焦りと不安
行軍というものはとにかく時間がかかるものだ。
単騎で駆ける速さを十とすれば、団塊を崩すことなく維持しながら駆けていく騎馬行の速さは少し劣り、条件が良くて八、ともすれば六、五と半分以下の性能しか発揮できない。
もちろんそれは短期決戦で全力を出す戦闘中での目安だ。そもそも馬はアンバランスな生き物で、速度を求めれば足を痛めやすく、頑丈さを求めるならば速度を犠牲にするしかない。そして金属鎧を身に着けた人間を乗せて全力で走らせれば、どんなに強い馬も保って二十分が活動限界だろう。
荷物なども運ばせつつ長く行軍するのであれば、その差はさらに顕著になる。同行者が少なければ少ないほどスムーズに進み、同行者が増えるほどに全体のスピードは落ちる。
こと逃避行にあっては、逃げる方は身軽であればあるほど良い。食事や旅に必要な細々した荷物、それに替えの馬などをあらかじめ各所に用意しておけば、余計なことは考えずに済む。
ただでさえ向こうがスピードにおいて有利だというのに、こちらはさらに二時間以上も遅れを取っている。このままでは離される一方だ。
とはいえ、あちらはこういった荒事に不慣れであろう男爵令嬢を伴っての移動で、おそらく夜は宿を取って休まないと身体が保たないと思う。そこはハンデだ。
私たちが追いつくためには、少しでもロスを省き、進める機会を逃さず距離を詰めていくしかない。相手が止まっているうちに。
「隊長! 今日はもう無理です、あの町で一泊しましょう」
「…………」
目前に見えるのは、私が今夜の目的地と定めていたラインの街よりもまだ一つ手前だった。
馬の体調を最優先としながらも、昼食もそこそこにここまでずっと駆け通しであったことは認める。だが、まだ馬は走れる。まだ行けるはずだ。
「隊長!」
隊員の悲鳴じみた声に、私は愛馬の足を止め、馬首を翻した。認めたくないことに、隊員たちのほとんどが限界のようだった。馬に跨っているのがやっとという有り様の者もいる。
私の決断は早かった。
「わかったわ。皆はここで休みなさい。私はこのままラインまで行く」
「ちょ、ちょちょ、待って待って。単独行動はマズいでしょ! なに言ってんスか、隊長」
慌てたようなケントの言葉に私は冷静に反論していく。
「元々、今夜の滞在地はラインだったわ。先遣隊はそこを目指して戻ってくる。ならば私が行って報告を受けてくる方が話が早いでしょう。貴方たちはあの町に泊まり、明日は出発時刻を早めて私に追いついてきなさい」
私の言葉に隊員たちは顔を青くし、ケントの笑いは歪んだ。なぜそんな反応を見せるのか、理解できない。今は緊急時なのよ? 遊びに来ているわけじゃないのに。
時間が惜しい。私は続けて言葉を重ねた。
「夜早く休む分、朝早く出る。それだけのことでしょう? 出発の時刻に間に合うように来てくれれば、予定通り進めるわ」
「……理屈は、わかるっスよ。どのみち誰かがラインまで行って先遣隊と合流しなきゃなんないワケっスから。だから隊長が単独で動いて情報を整理して、明日はオレたちを待って動くっていう話なんスよね」
「そうよ。何か問題がある? ないなら私はもう行くわ。時間が惜しい……」
「オーディリアさぁん!」
「!」
馬の向きを変えようとした私の耳に、ケントの大声が突き刺さる。……今、私のことをファーストネームで呼んだか?
「顔! すっげ怖いっスよ、今」
「…………」
「見て、皆のこの状態! アンタに置いてかれるって、失望されちまうって怯えてんの! いきなり任務で連れてこられて、しかもこれが初遠征のヤツだっていんのにさぁ! 役立たずなんじゃないか、足手まといなんじゃないかって、そんなこと思わすのが隊長なんスか? ……気づいてないかもしんないスけど、いつもと雰囲気違うし、出発してからずっーと! ピリついてるっスよ?」
語気荒く言い連ねていたケントは、言いたいことはすべて言ったとばかりにガシガシと後ろ頭を掻いてため息をついた。そして言葉を失っている私にボソリと言い添える。
「むしろアンタこそ今にも倒れる寸前って気ぃするわ。回復ポーションで食い繋ぐにも限度あっし、隊長が倒れちまったらそれこそ終わりじゃん」
ケントの乱暴な言葉を飲み込むのには、時間がかかる。
けれど、確かに一言一句、彼の言う通りなのだった。
改めて隊員たちを見回すと、たくさんの不安そうな顔を見つけた。疲れ切っている者、気まずそうに視線を逸らす者、今にも泣き出しそうな者……。
「…………」
思わず呻き声が出てしまう。
私は、気が急くあまりに、大切なことを忘れてしまっていたようだ。今の私はただの一個人ではなく、ツェラー隊の隊長だということを。