「ゴシップの匂いがする」
出た!所長の悪い口癖だ。これがまた、当たったり当たらなかったり不安定な嗅覚なのだ。
「はぁ」
「ロードライト家には二人の息子がいるのは知っているな?」
「はい。 ジェイクとレオナルドですね」
「さすが期待の新人だな!それでそのレオナルドとかいう次男の方。 そっちがたいそう女好きで手が付けられないらしくてな。 最近貴族関係のゴシップは少なかったから特集組むぞ」
貴族絡みの記事は街のご婦人に大人気だ。所長は今からその売れ行きを算段して、興奮し鼻息を荒くした。
「わかりました。 すぐに行ってきます」
「タイトルはそうだな……名門貴族の放蕩息子、そのあたりでどうだ?」
「……また微妙なタイトルですね」
「うるせっ、とにかく行ってこい」
「はーい」
***
( と、いうことでやってきましたロードライト領でーす )
フローラを乗せた馬車は約1日をかけて目的地に着いた。車内でじっとしていることに飽きたフローラは久しぶりの外の空気にご機嫌だ。
そして早朝だというのに活気のある市場を目の前にフローラも元気をもらうようだった。
ロードライト領は代々ロードライト家に治められてきた由緒ある土地である。山と川に囲まれ緑豊か。農業と畜産業、そして観光業で固く栄えている。
街の中心部には市場あり、活気もある。娯楽の多い首都から距離があること以外は不自由のない人気の都市であった。
そんなロードライト家は代々侯爵位を受け継いでいる。基本的には長兄が父親と代替わりし、他に兄弟がいる場合はその長兄を支えるという具合だ。
歴史もあり経済的にも地盤がしっかりしているせいか、特に貴族家系にありがちな血みどろのお家騒動は聞かない。まさに良家。優等生。長らくそういう世間の評価だった。
そして首都生まれ首都育ちのいまいち貴族に興味のないフローラにとっても同じ評価だった。だけどそれが、すごい女好きで手が付けられない次男がいるとな?ゴシップ誌の一記者としては腕が鳴る案件だった。所長じゃないがお金になりそうな匂いがする。
だが、フローラはまず自分のお腹を満たすことにした。
( 一度観光してみたかったんだー! )
スキップでもしそうな足取りでフローラは市場に飛び込んだ。
***
右手にロードライト産アイオ豚のだくだく肉汁ソーセージサンド、左手にフレッシュハーブのスムージー。腕には他にも朝採れ野菜のサンドなど。
観光情報誌に乗っていたお勧めの朝ごはんを一通り手に入れたフローラの顔は喜びで緩み切っている。
このところ 「大学病院と裏金問題、命の取捨選択~あなたはきっと後回し~」 という社会問題を取り扱った記事作成と取材で心身疲れていたフローラには今回の話はちょっとした小旅行のような気分になっても仕方なかった。
とはいっても彼女は所長の言葉を借りると”期待の新人”である。自分の書いた記事が注目を浴びたなら気持ちがいいことだろう。自分の心を満たしながらも、常に記事に関するタネがないかと目を光らせるのは忘れていない。もちろん街の人々や観光客のお喋りにも気にかけている。耳に入ってくるキーワードはこうだった。
”深刻な観光客不足”
”観光地ランク転落”
”ロードライト侯爵家無能説”
”長男は優秀だが次男は疑問”
”次男は女にしか興味がない”
ネガティブなものばかりだった。事前調査と実態が少し違うようだが、まぁあることではある。
