嫌疑
バキシム・グラン殺害の容疑で逮捕された私だったけれど、その二日後には証拠不十分で釈放された。当然ね。
あの朝、起きたばかりの私の身体には返り血がついていなかった。やはりそのことが大きな決め手になった。私を拘束して、犯人を言わせたいという意志は感じたけれど、私だって実際にバキシムが死んだところを見たわけではない。わからない、と言い続ける他はなかった。
そして無駄な尋問の間も、コンラートとアルマ男爵令嬢は、まだ見つかることなく、警戒と捜索は続いているということを知った。
「はぁ……どうしたらいいのかしら」
サーフェスの警邏詰め所を出た私は、ホテルの大ホールを借りて設営した騎士団小隊の仮本部にも戻り難くて、ひとり街をブラブラと歩いていた。逮捕されてしまった私は、もう任務を降ろされてしまったかもしれない。そう思うとどうしても足がそちらへ向いてくれなかった。
不安が現実になることを恐れて帰れないだなんて、叱られるのが嫌で家出をしてしまった子どもとまるで変わらない。まったく……自分で自分が情けない。今の私には騎士であることを表してくれる隊服もなければ資格もないんだわ。
人目を避けるように川沿いの遊歩道へ逃れていく。落ち着いた雰囲気の裏通りには雑貨屋や花屋などが立ち並んでいた。その中にカフェを見つけ、私はふらりと立ち寄った。
テラス席に座り、人の往来に目を向ける。
このサーフェスは王都と同じくらい大きな街だ。道行く人々の装いも様々で、眺めていると面白い。
声をかけてくる男たちを適当にあしらいながらカフェオレを飲んでいると、私の向かいの席にどっかりと腰を掛けてくる人物がいた。
……コンラートじゃない。
彼はそんな風には座らない。
ゆっくりと目を向けると、そこには不機嫌を隠さない表情のケントがいた。
「ケント」
「オーディリアさん。こんなトコで何してるんスか。いつまでも帰ってこないから心配したんっスよ」
「探してくれていたの?」
「当たり前っス! 仮本部にも戻ってこないなんて、ビビるでしょうが!」
「……ごめんなさい」
ピリピリした態度の中に、私への気遣いが見て取れる。これは、本当にそう思っているのね。私は思わず素直に謝っていた。
それでも、ケントの笑顔は戻らなかった。
それどころか、その声音はどんどん険を帯びたものになっていく……。
「どこ行くつもりだったんスか。何もかも黙秘して、証拠がないから解放されたって聞きましたよ。何考えてるんスか」
「ケント」
「アイツと待ちあわせ? 他の女と逃げる男を庇って犯罪者に堕ちちゃうつもりなんスか?」
「っ…………」
ケントの言葉に、私は頭の芯が冷たくなって痺れたようになった。だってそれは、私自身がコンラートに向けた感情とまったく同じだったから……。
固まってしまった私を、ケントの冷え切った視線が射ている。
何か、何か言わなくちゃ……。
誤解だって、私は貴方たちを裏切ったりなんかしないって。
でも、ショックから醒めるとむしろ、怒りの炎が燃え上がった。私は努めて冷静にケントに対峙した。
「何を言っているの、ケント。私は彼を庇ったりしない。私はコンラートを捕まえてアルマ男爵令嬢を王都まで無事に送り届けるつもりでいたわ。もしまだ私が任務から降ろされていなければ、もちろん今からでもそうするつもりよ」
「証拠は?」
「なんですって?」
「誓えるのかって、聞いたんっスよ」
この、私に……証拠を出せ、と?
私、オーディリア・ツェラーに?
小隊長を任されたこの私の忠誠を、誓いを、信じられないと言うの!
瞬間的に血が湧き上がり、私はケントを上から睨みつけた。ガタンと椅子が倒れ、周囲の客たちが私達を遠巻きにしていく。
燃え上がるようなキャッツアイ。ケントは強い意志を秘めた瞳で私を見ていた。私も彼から目を逸らさずに答える。
「私はオーディリア・ツェラー。この国の騎士よ。それこそが私の忠誠、私の誓い。そして私の誇りだわ」
「そんなの口じゃ何とでも言えるっしょ。じゃあ、オーディリアさんは何を差し出せるんスか。そーゆーことは、実際に成果を上げてから言ってほしいっスね」
「ケント、貴方……!」
思わず手が出ていた。鎧もつけていないケントの胸ぐらを掴もうとしていたのだろう、私の意思とは関係なく動いた手を、私は押し留めようとした。
ケント素早く立ち上がると、その私の手を掴んで引き寄せた。
「えっ……?」
次の瞬間、私はテーブルの上に叩きつけられていた。腕を捻られ組み伏せられて、肺から空気が抜ける。苦しみもがく私の耳許に、ケントの低い声が囁く。
「バキシムを殺したの、ザラストラスっスよね? オーディリアさんは、知ってて庇ってるんでしょ?」
「私は知らない……! 見ていないの。だから、彼の仕業だとは言えないわ。何度同じことを聞かれても、答えは変わらない」
「じゃあ、質問変えますよ。オレ、後から気づいたんスけど、あのとき、オーディリアさん……わざと刺されようとしたっスよね」
「…………!」
それはもう、質問ではなかった。
そう、あのとき……私はコンラートに刺されてもいいと思っていた。ケントが割り込んできてくれなかったら、私はあのまま死んでいたかもしれない。
ケントは震える声で言葉を続けた。
「なんで? わざと刺されて何の意味があるんスかね? ザラストラスの殺気も本物みたいだったし。……オレ、最初は勘違いだと思ったっス。でも、そうじゃなかった。あのとき、オーディリアさんは、わざと刺されることでアイツを逃がそうとしたんだ」
「違う……」
「オーディリアさんが刺されたら、誰かが救援に行かなきゃいけない。バキシムの部下を減らして、ザラストラスが逃げるのを助けようとした。そうっしょ?」
「違う!」
「じゃあ何であの朝、一人でゲートに行ったんスか!? 何でオレにひとこと……! 実際、示し合わせたようにあの場所にザラストラスはいて、オーディリアさんはアイツを追っかけなかった! バキシムの野郎じゃザラストラスを捕まえられないって、オーディリアさんならわかってたのに!」
ケントの腕の力が強まり、テーブルに押し潰された私は思わず呻いていた。
「何で……鍵のかかった部屋に、バキシムは入れたんスか。オーディリアさんが招き入れたんじゃないんスか。それで隠れてたザラストラスがバキシムを殺した……。小隊長級の騎士が二人も現場から消えたら、そりゃ逃れるのも容易でしょうよ。ザラストラスはもう、とっくに国外に逃げちまったんスよね。そうでしょう、オーディリアさん!?」
「ケント……」
私のうなじに、彼の息がかかる。
ケントの声は、涙に濡れていた。
「なんで、っスか……オーディリアさん! オレ、信じてたのに……!」




