この身を賭けても
私は席を立ち、テーブルに指を添わせたままゆっくりとアベル・シェルカの隣まで歩いていった。
さっき彼が私にしたように、高い位置から彼の耳に囁くように。そして今度は嘲りを隠さずに。
「ザラストラスを道化に仕立て上げ、被害者には口をつぐませ、ストーリア伯爵令嬢は王子妃になるの? 滑稽なことね。そしてそれを王室の方々も認めたと?」
「いえ! いえまだ、話はそこまで進んではいません……。自分が、ザラストラス殿の返事を持ち帰ってから、王の判断を仰ごうという段取りとなっています」
「そう。では、当事者たちはすでにその方向性で合意しているのね」
「はい。その通りです」
まったく……。
呆れて物も言えないとはこういうことね。
私は深くため息をついてアベルを見据えた。
「ストーリア伯爵も耄碌したわね。目に入れても痛くないほど娘を可愛がっていたのは知っていたけれど、まさか娘を諌めるどころか庇い立てするなんて。まともに頭が働いていれば、すぐさま彼女は病を得たことにして下がらせ、幽閉するか病死させるわ」
「そんな、お姉様!」
「そうでないのなら、この件は最初から伯爵も関わっていたということになるわ。娘だけでなく家までなくすおつもりかしら」
「……言葉が過ぎますよ、ツェラー小隊長」
無表情のまま低い声で殿下の腹心が呟く。私と目を合わさないのは意地でも張っているのかしら? 思わず鼻で笑ってしまう。
「あら、どこが? 宮廷内で刃物を振り回した者は厳罰に処せられる。原則、死罪よ。ストーリア伯爵令嬢はその罪を犯したばかりか、その濡れ衣をゾフィーに着せて、彼女を死に追いやろうとしたのよ? しかも会場の護衛に当たる騎士を買収してさえいた。それもまた重罪である上、すべては計画的犯行であることの証拠でしょう」
「…………」
無反応を貫くアベル・シェルカ。でも、動揺が滲み出る汗に表れているわ。私はその肩に手を置き、先ほど彼がそうしてみせたように、声に感情を乗せて言った。
「罰を受けるべきはストーリア伯爵令嬢だわ! 幽閉か死罪が妥当でしょうねぇ。今回、奇跡的に死者が出なかっただけで、いつそうなってもおかしくなかったのだから。
そして、彼女を凶行に駆り立てたクラウス殿下と王妃様、その取り巻きたちも罪を償うべきだわ」
「それは……!」
「小さい頃から王子妃になるために励んできたストーリア伯爵令嬢側からしたら、これはクラウス殿下と王妃様の裏切りですもの。新しい婚約者候補が現れたら、それがどんなに低位の貴族だろうと王子妃候補という点ではストーリア伯爵令嬢と同じ立場になる……しかもそれが殿下側からの推薦となると……わかるわよね?」
「わ、わたくしはそんなつもり……!」
「貴女にそんなつもりがなくとも、周囲からはそう見えるの。婚約者候補にさえ上がらなければ、殿下がどんなに貴女を厚遇しようと、ただ目障りなだけで済んでいた。
でも、貴女が婚約者候補として認められた瞬間、ストーリア伯爵令嬢にとっては明確な敵となってしまったのよ」
不敬と言われるのは元より承知の上。罰せるものなら罰したらいい。私は腹立ち紛れにさらに続けた。
「王妃様が本当に『結果なんて変わらない』と思っていたのであれば、殿下の提案なんて退けるべきだった。何の根回しもない軽薄な提案をしたクラウス殿下と、それを認めてしまった王妃様の浅慮こそ責められるべきでしょう。
これを機会にご隠居いただいたほうがよろしいのではなくて? ご公務は王太子妃であるファティマさまがほとんどをご担当されていらっしゃるのだから」
「ツェラー小隊長!」
「オーディリアお姉様! いけません、そんなこと!」
ゾフィーはそう言って私をたしなめるけれど、これが私の本心だ。コンラートに罪を着せて自分たちは何ひとつ犠牲を払わずに済ませようだなんて、絶対に許せない。
「私は自分の首がどうなろうと、この意見を国王陛下に奏上するわ。シェルカ殿、貴方が早馬を飛ばして王都に戻り、計画通りに陛下に報告しても、後から追いついて告発する。必ずね」
私の宣言に、暗い表情をしたアベル・シェルカは顔を上げ、ようやく私の目を見た。
「……それは、騎士団長の娘としての発言ですか、オーディリア・ツェラー殿」
「いいえ。オーディリア・ツェラー個人としての意見よ。私の養父は王室の悪口は言わないもの」
「そう、ですか。いえ、すみません。親子というものは、たとえ血の繋がりが薄くとも似るのだなと思いまして。自分が王都を立つ直前のことになりますが、殿下の助言役としてお招きしたツェラー騎士団長が、貴女とまったく同じことを仰っていました」
「そう……」
養父が……。
あの堅物で王室第一の騎士団長がそこまで言うということは、今回の件、よほど腹に据えかねたのでしょうね。
宮廷騎士の人事にまで手を出したりするからだわ。これを機に、貴族の息がかかった傭兵崩れの不良騎士を一掃してもらえないかしらね。あのバキシム・グランの部下たち、とか。
「ツェラー小隊長が自らの首を賭けて告発すると言うのなら、ここは一度引いて殿下と相談するべき、でしょうね」
「そうしてくれると嬉しいわ。私は今、丸腰で身を守るすべがないの。貴方が私の口を塞ごうと思えば抵抗できないものね」
「ご冗談を! 自分のような文官など、素手でもひとひねりでしょう」
そう言うと慇懃男アベル・シェルカは、本当に愉快そうに笑った。……失礼しちゃうわ。
彼のことは放っておくとして、私はオロオロしているゾフィーに話しかけた。
「それで、ゾフィーはどうするの?」
「えっ?」