次男のレオナルドは所長の見立て通り女好きのようなので、聞き取り調査と、写真を撮影出来れば、あとは記事が書けそうだ。1週間くらい張り付けば女性と一緒に居るところも抑えられるだろう。見通しがたったフローラは食事に集中することにした。
「おじさんアイオ豚のゴロゴロサラダくださーい」
***
翌日
( うっわー )
件の次男を見つけるのは容易だった。
右に美女、さらに美女。左に美女、そして美女。何人侍らせているのか。
レオナルド・ロードライトは長い腕に長い脚、贅肉のない引き締まった体躯。モカ茶色の天然パーマを完璧に自分のものとし、くっきりとした瞳の甘い顔はだらしなく緩んでいるのになぜか色気も併せ持っている。
ここには居ない兄のジェイク・ロードライトはいかにも誠実、という言葉が似あうくらい清潔感のある清廉な人物なのに。
フローラは目の前の光景を見て完全に引いた。
( けど、これは仕事 )
気を取り直して彼らには見えない場所から写真を連写する。
”名門貴族の放蕩息子”
所長の冴えないタイトルもしっくりくるなと思い始めたフローラだった。
ロードライト家の住むライト城から出てきた彼らはそれぞれに馬車に乗り込みご機嫌なレオナルドに見送られて去っていった。
( はー‥‥… )
程なくして複数の馬車が到着し、レオナルドのご機嫌なお出迎えと共に新たな美女たちが補充された。フローラは首都でも見ることのないショッキングな光景をひたすら写真を撮るに徹した。
( レオナルド、すげー。 レオナルド、すげー)
しかし内心は混乱している。
フィルム交換で彼らから目を離した隙にレオナルドがちらりとフローラを見たことに気づかなかった。
***
その翌日
フローラは貴族の坊ちゃんは城下になんていないという偏見を持っていた。
( それが偏見だったのか…それともこの坊ちゃんだからか…困惑するわね… )
カメラ越しに眼前の光景を見ながらフローラは内心呟く。
ロードライト領はライト城の近くに商業施設が密集している。初日に訪れた市場も近くにあるし、その他にはブティックや薬局、病院など生活に必要な施設もある。
今日はレオナルドは美女は連れていなかった。一人共を連れている。彼より背が高く、体も厚い。そばかすの多い丸い顔は人のいい印象を受ける。そしてロードライト家の家紋を記した剣を腰に差している。至極慣れた様子でレオナルドの少し後ろを着いて歩いていた。
彼はヘリオドールという名前のレオナルド専属の護衛だろう。基本的に常時傍にいるようで、市場で情報を集めていた時もちらほらと名前を耳にしたのだった。曰く、レオナルドの坊ちゃんに振り回されている様子が可愛い。だとか。
鼻歌でも歌っているような軽い足取りのレオナルドに、あくまで真顔でついていくヘリオドールの姿を見ていると、少しわかるような気がしたフローラだった。記事に使うかもしれないので一応二人の様子も写真におさめておく。
メインストリートを歩くレオナルドは顔が広く知られているのか、街ゆく人が挨拶をしていく。
老若男女問わずレオナルドに声をかけている様子を見ると、領民には慕われているのが見て取れた。これも記事に使うかもしれないので写真に撮っておく。
( いい図だけど、 今日は美女なしかぁ)
フローラは今日も美女を侍らせた絢爛豪華な光景を期待していた。
今見せられているのはあくまで領家と領民の理想の関係。そんなものではお金にならん、とフローラはどこぞの所長が乗り移ったかのような感想を持つ。
( お、お、お! きたきた…!)
