それは祈りにも似て
横からぶつかってきた何かにふっ飛ばされ、私はレンガの道に叩きつけられた。苦悶の声が上がりそちらに目を走らせると、コンラートの剣に胸を貫かれたケントの姿があった。
「ケント!」
「うぐ……」
コンラートは私に一瞥をくれると、ブレストプレートを着けていないケントの胸から刃先を抜き、馬で駆けて行ってしまった。いつの間に馬に乗ったのか、アルマ男爵令嬢もそれに続く。
私は必死で足を動かしケントの側に寄った。苦しそうな呼吸と呻き声、こぼれる鮮血。急所は外れているけれど……。
私は隊服の胸元からハンカチを取り出し、ケントの傷口に当てて圧迫した。同時に、治癒魔法の詠唱を始める。
「ケント、しっかりして」
「な、んで…、オーディリアさん……。はや、く、追いかけないと……」
ゲート内の喧騒に目をやる。バキシムはコンラートを捕らえようとしているようだけれど、上手くいっていないようだ。段々と、騒ぎの中心が遠ざかっていくのがわかる。
「いいのよ。もう、いいの……」
私は首を横に振り、ケントの治癒を続ける。コンラートにつけられた傷は深くて、私の魔法ではすぐには塞がらない。ケントは荒い呼吸をしながらも私の手首を掴んで言う。
「良くない! オレは、オレの、せいで……!」
「それは違うわ、ケント。私が戦えなくなったのは、私が弱いせい。そのせいで貴方まで傷つけてしまった……。お願いだから、もう喋らないで。私の拙い治癒魔法じゃ、なかなか傷が塞がらないの」
「魔法……? ホントだ、オーディリアさん、魔法使えたんっスね!?」
ケントが驚きの声を上げて、咳き込んだ。胸に穴が開いているんだから、無理してはダメだと言っているのに。
「おとなしくして、ケント。……こんな特技でもないと、私くらいの剣の腕じゃ、小隊長になんてなれないわよ」
「そっか……。じゃあ、あのときオレの怪我を治してくれたのも、オーディリアさんだったのかな」
「?」
ケントの言葉の意味がわからず、首を傾げてしまう。今の小隊を任されてからは魔法を使う機会なんてなかった。だから、ケントに治癒魔法を使ったのはこれが初めてだし、だからこそ彼も驚いていたと思ったのだけれど?
ケントの額に手を当てるけれど、そこまで高熱を発しているわけではなかった。私のその手を払い除けて、ケントが薄く笑う。
「オレですね、子どもの頃事件に巻き込まれて大怪我したんっス。そのとき助けてくれたのが騎士団の人たちで、だからオレは騎士になったんっスよ」
「そう、だったの」
また別の話かしら?
私は相槌を打ちながら、ケントの傷口に魔力を注ぐことに集中した。
切り傷ならまだ治るのも早かったと思うのだけれど、肺にまで達した傷は治りにくい。それに出血もひどかった。早く誰か助けが来てくれればよいのだけれど……。
「まだ騎士学校に入りたてくらいの、年上の騎士のお姉さん、可愛かったなぁ。プラチナブロンドで、アイスブルーの瞳が綺麗な。まるで天使みたいだったっス」
「…………」
それは、私しかいないでしょうね。その特徴に当てはまる女騎士なんて、ひとりしか、いない。
私は昔の記憶をなぞって、どうにかケントのことを思い出そうとした。騎士学校に入ってからずっと色んな演習に駆り出されていた私にとって、ケントの言う事件も過去の一つに過ぎない。
でも、一つ一つ思い返してみれば、確かに男の子を助けた記憶がある。魔力を注ぎ込むために繋いでいたケントの手が、ギュッと私の手を握り返してきた。
「今みたいに、オレの手を握って笑ってくれたんスよ。その笑顔にオレ、一目惚れしちゃったんっスよね。だから……、笑ってほしいっス。オーディリアさん」
伸びてきたケントの指が頬をくすぐる。
そんなこと言われても無理よ。だって、もう、涙が止まらなくなってしまったもの。
私自身ですら忘れていた、あの懐かしい日々のことが鮮明に蘇ってきた。あの頃だって私は、生意気だの可愛くないだのと敬遠されていたというのに……貴方の中の私は、そんな風に輝いていたのね、ケント。
凍えていた心臓に温もりが戻ったような気がする。どうして貴方は、私が一番必要としているときに現れて、優しくしてくれるの……。
「ケント……お願いだから、死なないで。私を庇って死ぬなんて、そんなの、絶対に許さないわ……」
「それ隊長命令、スか? それとも、オーディリアさんからの、お願い?」
「……隊長命令よ、バカね」
「ちぇ」
こんな大怪我しているときでもケントの態度は変わらない。思わず微笑んでしまう。
「オレそんなヤバいんスか? だったら最期になる前に言い残しとこうかな……」
「やめてよ、そんなの聞かないわ」
「じゃ、生き残ったら言うから……。オレとデートして……」
目を閉じて笑いながらそんなことを言う彼に、どう返事をしようかと言葉に詰まったとき、ケントの手からフッと力が抜けた。
「……ケント? ダメよ、ケント!」
脈と呼吸を確かめると、弱くはあるけれどまだ生命を留めていた。でも安心はできない。私にできることは魔力を注ぎ続けて、少しでも早くケントの傷を癒やすこと。
私はウィロー班長たちが来てくれるまでその場で治癒を続けた。検問への指示を出し、ケントを病院へ運んでもらう。
ケントのことは心配でならないけれど、私には仕事があった。ホテルへ一度戻り、血まみれの服を着替えて領事の元へ急ぐ。
けれど、その途中にあのバキシムが私の前に立ちはだかった。