フローラは目を輝かせて写真を一心不乱に撮る。
メインストリートの一角に店を構えるランジェリーショップの前に行くと、今日も美女たち(可愛い系から綺麗系まで)が待ってましたとばかりに出入り口から出てきてヘリオドールを押しのけるとレオナルドを取り囲んだ。
その後、レオナルドを迎えに来た馬車に全員引き連れて颯爽と消えていった。
( "レオナルド・ロードライトの絢爛豪華な淫らな毎日" とか "今世紀NO.1 プレイボーイ現る" とか……編集しがいありそう! )
規格外のレオナルドの奇行にフローラは楽しくなっていた。いいぞもっとやれという具合である。
***
そのまた翌日
フローラは今日も今日とてレオナルドを着かず離れずの距離で見守っている。
昨日に続き城下の美女に用があるようで、領民たちの挨拶を受けながらレオナルドはご機嫌に歩いており、時折店まで入って交流しているようだった。
そして昨日と違うのは日が暮れた頃までそのうち人の気配の少ない裏道に入り、歓楽街へと向かったこと。
フローラからすれば大サービスのように記事にするには十分なほどのネタをくれるレオナルドの事がある意味大好きになりそうだった。
最早恒例となりつつあるが、とある店の前に着くと美女たちが現れて今度はヘリオドールごと囲んで店の中に消えていった。
***
夜、記事が書きあがったフローラは息抜きに外に出た。取材の途中で見つけた小さなバーである。ろうそくの明かりだけで照らされた店内は隠れ家のようで不思議と落ち着く場所に感じられた。
「それにしても、レオナルド様の女好きってのはすごいですね」
フローラは顔を真っ赤にしながらバーの主人に絡んだ。慣れない場所で張りつめていた気が緩んでしまったようだった。主人の反応を待たずに言葉を重ねる。
「あんなに女の人をとっかえひっかえにしたら、町中の女性がいなくなっちゃうんじゃないですか?」
「貴族ってそんな感じなんですか? わたしずっと首都にいるからよくわからなくて」
「納税している相手がそんな風だったら、みなさんどんな気持ちなんでしょうかね」
主人は酔っ払いに慣れているので、適度に流しつつ相槌を打っていく。
ひとしきりフローラが愚痴を一方的に言うと隣から声が聞こえた。
「お嬢ちゃん。 青くせぇガキだな! なーんにもわかってねぇ」
黙って流せなかったのは隣にいた常連客の男だった。
「はいっ? どなたですかっ」
「俺の事はどうでもいいのよ! レオナルド様は確かに女好きだけどな、 ただの女好きじゃねぇのよ!」
しかし男も若干絡み酒だった。
「俺はレオナルド様が大好きでよぉ!」
「ほうほう」
「観光がぱっとしなくなったこの地に何かできないかってやってるくれてるのよ!」
「そうなんですか!」
「おうよ!」
クハーッと酒を煽る。フローラも続く。
「豊かな暮らしのためには女にも手に職があった方がいいっていってなぁ!」
「おお~」
「化粧品っての? あれを開発中なんだってよぉ」
「化粧品!? 聞いてないですよ!」
「そりゃ今はまだ試供中なんだってよ」
「ほんとですか」
「そうよ!ロードライト通信が言ってんだもの」
「ロードライト通信?」
「そう。 俺たちゃロードライト家が大好きでなぁ! 毎月住人向けの広報が配られるわけ!」
「えー! そうなんですか!」
「そうよそうよ! お嬢ちゃん俺のロードライト愛を聞けやいっ」
「はいっ!」
主人はやれやれと思いながら酒が進み過ぎないように2人の飲兵衛を見守った。
***
翌朝、フローラは全てを覚えていた。噂を鵜呑みにして偏った記事を書こうとした自分を悔い、気持ちを一心にレオナルドの周辺を追った。
そうするとバーであった男の話の通り、ロードライト領は今化粧品など女性向けの事業開発を進めており、レオナルドは町の女性の声を聞き、一緒に進めているということも知った。なかなかただの女好きではなかったようだ。
うん、意外といい記事を書けそうだ。
そう内心呟くと、フローラはもうこの地での仕事が終わったと思ったので、そこでようやくすっかり気を抜いた。
最後にあれとあれとあれを食べて、あれはお土産に…よだれが出そうだ。
そんな時だった。とんとん、と優しいタッチで肩を叩かれる。
「え?」
フローラは振り返り固まった。
「こんにちは」
そこにはここ1週間ずっと遠くで見てきたレオナルドがいた。
「あれ??..…こんにちは!」
聞こえてないと思ったのかレオナルドは繰り返す。
「こ、こんにちは」
「私はレオナルド。レオナルド・ロードライト。まあ最近ずっと近くにいたし、知ってるかな。
さて、麗しの君の名前を教えてくれるかい? レディ」
「ふ、フローラです……」
「フローラさん。どうか一緒にお食事する幸運を私に。ね、いいよね?」
冷静で強引なレイモンドに圧倒されて、フローラはただただ頷くだけの人形と化した。
***
「お帰り」
たった一週間ほどの出張だったが、帰って所長の顔を見るとどこかほっとしたフローラだった。
「ただいまですー」
その顔は艶めいている。実はあれからレオナルド直々のエスコートを受けながら、特産品を使ったフルコースやロードライト領でしか扱ってない希少なバーバナオイルの全身のエステ、プロによる高級化を使ったフェイスマッサージなど最高のおもてなしを受けていた。
何度も仕事なので歓待を受けることはできないと断ったのだが、以前から記者という仕事に興味があって、ぜひ話を聞かせてほしい。そして友人としておもてなしをさせてほしいというレオナルドの甘い誘惑に負けてしまっていたのだった。念のため記事は悪口でもなんでも好きに書いていいと署名も貰っている。
「どうだったよ放蕩息子」
所長の顔が面白がっている。
「あれは正しく稀代のプレイボーイですね……」
フローラはまだ夢を見ているかのようにうっとりと返事をした。
「金になりそうか」
「はい……」
「どうした」
「ロードライト領さいっこうでした……観光特集しませんか? また行きます!」
「いや、それより記事を書け記事を」
「はぁい」
「なんだすっかり息子にやられてるのか?」
「いやぁ耐性あると思ってたんですけどね……彼は王子様ですね…夢を見せてくれます」
やれやれ全く……と所長は呆れた。
それでも記事は予定通りに掲載された。
名門ロードライト家のプレイボーイとは何事かとしばらく世間を賑わせ、観光で賑わったそうだ。時を同じくしてロードライト領では化粧品のブランドが発表された。ロードライト内のホテルに宿泊するとサンプル品がプレゼントとしてついてくる。化粧品や乳液といった定番商品だけでなく、フェイスマスクという名の新しい商品は使用後の肌の潤いが随一とかで女性のあこがれる品の一つとなった。
その翌年の観光地ランキングでは栄えある一位を獲得したらしい。その年レオナルドから高級エステ付き宿泊券の入ったお礼の手紙を受け取った。
一方ロードライト領では話題の男2人が話していた。
「で、レオ。 何したの?」
「怖いな兄さん」
「お前のことだから記者が張り付いてたのも気づいてたんだろう?」
「まあ……」
「言わないならヘリオに聞くけど、 いいんだな」
「いやいい! 聞かなくていいよ! ……ちょっと観光が落ち込んでるからさ、 違う角度で注目してもらおうって思っただけだよ」
「自分を使って?」
「自分を使って」
「お前な……全くお前というやつは……」
「俺って最高のエサなのよ」
きらーんと効果音が付きそうなくらい外向きの笑顔を作ったレオナルドから目を反らしジェイクはため息をついた。相手にしたら負けだ。
「いつから仕組んでた?」
「うーん、 いつからかな」
「むしろ、どこからどこまで仕組んでる?」
「それは聞かない方がいいよ?」
「はあ……いつか女性に刺されても知らないからな……」
「大丈夫だって」
「その自信が兄には怖いよ」
「弟を信じなさいって」
「まぁ……タイトルの割にはいい記事だったな」
「あーかわいかったなーフローラちゃん。 緊張して真っ赤になってた」
フローラに直接話しかけた時の、彼女の様子を思い出して、意外と初心だった様子に微笑みが零れる。ジェイクは呆れた目でレオナルドに一言放った。
「クズ」
レオナルドの後ろに控えたヘリオドールが激しく頷いた。